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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【結】〜人類最初の殺人〜
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22話『愛の形』

 どれくらい、抱きしめられていたのだろう。




「少しは、スッキリしたか?」


「......」





 その問い掛けがきっかけに、すっとカインは無言でアダムから腕をほどいて距離をとった。


 これ以上、父の前で弱さを晒していたくないからだ。




「ま、お前の顔色がだいぶマシになってきたようで何よりだ」




 だが、そんなカインを意に介さず、どうやらある程度自分の心に決着をつけた息子に、アダムが安心したように笑った。




「それで、だ。カイン。アベルたちのことなんだがな」



 その名前を出すと、カインはぴくりと反応する。その瞳はゆっくりとアダムのほうへと向けられた。



「きちんと仲直りしておくんだ」




 そうはっきりと告げる瞬間、カインは心なし頑なな空気になり、瞳の色もまた暗くなった気がした。

 

 カインとアベルの確執が消えたわけではない。それを承知で──いや、だからこそ、アダムは真っ直ぐその目を見つめ、言い聞かせるような気持ちでゆっくりと伝えた。



「お前はこれでよかったのか?このままアベルとギズギズした関係のままで終わることを選ぶのか?」


「────ッ」



 

 アダムからはっきりと問われたくない質問を浴びせられて、カインの表情がたちまち痛みに強張る。


 二人の耳に森が先ほどよりも静かに感じていた。


















 隣り合って座ったまま、しばしの沈黙が二人の間に落ちる。




「────」


「────」




 沈黙と静寂こそが一番の言葉だと感じるのはこんなときだ。互いの気分や感情がダイレクトに伝わる。


 今この空間にあるのはさしずめ、気安さと寛ぎ、──そして、少しの虚勢だろうか。


 アダムは気長に、カインの言葉を待ち、カインはそんな姿勢の父の横顔を一瞥して、今度は視線を地に落としてギリと歯ぎしりした。やがて、何度も唇を震わせて躊躇いがちに、





「これで、いい」


「なに?」


「もうこのさい良い機会だ。今後はお互いのためにも距離をとっておいた方がいいだろう」


 




 距離を置いて、拒絶して、もう二度と自分の世界に足を踏み込ませなければいい。誰も、何も、傷つけずに済むなら全てを捨てる覚悟だ。


 そんな自分から孤独を望んでいるようなカイン態度に、アダムは困ったように眉を寄せる。そして、きっとこの機会を逃せばカインとアベルたちの仲がもう修復できないところまで来るだろうと──そんな予感がしていた。


 だから、




「カイン。わしは兄弟っていうのがいないからあまりわからぬが、お前が思う以上に、下の子は上の子に依存しているんだと思うぞ」




 アダムには兄弟はいないが、カインには弟であるアベルがいて、妹のアワンがいる。


 昔から無愛想だが優しく、世話好きなカインに懐き、カインが豹変してからもめげずに歩み寄ろうとするアベルとアワンの健気な姿を、当初アダムは父親ながら理解できなかったが、今思えばカインと同じ気持ちだったのかも知れない。


 生まれた時から一人だったアダムや長子のカインには、生まれた時からずっといる年上の存在というのが、根本的に理解できないのだと思う。





「例えお前が苦しくて突き放したいと思っても、きっとアワンはお前を求めている。特にアベルなんて、お前との仲違いをいつだって恐れている」




 隣に兄が笑っていて、自分の傍にいてくれる。


 勝てないなと思いながらも尊敬する兄の背中を目指す。そう言う日々を望み、当たり前のように享受していた。


 しかし、一度は突然壊れてしまってからは、歪まずにはいられなかった。


 生まれた時から自分たちの前にあった、頼りがいのある存在。失ってしまった大きさは、兄のカインにはわからないけれど、計り知れないくらい大きい。


 だからこそアベルとアワンはかつて長い時間をかけて自分たちなりに必死で修復しようとした。しかし、再び家族に亀裂が走った今も、アベルたちはさぞかし不安に思い、昔に戻りたいと思ってしまうのだろう。




「少しは、アベルたちの気持ちも考えたらどうだ。あいつらがどれだけお前を慕っているのか。それは、お前もかつて身にもって経験したことだろう?」




 アダムはジッとカインを見つめた。仮面を貼り付けたようなカインの顔から、その中に潜む感情を探るように。




「ああ、そうだな。もう、嫌ってほどにわかっている」


「わかっているならなぜ、」


「わかっているからこそだ」




 カインはわかる。きっと今でもアベルとアワンは幼い記憶の中のカインを求めているのだ。昔の兄に帰ってきてほしいと願っている。だが、昔のカインが大好きだったからこそ、今のカインを否定した先に、もはや変な執着に取り憑かれているだけのようにも思える。




「あいつらはもうガキではない。俺と同じいい大人なのだ。いい加減に俺なんかに固執しないで、自分たちのことに専念するべきだ」





 兄ではなく、一人の人間の自分もいることを、いい加減に知らせておくには良い時期だったのかも知れないとも思う。


 また、自分にこだわらないためにも。




「だから、もういい加減に兄離れするべきで、」


「カイン」


 


 腕を組んで聞いていたアダムはすかさず遮ると、カインは詰まる。




「この意地っ張りめ」


「……なにがだ」


「口ではそう言ってるが、本当は弟と妹たちのことが大切なのに、それを微塵も表に出そうとしないところだ」


「ッ!?おい!」




 アダムの目に映るカインの顔色が、やっと変わった。図星なのか、途端に声を荒げる彼に、アダムはガハハと笑い声をあげる。

  


「嫌いだの、鬱陶しいだの、散々いろいろ吐いたが、その一方で、兄妹たちを大事に思う気持ちだってまた本物なんだろ?」


「それは、」


「なんだ。違うのか?」


「......違、」




 ──咄嗟の否定の言葉が、カインの口につくことはなかった。



 カインの脳裏に思い浮かぶ。どこまでも真っ直ぐにこちらへ向かってくる少年と、月のような微笑みを浮かべる少女。兄と慕って頼るアベルとアワンの姿が次々と蘇ってくる。笑っている時も、泣いている時も、彼ら兄妹は決まって「兄さん!」「兄さま!」とカインを呼ぶ。


 カインの性質上、それを快く受け止めることはなかったが、それでも、少なくともこの十年間は、少しずつ居心地悪くはないと感じられたは確かだった。


 だから、カインにとっては、アダムの言葉に否定することも肯定することも、難しい選択だったのだ。



 彼は、思わず右目の古い傷跡に手を当てた。


 だからこそ────、




「フッ、カインよ。今、お前が何を考えて、何をやろうとしているのか。わしはちゃんと分かっている」




 アダムの瞳に見つめられると、カインの本心が全て見透かされている気分になる。いや、実際見透かされているのだ。




「どうせまた、傷つけないために遠ざけようとしているのだろう。なにせお前は相当のひねくれ者だからな」


「────、」


 

 寸分狂っていないアダムの見解に、今まで何かしら反応していたカインは、言葉を詰まらす他なかった。気まずそうなカインの顔を覗き込む。





「確かにわしは言った。“人間誰しも間違いを犯す”ってな。間違いを犯すのは愚か者ではない。しかし、だ」



 不意に、その眼光が鋭くなる。



「──”同じ間違い“をするのであれば、話が別だ」


「!」


「お前自分で気づいているか?これではかつての二の舞だぞ」

 



 大事だからこそ、互いが傷つけないために遠ざけた。そんな、自分と相手を思いやるという皮を被った欺瞞(ぎまん)を正当化するために、拒絶するまで家族を遠ざけた。それが十年前。


 しかし、結果はどうだ。過度な拒絶が余計に相手を傷つけた挙句(あげく)、アベルに至っては自死にまで追い込ませた。そんな本末転倒な事実をかつて思い知らされたというのに、今のカインはまた十年前と同じ(てつ)を踏もうとしている。




「間違いを犯す奴が愚か者ではない。同じ間違いを繰り返すのが、愚か者のすることだ」




 告げた言葉にカインは無言。そこになにがしかの反応が生まれる前にアダムは畳みかけ、




「お前は一度後悔したはずだ。弟たちを傷つけたことを。そして、一度決心したはずだ。今度こそ自分なりに兄としてあやつらと向き合おうと、家族を愛そうと努力していたではないか。これでまた遠ざけるのは正直わしからすれば、お前はただ自分にとって都合のいい逃げ道を作っているようにしか見えない」


「──っ、」



 アダムは日頃は大らかで、何事にも楽観的だ。だから誰もが忘れがちになるが、意外とちゃんと周りをよく見ていて、他人の本質を見抜く感性も持っている。いつもは変に鈍いくせに、こういう時に驚くほどの洞察力を見せるのだ。

 




「傷つけないために遠ざける。確かにそれも一つの愛の形でもあるのだろう。それ自体は否定せん。だが、大事だからこそ、傷つくのを恐れずに向かい合う。そういう別の愛の形もこれを機に一つ学んでみても良いではないか?」


 


 今だってそうだ。カインが揺れ動き、再び道を踏み外しそうになるとき、アダムはこうして現れては静かに諭し寄り添い、あえて穏やかな厳しさでその道を正す役割のように安心をあたえてくれる。




(今更になって、気づくとは、)




 今思えば、現にこの数ヶ月間だって父は常にカインを気に掛けてくれた。カインが負の感情の飲み込まれそうになった時、決まってそれを感じ取り、カインに親子のコミュニケーションをとっては現実に連れ戻してくれていた。祭祀での失敗以来ずっと、カインは知らぬうちに父に支えてもらっていたことに。


 しかし、カインはそれに甘えるばかりで、世の中のすべてに失望したような顔をして、隣にいつも在った優しさをかえりみることすらしなかったのだと。

 

 改めて、カインは己を恥じた。




「もちろん。ワシの見方がすべてとは言い切れん。これからも世界には多種多様な生物が誕生する故、世界の見方も様々になってくる。しかし、大切なのは一つに固執するのではなく視野を広くもつことだ。口で言うのは簡単だが、失敗をたくさん経験し、お前が納得できるまで試行錯誤を続けるといい。これが今のお前に伝えられることだ」




 くしゃりと、アダムがカインの頭を撫でる。いつもなら振り払うところだが、この時は不思議とその手をカインはおとなしく受け入れた。




「人間というのは一人では生きていけない。そう神に創られているのだ。この世に最初に誕生し、かつて一人だったわしに、神が母さんを創り与えてくださったように、お前にも弟や妹たちが生まれてきた。いつかわしとエバが寿命でいなくなっても、カインが一人にならずにすむようにな」




 夫婦も、兄弟姉妹も、人と人は支え合うためにあるのだと……、アダムはそう伝えたかった。



「お前とアベル、二人で助け合い協力し合えばきっとこの先どんな困難も乗り越えることができる──だから、カイン。アベルとしっかり向き合ってやれ」




 真っ直ぐにカインを見据える。アダムは、カインの言葉を待っていた。



 ──カインとアベル。二人はアダムにとって等しく愛情を注ぐべき存在であり、秤にかけることは出来なかった。どちらの言葉も、どちらの想いも、尊重してやりたい。だからこそ、カインにアベルの言葉を聞いて欲しかった。噛み合わない、一方的な愛や献身は、いずれ必ずまたどこかのタイミングで傾きが生じて、崩れてしまう。


 これ以上、二人の息子の想いが拗れて欲しくなかった。互いの想いを聞いたアダムだからこそ、わかることがある。アダムの言葉を、カインがどう呑み込むか。




「......もう遅い」




 それでも、ゆらりと顔を上げたカインから返された言葉は、常時の彼とは掛け離れたひどく弱々しいものだった。




「あいつらはもう、きっと今度こそ俺のことを見限っている」




 父の言うことはきっと正しいのだろう。その思いには応えたい。しかし、カインの心の何処かでは、既に「信じたい」という感情と、「家族とはいえ、他人が無償の愛を捧げられるわけがない」という染み付いた呪いが戦っていた。


 その瞳を揺蕩(たゆた)う感情は、今は呑み込まれそうなほどに混迷を極めているのがわかる。




「こんな俺が、何度も許されるはずが、ない」



 そう俯いて曇った声色に、アダムは諦めずに微笑む。





「それはお前の決めつけだ。実際アベルたちから聞いたわけではない。そうだろう?」


「聞かずともわかる......!あれだけ酷いことをしたんだぞ......っ、恨まれてもおかしくはない!」




 相変わらずの筋金入りな「自己完結癖」に、とうとうアダムも苦笑に変わる。カインの言い分を容認するわけにはいかないが、かと言って否定したところで、カインは素直に聞き入れる性分でもない。だから、


 


「なら、見限られているかどうか、確かめてみるか?」


「は、」



 アダムの目はカインの後ろに広がる鬱蒼とした草むらに注がれていた。見たところなんの変哲もなかったが、アダムには分かった。



「どういうことだ?」



 そう言ったのはカインだ。訳が分からず尋ねるも、アダムは草むらのある一点を顔を向けるまま、誰に言うでもなく呼びかけた。




「そこにいるんだろう。出てこい」


「!!」




 カインは微かに目を見開く。まさか、と思うのと何故、という感情が一気に心に押し寄せる。


 一瞬、何も無いように思えた。


 数秒の間しん、となんの反応もない森にカインは父が何か間違ったのではないかとさえ思い始めた時だった。



「!?」




 あれだけ沈黙を貫いた草むらがガサガサと揺れた。途端、その向こうに気配が漂ってくる。





「カインよ。良く見ろ。お前を心から案じて、想ってくれる奴が、お前の思っている以上に多いのだぞ」


 


 そう言われてカインが視線を投げる先、木々の隙間を()ってこちらに歩いてくるのは、




「......お前ら、」




 漏れた声はひどく掠れていた。


 カインにとっては容易に想像できて、けれど意外な人物がそこに佇んでいたのだから。




「兄さん......、」「兄さま......っ」




 彼と彼女──アベルとアワンは、二人して十メートルと離れていない場所に佇む。


 その瞳は憂慮の色に染まり、不安気に揺らいでいた。

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