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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【結】〜人類最初の殺人〜
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3話『誘われるのは茨の道』★

 何か嫌な気配を感じた。


 何も見えない、聞こえない、臭わない。

 五感に訴えるものは何もない。


 ただ、とても嫌な気配だ。


 心の奥、体の芯でカインは「それ」を懐かしく思った。


 ──寒気が、する。





 




「カイン、兄さん......?」




 抜け落ちたように表情の失せたカインが、焦点の定まらない虚ろな視線を右へ左へと彷徨わせている。



「兄さん......兄さんってば!」


「・・・・・・呼んでる」


「え?」




 辺りに何かがいるというわけでもないのに、懸命に何かを探し当てようとするようなその素振り。そんな兄の尋常ではない態度にアベルは妙な胸騒ぎを覚えた。




「呼んでる......()()()




 ほんの僅かに開いた唇から小さな声が押し出されたその瞬間、




「────!!」




 突如、全身を強張らせたカインはある一点の方向を食い入るように見つめる。その顔には焦燥が浮かび出ていた。



「ど、どうしたの!?何かいるの!?」




 反射的にアベルもカインが凝視するその方向へ顔を向ける。




「──呼ばれている、気がする」


「呼ばれているって、何に?」


「・・・・・・わからない」




 どれだけ目を凝らしても、カインを呼ぶ何かの存在を確認できない。なのに、今でもどこから突き刺すような視線を感じるのだ。


 例えていうなれば、以前対立した熊から漂うあの妙な気配に似ている。限界まで抑えこんだ怒りが、ふつふつと滲み出てくる、そういう気配だ。何かきっかけがあれば、容易く弾け飛ぶような緊張感。


 だが、あの獣の怒りとは異なり、熱は感じない。むしろ魂から凍てつかせるような冷ややかさ。




(なんなんだ、この懐かしさは・・・)




 懐かしい?


 懐かしいってなんだ。


 一拍遅れて得も言われぬ違和感がせり上がり、カインは自分の頭を抱える。肌にじわりと染みこんでくる冷気には、どこか覚えがある。



 そう、いつか、どこかで……。



 さほど多くない過去を探ろうとしたとき、真紅に滾る瞳のイメージが浮かんだ。唐突な「追憶の映像(ビジョン)」にカインは思わず立ち上がった。





「......このまま無視する訳にもいかない」


「ちょっ!?カイン兄さんっ!待って!そっちは入っちゃダメだって、」




 己の鼓舞するように呟きながら、暗い森の方角に向かってカインは一直線に駆け出す。それにアベルも慌ててあとを追う。



 森の奥の、もっと奥。



 カインの畑の北にある山の麓は、 あまり近寄ってはいけないと両親から言われている場所だ。深い森は木々が覆い繁って、振り向いても自分たちがどう歩いてきたのか分からない。


 上下に揺れる視界の中で、アベルは兄の背中を見つめた。走っても走ってもカインは速度を落とさない。まるで何か道標を追うように、迷うことなく一心不乱に地面を蹴り、森の中を走っていく。


 出来るだけ平坦な場所や、枝の伸びていない場所を上手に選んでいるからスピードが落ちる事は無い。 ──その様子はまるで、枝や草木の方がカインに道を譲って導いているようにも見えた。





「兄さん!どこまで行くの・・・・・っ!?」


「もうすぐだ・・・っ、────見えた!」





 カインの声と共に景色が開ける。




「......!」


「す、ごい......!」



 一瞬、息をするのを忘れる。


 立ち止まった彼らの視界には、ぽっかりとそこだけ円形上に開けた場所が広がっていた。

挿絵(By みてみん)

 朽ちた巨大な大木がその円を半分に分割するように横たわっている。


  所々腐って空洞になった幹から、鞭のようにしなやかな(いばら)と、そこから互いを押しのけるように咲き乱れる真っ赤な野薔薇、目に痛いほどの原色が咲き誇っている。

 それはまるで御伽話(おとぎばなし)で聞いたエデンの楽園にもありそうな程綺麗で、どこか現実味がなく、 ここだけ時間が止まっているようだった。


 幻想だけを詰め込んだような世界に強い感動を感じていた。まるで赤子が世界を初めて知ったような尊い美しさが胸に満ちる。




「まさか、森の奥にこーんなきれいな場所があったなんてね!」


「・・・・・・」




 息を切らして笑うアベルに、カインもただただ、広がる光景に目を奪われるばかりだった。


 



(・・・今は何も感じない。一体なんだったんだ)




 とてつもなく嫌な気配を追ってここまで駆けつけてきたが、それは杞憂(きゆう)だったのだろうか。


 そんな()に落ちない表情で佇むカインを追い越すと、アベルは周囲を見渡した。





「何もないね...。カイン兄さんを呼んでいるのってこの近くにいるの?」


「......」


「......?兄さん?」


「──“そんなこと、どうでもいい”」




 “カイン”は呟いた。その声は確かにカインのものだが、間違いなくそのセリフは本人のものではない。



「え?どうでもいいって......、」





 怪訝そうな表情を見せるアベルに目もくれず、カインは野薔薇が覆い繁る幹へと寄りかかって息をつく。




「“お前もこっちへ来い、もうすぐ余興が始まる”」





「えっと、兄さん、大丈夫なの......?」


「......、なんだ、ビビっているのか?問題ないだろう。野獣の気配もない。今の所危険はない」


「うーん、そうじゃなくて、」




 確かにそれもあるが、それ以上に、会話の途中でどこか様子が変わったカインをアベルは案じているのだということに、カインは気づかない。カイン自身、そう言ってぱちりと瞬きをしたあとには、もうすっかり元に戻っていた。その感覚は、もう覚えない。覚えていない。そして忘れない。


 どこか様子がおかしいカインに首を傾げるも、促されるままアベルも兄の横に腰を下ろす。同じく控えめに寄りかかると、湿った木の匂いと、蠱惑(こわく)な薔薇の香りで吸う息もどこか甘ったるく感じた。




「わぁ〜ここら辺って蒸暑さあまり感じられないだね。涼しくて結構快適だよ。こんなたくさんの薔薇ってそうそう見れるものでもないし、兄さんもいい場所を見つけたね!」


「......」


「こういう不思議な場所に来ると、なんだか夜の冒険をしている気分で、ワクワクしちゃうよね」




 呑気に笑うアベルとは対照的に、カインは青い顔をしたまま黙り込んでいる。


 先ほどは弟の前でこそ何事もないように装ったが、自分が何を言ったのかは、微かだが、なんとなく解っている。あれはカインの意思ではない。全くの別の“誰か”の意思だ。




 (オレに何が、起こっている?)




 自分に先程の発言を言わせたのは一体?


 自分に関与してきたのはなんだ?


 そして、




(......っ、頭が、ズキズキする)




 先ほどから徐々に増すばかりの──この原因不明な頭の痛みは一体、なんなんだ?


 必死になにかの影を探すが、何一つそれらしき情報を掴むことが出来ぬままカインは項垂(うなだ)れる。


 何が自分に起こったのかわからない。ただこの美しい場所の雰囲気が可笑しいこと、そして自分が何か場違いな発言をしたことだけは確かだ、そう感じ取ったカインはただ唇を動かすことしか出来なかったその時だ。





「・・・・・・あれ、」





 ──野薔薇の香りが、一気に強まった。





「なんだかぼく、急に眠くなってきた...」


「─────!」




 風が吹く度にさわさわと野薔薇が重なり合って、微かな音を立てる。それは子守歌のように眠気を誘う。


 ここまで全力で走ってきた疲れと緊張していた神経も自然と和らぎ、カインとアベルはいつの間にか眠るように意識を手放した。










      ◇◇◇◇◇◇◇









 首筋を擽ぐる野薔薇に起こされて、カインは目を開ける。


 月が少しだけ西の地平線へ傾いてはいるものの、そんなに時間は経っていないようだ。しかし、華やかで甘い香りはい未だに鼻孔を擽る。


 隣を見ると、アベルもまだすやすやと寝息を立てていて、カインはその呑気なあどけなさに少しばかり口を緩んだ。



 その時だった。




 ゾゾゾッ......!




 突如強く感じる妙な気配に、カインはその方角へ向いた。


 とっぷり日が暮れた森の中は、木々の間を本当の闇で満たしている。と、その中に月光を受けて何かが輝いたのが見えた気がした。



「……?」




 じい、と眼を懲らす。輝くものを眼で追っていると、



 ──ふいに、闇ばかりが広がる世界に変化が生じる。



 陰影が歪むようにひしゃげ始め、目の前の空間がひび割れ始める。ほんの刹那の異常のあと、【それ】は背の低い草たちを踏みつけながら木々の間から現れてきた。



 なんだろう。

 あれは、何なんだろう。



 やがてそれを認識した瞬間、胸の内に広がった言葉にしようのない感情をなんと名付ければいいものか。


 爆発的に膨れ上がる感情に急き立てられるように、その影へと駆け寄りたい、と一瞬思ってしまった。




 (ダメだ。・・・ダメだ!!)




 しかし、カインの理性がなんとかそんな不可解な衝動に抗い、遠くに浮かぶその不気味な赤い影から距離を保つのが精一杯だった。【それ】に囚われてしまっては、もう戻ってこれない。──明確な根拠などなく、ただの本能的な直感だった。


 そんなカインの強い警戒心を察したのか、その不気味な影はまるで勿体ぶるように、緩慢な動きで地面を這ってカインに近づいてくる。



 それでも身体が動かない。まるで足に根が生えたように一歩も動かせない。


 そうしている間にも、影は近づく。




  少しずつ、


          少しずつ、





 それは近づくにつれて、確かな輪郭を描き出す。



 やがて、カインに肉薄した時には、完全にその影はあるべき形へと具現化する。



         ────それは、



  






 星も見えない──平穏の終わり。



   魔の手が迫る──悪夢の始まり。

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