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【完結】序芝居  作者: のぼぼん(º∀º)
【転】〜カインとアベル〜
103/160

40話『あの日あの時あの場所で』★

 とんでもない内容を告げられた気がする。



「なん、だと」




 カインはただ愕然と目を見開いて硬直する。




「お前......今、なんつった?」





 掴みかからんばかりの勢いでアベルに詰め寄り、先程の発言の真意を問い質そうとする。が、




「兄さんはね、忘れちゃったんだね」





 ──五年前、アベル(ぼく)に殺されかけたこと。


  


 押し黙るカインを余所に、アベルが絞り出すようにそう呟くと体を反転させた。


 カインの位置からはアベルの背中しか見れなくなる。カインの口元が無理解に曲がる。






「おい・・・ふざけんのもいい加減にしろよ、そんなこと、」





 あるわけないだろ。その後の言葉が続かない。


 刹那、カイン視界にザザッとノイズが走る。




(なんだ?)




 視界だけじゃない。身体の感覚が、夢から覚めるときのように急激に薄れていくのを感じる。 それは懐かしい感覚。


 昔の悪夢という記憶が現実の意識を乗っ取ろうとするせいで、世界が遠のいていく。なのに、ノイズは煽るように勢いを増すばかり。


 耳元で幼い子どもの慟哭がどんどんと大きくなっていく。




( あ  )




 その不協和音(ふきょうわおん)がカインの脳の奥底まで達した瞬間、


 




 “五年前”


  ”紅葉“


  “崖”


            “落ちる”






 突然鮮明な情景が浮かんでは消える。少しずつ、暗闇を手で探るように、カインは記憶の点と点を線で繋いでいく。






 (思い、出した......!)





 ゆっくりとカインは顔を上げた。そこで、背中を向けていたアベルが既にカインを振り返っていたことに気づいた。




 ──アベルと、目と目が合った。




 呆然と佇むカインの姿を見ながら、アベルは目を細める。その目は(うつ)ろで、何も映らない。





(そうだ......そうだ、オレは確かにこの崖から突き落とされた......)





 ──五年前、(アベル)の手によって。







      







 その時に得た感情のことは、今でもアベルは深く覚えている。


 責め苦のように続く悪夢は、まるで意識の奥深くまで刷り込ませるように繰り返される。それは酷く耐え難い光景で逃れられぬ事実だからこそ、深く深く心を抉った。


 思い出そうとする気持ちと、忘れておきたい気持ちがいつだってアベルの中で交差する。


 カインとアベルはかつて仲良しの兄弟だった。


 決まっていつも一緒にいる二人はよく家の周辺にあるあちこちを探検したり、遊んで回った。


 アダムとエバも乳児のアワンを抱え、カインの後をついて回るアベル、アベルに手を差し伸べるカインの姿を微笑ましく見守っていた。


 そんな仲睦(なかむつ)まじい兄弟関係を切り裂いたのは──秋の出来事だった。


 末っ子のアズラはまだ生まれていらず。カインが八才。アベルが五才。アワンが四才だった年。



 ある日、アベルはカインに家の西側にある密林で遊びたいと駄々をごねた。




「やだ!やだ!どうしても行きたい!」




 その密林は秋になると、林全体が真っ赤に色づき、綺麗な紅葉林に移り変わるのだ。


 父も母も多忙ゆえに、どうしても紅葉狩りをしたいとアベルのわがままの矛先は兄のカインへ向けた。




「ねーねー!カインにいちゃんっ!連れて行ってよっ!」




 今でこそ物分かりがよいアベルだが、五才の頃は自己の意思表示もはっきりしたものとなり、自分の意にそぐわない時は癇癪(かんしゃく)すらも起こす場合もあった。まさに好奇心旺盛で、自己主張が激しいお年頃。


 一方、この頃のカインも寡黙(かもく)で目つきが悪いものの、案外世話焼きな少年だった。

 



「はぁ......わかったわかった。連れてってやるから、騒ぐのやめろ」




 だから、いくら「あそこは崖の近くだから危険だ」と諌めても聞く耳持たないアベルに、カインが折れるのは必然な結果だった。


 そうして密林に着くやいなや、アベルは興奮気味にはしゃいで紅葉林を駆け回る。




「すご〜い!ほんとに真っ赤だぁ〜〜!」


「おい!アベル!あまり走り回ると危ねぇぞ!」




 危なげなくやんちゃに走るアベルを、カインはすぐに慌てて追いかけたが、気がつく頃には紅葉した木々に囲われて、見事にアベルを見失った。




「あいつ......どこ行ったんだ......」




 頭上ばかりを見ていると、白い梢のほかは赤、橙、黄色に埋まる目が眩むほどの鮮やかな景色が続き、カインは少し酩酊(めいてい)しそうになる。


 木々は色彩豊かで美しいが、どことなく物寂しい光景に思われた。鳥の鳴く声は聞こえても、隙間なく広がる葉の中に姿を認めるのは難しい。



「おーい!アベル!」



 カインはアベル探すために、大声で弟の名を呼びかけてながら、密林に中を駆け回った。


 アベルの気配はするものの、見る影はない。悪戯好きな弟のことだろう、今度は兄と隠れん坊をしている最中のつもりだろう。


 根気よく付き合ってあげたいが、こうも休みなく紅葉林の中を徘徊(はいかい)してはさすがに疲れるというもの。


 徐々にカインはつっかえるような足取りになる中で、ふと視界が開けた感覚になった。



(水の、音......?)



 耳を澄ませば水が岩を叩くような音が聞こえてくるのだ。

 その方向に足を進めると、やがて右手の木々の向こうの景色が開き、広い渓谷が見えるのだ。


 

 どうやら見晴らすの良い崖沿いの道にまで来ていたようだ。




(......すごいな)




 

 木々に取り囲まれていない、閉塞感(へいそくかん)から抜け出せたような錯覚がそう思わせるのだろう。


 こうしてすべてが見える場所に身を置いていると、理由のわからない安堵感がカインを包んだ。


 

 谷を挟んで一つ向こうの山の斜面もまた見えている。その低いところに石の河原が広がっていて、苔の生えた岩の間を澄んだ川水が流れていた。


 眼下の、切り立った崖の下を流れる川を見た。川は上流の方らしく、澄んでいて力強い流れだった。


 ここから落ちたらどうしようと、カインは思わず足が(すく)みそうになる。


 そこでカインは何気なく足元をみた。ししてすぐ目に飛び込んだ光景にヒュッと息を止めた。



「──!」



 足場はカインの立っている場所からあと一歩のところで消滅し、その先はスパッと切り落とされたように()()()()のだ。





(危なかった)





 ──カインの足元のすぐ先には予期せぬ険しい谷底がぽっかりと口を開けて彼を待ち構えている状況だった。


 崖と地面の境線を覆い被さる草むらがしっかりカモフラージュの役割を果たしているせいで非常に見破るのは難しく、遠くから一見する限り、カインの立つすぐ前方に険しい崖が待ち構えていることに気づかないのは無理もない──これも大自然の罠ともいえよう。


 だからこそ偶然にもカインの足が前へ踏み出して草むらを掻き分け、その「罠」を見破ったのは僥倖(ぎょうこう)だったといえよう。




(注意さえすればいい)




 そう自分を落ち着かせ、視線を少し上へと向ければ、その谷の奥まったところに、白い滝があった。





 (きれいだ)




 紅の彩りはこの崖際まで有効なようで、ここら一体もまたおびただしい紅葉で覆われている。


 この目の前の絶景に魅入られるかのように、カインは崖のギリギリまで足元を近づけて、しばらく紅の世界に見惚れていた。









 ──後ろから悪戯心でカインを驚かそうと企み、近寄るアベルの気配も気づかないまま。




「.......!」




 カインが気配を感じて振り向こうとする時にはもう遅かった。


 次の瞬間、「わぁ!」と相手を驚かす目的の悪戯げな掛け声と共に、






「ッッ!?」






挿絵(By みてみん)


 背中を押される感覚。



 踏もうとした足場が存在せず、押されて前のめりになった体を支える術がない。


 丁度すっかり上下反転したカインの世界に、こっちに向かって手を伸ばしたまま、何が起きたのか理解が追いついていないように呆然と突っ立っているアベルがいた。


 草木の茂みがカモフラージュ担っているせいで、カインのすぐ一歩先が断崖絶壁(だんがいぜっぺき)だなんてアベルの視線の角度からは到底わかるはずもなかったし、まさかこうなるとは思ってもいなかった。

 不運が招いた不幸な事故であることには変わりはないが、それでも悪戯心でカインを突き落としたのは間違いなくアベルだった。



 とっさに伸ばした手は何も触れられるはずもなく、そのままカインの体は眼下の川の中へと吸い込まれていき────、




 バシャン!





 次に訪れたのは崖の深く下から響く川へ沈む音。



 そして、



 悲惨な慟哭と、逃げるような足音が、燃えるような夕暮色の密林に木霊(こだま)した。





そう、最後の──。


 色を失った過去の記憶。

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