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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【結】〜人類最初の殺人〜
139/160

28話『ここにいない君の話』



 狂い始めた世界に

   いくら問いかけたところで

        答えなんて出ないことを、




   ──君は知っていたの?


















 日が沈んでいく。世界を赤らめていた太陽はいつしか山の向こうへ落ち、反対側からは月が姿を見せ始めていた。




 ──アダム家。



 そこでは夕食を間近にして、いつもならいるはずで、今日は必ず帰ってくると言った一人を待っていた。


 どれぐらい時間が経ったのだろうか。


 食卓の上で用意されて並べていた夕飯はすっかり冷め切っていた。




「なんだ。カインは、まだ帰って来ないのか。せっかくアワンが作ってくれた料理が冷めてしまうではないか」


「カインお兄ちゃん、遅いね」




 訝しむアダムと、待ちくたびれたアズラの言葉に、「そうだね」と小さく答えたアベルの声が消えてしまいそうなほど今は不安で仕方が無い。





「だいぶ外も暗くなってきたわね。アベル。カインはちゃんと帰ってくるって言ったのよね?」




 横から、アベルに確認するエバの声色には懸念のみが込められている。





「うん。“夕飯までには帰る”って......、」


「そう......。帰り道で迷ったのかしら」





 エバの呟きに、アダムはしばし顎に触れて熟考し、




「いや......それはない。森の奥と言ってもカインの畑からそれほど遠い距離ではない。それにあやつはもう迷子になる年でもないだろう」


「それも、そうね......カインったら、危険な目に合っていないといいのだけれど」




 アダムとエバの会話以降、沈黙が滞った。何やら不穏な事態に全員が沈痛そうな面持ちで押し黙っていたのだ。




「............アベル兄さまが、」

「?」

「どうしたの?アワンお姉ちゃん」




 アワンがぽつりと呟く。俯いて表情が見えないアワンの異変に、誰よりも先に怪訝な顔をしたのはアベルとアズラだった。その途端、アワンは立ち上がり、その手を机に叩き付けていた。






「アベル兄さまがちゃんと連れて帰っていれば、こんなことにならなかったのに」





 不意に、アワンから漏れる低い声が轟くように空気を伝う。


 どうしてアベルを責めるようなことを言ったのか、自分でもわからない。ただ無意識に、この胸の焦燥を思い知らせようとしたのか。思い通りにならない現実に、己の不安をぶつけたかったのか。どちらにしろ、自分と負けないくらいに不安なはずのアベルのことを、アワンは労わる気になどなれなかった。



 重い静寂の中、そんな批難じみたセリフを溢す彼女に、誰もが驚きを隠さない。アワンの潤んだ目がアベルに向く。アベルはそれを真っ直ぐ受け止め、何も言わなかった。


 その場にただならぬ空気が漂う状況で先に口火を切ったのは、





「アワン、よせ」


「......」




 (たしな)める。さすがに今のは言い過ぎだとアダムは感じた。しかし、制止する父の一声にアワンは一瞬身じろぎするも、はねのけた。自身の言葉で場の空気を一気に悪くさせている自覚はある。

 だが、アワンに前言を撤回する気は一切ない。今度は神妙な面持ちでアベルに詰め寄っては尋ねる。






「......っ、アベル兄さまはっ!どうしてカイン兄さまをそのまま置いて帰ってきたんですか!?やっとっ、カイン兄さまの中で何かが変わったはずなのに・・・っ!最後に別れるあの時、わたしにほんの少しだけ、心を開こうとしている素振りを見せたのに!」




 感情的な物言いになってしまうのは不可抗力だ。


 アワンはてっきり兄たちが仲直りした状態で二人で帰ってくるとばかり確信したのだ。だから今夜はそんな二人を迎えるために、今日の夕食だってアワンは腕によりをかけて張り切ったというのに。




「──結局っ、現状は何も変えられなかったではないですかッ!!」




 アワンの想いが(せき)を切ったように溢れ出てきてしまう。


 足場が足元から崩れ去っていくような感覚。頭の中をグルグルと回るのは負の感情。そこからどうにも抜け出せない。




「本当はっ、私だって父さまと先に帰らずにあの場に残りたかったもの!カイン兄さまと面と向かってじっくりとお話したかった!でも、私なんかじゃいても何も変わらないからっ、だから、アベル兄さまを信じて託してまで、二人が仲直りする機会を作ったのに......っ!どうして!ねぇ、どうしてカイン兄さまを置いていったのですか?」




 もっともなアワンの疑問だったのだが、アベルは内心うっと詰まる。声を荒げて語気も強まっていく一方のアワンに、実はまだ完全に和解できていないまま分かれたなどと、本当のことを到底言えなかった。


 しばしの逡巡、アベルは迷った結果、アワンの疑問の残る瞳にこう答えていた。





「仕方ないんだよ。アワン。カイン兄さんにも、一人になる時間が必要なんだ......」


「どういうこと、ですか?」


「……それが、兄さんとの『約束』だから……」


「約束って.....?カイン兄さまと、何かあったのですか?」


「うん……、ちょっと……ね」




 歯切れの悪いアベルに口にすることが憚られる内容なのだろうと判断した彼女はそれ以上追求する事をしなかった。けれどその中身が何であるかが分からない以上、下手に口出しすることが出来ない。だが、それは今までのアワンならそうしただろう。アワンはもうただ二人を見守ることに徹することはやめたのだ。


 



「二人の間に何があったのか、わかりませんが、だからって!今のカイン兄さまを一人にさせるのはあまりにも軽率だと思います!」


「アワン。落ち着いて?」


「落ち着いてなどいられますか!どうして?アベル兄さまは不安じゃないのですか?今のカイン兄さまを放っておくとまた様子がおかしくなるかもしれないのに!」





 今のカインはとても不安定で、傾けば一瞬にして壊れてしまう、硝子(がらす)の天秤みたいに。

 カインは強いからと、これまでアベルとアワンを含め、家族のみんなどこかで過信していた。だけど、今日カインの心の闇に触れてから、その心の脆さとか、呆気なさを知ったのだ。心まで強靭な人間なんて居やしない。誰だって心は脆いものなんだ。否定されたら傷つくに決まっている。


 ギリ、と口内で歯ぎしりする。徐々に冷静な心が消え始めていることには気づいたところでどうしようもなかった。





「どうせアベル兄さまなんてっ!本当はカイン兄さまのことなんてどうでもいいのでしょうッ!?」





 アベルの顔がぴくりと傾く。エバはその小さな変化に気づき、眉をひそめて「アワン」と小さく呟いた。次に場に響いたのは、アベルのどこまでも静かな声。

 



「......違う。違うよ。アワン」


「何が違うって、言うんです?」


「兄さんのこと、僕だって、不安だよ。......不安で不安で、仕方がないよ」




 アベルの表情は、今度は悲痛そうだ。悲しみと痛ましさは表情にすると、実はそんなに大差のあるものではないと感じさせられるほどに。




「なら!どうしてカイン兄さまを放っておいたのですか!?私だと無理ですが、あなたなら本気で引き止めてあげれば、もしかしたらカイン兄さまだって......っ」





 それはアワンから溢れ出した、心の叫び。


 少し顔をあげればアワンの……怒りや悲しみなどのたくさんの感情がぐちゃぐちゃとまざった顔が見える。そんな辛そうな表情を見るのが心苦しくて俯く。


 純粋にカインを心配する気持ちは痛いほどに伝わる。そしてそれにアベルはどうしようもなく共感してしまう。アワンの震える体を慰めたいと思っても……、今の自分にそんな権利がないことにもアベルは気付いていた。項垂れ、強く拳を握る。何もできなかった自分に、反吐が出そうだった。





「そう、だね。本気で引き止めれば、もしかしたら兄さんは僕と一緒に帰って来てくれたかもしれない。だけど、一人になりたい兄さんの気持ちを無視してまでそばにいようとするのも、違うと思うんだ」


「そ、んなこと.....っ」


「アワンの言いたいことはわかるよ。でもね、兄さんの場合、下手に歩み寄っても余計に拗れるかもしれない。そっちの方がずっと、......怖いんだ。僕だっていい加減学習ぐらいはするさ。強引に押すよりも時には引いた方がいいこともあるってね」



「────、」





 アベルの苦渋の上での発言。それを聞いたアワンは先ほどの剣幕から一転、思わず息を呑んだ。アベルの瞳は罪悪感が滲んでおり、その中には辛さと哀しみが交錯していた。そこでアワンはようやく、自分がどれだけ自分本位で、アベルを傷つけたかを悟る。



 



(違う。私はっ、こんなことを言いたいわけじゃなかった!アベル兄さまを責めるつもりなんて......っ)





 こんなのはただの八つ当たりだ。


 ただでさえアベルにが気を遣わせているというのに、これ以上余計な心労を負わせたくない。責任感の強いアベルの負担になりたくなかった。


 ようやく我に返ったアワンは口を噤むことを余儀(よぎ)なくされる。その手がかすかに震える。すぐにその震えを止めるように彼女は唇をきつく結んだ。






「アワン。そんな顔をしないで?悪いのは君の期待に応えられなかった僕の方だよ。本当に、ごめんね」




 それは謝罪であり、自責の呟きでもある。

 

 ううん、とアワンは言おうとした。ーーーだが、アワンはこの瞬間、心に縛り付けていた鎖が一気に外れるような感覚に陥っていた。


 アワンの瞳から流れだした涙。必死に抑えようとしてもそうしきれず、漏れ出した嗚咽。




「......アワン、お姉ちゃんっ!」





 今までのやりとりをずっと不安そうに傍観していたアズラは、姉の涙を見兼ねて、飛び出すように彼女を抱きしめる。


 その妹たちを目の前にして、アベルは強く歯を噛んでいた。感情の矛先をどこへ向ければいいか分からないからこそ、そうするしかなかった。




(まだ......まだ、きっと、大丈夫なはずだから......カイン兄さんはきっと、あの約束を守ってくれる)




 アベルが密かに胸中で呟いた時、アベルとアワン、二人の頭を温かい手が撫でた。顔をあげれば、目尻を下げた微笑を零しているアダムが。アワンも潤む目を擦りながらアダムを見上げる。





「だいじょーぶだ!また昔みたいになれるさ」


「お父さん......」


「父さま......」


「それと......アベル」


「!」


「一人で何でも抱え込もうとするな。お前自身にそんなつもりはないんだろうけど、もう少しオレたちを頼れ。......な」





 ぽん、ぽん。


 アダムはアベルの頭を撫で、困ったように微笑んでから、





「さあさ、とにかく、お前たちはしっかり夕飯を食べてしまいなさい。なぁ?母さんや」


「そうねぇ、せっかくアワンが作った料理を、誰も食べないのはさすがにかわいそうでしょう?」




 暗い空気を吹き飛ばすように、いつも通り笑ったアダムとエバは、苦笑交じりの言葉に溜息を吐き出しながら食卓の席に座る。



 それでも空気は重いまま、騒がしかった日々から一変して静かな、食器の音しかしない夕食が始まった。


 家業で体を動かしたのに、気持ちの所為で味気もない夕食は正直、食欲は沸かなかった。ただ何度もの入り口に目を移してはカインの気配を探った。



 今、何処に居るのか。



 今、心細い思いはしていないだろうか。



 今、何か危ない目には合っていないだろうか。




 事態の深刻さは時間経過とともに深まる。不安ばかりが頭過ぎって、中々進まない食事に目を落としては漏れる溜息。いまだに意気消沈している子どもたちに、アダムはそっと言葉をかけた。





「アワン。そんな不安がらずとも良い。食べ終わったあと、わしとアベルの二人でカインを探しに行く」


「お父さま......」


「アベルも、きっと長い捜索になる。だからきちんと腹ごしらえして、体力を温存しておけ」


「はい......お父さん」




 そうして黙々と夕食を終え、アダムとアベルは外出する支度をする。




「さあ、アズラ。もう夜は遅いから、お前は先にアワンと寝てなさい」


「でも......、カインのお兄ちゃんが......まだ」





 もう一人の兄が帰ってきていない。俯いているアワンを尻目に、アズラはそう口を濁す。しかし、アダムの考えは変わらない。





「カインは......きっと必ず父さんたちが連れて帰るさ。心配する気持ちはわかるが、お前たちは無理に夜更かしして、明日に差し支えることはない」


「でも、わたし......」


「アズラ」




 やっぱり、待ったほうが。そう言いかけたアズラを止めたのは、アダムではなく、エバだった。




「お父さんが言うんだったら大丈夫よ!あなたたちはちゃんと体を休んで、疲れた顔ではなくて、元気いっぱいにお兄ちゃんを迎えてあげなさい」


「わかった......」




 諭すような母の言葉に、アズラは反論もできなくなっていた。そこで、アベルはアワンに声をかけた。それにアワンは無言でゆっくり振り返った。




「寝る前に、目元をよく冷やしておいで」




 アワンのそばに行き、その頬に残る涙の跡を指でやさしく拭う。彼女の目の下が若干腫れていた。未だ赤みが残るほど泣かせてしまった。そのことにアベルの胸はひどく痛む。





「絶対に。絶対に、カイン兄さんを見つけ出す。そして無事に、帰ってくるから!」


「アベル、兄さま」


「もう一度家族みんなで笑えるように、僕がんばるから。アワンのためにも、もちろん自分のためにもね」


「……ありがとう」




   ──どうか、お気をつけて。





 その言葉を最後に、アワンは言いつけ通り就寝するためにアズラを連れて部屋を出て行く。それを余所目に、エバは握り飯を二つ作って卓上に置いた。


 きっと、見つかったらお腹が減ってるだろうと、どうかこのおにぎりを今日中に渡したいと願いながらアベルはアダム同伴でひとまず家周辺の森を探索することにした。





「では、この周辺を探そう」


「手分けして、だね」





 それからは、二手に分けて、アベルは早速辺りを見回した。


 心は急ぎ、しかし、足取りは慎重に。



 夜の世界を──研ぎ澄ました意識の中、アベル暗い夜道を踏破し続けていた。けれど、見つかるはずもない。


 辺りに灯火を照らしても人影どころか動く物体すら見えない。この暗闇に紛れ込んでいくほどカインがどんどん遠く、離れていくようで───。





「......っ、にいさんっ!カインにいさーん!」





 もどかしさで叫んでみたが、やはり返事はない。来た道を振り返ってみても、青年が現れる様子はなかった。




「お願いだから、返事をして......」





 それからも、焦る気持ちを嘲笑うかのように一向に見当たる気配がなかった。そうこうしている間に、辺りを探しつくした結果制限の掛った時間はあっという間に迫る。




 「どこに、いるの......兄さん」




 約束を破ってまで帰って来たくなかったのか。そうまでしてアベルに向き合いたくないのか。ああ、だとしたら?何が悪くて、こんな結果になってしまったんだろう。


 前はこんな結果になるなんて予想もしてなかったのに、ただ、毎日同じ繰り返しの変わらない日々を送っていたはずなのに。



 十年前。カインとアベルの確執。一度それを乗り越えたかに見えても、やはりまだ薄氷の下に渦巻くように存在していたとでも言うのだろうか。




(......やめよう。今更こんなこと考えたって、どうしようもないのにね)




 そうだ。今はカインがいなくなった原因、遠因の反省をしている場合ではない。何より、突き詰めていけばその理由は、アベル自身の自己否定にしか繋がらないのだ。悲観に浸りやすい自分に、そんな自己嫌悪をさせている暇は今はない。




「カイン兄さん......」




 早く帰ってきてよ。


 いつもみたいに、普通にお話しようよ。


 アベルの震えた声は、夜の闇に霧散した。




 ああ。

  

 夜の空気が(ことごと)く馴染まない。

       

     ()()んでくれない。






  君の声が聴こえないよ。




    聴こえたら、

      運命は変われたのだろうか。





         

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