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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【結】〜人類最初の殺人〜
118/160

7話『赫の蝕み』★



 赤き呪いは言う。


 悪意の感情こそが自身の最も欲するものであり、自身を強力にする(かて)であると。


 それがカインにはあったのだと、喝采(かっさい)が弾ける。






 





 

 ──異常な、光景だった。




「あぁ──!やはり我が眼に狂いはなかった!その拙い肉体から漂ってくる濃密なまでの悪意の香り!誠に!誠に素晴らしいことよ!ハッハハハ!実にめでたい!!それこそこの悪意の蛇の寵愛を一身に受けた申し子に相応しい!」




 




 怒り狂うカインに攻撃を仕掛けられたことを気にも留めず、むしろその事実を盛り上げる材料として堪能し、サマエルは楽しげに愉しげにその場で全身をくねり踊り狂う。


 カインの悪感情を真っ向から浴びて、これ以上ないぐらい嬉しそうに笑った。


 


「ああああ!!ああ!!悪!悪意!!愛しき(せがれ)よ!!我が悪意の導きのままに、その歪な感情をもっと吾輩に向けておくれ!!酔狂う程に!!憎まれ、疎まされ、蔑まされる。その向けられるすべてが我が糧!褒美!!幸福!!さぁ!!さぁさぁさぁさぁ!!!──もっと己の悪意を捧げよ!」


 


 その歓声を聞いているうちに、カインの体は内側から膨れ上がる得体の知れない感覚に食い破られそうになり、頭には耳鳴りという表現では足りないほどの騒乱が荒れ狂った。


 黒いものが胸の中で、腹の内で、頭蓋の内側で、心の中心で、存在をグチャグチャに蹂躙(じゅうりん)しようとでもするかのように暴れ回ったのだ。


 それが、悪意の源である蛇によってカインに()せられた呪いであり、残酷な祝福だった。





 (落ち着け。鎮まるんだ...)





 サマエルの歓喜を見るに、これ以上逆上しても、その負の感情はすべて奴の栄養分になるだけ。このままカインが憎悪に身を任せて思う存分に悪意を剥き出しするのはまさに奴の思う壺だ。





 (鎮まれ...、鎮まれッッ!!!!)




 何より、カインはカインでなくなってしまう。だめだ。己の悪意に、飲まれるな!




「ッ、お前が何を企んでいようと、オレはお前の思い通りになんかならねぇ!」




 ──目に見えるサマエルの奇態な狂気と己の悪意に飲み込まれそうになるも、カインは自らを鼓舞するために懸命に声を張った。




「オレは!!お前なんかに、決して、屈しない!!」



 それは決意の灯火。


 その宣言と共に、カインの強い意思はたちまち彼を支配していた「悪意」を奥深くへと引っ込ませたのだ。


 その様子を捉えたサマエルは鮮血の双眸に一瞬だけ険しい光を灯すと、すぐにそれを嘲笑の色で塗り潰してみせる。




「ククク...これはこれは。筋金入りの往生際の悪さだ。だが、それでこそ壊し甲斐がある」




 にやりと笑みを浮かべたサマエルに、何か悪い予感を感じながらも、ここで怖気付いてはまた相手のペースに呑み込まれてしまうとカインはぐ、と両手を握りしめる。どんなことを言われても動揺しないようにと、深呼吸して心を落ち着かせた。





「一度魂に咲かせた悪意の花は永遠に枯れることはない。その棘は()えたとしてもそれは仮初(かりそめ)に過ぎん。うぬの心に突き刺しまま離れない。どこまでもうぬに付き纏うだろう。その威勢がどこまで続くのか、お手並み拝見といこうではないか」




 その瞬間、カインは目を見開いて驚いた。






「──もう、逃げられないぞ」




 それが至近距離で耳元で(ささや)かれるまで、カインは気づかなかった。


 悪意に満ちた声に叩かれて、はっと後ろへ視線を配る。サマエルは目にも止まらぬ速さで一瞬にして消えたかと思えば、今はカインのすぐ背後まで迫っていた。


 (いびつ)に波打つその紅い瞳が三日月のように細まり、カインを捉える。その毒々しく(よど)んだ光に、カインは背筋がゾッとして、咄嗟に距離を作ろうとつま先に力を込めて、サマエル と向き合ったまま後ろへ跳躍する。





「遅い」







 けれどそれは逆効果で、あっさりとサマエルの尾に囚われると、



「────ッ!?」



 カインは唐突に、首筋に鋭い痛みを覚えていた。異様な熱を孕んだ。皮膚に、鋭く、刺さるような。


 赤いヘビの頭が、すぐ傍にあった。


挿絵(By みてみん)


 首を、噛まれたのだ。


 その出来事はあまりにも瞬間的で、すぐに受け止めるのは困難だった。




「な、なに、を」


「喜べ。カイン。今一度吾輩からの贈り物だ」





 混乱の最中、カインは渇いた喉で声を押し出した。しかし、そんな余裕もすぐに消え──、




 絶叫が、響き渡った。




 これ以上ない激痛がカインの全身を駆け巡ったのだ。首筋を抑えて倒れ込む。


 全身で振り払おうとすればそのまま皮膚が(ただ)れて剥けてしまいそうだと思わせるほどの痺れだった。容赦のないその焼けるような痛みは、今まで受けたどの傷よりも激しく、──そして、禍々しく。



「なんだ、これ......ッ」



 何かが自分の中に流れ込んでくる感覚。


 あの崖の下でサマエルに助けられた時や、今日サマエルと遭遇したときのような、じわじわと這い忍び寄ってくるような感触。


 次には痛みよりも気持ち悪さが強まり、目の前の風景が点滅するように白と黒を繰り返す。




(────なん、だ)




 白黒に明滅(めいめつ)する視界のなかに、一瞬にも満たない刹那、セピア色の風景が映りこむ。 まるで切り取ったフィルムの一枚を差し込むように、それは何度も何度も同じ映像を見せつける。


 そこでカインは──、




(だれ、だ?)




 歪んだ笑顔をこちらに向ける真紅の髪の男が、陽炎(かげろう)のように見えた気がする。


 けれど、その正体を探ろうと目を凝らせば()らす程、その映像はぼやけ、輪郭(りんかく)を失くしていく。


 次第に色が混ざり合い、激しいノイズが走ったかと思うと、それすらも知覚できなくなった。ざざざ、と視界が歪む。耳鳴りが頂点に達して、限界を超えた瞬間ぶつん、と途切れた。




 「グッ、」




 気がつけば、ドサッと、カインはそのまま重力に従って地面に倒れ込んだ。


 いつの間にか首筋を(むしば)んでいた重みと痛みから解放されていたことに困惑するも、カインはなんとか顔を上げて周囲を見渡した。





「いな、い......?」






 そこには何もなかった。



 おぞましい赤い影も。


 その場から離れる呪いの気配も。


 どこかへ去るときの物音も聞こえなかった。


 まるで、最初からそこにいなかったかのように消えてしまったあの不吉な蛇。


 ほんの少しだけ安堵した途端、夢から覚めたような体の気怠さと激しい眩暈に襲われた。その場に立っていられなくなり、カインは地面に膝を突く。




 (まさか...今までの全部が......、夢?)



 そこまで自分は寝ぼけていただろうか、一瞬そう思うの、首筋の痛みがそれを強く否定する。




「ん......んぅ......」


「!」





 そうして今までの出来事を呆然と反芻いていれば、足元に小さな弟の唸り声が聞こえた。


 どうやら、今はこれ以上思考の海に浸かるのは許されないらしい。カインは背中にぐっしょりと濡れた冷や汗に気づかないフリをして小さく息を吐いた。




(そうだ......あいつ、は)




 覚束無い足取りで、まだ起きぬアベルの傍へ近づく。




「すぅ.......、」



 アベルは穏やかな寝息を立てていまだに眠っていた。その呑気さに思わず苦笑する。



(とにかく、無事で、よかった......)




 そこで不意に空を見れば、雲が多くなってきていて、 それが月を覆い、月光を失ってしまった野薔薇の色も暗く陰っていた。アベルを囲む野薔薇の情熱的な赤が、やがては不気味な昏い紅に重なる。




(────あ)





 ふと、脳裏に嫌な想像が過った。


 不気味なその色に、縁起もなく血染めのアベルを連想してしまう。なのに、ああ、なのに、




   ──アア、


        キレイだ。





 無意識に溢れた恍惚な吐息と共に、首筋が再び強く痛みの悲鳴を上げる。心臓に棘だらけの蔦が纏わりついたように、鼓動が跳ねて痛みが走った。




(オレは、今、何を......?)




 自分の中にある何かが、喘ぐように蠢動する。たまらなく気持ちの悪い感覚に、嫌な汗が噴き出した。




(壊れた弟を、美しく感じるなんてっ)





 この無性に何かを壊してやりたい、不幸を求める悪意の衝動。きっとこれが()()()()()()()



 

「──ッ、アベル!起きろ!!」



 もうそれ以上考えてはいけない。現実逃避するがごとく、気が付けばカインはアベルの肩を掴んで激しく揺り起こしていた。



「んむぅ〜騒がしいなぁ〜」



 あんなに起こしても頑なに起きなかったアベルは、今度はカインが触れただけで目を覚ます。




「てあれ?ここ......、そっか、ぼくあのまま寝ちゃったんだね......」




 寝ぼけた目でカインを見ながら、アベルはそっと肩を掴んだ兄の手を握った。


 その手は確かに血が通っていたし、冷たくもなければ硬くもない。 生きている人間の温度と感触で、それを確かめると少しだけカインの悪の衝動が和らいだ。





「それにしたって、兄さんもっと優しく起こしてくれてもいいのに...」


「・・・・・・、悪かった」




 素直に謝罪するカインに、アベルは首を傾げる。いつもならここで呆れたように悪態つかれるか、適当にあしらわれるのに。


 


「......兄さんどうしたの?何かあった?あ、もしかして、野犬が出たとか?」


「・・・違う。そうじゃない。ただ、」





 ──お前が、このまま目を覚まさないような気がして。



 羽虫の舞う闇夜に小さな呟きが撹拌する。無意識に漏れたその震えに、カインは気まずさを覚えた。


 一方でそれをしっかりと聞き届けたアベルは目を丸くしたあと、ぷっと吹き出し、あははと笑いながら「大げさだなぁ」と軽く流してくれた。


 そのことにカインは内心ほっとした。そして、なんで自分はあんな恐ろしいことを考えてしまったのかと改めて不思議に思ってしまう。




(アベル(こいつ)に血のような赤なんて、似合うはずがないのに)




 今なら弟にとっての「赤」は表現しがたい禍々しさを感じられる。弟を傷つける不吉なものだ。


 だがどうしてか、ふとした瞬間にまたその赤が甘美なるものばかりをカインに連想させる。まるでそんな弟を()()()()()()()かのように、生々しい悪寒が背筋を這う。




 (アァ...、ダメだ。また...)




 誰かを傷つけたくてたまらない──そんな言い様のない悪意がまたじわりじわりとカインを蝕む。


 それに呼応するかのように再び生々しい痛みを放つ首筋を、手で押さえてカインは愕然とする。


 

 このまま、アベルを前に立つことはできない。


 息遣いが届いてしまう。

 指先が届いてしまう。


 理性が本能を押し込める内に距離を開いてしまわなければ、歯止めが利かなくなる。


 そうなってしまったら最後、カインはきっとまた「悪意」に押し流されてしまう──。





「に、兄さん……?大丈夫?」




 その態度にアベルもさすがにただならぬ物を感じたのか、急いで起き上がりとカインの元に向かう。


 下から覗き込んだ彼の顔は月光による光の当たり加減を差し引いても色が悪かった。




「すごい汗だよ!?そんなに暑かった...?」


「………。……平気だ」


「本当に……?」





 アベルは眉を寄せて──カインが触れられることを極度に忌避することを失念して──思わず心配気に頬に手を伸ばす。


 けれど、




 ──────ズササッ!




 アベルの手がカインの頬に届く寸前、彼は目を見開いて体を思い切り後ろに引いた。


 その勢いで思いっきり足元の野薔薇の棘を踏み潰してしまったが、今のカインにはそんな瑣末(さまつ)な痛みを構っている余裕などないように見受けられた。


 驚愕に開かれた瞳、震える口許。まるで何かに怯えているかのような様子のまま、カインは頭を抱えるとずるり、とその場にへたり込んだ。




 『本当に?』──それだけ、そのたった一言が彼の心を揺さぶる。カインは自身を襲い来るものに耐えるようにして頭を抱えた。


 心臓が早鐘を打つ。

 酷く頭が痛い、気分が悪い。


 それはつい先程サマエルへぶつけた殺意に感じたものと同等、もしかしたらそれ以上のようにも感じられた。



 ____スキンッ!!!




「ぐ......っう、ああ!!」



 尋常でない様子にアベルも動揺を示した。頭を抱え込んでいるカインの苦痛の声は尚も響いている。



「カイン兄さん!!」




 アベルが、近寄ってくる。カインの頭にアベルの声が響く。駆け寄ってくるアベルの足音が更に痛みを増幅させた。





(来るな......来るな!)





 "オレはお前を●●したくないッ!!"





 アベルは、止まった。


 他でもないカインの手が、アベルに向けられていたのである。


 近寄るな、と命令するかのように。鋭いカインの目がアベルを突き刺す。恐怖を覚えてしまいそうな程の視線だった。アベルは息を飲んでいた。




「・・・・・・一生の、お願いだ」


「え?」


「そこから一歩たりとも動くな」


「に、兄さん......!?」


「頼むッ、......今のオレは、おかしいから。......近づいたら正直、何をするか分からんっ」


「どういう、こと?」


「今は何も聞くな。とりあえずそこでジッと大人しくしてくれ。しばらくすれば......、っ、きっと治まる......!」


「う、うん。......わかった」




 明らかな異変を感じるが、兄から放たれるとても聞くことができないほどのよろしくないオーラに、圧巻(あっかん)される。


 一線引いて、一人でその背中に背負っている兄の計り知れない大きな何かをアベルはただ見つめることしか出来なかった。

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