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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【結】〜人類最初の殺人〜
138/160

27話『弔いがわりに笑ってあげよう』


「“愛”......?そんなものがある訳がなかろう」


 


 ……それは思いがけない、なぜだか心の中を深く抉る言葉だった。そしてそれを口にしたサマエルの瞳はあまりに冷たく、全てを見下し蹂躙する瞳だった。






「忘れたのか?お主の魂も心も、このサマエルから生まれた悪意の遺物。愛なんて相反するものが生まれて来るはずもあるまいに。笑わせるな」




 舌なめずりの音がした。


 その淡々として、最もな指摘に、カインは呆気にとられるのみで、何も言葉を発することができなかった。だが彼の心が確かに震えていた。




「鳴呼......腑抜けている。落ちぶれている。......堕落している」




 憐れむように、憂うように言葉に惹かれるようにカインはゆっくりと視線をサマエルに戻す。




「どうやら、お主は長いこと人の世に浸かりすぎてしまったようだな。そのせいで、あらぬ幻想を抱くようになったか」





 まるで可哀想に、とでも言うかのような表情を向けられてカインは不可解だ、と顔全体で示した。それなのに、彼の心の中には何かが侵入してくる感覚に襲われる。


 ククク、と小さく笑声を漏らしてサマエルはまた呟く。




「なんと無情であるか。お前が今縋る現実とて真実とは限らない。本当の真実はお前の中にしかないのだ。他者の言う愛の言葉なんぞに惑わされ、お前の心の中にある真実が閉ざされてしまっては意味が無い」




 カインが言葉を詰まらせたのを見て、サマエルは自身の仮説を朗々と述べる直前とは打って変わってすべてのことに興味を失ったように瞳の色を濁らせた。





「覚えておけ。カイン。どんなに人間の真似事をしてみたところで無意味だ。どれほど希み、どれほど期待をしたところで、決してお主の中に真実の愛なんぞ生まれて来ない」

















 カインの瞳が限界まで開く。


 声になりきらなかった吐息が彼の口から漏れた。どくり、どくりと胸を叩く鼓動。くつくつ、と喉の奥で嗤う声がただ聴こえていて、カインの頭は全て真っ白になった。






(俺には、愛が生まれてこない......)





 有無を言わせぬように放たれた無慈悲は、思いの外、カインのコンプレックスを刺激する(いとぐち)になっていた。


 「愛」。当たり前のことが当たり前でない。己にがないものを、己以外の家族は持っていて。


 「愛す」。己にとって当たり前でない出来事を、己以外の他人はいとも簡単に乗り越えてみせる。

  





「カインよ。全ての記憶を取り戻した今なら覚えているだろう。吾輩はかつてうぬにはっきりと告げたはずだ」




 ──うぬは生まれつきの悪なのだ、と




「……あ、」


「仮にあるように思えたそれも所詮は仮初(かりそめ)の幻影だ。やがて、うぬの中に巣食う悪意がその虚構を残さず喰らい続けるだろう」


 


 滔々と語るサマエルの前で、カインは道を見失っていた。嘘だ、と思わず口にしたものの、心底同情を寄せてくるサマエルの様子を見ていると、そうではないということがヒシヒシと伝わってくる。





「カインよ。もう諦めろ。どう足掻いたところでうぬはこの先も、愛なんて生温い代物とは永久に相容れない。いくら耳障りの良い愛で覆い隠そうとしたところで、悪意の毒は変わらず心の奥底にじりじりと(いぶ)るのだ──それが、うぬの本質。いや、()()だな」





 “だから、お前は悪だ。

      ──悪にしかなれない”





 最後の最後、それこそがこれまで最も明確な悪意に満ちた声だった。




「これが、うぬに隠された最大な真実だ」




 世界は、カインにとって最も残酷で、理不尽な運命を用意する。──自分は排斥すべき異端者なのだと、無慈悲な現実を突きつけられた気がした。


 


(俺は悪にしか、なれない?)

 



 必死に己の異常性を手放そうとしていた。なければいいと思っていた己に巣食う悪意性。否定し続けてきたものが今更本当は自分というものを形成する一部なのだと、飲み込んだところでそう簡単に消化ができるはずもない。


 カインの顔から血の気が失せる。必死で繋いでいたものが急に切れたようだった。

真っ青な顔をして煩く、ますます加速する脈打つ心臓を落ち着かせるように手を当てた。それでも激しい動悸と冷える体の体温に待ったを掛けることは出来なくて。





(俺は、俺だけは、家族の一員にはなれない、のか......?)






 アダムの笑顔が脳裏に焼けるように映って、カインはぎゅっと目を瞑った。まだ鮮明に耳に残る父のセリフが甦った。





『わしにとって、昔も今も、お前は可愛い息子だ』




 ──今日、父から感じた愛も、





『わしは、ありのままのカインが大好きだぞ』





 ──カインの中に残る温かい感情も、






『だから、もう一人で抱え込むな。吐き出せ。わしが全部受け止めてやる』





 ──全部、己の異質(悪意)が殺してしまうとでも言うのか。



 人からもらった愛も人に伝えたい愛もすべて幻影に変わり、やがて無に還る。そんな愛を享受する権利を取り上げられたカインの一生はなんて理不尽なことか。




(......ッ、そんなの、あんまりだ!)


 



 カインの「魂の真実」は、彼の中で恐怖と不安を生じた。


 しかし、カインの「心の真実」は彼に、悲しみと絶望を与えた。


 カインがこれまで信じてきたものが音を立てて崩れるだけの悲しみと絶望を......。



 実に呆気ないものだ。瞳が揺れ、縋りつくように今まで保とうとしてきたものが、見るも無残に砕け落ちていくのを感じ取ったカインはついに赤い蛇から視線を外した。


 そんな露呈されるカインの弱みの片鱗を、当然悪意の蛇は見逃すはずもなく、容赦のない追撃を畳み掛ける。

 


 

 

「アダムは、所詮は”器“の親だ。うぬの”魂“にまで寄り添えない。うぬの深層で抱える苦しみも悲しみも真の意味で一つたりとも理解してなどいないし、理解しようとも思っていない!居心地良いことばかり抜かしおって、裏を返せばどうだ?結局本質ではうぬの考えること為すことをすべて否定しているだけではないか!」


「──っ!!!」

 




(そんな、はずは。父の言葉に嘘なんて、)





 ──いや、果たしてそうだろうか。


 

 自分の中の何かが囁く。

 

 冷静にアダムの言葉を思い返してみろ。アダムはカインの思想を大っぴらに否定はしていないものの、何一つ“肯定”もしていない。「正論」という言葉の巧みでカインの反論を封じ、婉曲(えんきょく)に「変わる(改心)」ことを求めた。その所業は果たして心からカインのことを認め、受け入れたと言っていいものだろうか。




「そんなもの──ただの“洗脳”でしかない」




 そう。このサマエルの言うように「悪意的な解釈」をすれば、カインがきちんと悔い改めるように、神への信仰心を深めるように仕向けたとも捉えられる。







(俺は、......言いくるめられていた、のか?)




 知らず知らずのうちに、カインはサマエルの曲解(きょっかい)に翻弄されていた。



 カインは、気づいているのだろうか。


 彼は今、数十年共に過ごしてきた家族よりも、たった数度言葉を交わしただけの悪魔に心が傾き始めていることに。さらにそれこそがカインの中に仕組まれた──長いこと潜伏する悪意の因子による煽動(せんどう)なのだと。



 


「目を覚ませ。カイン。うぬの人なる父もとどのつまりは、神の下僕でしかない。どこまでも神の言いなりだ。そして、それをうぬにも強いたのだぞ。愛なんて綺麗事で飾る、あのアダムという人間は、いや、あの家族全員に言えることだな。姑息で卑劣な建前で己の本性を隠蔽し、うぬを思い通りに操ろうとしたに過ぎないことに、いい加減に気づけ」




 馬鹿にしたような笑い声がカインの耳に届いた。繰り返される、悪意だけが塗り込められた高笑い。


 ときかくカインを嘲笑いたいのだ。悪意の魂を継ぐ魔族であるのに、ありもしない愛を追い求めているのだから。



 


「あやつらの愛なんて所詮欺瞞よ。魔の子であるうぬを懐柔(かいじゅう)し、従わせるためだけの愛を囁く。わかっているのか?結局誰もうぬを理解していない。認めていない!!真の意味で愛してなどいない!」





 真実を知る者からすれば、腹がよじれるほど滑稽だったことだろう。目を覆いたくなるほど愚かだったことだろう。サマエルの笑い種となったカインの脳裏には、すっと過っていく"家族"たちの顔。


 今までカインが完全に闇に落ちるのを留めていたもの。何かが崩れ落ちていく音が聴こえていた。ようやく、真っ直ぐになれた道が断ち消えた瞬間だった。


 カインは声にならない嗚咽をもらしていた。立っていることすら億劫で、しゃがみ込んで丸まった。その胸に広がる喪失感は、容赦なく彼を襲う。




 ようやく、愛を感じることに貪欲になりたいと思った。


 受け入れてくれる居場所を信じたいと思った。


 昔も今も愛してくれる人たちを大事にしたいと・・・思ったのに!!






「みんな、俺を騙していたと、いうのか.....?」





 世界はカインを拒むみたいに、どんどん暗い方向へと導いていく。一度、思考が悪い方向へ転がり始めると、あとは底辺まで一気に転がるだけだ。


 嗚呼、俺は何所へと向かえば、何を信じればいいのだろう。やっと見つけた光だったのに、細い光は大きすぎた闇に簡単に飲み込まれていった。




「俺は......、必要とされないのか......?」





 低く唸ったカインの頭には、いつしか今日アダムが伝えた言葉も、塵ほども残っていない。


 こういう時は決まって思い浮かぶ愛と笑顔に満ちた家族。それもまるで鏡が割れるようにその姿に亀裂が走って砕けた。




「ああ!そんな()い顔をしないでおくれ!うぬは決して悪くない。悪いのは偽りの愛なんてものを押し付ける、下劣で利己的で嘘つきな()()()()だ。あやつらは愛という大義名分で、きっとこの先もうぬをじわじわと(なぶ)り苦しめるであろう!我が悪意なる継承者がそのような偽善の檻で生殺しの状態で飼い殺されるのを、これ以上看過できん。この吾輩がその檻から救い出してあげよう」




 そこで、カインが頭を上げたのは、サマエルの悠長な慰めが彼の琴線に触れたから──ではない。


 ふいに全身を捉えるその場の嫌な違和感が原因だった。


 彼はゆっくりと顔を上げ、周囲に視線を巡らそうと・・・・・・、









    目 が 、合 っ た。






「な……あ!?」




 驚きに声を上げ、カインは思わず尻餅をついてその場を後ずさる。


 そこにあったのは────、





「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」「――――」




 大量に覗き込んでくる視線。


 顔色を蒼白にし、目の前の現実を受け入れられないカインの眼前──そこにあるのは、この世のものとは思えない異質な生命体だった。




「なっ、んだ、これは......っ!」




 首をめぐらせ、震える唇で音を紡ぐカイン。その彼の視線を追いかけるように、次々と森の立ち並ぶ木々から黒い靄のような影が生えるように生まれ出す。




「ほほう。これはまた、随分と【(ロスト)】を惹き寄せたものだ」




 ──まさに、四面楚歌(しめんそか)


 その数は瞬く間に十を越え、警戒するカインの周囲を取り囲んでしまった。そうして意味のわからない出現をした彼らが姿を現したにも関わらず、何事もなくその異様な事態をただ嬉々としてサマエルが傍観する事実。


 絶句するカインを、無言な視線が凝視し続ける。


 赤と金が交互に交わる波紋のような模様の眼。夜の森を煌々と切り裂くその光点は数えきれないほどに────、





「くっ、──来るなァア!」




 掠れた声を出すカインに応じるように、それらがするすると滑るように移動を始め、より一層彼に近寄ってくる。


 カインを歓迎しているようにも、値踏みしているようにも、喜んでいるようにも、何も感じていないようにも見えて──。


 とにかく、ソレらの存在は、今のカインの魂、そして心をひどく()(むし)っていった。




 

「ククク!素晴らしい──!()()()しっかりと見えるようになったか。ククク。ようやくうぬの心の闇が見事にこれだけの【(ロスト)】と同調(シンクロ)したようだ」




 デジャブを感じさせる──かつてどこかで聞いたことのあるもったいぶったサマエルの言い回しなど今のカインの耳には到底入ってこない。


 ただ、絶句した。声が出なかった。言葉を失うとはこういうことだ。思考が凍りつき、何も考えられなくなった。しかし、わかったこともある。



 ──カインが負の感情に陥るほど、その【(ロスト)】と呼ばれし生命体が増殖していることに。





「カイン。もううぬは逃げることができない。【(ロスト)】を肉眼視できてしまった時点で、うぬはすでに己の闇に囚われているのだ」






 サマエルはカインのペ─スなど全く考えなしに、己が話したいことだけを話し続ける。愕然(がくぜん)とするカインの心に追い討ちをかけるように。





「機は熟した。さあ、こっちへ来い。カイン。うぬのどんな悪意なる衝動も、醜悪な本心も、邪悪なる本性も、吾輩が喜んで肯定しよう!心も魂も、すべてありのままのうぬを受け入れられるのはこのサマエルでしかありえない──!!!」


「がはっ......!?」




 なんの前触れもなく、(さら)け出した暴虐な本性が、カインを襲った。




「なにせ、吾輩こそが、うぬの生みの親だからな──ッ」




 これは罠だ──ようやくそれに気づいたのは目に止まらぬ速さで、サマエルの胴体から生えた赤い触手がカインの胸へと突き刺した時だった。肉体も精神へ介入してくるそれをカインは反射的に掴んで抵抗する。




「な、・・・なに・・・を、」


「ククク、捕まえたぞ」




 

 その触手は皮膚を突きたてられ、ずぶずぶとカインの胸の奥に沈み込んでいく。痛みはないが、何かが体内に埋め込まれていく嫌悪感が凄まじい。生理的嫌悪を逆撫でされるような感触に涙が滲む




「ッ・・・や、・・・やめ・・・ろ」




 辱めに唇を噛締めて、その触手を強く引きつ抜こうとするが抜けない。それどころか触手はカインの中の”弱さ”を掴んで抵抗を押さえつけた。




「ぐぁっ!!」


「ようやく、ようやく!!この時を待ち侘びていた。もう絶対に離さない。離すものか!」

 



 異物が体内を蹂躙する違和感に仰け反るカインの耳元でサマエルは艶かしく囁いた。その言葉にとくんっと心臓が揺らぐ。




「──愛している。カイン」




 それは祝福で、呪詛(じゅそ)だ。


 「愛」と(あい)()れない体質のカインに愛を吐くサマエルの、最上級の悪意と呪い。


 そう恍惚の息を吐くと同時に、尚も悪意の触手はカインの心の弱さをまるで愛撫(あいぶ)のようにやさしく触れる。それは徐々に熱を帯びて、ついには心地良い快楽すらも(もたら)した。



 


「カイン。うぬは、吾輩のものだ」





 ──吾輩だけの()()()()を、

       逃してやるものか!




 ぞわわと鳥肌が立つ。


 カインを襲う体の震えと緊張が、サマエル が自分を狙っているのだと言うことを示している。


 どこまでも自身に向けられた特異な執着心に戦慄する。



 


(逃げなければ......!)




 生存本能を最大限に引き出し、胸に刺さる触手をそのままに逃れようと腰から身をひねる。しかし───、




「ぐぁあっ!?」




 カインはその場にうずくまり、苦しそうに首筋に手で押さえる。噛まれたような痛み場所──首筋からは禍々しい気が混ざるのを感じて、ハッと気づいた。




 十年前、サマエルに噛まれた首筋の傷跡。





「ククク、どうやら吾輩の置き土産がすっかりその体に馴染んだようだ」



 

 ──あの再会の夜に、吾輩が仕組んだ「悪意の種」がな。




  

 その説明と同時に、拒む力を完全に奪われて、カインは立つ力もままならなくその場に倒れこんだ。


 今度こそ本当に身動きは取れない。


 悪意と言う名の種が植え付けられたみたいに、それが芽を出して、体中に絡まるような───そんな怖ろしい錯覚すらしてしまう。




(まずい......意識が......っ)




 視界の解像度が急速に落ちていく。


 浮かぶ悪意だけを内包した不吉な嗤笑(ししょう)だけが、歪むように白んだ世界で確かな輪郭(りんかく)を持っていた。




「では、頂くとしよう」




 人間を頭からひと呑みしそうな大顎をかっと開いた。視界の端に、赤黒い洞窟からせり出した鋭い輝きが見えたのも束の間のことだった。




(ア、ベル)




 瞬く間に視界は闇に飲まれ、身体が浮き上がった。鈍く、重たい思考が思い描くのは、最後に別れた──たった一人の弟だった。



(今度は約束、......守れそうに、ないな)




 カインの頬からポタリ…と透明な雫が落ちた。


 誰も知らない涙。


 本人さえ知らない透明な涙だった。


 誰にも見えない硝子のように透明で割れやすい。



 儚い涙。





(俺は、もう────、)






 ぐるぐると世界が回る。


      どろどろと世界が溶ける。





 魂が歪み、捻じれ、(ひび)割れる。




 カインの瞳からふっと金色が失せ、急速に焦点が合わなくなっていった。今まで感じていた身を灼くような熱も快楽すらも何もかもが遠ざかっていくのを感じた。






 落ちていく。

         堕ちていく。




 現実から遠ざかっていくカイン。視覚も、嗅覚も、聴覚も奪われていく。


 ああ、とても眠い。

 なにも考えたくない。


 そうだ、これは全部悪い夢だ。


 起きたらきっと、いつも通りだ。


  だから、目を閉じて。そうすれば、すべて何もかも、元通りになるはずだ。カインは胡乱に考えながら、そっと目を閉じた。



 意識が完全に落ちていく瞬間、



  世界から”要らない”と

    ──言われているような気がした。












   光を求める事が

       愚かだと言うなら、



   いっそ愚かのまま

      闇に落ちゆけ。


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