13話『ウリエルの弾劾』
火、水、風、雷、地、そして光と闇。──この世界は「七大元素」のエネルギーにより構成されている。
直々神に選ばれし七大天使は各々(おのおの)その身に「元素の祝福」の洗礼を受けることで、それぞれが元祖なる元素の力を司る──無限の支配権を授かるのだ。
すべてを燃え尽す──【炎】のウリエル
すべてを鎮静する──【水】のガブリエル
すべてを包み込む──【風】のラファエル
すべてを痺れ貫く──【雷】のラミエル
すべてを生み育む──【地】のハニエル
すべてを浄化する──【光】のミカエル
そして、
すべてを無に還す──【闇】のルシフェル
七大元素の中でも【闇】は極めて異質だった。対極となる【光】を除いて、【闇】はどの元素をも凌駕する強大な力である。
そのゆえに、並の天使では到底扱い切れる代物ではなく、逆に闇に蝕まれ暴走した末に「堕天使」へ成り果てる危険性を有している。
まさに天界に生きる神聖な天使にとっては恐るべき諸刃の剣なのである。
その類稀なる異端な元素能力を制御し、思う存分発揮できる天界の唯一な存在が「光を掲げる者」なのだ。【闇】すらも懐柔させる先天的光の素質を備えているルシフェルでしか成し得ない業である。
「──ということからして、【堕】を呼び寄せる元凶、その有力な容疑者はルシフェル天使長でしかありえない!奴は己でしか扱えない闇の力で【堕】を手懐け、誘導しているに違いないのだッ!!」
ウリエルが突きつける強い弾劾は音になり、いよいよ引き返せない現実に弾けた。
もう、“気づかないフリ”は許されないのに──ミカエルは己の往生際の悪さを嘲笑した。
──こうして、賽は投げられたのだから。
「そんな...ルシフェル様が【堕】たちを....?うそぉ.......ウソだよ」
一気に信憑性が高まるルシフェルの疑惑に対するハニエルの反応はやはり劇的だった。
ショックを受けるハニエルの掠れた声を耳の片隅で捉えてながらも、辛うじてミカエルは厳然と声を絞り出した。
「.......ウリエル。私とてそれを耳にしている。もしかすれば、ここにいるメンバーも既に知る者はいるのかもしれない。確かにこのところのルシフェルに多い不可解な言動が度を過ぎていることは否めない。.......しかし、いくらルシフェルの謀反疑惑が取り沙汰されようとも、所詮それも推測の域に過ぎない。それで同胞を疑う行為は些か賛同しかねる」
「おおよそ、こちらの言いたいことはミカエル副司令官が語った通りだ。ウリエルよ。君の発言の根拠は充分に拝聴させてもらったが、それだけでは容疑とまでは値しないのだよ。何か他に確証でもあるのかね?」
ミカエルに追従するように、ラファエルはウリエルの提示した告発の真偽について問いを発する。
「確証も何も、実際このウリエルへ密告書もかなり舞い込んできている。数々の天使長についての供述には、我々の認識に共通する不審点や新たな疑惑情報が多く挙げられているのだ!何なら後ほど提示しても構わないですぜ」
「しかしだな、その密告とて信用に値するかどうかは、」
「可笑しなことをおっしゃいますね。副司令。冤罪疑惑でも懸念されているようですが、それこそ杞憂というものですぜ。冷静に考えても見てください。絶え間なくほとんどの天使たちから熱狂的支持と憧憬を集めるあの天使長にこう何十件も讒訴されるものでしょうか?その方が断然不自然かと」
早口にルシフェルに関する近況の不審点を列挙する。
まくし立てるように思いつく限りのルシフェルの疑惑を羅列すれば、ウリエルは強く円卓を叩いて結論を導き出す。
「近年に目立つ数々の規律違反行為。密告書による不審な言動への供述。そして極めつけが、このような悍ましい陰謀論が出回っているのです!偶然にしては何もかもがタイミングが良過ぎます!疑う余地は充分でしょう!」
ルシフェルが直接犯行を行っているところを見たわけでもない。実際にその口から罪を告白されたわけでもない。けれど言い切れる材料が存在するという。
これだけの情況証拠と供述証拠が揃っていれば、一つ一つを並び直して考えていけば自然と答えに辿り着くのだと、それがウリエルの了見なのだろう。
しかし、ミカエルは、
「君の批判は一理ある。が、こういう時こそより慎重に対応し、更なる機密調査が求められるのだ」
「そんな猶予はありませんぜ!この際少しでも天界に仇なす可能性のある不穏分子なら、即刻排除するべきですッ!」
毅然と言い切るミカエルに対し、ウリエルも一歩も引かない姿勢で抗弁。
“疑わしきは罰せよ”を強い信条とするウリエルにとって、陰謀論の真偽なんて正直取るに足らない問題だった。
「火のないところに煙は立たぬ」といったように、このような陰謀論が流布されているからには、ルシフェルが完全無実だとも容易に言い切れない。
だが、それにしてもだ、
「うわ〜“排除”とかそれこそ不穏なんですけど〜」
「ほんとぉ〜ウリエルちゃんっていつも思うけど、過激派だよねぇ〜」
「うるせぇ!真面目に審議するつもりのない外野は黙ってろ!」
意気投合するかのように茶々を入れるラミエルとハニエルを一喝し、ウリエルはミカエルに判断を下すように迫った。
「副司令!我が崇高なる主の為、天界の平和の為、たとえ相手が誰であろうと、謀反の芽は早急に摘んでおくに限ります!だから、是非とも命令を──」
「だから早まるなと言っているのだ。天界の平和を背負う立場の一人として、君の言い分を否定しない。だが、なにせ疑惑対象があのルシフェルなのだ。君が先程主張したように、天使長の崇拝者は決して少なくない。慎重に行かねば天界を大きな混乱を招いてしまうのは想像に難くないはずだ」
ウリエルの言う“悪”が天界を乱しているのならば、その“悪”を排除するべきと考えるのは至極当たり前だが、今回の場合に限っては、その反面、非常に難しくある。
全ての天使からの信頼を集め、神に最も愛されている熾天使を。あの絶対的な存在に最も重い審判をそう簡単に下せるのか?神がルシフェルを見放すことなんてミカエルは到底思えない。きっと一筋縄ではいかない。
万一罪に問えたとしても、せめて禁固刑程度だろう。相手も相手だから更に罪が軽くなる。いや、最悪の場合は無罪放免の可能性だって充分あるのだ。
逆に言えば、ルシフェルを裁くなんて軽率に訴訟をすれば、それこそ神の逆鱗に触れたウリエルこそが天罰を受け兼ねない。本人にもそれがわかってる筈だ。
「分かるだろう。神に最も愛されている熾天使、それも天使長を裁判に引っ張り出すのはそれほど困難という訳だ。いくら説得力はあれど、結局は決定的な証拠がないと、我々の迂闊な言動は圧倒的な不利な立場へ陥るだけだ──ウリエル。君は少し、冷静になるべきだ」
二人の視線が静かに、しかし激しくぶつかり合う。
妙に煮え切らない態度とは別に、毅然としたミカエルの物言いも逆効果を成して、むしろ既に興奮状態だったウリエルには火に油だった。
「フン!俺は充分冷静ですぜ!副司令!天界が【堕】に蝕まれていくこの現状で、もうそんな悠長な事を言っている状況ではない事を理解しているのです!貴方が述べる正論を立てる間に何か起きてからじゃ遅いのだぞ!?この一大事に呑気でいろというのかッ!!?」
「そうではない。ただ物事にはきちんと順序というものがあってだな、」
感情を爆発させるウリエルに対して、ミカエルはただひたすらに穏便に応じる。
互いの意思が確立されている以上、この議論はいつまでも平行線だ。互いの意見に真っ向から反発し合い、それが譲り合う場面もいつまで経っても訪れない。
それを悟ったのだろう。目を伏せ、ウリエルはその瞼を閉じると、
「先ほどからヤケに“証拠、証拠”と拘りますが、時折天使長にこびりつく【堕】の負のオーラの残滓がまさに自明の理でしょう!それこそが奴が諸悪の根源であることの証明と言えるのではないですか?」
「ルシフェルから【堕】のオーラ?そんなことが......」
「姑息なことに、常時それが垂れ流しでないだけに、その分発覚が遅れてしまったのです。そのご様子からして、どうやらそれには気づかなかったようですね」
ここにきてまさかの事実情報にミカエルは絶句した。
閉口するミカエルにウリエルは「では、」と一息を継いで、
「近年ルシフェル天使長の【闇】の力が日に日に増幅されているのを──【光】を司る貴方であればとっくに気づいていますよね?」
「────」
生まれた沈黙が、ミカエルにとって意表をつく言葉であったことの証左だ。
ほんの僅かではあるが、ミカエルが強張るのを見てウリエルは自分の発言が効果抜群なものだったことを実感する。
──そして己がミカエルに抱くある不信感も決して思い違いではなかったと内心で確信する。
「ミカエル副司令。どうしたんです?そこで黙るなんて貴方らしくありませんぜ」
沈黙を守り続けるミカエルに焦れて、追い打ちをかけるように返答の要求を重ねる。それと同時にふとウリエルの瞳には暗い色の感情が浮かんだ。
「それとも、何か、やましいことでもあるのですか?」
それは相手の咎を仄めかす非難の色だった。──それに気付いたミカエルが僅かに瞠目する。
両者の緊迫した空気を横目にしたラミエルは小さく首を横に振り──親切な気持ちからかは定かではないが──いかにも困っている状態のミカエルに助け舟を出すかのように、身を乗り出して口添えをした。
「まぁまぁ!なんか若干話が逸れている気がするから、主旨に戻すね〜!要は副司令が言いたいのは、今僕たちに足りないのはズバリ!“物的証拠“でしょうよ!──つまり、まずは誰でも目に見える証拠集めしないと、結局は誰にも信じて貰える訳ないし、むしろ返り討ちで君がルシフェルへの虚偽告訴罪で処罰されちゃうんだよ?副司令はそれを心配してくれていると思うよ」
「......フン!わかっている!それこそ心配無用だ!このウリエルが生半可な覚悟で天使長へ疑義を唱えるとでも!?そんなものは全部想定の上だと言っているッ!!それにやってみなくてはわからないだろう!やる前からそんな怖気づいてはそれこそ何も守れないだろう!」
「いやいや!ウリエル君よ!もうほぼ結果が分かりきっているからこうして副司令も君を宥めているでしょうよ〜いいかい?仮に運良く君が罪に問われなくても、結局は神に見放されて“堕天コース“一直線だよ!そうなったら誰も擁護してくれないし、助けられない。ウリエルはウリエルにしか守れないし助けられないんだよ?それでもリスクを冒してまで天使長を告訴するっての?」
「言うまでもない!それで天界の秩序を取り戻せるのならば、俺はどんな結末も甘んじて受けよう!」
かつてから心に積もるルシフェルへの疑念が抹消されない限り、ウリエルは立ち止まることはない。
罪に怯むことなく、天使でなくなる可能性を恐れない──そんな茨の道を歩んでいると自覚する姿勢は、並ならぬ覚悟が伝わってくる。その潔さは、未練など微塵も感じさせなかった。
「正したい」という芯の通った思いだけで罪を覚悟できるウリエルの姿勢は、天使の鑑と言っていい。だてに「断罪の天使」を名乗ってはいないのだ。
「あ、ダメだこりゃ。典型的な救いようのない脳筋だ。もう完全に道連れの勢いでヤル気満々だコレ」
自己犠牲をも厭わない異様なまでのウリエルの覚悟に、早くも説得を放り投げたラミエルは完全にお手上げ状態だった。
「えぇい!喧しい!!邪魔だッ!!」
「ヒドイ!」
鬼相を露わにしたウリエルはラミエルを押し退け、ずかずかと大股でミカエルに歩み寄った。
「副司令!天界の平穏のためにも、今すぐ奴を危険分子として拘束するべきです!!こうしている間にも奴は証拠を隠滅している可能性だってある!それが無理なら、せめて監視だけでもつけておくべきです!」
「ウリエル。何度も言うが、早計過ぎる判断は己自身を脅かす。先程君の言う証拠とて、元からルシフェルは七大天使として【闇】を司る者だ。闇の力の増幅が必ずしも【堕】の影響力が原因とも限らない。双方を結びつくのは安直で──」
正当な言葉を言い並べて何とか諫言を試みるが、「ミカエル副司令」とウリエルは話を遮った。
「それは副司令官としての冷静な判断ですか?──それとも、“兄弟“としての酌量ですか?」
挑発、という軽い意味合い抜きに試すような物言い。それは質問というよりも、もはや詰問に近い確認だった。




