12話『陰謀論』★
思い返せば、ウリエルがルシフェルへの感情は極めて複雑なものであった。
天使としてはルシフェルの実力を絶対視する一方で、一個人としてはルシフェルの言動が癪に触る場面は日常で多々あった。
周囲を振り回すその破天荒且つ大胆な性格。己の強大な権力と人望を駆使してひたすら孤高を突き進むその姿は、ウリエルの目にはただの自己中心的な協調性のなさでしか映らなかった。
戦時中にだって、時にはチームワークや規律を軽視した個人主義で場を乱してくれたことさえあった。
その上、何を考えているのか読めない癖して、何処となく“自分だけは違う”とでも言いたげな不遜な態度だけが覗かせるのも非常に鼻につく。
──そんなルシフェルに対する「尊敬」と「嫌悪」の二律背反的感情がウリエルの中で共存していた。
天使長の不支持とまでは言明しないものの、ウリエルからルシフェルへの悪感情はこれまでずっと胸奥に秘めていた。
それが近頃立て続けに積み重なるルシフェルの議長としての責務の不履行で徐々に高まり、挙句に議長の独断辞任の件で爆発し、今こうして火種は燻り続けていた。 思い返せば、ウリエルがルシフェルへの感情は極めて複雑なものであった。
天使としてはルシフェルの実力を絶対視する一方で、一個人としてはルシフェルの言動が癪に触る場面は日常で多々あった。
周囲を振り回すその破天荒且つ大胆な性格。己の強大な権力と人望を駆使してひたすら孤高を突き進むその姿は、ウリエルの目にはただの自己中心的な協調性のなさでしか映らなかった。
戦時中にだって、時にはチームワークや規律を軽視した個人主義で場を乱してくれたことさえあった。
その上、何を考えているのか読めない癖して、何処となく“自分だけは違う”とでも言いたげな不遜な態度だけが覗かせるのも非常に鼻につく。
──そんなルシフェルに対する「尊敬」と「嫌悪」の二律背反的感情がウリエルの中で共存していた。
天使長の不支持とまでは言明しないものの、ウリエルからルシフェルへの悪感情はこれまでずっと胸奥に秘めていた。
それが近頃立て続けに積み重なるルシフェルの議長としての責務の不履行で徐々に高まり、挙句に議長の独断辞任の件で爆発し、今もこうして火種は燻り続けているのだ。
そういった背景があるため、ウリエルが事あらばルシフェルを糾弾するのは、規律を破り秩序を乱すものを正す道徳心からくるものである一方で、少なからずの個人的な敵愾心を含有しているものだと周囲に思わせてしまうのは無理もないことだろう。しかし、
「──これは、あくまで客観的立場としての“予見”ですが、今の天使長ルシフェルに天界の秩序を任せるのははっきり申し上げて危険です。副司令」
そのような私怨とは別に、抱いてきた懐疑を露にするウリエルの断固たる意思と姿勢はあまりにも揺るぎはなかった。
「何故なら、奴はいつかきっと謀反を起こし、この天界に災いをもたらします。よくよくその処遇を考えた方がよろしいかと」
「ルシフェルの、処遇......」
いきなり問題の核心を抉るウリエルの明察に、先ほどからミカエルは動揺で足が地につかなかった。
思わずあの日を想起し、ミカエルにだけ露呈したルシフェルの狂気が脳裏を過ぎった。神への怒りをぶつけてるルシフェルの表情と、最後に背を見せて立ち去るルシフェルの姿がまざまざと蘇る。
「ウリエルちゃん!なんてこと言うのぉ!まさかただ議会の無断欠席常習犯だからって、私たちのリーダーを反逆者って決めつけてるんじゃないよね!?下手したら名誉毀損ものだからねっ!」
なかなか発言しないミカエルに痺れを切らしたのか、威勢よくハニエルが横槍を入れてくる。彼女にとってウリエルの提言がただの妄執にしか思えず、聞き捨てならなかったのだろう。
「ねぇ!ミカエルちゃんもなんとか言ってやってよ!自分のお兄さんが悪く言われてるんだよ!?」
「落ち着くんだ。ハニエル」
怒りで興奮しているハニエルを宥めてから、ミカエルはウリエルへ視線を向ける。
「......君のことだ。ウリエル。そこまで言うからには、きっと何か思う所があるのだろう」
天界の中で最も厳格な態度と、案外誰よりも公平無私に物事を見て判断を下すからこそウリエルが【断罪の天使】と呼ばれる由縁。
ひどく短気ではあるものの、不正や嘘を嫌い、公明正大を絵に描いたようなウリエルがいまだかつてない痛烈な批判の矢をルシフェルに向けるには、きっと何かしらの根拠がある筈だ。
それに実の話、ルシフェルの措置については、今のミカエルにとっては取扱いに困る難儀な問題となっていた。
この機会にルシフェルの本質について、誰かにミカエルが納得しうる判断を下してほしかった。
ミカエルは大きく息を吸い込み、吐き出す。どのみちこうなってはウリエルも頑なに引き下がるつもりは毛頭ないのだろう。
鼓動が、高鳴る。
これから決されるルシフェルが行き着く先への懸念なのか、それとも、現在のルシフェルの動向を知ることで、いつまでも葛藤の迷路に囚われるミカエルにとっての突破口──そんな一条の光明を投じられる期待感なのか。いや、きっと両者だろう。
「──君の主張を聞こう。ウリエル。話してくれないか?」
根負けしたミカエルの促しの言葉にウリエルは「では失礼して」と一息をつき、徐に話し出す。
「......今我々の天界が未だかつてない異常事態に見舞われていることはご存知ですよね?」
「ああ。無論、......【堕】の大量発生の件だろう」
「その通りです」
【堕】ーLost-
──「神の落とし物」とも言われる。
神が自ら繰り返しに切り捨てた負の心が思念体として化身した姿。いわば、【神の負の感情の集合具現体】である。
負の感情エネルギーに引き寄せられやすく、常に共生する「拠り所」──いわば魂の“器”を求めてどこにでも徘徊している。
【堕】に選ばれし存在には「怪異」や「堕落」を齎すため、神によって禁忌として定められる。
なにより厄介なことに、元は神から生まれ落ちた負の遺物であるが故に──神がこの世界に存在する限り、【堕】もまた繰り返し存在を増やし、根絶やしされることは決してないのだ。
「【堕】って今までこの天界ではあまり馴染み無いけど、大量発生現象が起きてから今では天界のあちこちでよく目にするようになったよネ〜?」
「はいはーい!あたしも数日前にこの目で見ちゃったっ!あの意思を持ったかのような気持ちわるーい黒いもやもやみたいなやつでしょ?【地の神殿】の周辺でウヨウヨと飛び浮かんでたよぉ?」
ラミエルの言葉に便乗するように、ハニエルも【堕】の目撃情報を提供する。
「大方その姿形の特徴はそれで合っている。このラファエルが推測するに、今報告に上がっているいくつかの天使の暴動も、恐らくは【堕】の影響力が“引き金だと考えられる」
それに対してラファエルは頷き、補足するように己の見解を重ねた。
「えぇ?どういうことぉ?暴動の原因って、一部の天使たちが“人”の待遇への不満で起こったんじゃないのぉ?」
「発端は確かにそうだが、【堕】の存在がその事の展開を悪い方向へと著しく助長しているのだよ。私としてもまだまだ研究段階だがいくつかに研究結果として──【堕】の発するエネルギーには相手の奥底に潜む負の感情を触発させたり、膨大に増幅させる効果があるということは判明している」
ハニエルの質疑に丁寧に応じて滔々と語りながらも、顎に触れ納得した様子のラファエル。
「なるほど。確かにその証拠、暴徒化現象が比較的に負の力に免疫のない中・下級天使に圧倒的に多いという訳だな。実に興味深い」
そんなラファエルの説明にラミエルたちは息を呑み、自分達が忌避する存在の底知れなさに冷や汗を掻かずにはいられない。
「げげ!何それ想像以上に激ヤバな代物じゃん!ハニーも目新しいからと言って、不用意に近寄らないでよ?プリティーな君がそのせいで凶暴化するところなんてボク見たくもないからねっ!」
「し、しないわよぉっ!?絶対にしないっ!」
「ならいいけどさ〜」
近寄らないと断言するハニエルに安心して、ラミエルは手を挙げずっと疑問に思っていたことを口にした。
「にしても、さすがラファエル先生だ!ついでにもう一つわからないこと聞くけど、【堕】ってもともと聖なる天界には現れないんだよね?それがどうして最近になってここにも出没するようになったのかね〜?」
「お褒めに預かり早々に期待を裏切って申し訳ないのだが、その異常現象については現段階では不明。よって、大至急調査中なのだよ。......こう見えて私としても、このまま天界が汚染されてはかなわないのでね」
「仰る通りで」
ふつふつと、静かな焦慮を双眸に宿すラファエル。物事に動じない彼もまた、天界の平和を背負う七大天使の立場としては、穏やかならぬ感情を抱いていたのだろう。それに関しては、ラミエルもまったく同意見であった。
そこで、
「フン!そう簡単に原因を突き止めれば苦労なんてしないわ!たが、不浄の象徴である奴らをいつまでも天界の神聖なる領土を蹂躙させる訳にはいかん!」
横から割り込んだウリエルは全員の注目を集めるように、強く円卓の机を叩いた。
「よって、これは我々が一刻でも早く解決すべき案件だ!だがいいか?【堕】の措置の件は秘匿事項だ!くれぐれも上層部以外の天使には口外しないようにしろ!下手な好奇心を煽いで無駄に犠牲者が増えるのは勘弁願いたいのでな」
「まぁそれについてはわかったけどぉ、そもそもの話!結局その【堕】がルシフェル様となんの関係があるわけぇ?」
いまいち話の趣旨が見えないハニエルからの不満げな問い掛けを黙殺し、ウリエルは神妙な様子で周囲を見渡した。
ラミエル。
ラファエル。
ハニエル。
ガブリエル。
一人、次に一人へとゆっくりと意味ありげに視線を投げた。
ウリエルの真意が読めず首を傾げる者。何事もなくただ真っ直ぐに見つめ返す者。とそれぞれの反応を確認して、ウリエルはすぐに視線を正面へ戻した。
そして最後に視線を何やら俯いて押し黙る者──ミカエルへ留まった。
「......少なからず、この場に見当がついている者がいるはずなんだがな」
ミカエルに視線を注いだままに呟いたウリエルの双眸が何かを探るように細くなる。何もかも見透かそうとするその眼差しに、ミカエルは無意識に身体を張り詰まらせた。
(間違いない......ウリエルは、)
──疑っている。ミカエルを。
その鋭い視線に全身を貫かれ、固く閉じていた蓋が、封印を破って抉じ開けられそうな感覚に襲われる。
フラッシュバックされる記憶の奥底にはとてつもなく不吉な前兆の影がまだ蠢いている。
あの決裂した日に、ルシフェルが姿を眩ませてからと同時に、偶然か必然か、ある話がミカエルの耳へ運ばれてきたのだ。
だがミカエルは直様その話を切り捨てた。その内容を信じなかったからだ。いや、信じたくはなかったと言った方が適切かもしれない。批判する天使一派が陥れるために流した根も葉もない疑惑に過ぎないと、真に受けないようにしたのだ。
回想に浸かるミカエルの心がざわつき、動悸する。
だが意外にもウリエルはそれ以上は追及することなく、「まぁいい」と吐き捨てて、直ぐにあっさりと本題に入った。
「......【堕】の大量発生と同時期に、天界の上層部の間ではあるとんでもない陰謀論が広まっている。──この天界の内部に不届者が潜んでいるとな」
「陰謀論」という言葉に引っかかりを覚えるが、「不届者」という不穏しかない単語が放たれたことによって、他の七大天使たちは様子見の状態から一触即発の空気に一転してしまっている。
「不届者ぉ〜?」
「そうだ。天界の何者かの邪悪なる意思が呼び寄せている。それこそが【堕ロスト】の大量発生の謎の原因なのだと。──しかもその意思にはとてつもなく強い負の力エネルギーと推定されている!」
熱の篭った強い口調で言いながら、ウリエルは胡乱げなハニエルを横目にそう語った。
「ふむ。なるほど。奇しくもその陰謀論とやらが真相であれば、辻褄の合う説明がつくのだよ」
「ラファエルちゃん!と言うと?」
「これまでの【堕】の習性とその行動傾向からの推測を含めて考えれば、その異常な程の大量発生現象のは自然ではなく、むしろ人為的に仕組まれたものだと考えた方が妥当ではあるのだよ」
「あ、なるほど!確かに天界の中に悪さをする天使が潜んでいると考えた方がしっくり来るかも!ん?でもでもぉ!“とてつもない負のエネルギー”を使う天使でしょ〜?そんな怖い天使なんてこの天界にいるのぉ?」
ラファエルの言葉に相槌を打ちながらも、一見天界には全く無縁そうな「邪悪なる負のエネルギー」という言葉にハニエルは素直に首を傾げる。
「ヘヘッ!そこだよ!ハニー!案外そこに焦点当てれば、割とすぐ容疑候補絞れそうじゃない?うーん、負のエネルギーの力ねぇ〜パッと最初に思い浮かぶとしたら.......やっぱり【闇】の力とか?あ、でも、【闇】って強力だけど、僕たちみたいな聖なる存在にとって巧に使いこなせないとむしろ毒でしかないから、非常に取扱いがデリケートなんだよねぇ〜そんなおっかない力を掌握してる天使なんて──、」
ぶつぶつと、独り言に近いラミエルの推論が不意に途切れた。
その瞬間、ミカエルの頭の中の警鐘が鳴り響く。心拍数が急上昇し、ひどい息苦しさに襲われ、混濁した感情が瞬く間に渦を成す。
「......ああ、いらしたね〜!確かに!しかも身近に、ね」
ウリエルの意図したところをラミエルは察してしまったせいで、いよいよ淀み始める場の空気を申し訳程度に和ませようとお茶目に肩を竦めた。その様子からはなんとも言えないバツの悪さが見え隠れする。
「ふむ。なるほど。【闇】を司る天使、か」
「え!?そ、それってぇ.......!」
ようやく他のメンバーもウリエルが話を誘導しようとしていることに気付き、ガブリエルはハッとしたように僅かに鋭い眼光をウリエルに向けると、
「ウリエル。あなた......まさか」
「フン。大凡察しの通りだ」
想定通りの展開に進んだことに少しだけ溜飲が下がったのか、余裕な態度で意に介する様子がないウリエルはゆっくりと覆面の奥の唇を開き、猜疑を込めた言の葉を音に乗せて、
「その不届者が──ルシフェル天使長ではないかと嫌疑が掛けられいるのだ」
ミカエルは眩暈を覚えた。




