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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【結】〜人類最初の殺人〜
122/160

11話『正しさ』

 

 ──無知は罪である。



 知らない事が罪ではない。


  知ろうとしないことが罪なのだ。















「バカバカしい」


「カイン兄さん......!」




 考え抜いた結果のカインの拒絶に、アベルは明らかな落胆を浮かべ、抱えていた羊を一旦地面に下ろした。


 悪気はないのだろうが、実に心から遺憾を示すその姿勢にカインは辟易(へきえき)とする。




「だいたいお前はおかしい。前々から思っていたことだが、お前は自分の罪を許してもらうために、長年愛情込めて育てた家畜を簡単に殺せるなんて、ほんとどうかしている」


「そんな、簡単に殺しているわけないじゃないか。僕だって心が痛むけど、あの子たちはそのための、」


「どんなに弁解したところで、結局はお前のエゴだ」

 



 痛烈な批判を浴びたことで、明らかにアベルはショックを受けた様子を見せる。「実に心外だ」と弁明しようにも、カインは黙殺する。





「とにかく。血の犠牲なんかで、人類の一時的な免罪が左右されるなど、そんなものは俺にとっては馬鹿げているとしか思えない」




 そこに揺れ惑うのは、己を強く保てない証拠。アベルの主張は、到底理解出来ない事だとカインは思った。


 自然と浮かんだ嘲笑は、アベルへのものか、それとも自分自身へのものなのか。




「お前もそれらしいことを言っているが、結局はあくまでもガキの頃の記憶と主観でしかない。それもつい最近になってまでようやく思い出したなどと、所詮はその程度の情報。重要性も疑わしい」


「そ、それは...」



 当時まだ幼いアベルは殺生はもちろん、血が大の苦手だったから、血の犠牲を捧げるなんて物騒な習慣を当時幼き心で真摯に向き合うのはあまりにも酷だった。


 ただやはり印象的に深く記憶に刻みこんでいるため、アベルが大人になった今、成熟した精神で改めて過去を振り返れば、当時気づけなかった視点が発見されるものだ。──なんて事を今ここで告白したとして、果たしてどれだけカインを納得させられるのか。


 僅かに目が泳ぐアベルの様子に、カインはどう捉えたのか、次の言葉を続けた。




「考えてもみろ。お前の曖昧(あいまい)な情報源で、作物とは別途に動物を(さば)いて血を流させるなんて、なぜオレはそこまでまわりくどい事をしなければならない。なぜお前の供物に頼らなければならない」




 今となってはカインの育てた作物は《神の豊穣(ハーヴェス)》──神の恩恵によるものではなく、一からカインん自身の手で築き上げたものだ。


 自分の力で得た成果によって神に認めてもらおうとするカインの息込みに、アベルは《神の遊牧(ノマディス)》のおかげですくすく育った家畜を提供しようと水をさしてくる。



(こいつは、俺をコケにしているのか)



 カインの供物だけでは事を足りないと、アベルは主張した。これでは、長子としての矜持(きょうじ)も立場も面目も丸潰れではないか。


 少なくともカインからずれば、自分は弟のアベルに劣ると言外に喧嘩を売られた気分だった。


 



「兄さん。お願い。怒らないで。ボクはただ神様がお命じになったはずの方法で僕たち二人で祭祀を成功させたいんだ。だから、せめて今回だけボクの言う通りにして欲しいんだ」




 アベルは嘆願(たんがん)した。しかし彼の願いは、皮肉にも結果として、カインを余計に意地っ張りにさせるばかりであった。


 カインの供物よりも、アベルの供物のが祭祀において最も適切なのだと、己の供物の優性を自慢したいだけではないのか、いよいよそういった疑心暗鬼(ぎしんあんき)にも囚われ始める。

 




「悪いが、断る」




 今度は即答だった。


 何よりも、カインは長子であったから、弟の忠告を受け従うのはどうしても兄としての矜持(きょうじ)が許せないのもあったのだろう。だから最終的に弟の勧告を軽視することとなった。




「カイン兄さん!」




 はっきりと拒否を口にするカインに、取り縋るような声音でアベルが叫ぶ。が、カインはその彼に掌を向けて黙らせると、






「はぁ......アベルよ。相変わらずお前は物事を考えすぎてしまう癖は治っていないな。たかが捧げ物の内容に神経質にも程がある。供物なんてのは『心のあり方』が大事ではないか」


「確かにそれも大事なことだけど......!で、でも、お父さんたちがあれだけ犠牲について強調するにはきっと意味がある。きっと“正しい供物の捧げ方”があって、」




 カインの“犠牲”のあり方は間違っていると、アベルは「解釈違い」を暗に指摘すり口ぶり。カインは反射的に言葉を遮るように語気を強めた。



 

「お前は、この俺が“正しくない”と言いたいのか?」


「えっと、そうだけど、そうじゃなくて、その、う......」


 


 なるべく兄を傷つけないように言葉選びしているのか、あるいは上手く言語化ができずもどかしいのか、ついにしどろもどろな答弁になってきた。


 わかっているのだ。


 差し出せる情報量の限度を(たな)に上げて、それでもこの期に及んで贖罪の大原則をカインに納得してもらわなければならない不条理を、アベルは自覚している。

 



「とにかく、今からでも遅くはないよ。このままだと兄さんは、神様にお近づきになれないんだ!」



 一生懸命訴えて、一生懸命反論をかわして、一生懸命説明して、一所懸命カインに「正しさ」をすり込ませようとする弟の姿を見て、カインはすっかり興醒(きょうざ)めしてしまった。




「フン。お前がわざわざここへ来て、ただ粗探しをしたいだけなのはよくわかった」




 カインは軽蔑しきった目でアベルに冷たく言い放つと、背を向けた。これ以上、話をしたくないと暗に示している。拒絶の漂う背中に、アベルはためらいがちに声をかけた。




「あの、兄さん......!」


「お前に語るべきことはとうに全て語りった……もう今日のところは戻れ。休憩はもう充分だろ。祭祀に差し支えが出たらそれこそ問題だ」




 カインはこちらを振り返ろうとして、やめた。ほんの少しだけ見えた頬。兄はきっと表情を消している。

 最後に付け加えられた一言が、彼の精一杯の優しさなのだと気づいていたからこそ、アベルはそれに報いるほかなかった。




「う、うん。そうだね。僕もこの後に母羊の出産に携わらないとだし」


「......今からか?」



 本番は明日だというのに、と胡乱げに視線を投げてくる兄に、アベルは苦笑いを返す。




「うん。明日の祭祀に捧げる子羊をギリギリまで厳選しておきたいからね」




 アベルはそう言って、夕陽が沈む帰り道をとぼとぼと歩く、しばらくして振り返り、





「兄さん。ごめんね」




 それは一体何に対しての謝罪だろうか。少なくともカインに対して啓発を促進したことによる自省ではないと直感する。


 だが心の底からの謝罪の声に、ひどく叱責されたような気さえした──傷つけたことも、拒絶したことも、すべて。


 そうではないと分かっていても、アベルの優しい声は心に沁みて、カインは本当に今更ながらわずかな罪悪感に苛まれる。


 下唇を噛み締め、やるせないと思うと同時に、冷静になれと自分に言い聞かす。




「いや......、オレの方こそ大人げなかった。だが、わかってくれ。これは俺なりに考えて、神を思って、心を尽くしたやり方だ。お前の指図を受けたやり方で祭祀を成功させたところでは意味がない」


「......そっか、お邪魔したね」




 さすがのアベルもそれ以上何も言ってこなかった。しばらく間を置いてからそのまま立ち去っていった。


 弟の姿が見えなくなってしまうと、 一人残されたカインは、途端にため息まじりの悪態が口から漏れた。


 置いてけぼりにされているような気分だ──物理的にも、精神的にもだ。




(思えば、あいつとの衝突も随分と久しい)



 和解してからここ十年間は兄弟仲はそれなりに順調だったので、まさか祭祀の供物の件で拗れるとは誰が予想つくか。



 ああ。痛い。



 頭が痛い。

        目の奥が痛い。


 肌があわ立った。


 この感覚は久しくも、決して初めてではない。


 アベルを拒絶して、兄弟仲に初めて大きな軋轢が生じた頃から始まっていた頭痛は、ここ十年間はなりを潜めていたのに。



(なぜ今になって?)



 嫌な予感がする。


 何かとてもよくないことが、すぐ傍まできているような気がした。

 

 きっとこれは警告だ──でもなんの?



 考えたって無駄だ。

 今までとてそうだったのだから。



「大丈夫だ。俺の作物に問題があるはずない」



 カリスマに頼らず自分の手で一から長年の時間と労力を捧げ、愛情のすべてを注いで育てた作物なのだから。神がそれを喜ばぬはずがない。

 

 「血の犠牲」なんて、生臭く物騒なしきたりなんてこれを機に風化していつかなくなればいい。



(俺は、自分の力だけで勝負をする)



 ──それで必ず神の恩恵と祝福を勝ち取る!



 いわば自分を正当化するための選択を、カインは無意識に選ぶ。


 遠ざかる弟の姿を力なく眺めるカインの耳に、それは異執だと誰かがあざ笑う声が聞こえた気がした。







    ──無知は罪。そして、不幸なり。

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