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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【結】〜人類最初の殺人〜
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9話『過ぎた年月と始まりの音』★

 実りの季節──秋がやってきた。



 稲穂はこうべを垂れ、それぞれ枝や穂の先に豊かな実をつけて、いよいよ成長の最終段階へと至っており、収穫の時期を待っている。赤トンボが舞い、ヒグラシの声は遠ざかってゆく。




「よし。今年は一段と調子がいいな。これで明日の供物は問題なさそうだ」




 軽く額に汗しながら、カインはそれを拭って満足げに独りごちた。


 



「わぁ...!すごいね。今年も豊作だ。さすがはカイン兄さん」




 届いた感嘆はカインの背後から。


 そちらに目を向けると、一匹の羊を引き連れたアベルが呑気に拍手しながらそこに立っていた。




「......お前、放牧はどうした」


「あはは。ちょっと疲れたから、ちょうど牧草に夢中な羊たちを置いてきて、休憩がてらにカイン兄さんの畑の様子見にきたんだ」


「帰れ」


「ひどいなぁ」


「家畜と一緒に、飼い主まで“道草を食って”どうする。余裕そうだが、少しは明日の祭祀に備えたらどうだ?さっさと帰れ」




 呆れ顔であるのに、その瞳はどことなく優しい。口調こそ突き放すような物言いだが、アベルに注ぐ視線にには僅かな配慮を帯びていた。




「準備不足のせいで祭祀を失敗させて、あとから泣きべそかいても知らんぞ」


「あ、そっか。もう明日なんだっけ?」


「お前というやつは......!」

 

「あはは。ごめんね。冗談だよ。人生で一番大事な行事だし、忘れる訳ないよ」


「お前も()()()で大人になったんだ。もう少し気を引き締めたらどうだ」


「時間って経つの早いね。祭祀はまだまだ先だとは思っていたけど、あれからもう()()も経ったんだね」


「......そうだな」



 

 


 成長した彼ら兄弟はそれぞれの生業を完全にものにし、大人として自立するに充分な年齢であった。


 カインは二十二歳。アベルは二十歳になった。

挿絵(By みてみん)

 元々整った顔立ちの少年たちだったのに、少年期を過ぎて大人になった彼らは、その重ねてきた年月も極まり、それぞれ持ち味が違う美丈夫へと成長していた。




「兄さんは覚えている?お父さんの言葉」


「......ああ」




 両親から「祭祀」について教わったあの日をカインは回想する。







      ◇◇◇◇◇◇◇









「祭祀というのはだな、年に一度──収穫の季節に行われる儀式だ。感謝の意を込めて我が主に【供物】を献上することで、己の信仰の証を示すのだ」


「くもつ......?」




 知らない単語の出現に、アベルは無理解を表明。そんな子どもらしい素直な態度にアダムは笑い、

 



「自分たちが一番良いと思った物。それを愛する神へ惜しみなく捧げるということだ。これまではわしと母さんがそれを行ってきた。そして今度はお前たちの番だ。今のお前たちの生業(なりわい)を完全にものにし、自立した暁には、その義務を引き継いでもらう」




 常時よりも至極丁寧に祭祀ついて説明してくれる父と、何も言わず目を閉じてその言葉を反芻しているであろう母。それだけでこの「祭祀」の重要性を思い知る。




「オレたちはその祭祀とやらを、いつからやるんだ?」




 今度はカインからの質問だった。


 カインとアベルの間をアダムの視線が往復する。三往復と半。徐に小さな笑いがあがった。



「頃合いとしてはそうだな、お前たちがワシと母さんと同じ立派な大人になったときだ」


「ねぇ、大人になって、きちんと祭祀をすれば、神様は喜んでくれる?」




 疑問符を頭に浮かべるアベルの問いかけを受けて頷くのは、母のエバだった。



「ええ。もちろんよ。アベル。神は我ら人類をいつも見守ってくださっているの。心と魂を尽くして我が主に正しく信仰を捧げれば、同等の祝福と恵みが二人に授けてくださるわ」


「うーん。なんだかハードルが高いなぁ。ぼく正直どんな捧げ物がいいのかよく、わからない。万が一神様が喜ばないものを選んだらと思うと、不安で......」


「がっはは!アベルの気持ちよくわかるぞ〜ワシと母さんも初めは四苦八苦して、どのような供物を捧げるべきか迷ったものだ。いやぁ、懐かしいなぁ!」




 どこか遠い目をして過去に思いを馳せるアダム。彼はしばしの思案のあとに現在に戻ってくると、



「だからこそ、最後に親として導こう。我が息子たちに重々言い聞かせなければならない。これはお前たちが産まれた時からも説いてきた神の啓示だ。もう一度心して聞け」




 注視の中、「いいか?」とアダムは指を立て、無言の息子たちに言い聞かせるように言葉を継いだ。




「人間はみな“原罪”を背負っている。つまり我々は神の創造するすべてのなかで罪深い生き物なのだ。だから、“犠牲無くして”は神に近づくことはできん」




 それはきっとヒントというものだろう。


 カインは考える様子を見せ、ややあって少し眉を開いた。




「犠牲なくして......?それってどう言う意味だ?」


「それはお前ら自身で考えるべきことだ。最終的にお前らの心で神の御意に気づかないと、意味ないからな」


 


 そう。答えを、口にするのは簡単だ。


 しかし、ありのままにそれを与えるのは、ただの押し付けでしかなく、息子らの成長にもならないだろう。


 二人がどう答えを出し、どう行動するのか。結果がどう転ぶかはわからないが、考える事も、選ぶ事も、彼らに与えられた試練の一つだ。

 



「いいか。これだけは覚えておけ。神はただ華麗なものを望んでおられるわけではない。神は“真実の心”を望んでおられる。捧げ物ももちろん大事だが、それ以上に我が主は捧げる人の態度、心の姿勢、心構えを見ておられるお方だ」




 そして羅列した情報を締めくくるように、「だから」と最後の前置きを置いて言った。



「カイン。アベル。──心を尽くし、愛を尽くし、力を尽くし、神なる主を愛しなさい」




 決して威圧的でもないし、高圧的でもないのに、有無を言わせぬ調子が父の声には混じることがわかる。


 ただ紡がれたその言葉が漠然としすぎて意味がわからないゆえに、カインは眉を寄せるしかない。アベルも自信ないなぁと喉元まで込み上げてきた言葉をぐっと飲み込んだ。




「それでは、これにて終えるとしよう。神に何を捧げるのか、最後までしっかりと考えておくように。今まで生きてきたお前らが、この神の啓示の意味をどのように理解し捉えるのか、いつか迎える祭祀で示されることになる」




 告げた声の調子の深刻さに、カインとアベルもとりあえずは頷くことを了承の証とした。


 その意を汲み取ってくれたらしく、アダムもそれ以上に言葉を重ねはしなかった。


 ただ一言、




「決して、(おご)るなよ」





 と、途切れるように言い残したことが印象的ではあった。





      ◇◇◇◇◇◇◇





 そうして幾つかの季節が巡り、繰り返される春夏秋冬の果てに、ようやく明日がその祭祀なのだ。


 長いようで、過ぎてみればあっという間の日々だった。


 明日、その祭祀を終えれば、少年時代が終わる。そして、カインとアベルも立派な成人の仲間入りだ。

 



「そういえばさ、明日の祭祀の作物。カイン兄さんはどうするの?」


「愚問だな。オレの本分は農業一筋だ。そんなオレが一番良いと思った自身が血と汗を垂らして苦労して収穫した作物に決まっているだろう」




 はっきりと言い切るカインに、アベルは彼へ視線を向ける。だが、彼は作物を見つめたままで、振り向いて見せることもない。

 その姿に、アベルは微かに瞼を伏せ、にこやかな笑顔を見せた。




「ふふ。カイン兄さんいつにも増して、なんだかすごくやる気だね」


「......そりゃお前だって同じだろ」


「それもそうだね。生まれてこのかたようやく神様にお会いできるもんね」


「そういうお前は...、羊を捧げるつもりなんだろ」


「うん。そうだよ」




 神の恵みのおかげで得た実りを「神に返す」。そういった神への感謝の気持ちを込めてという意味で、カインは「収穫の実り」、そしてアベルは「家畜の初子」を捧げる予定だった。





「でも、ただ捧げるだけじゃないんだよ。生きたまま祭壇上で(さば)き殺す。そこまでやり遂げなきゃいけないんだ」



 微笑むアベルのにこやかな発言に、カインは心の底から珍妙なものを見るような目で、



「・・・・・・毎度思うが、本当よくやるな」



 と、深いため息をついた。その視線には不可解な色が濃い。


 アベルは羊を含む、自分が飼っている家畜を本当に愛しているし大切にしている。しかし、最後には殺してしまう。愛情をこめて育てた羊を、おさえつけ、縄で縛り、ナイフで首を切り裂いて、殺してしまうのだ。


 かつて家畜の解体作業はすべてアダムの仕事だったが、それも今では、遊牧民として自立した息子のアベルの専売特許になっている。


 




「殺すのは辛くないのか。自分の羊だろ」


「ううん。違うよ。僕のじゃない」




 即答。アベルは首を横に振った。その予想外の反応にカインは怪訝な表情を見せた。




「お前が飼っているんだろう?」


「うん」


「なら、お前のものだろ」


「違うよ。あの子達は神さまのものなんだよ」


「いやだから、お前が世話しているならお前のだろ」


「ううん。違うよ。兄さん。あの子たちはこの地で生きるために必要だから、神さまがお恵みくださった。ようは、借受けている状態なんだ」




 こういう時のアベルはやけにこだわりが強い。個の成果を主張するカインの言葉を決して受け入れない。いつも丁寧に、そして律儀に神の恩恵によるものだと訂正するのだ。どこまでも謙虚なことだ、とカインは肩を竦める。




「......それでも、生まれた時からずっと愛情を持ってお前が世話してんだろう。愛着ぐらいはあると思ったが」


「とても大事だよ。だからこそ、捧げ物に最適なんだ」


「神に捧げる為に、罪のない羊を殺すと?」


「そうだね。罪がないからこそ、捧げ物に相応しいんだよ。僕たちは神なしには生きられない。草も作物も動物も、神が我々にお与えくださった。その感謝を忘れないためにも、殺して捧げ物にするべきなんだよ」




 アベルはこの世の理でも論じるかのように惑いなく答えた。まさか弟の口からそんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。カインが知る限りのアベルは優しさの塊のような人間で、生き物を傷つけることにひどく抵抗があると想定していたのに。


 春の陽だまりに眠る羊のようなこの弟に信心深さゆえの屠殺者の片鱗を見てとり、カインは複雑な思いを抱く。




 

「もちろん、悲しくないといったら嘘になるよ。だけど、これがぼくの本分は牧畜だし、そこは割り切らないと仕事にならないからね。それにほら、ぼくの家畜はこれまでお父さんとお母さんがやってきた祭祀にとっても大事なものだから」


「言われてみれば......確かにお前の家畜はいつも親父たちの祭祀に重宝されていたな」






 アベルの家畜が食用に使われるにはごく稀。毛や皮、骨などと極めて貴重な生産物を得るためというのもあくまで二の次で、主な目的としてはやはり両親の祭祀の供物に使われることがほとんどなのだ。


 これまで定期的に神へ礼拝を捧げて来た父と母を、二人は長年ずっと見てきたんのだ。振り返ってみれば、これまで両親の供物はいつも決まってなんらかの生贄だった。





「まぁ、これまでの親父たちに倣った捧げ物なら、鈍臭いお前でもさすがに礼拝を失敗して、神の顰蹙(ひんしゅく)を買うこともないだろう」


「相変わらず辛辣だね、カイン兄さん」


「だが供物に血生臭い動物の屍体だけでは殺伐してかなわないからな。俺は自分が丹精込めて育てた野菜と果物を捧げることにする」




 神には自分の自信作を捧げる──そんな誇らしげな兄の表情にアベルは苦笑のような表情を閃かせた。それをカインは見逃すはずもなく、




「なんだ?何か言いたげだな」


「......カイン兄さんは、祭祀の”犠牲“について、どう思うの?」





 顎に手を触れながら、アベルは絞り出すようにそう口にした。



 

「急になんだ」


「あの時お父さんが言っていた“犠牲無くして神に近づけない”という言葉。僕はその“犠牲”の意味をずっと考えてきたんだ」




 

 本気で悩むアベル。下を向き、苦悶の表情で悩みだした。そんな弟の表情の変化を見て、カインは思わず鼻白む。




「フン。今更何をそれほど難しく考える必要がある」


「だって、お父さんは言ってたじゃないあか。犠牲の意味をきちんと理解する必要があるって」


「そんなもの、それは“己の供物を用意するのにどれだけ身と心を尽くした”か、そういった意味合いに決まっている。苦労なしに得た供物に神が顧みてくれる訳あるまい」




 そこで一度、カインは言葉を切った。


 息継ぎの短い空白、その間に彼は流し目でアベルを見やる。

 



「だが、その点についての心配は無用だろう。犠牲という条件を両者ともクリアしているはずだ。俺の農作物はもちろん、お前の家畜も、()()()()()()()長年の努力を経て得た血と汗の結晶そのものなんだ。きっと神も喜んでくださるに違いない」





 その双眸を過った感情には隠しきれない矜持と自信が滲むのを読みとれた。それでもアベルの表情はどこか晴れない。




「あのね。兄さん。怒らないで聞いて欲しいんだけど」


「なんだ」


「お父さんの言う“犠牲”って、実はそんな単純な意味じゃないと思う」




 アベルの言葉に、ピタリと作物を収穫する手を止めたカインは、確かめるように彼と視線を合わせる。


 ()らされない瞳に、微かに目を険しくしたカインは、一瞬口を開こうとするがすぐに止め、続くアベルの言葉を待った。その態度がこちらに先を促すものだと察し、アベルは頷きを一つ入れてから、




「兄さんの言ってることはよくわかるよ。ぼくだって一度はそう解釈していた時期もあったよ。でもだんだん、どうもしっくり来なくなって、僕なりに時間をかけて、ちゃんと、よく考え直してみたんだよね」




 記憶に沈んでいる断片的な情報を整理しながら、アベルは思考の海へ潜り始める。遠い目をする彼に、カインはただ押し黙って耳を傾ける。




「それで、なんとなく思い出したんだ」




 アベルは静かに、唇を開いた。




「お父さんとお母さんの昔話を、ね」




 その瞳はカインの姿が映るも、カインを見てはいなかった。


 カインの姿を通り越して──(おぼろ)げな過去への追憶を()ていた。

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