1章4節 汝、奇術ヲ用イテ
飯だ。飯がある。空腹は最高のスパイスですよ。普通じゃ口にするのも躊躇う得体の知れない干し肉を口に含みながら皮袋に入った変なにおいのする水を少しずつ飲む。
どうやら盗賊たちにとって俺は殺してしまいたい厄ネタだけど一周回ってそのまま殺すのも怖い厄ネタ認定されたらしい。危険物を扱うように少し遠巻きからみられている。因みにいつでも俺を殺せるように刃物をちらつかせている奴が数人いるのはご愛敬。地球にいたころじゃこんなことされたらビビッて喉なんか何にも通らなかったと思うが、強靭な精神とやらのお陰か気にならない。或いは本質的に脅威とは感じていないからだろうか。
さて、どう話を展開しようかな。これでも切羽詰まってるんだ俺は。
「あの子、そこに縛られている子ね、獅羊族の子なんでファーリォギゥン語じゃないとおそらく通じないですよ。この言語じゃ通じません。知らずに連れて来ちゃったんですか?厄介な一族でしょうに」
「獅羊族だぁ?こいつらは浪羊族だろ?」
「それは周囲に転がっている子たちですね。でもそこの木に縛られてる子、尻尾が少し長いでしょう?眼も赤みが強く、角もシャープで曲がりが少なく鋭い。あと爪も鋭く少し長い。もし歯が鋭かったら決定的でしょう。浪羊族みたいに毛が白いから勘違いしたのかもしれないですが、この子はおそらく先天的に毛が白い獅羊族の子です。貴方達の”扱き”に耐え抜いているのも、獅羊族の体の強さの証だ。あとファーリォギゥン語を確かに口走ってましたよ」
俺がそう言うと、盗賊の半数以下の顔が微かに青ざめ、或いは一体なんの話をしているんだと少し混乱した様子だった。混乱した様子だが、一部が動揺しているのを察して良くない事態であることは察したみたいだ。
この世界には神も種族も言語も色々と多すぎる。それに応じた文化も。
もしこの世界に外務省を設置しようとしたら相当大変だろう。俺も神のチートが無かったら絶対に覚えきれなかった。完全に違えばまだしも、なまじ似通った種族や言語があるだけにめんどくさい。その些細な勘違いが時に目を当てられない様な結果を招く事がある。これはリアルの人類史にも見受けられたことだ。
こいつらが欲望のはけ口にしておもちゃにした挙句強制的に改宗を迫っていた浪羊族というのは、わかりやすく言えば羊の獣人の一族って言えばいいのかな。厳密には違うんだけどね。黒に灰色と茶色か微かに混じったような檳榔子染色の肌に生える白い柔らか毛と羊の様な角に蒼色の宝石みたいな眼。浪羊族は温厚で力も強くないが体力的には比較的タフで放浪生活を営む手先が器用な一族だ。そして種族的に体の発達が良く、よからぬ欲求を持つ者の餌食にしばしばなってしまう。
周囲でカエルみたいにひっくり返って冷たくなってる子たちがその一つの顛末を端的に示している。
問題は、浪羊族によく似た種族がいるってことだ。
獅羊族。
一見浪羊族に似ているが、生態は色々と違う。浪羊が被捕食者なら獅羊は捕食者。浪羊族は大きな集団で動くが、獅羊族は家族単位で動く。集団としての数は低いが、代わり身体能力が異常に高く、気性的にも戦闘を得意とする種族で暴れたら手が付けられない。毛の色が獅羊族だと金色がかっているので見分けられるが、一見温厚な白毛の浪羊族に似ているのが尚更質が悪い。
獅羊族は家族に手を出した者は決して許さず、どこまで追いかけて復讐を果たし、不届き者の血肉を食らってしまう。なお、この世界では人肉食いは極端に珍しい行動ではない。
要するに、襲いやすい浪羊族に似ている癖に、気軽に手を出すと大変なことになるのだ、この獅羊族と言う奴は。勘違いでしたごめんなさいでは済まされない。確かにそっくりで紛らわしいが、そもそも襲うなって話だ。まぁ教義や戒律的にこいつらもそうはいかんのだろうけど。
「獅羊族がなぜ浪羊族に混ざってたのかはわからない。預けられたのか、親無き子を保護したのか。預けた子じゃないといいな。ってことで一つ提案なんだが、私は獅羊族の言葉が話せる。一つ確認させてくれないか。結論は急いだほうがいいぞ。もし最悪の事態だとしたら獅羊族たちは既に動き出している可能性がある」
獅羊族は浪羊族に対して一族ではなく家族単位で動くので一族としての結束は強くないと思われがちだが、有事の際だけは別だ。あっという間に独自のネットワークで集まって不届き者に制裁を加える。そうして恐ろしい一族であるという悪評を敢えて作り獅羊族は自分たちを守っているのだ。故に何が有っても絶対に復讐を遂げる。
ほんと、俺なんかより遥かに厄ネタだよその子。
あの御主神様が自分の信徒の第一候補に選んだ子だ。境遇もそうだがもしかしたらお眼鏡にかなうだけの存在ではないかと最初から注意深く見ていたかいがあった。
そう、盗賊にとっちゃ非常に残念で、俺にとっても不幸なお知らせだが、女の子に関しての話に一切のハッタリ、嘘はない。マジの話だ。救出の為の咄嗟の嘘じゃなくて本当の話。下手すると俺も盗賊の一味と勘違いされて獅羊族に殺されかねない。要するに意外と絶体絶命なんだなこれが。
チュートリアルとはなんなんでしょうね御主神様。それともこの獅羊族の娘がよほど欲しかったのか。ありそうだな。
獅羊族は種族的に強いんだ純粋に。
それに、仲間意識が異常な位に強い。いつもは触れる物みんな嚙み千切るみたいな気性の荒さだが、一度身内と思った相手に対しては驚くほど温厚で義理堅く帰属意識が強い。何かの団体を作り上げる時、その中核に置く人種としては確かに適任かもしれない。味方に引き込めるならだが。あんのク、ん゛ん゛、御主神様ほんといい性格している。
チュートリアルは勧誘までの流れじゃなく、勧誘した後の話をしてやがるな。そーだろうね。獅羊族を信徒第一号に出来たら評判や結束力とか色々と便利だろうよ。そこに至るまでを俺に丸投げってのが気にくわないけどさ。
さて、もう色々と待ってる時間はなさそうだ。
『そこのお嬢さん、まだ意識はありますか?』
言葉にするのも辛い様な環境に置かれて常人ならとっくに力尽きてるか、或いは病んでいるか。だが獅羊族は強さ移管してはいっそ獅羊族自身に対しても残酷な位に強い。
俺が獅羊族の言葉で話しかけたら確かに反応した。
「てめぇ、何勝手な真似を!?」
「うるせぇ!お前らみんな死にてぇのか!?俺達の命はこの女にかかってんだぞ!!」
錆の入った剣を首に突きつけられたがこちとらそれどこじゃねぇんだ。
おそらくこの信徒候補はウチの御主神様の肝入りだ。しくじって見ろ。獅羊族に襲われるよりおっかない目にあうぞ。
ああ、最高だろうよ。精神的に絶望に近い、本来滅多に自己の集団から離反しない強い女を救い出す。人が信仰に落ちやすい最悪の瞬間を突けとウチの御主神様は言っているんだ。そうでもしなきゃ信仰する神もある程度固定化している獅羊族なんてレア種族を別の教団に引き入れることなんて不可能に近いからな。俺が間に合うギリギリに送り込んだと聞いても驚かない。
信仰の為なら100や1000の悲劇は些細な話か?文章に記せば数行で片づけられてしまうような些末な事だと?ああ、そうだろう、うちの御主神様にとっちゃ本当にその程度なんだ。そして俺が御主神様の教団を作り上げる途上で、こんな事態には幾度もぶつかるのだろう。
怒ってるのか俺は?なにに怒ってる?
「死にたくなきゃ俺に従え!邪魔すんな!」
威嚇するように吼えて盗賊共を牽制する。そうだ、恐れろ。お前たちにとって俺は厄ネタだぞ。剝放者より余程悍ましい神の眷属だぞ。
俺は堂々と木に縛られた少女に近づき、近くに転がっていた粗悪なナイフを手に取ると縛り付けていた縄を強引に切りながら解いた。肉体的にはまだ動くのかもしれないが精神的な限界によりもはや体に対して力が入らないのか、縄を解くと少女はぐったりと地面に倒れ込んだ。
『安心してください。俺は敵じゃない。どうにかして貴方をここから助け出したいんです。何か食べられそうですか?』
「あっ、あっ…………」
ダメそうですね。俺は口の中に残していた干し肉をかみ砕き皮袋の中の水と口の中で混ぜ、少女の汚れ切った口を拭ってやると抱き寄せて口移しで口の中の液体を流し込んだ。
応急処置にもならないが、空っぽの腹より幾分かマシだろう。よし、嚥下したな。まだこの子の体は生きる気はあるらしい。
さぁここからどうする。考えろ。何が正解だ。
前門の盗賊、後門の獅羊族。どっちにこけても嫌だなぁ。
獅羊族は仲間意識が強い。強いんだが、例外的に仲間を手にかける時がある。それは格下に負けた同胞を保護した時。その同胞を害した存在は殺すが、同時に格下に負ける様な同胞の存在も消す。強き獅羊族を残すためには、弱きは切り捨てるしかないのだ。どのみちこのままだとこの子は殺される。俺も一緒にな。
助けてあげたとか関係ないのだ。獅羊族は弱いというイメージが絶対に付いてはいけない。その名を守る為なら獅羊族は容赦がない。実際は本当に手にかけるかは不明だが、少なくとも一般ではそう認識されている。だからこそ恐れられている。恐れられているから誰も獅羊族に手を出そうとしない。
俺は御主神様から色んな知識を教わった。ああ、受験勉強なんて比じゃないぞ。人生であんなに勉強したのはあれっきりだと思ったけど、受験勉強の内容が小学校1年生の夏休みのドリルの1ページ程度に感じるレベルの量の知識を詰め込まれた。ほんと、俺はあの空間にどれくらいの期間いたんだが。それでも足りないから外付けハードディスクみたいにチートでわざわざ『人域知識』なんてぶっこんできたわけだ。
人域知識ってのはつまり、人間ならば知る事が可能な知識のほぼ全てを網羅しているということ。ここでいう人間は地球の話だけじゃなくて、こっちの世界での知識も含まれている。そうでもなきゃ数多ある種族の一つである獅羊族の特徴をスラスラと思い出し、軽く習っただけの多国語をペラペラ話せるわけがない。
そこに含まれた知識に意識を傾ける。地球の知識に頼ってる場合じゃない。
俺は徐に右の親指を強く噛んだ。
血があふれた。痛い。目覚めた時の拷問で痛みに対する潜在的な耐性ができたけど痛いもんは痛い。けどそれはどうでもいい事だ。後ろに控えた大きな恐怖を前に小さな恐怖が麻痺し、自分の手を血が出るほど噛むなんて正気じゃない芸当も出来てしまう。
まず血の触れた親指を強引に少女の口に突っ込む。色々な気力がエネルギーと共に失われ、ただの抜け殻みたいになりつつあった少女も流石に驚いたのかほんの微かに目を見開いた。
『飲め!』
済まん。本当に申し訳ない。でも、今はこれしか思いつかない。貴方を救う手立てが、これしかないんだ。
口の中の異物に反応したのか少女の手が反射的に俺の指を噛む。ザラザラとした舌が親指を押し返そうとしてその表面をなぞる。血が流れ込み、俺の気迫に驚いたのか彼女は唾液と共にそのまま血を嚥下した。
『誓え!我が主神に忠誠を捧げると!そして願え、誰にも負けない力を!全ての非道を無に帰する力を!』
神の加護と人の意思には密接な関りがある。諦めた者から、弱者から加護は離れていく。一度離れた加護はそう簡単に戻ってこない。
その加護の力を手っ取り早く取り戻す一番の最短ルートとは。
それは強大な神の加護を強い意志と共に新しく上書きする事。
ああ、そうだ。ウチの御主神様はまともな存在じゃない。どっかの誰かさんが封印するしかない存在で、封印されているのに関わらず最低でも2つの世界を跨いで干渉する程度の力を残していて、人の体をいとも簡単に作り変え、恐らく殺戮や拷問に纏わる権能を持ってる特級の厄ネタだ。
命の危機に晒された状態での最悪の勧誘。こんなの卑怯そのものだ。
でもこれが一番手っ取り早い。理にかなっている。正しいかどうかなんて誰も問うてこない。結果無くして批判もできないのだ。その理屈は分かっていてもあまりにクソだ。
俺は呆気に取られている様子の彼女をよそに口から指を引っこ抜き、既に傷が塞がりつつある唾液の混じった親指を更に深く噛み溢れた血で彼女の腹に血文字を書いた。
この世界にある『魔法』は、ゲームみたいに用意無しでポンポン発動できるもんじゃない。もっと根源的というか、黒魔術的、儀式的なんだ。
強靭な肉体を形成するこの体に流れる『血液』はそれそのものが力を持つ。俺の血はある種、加護そのものに近いんだ。
本来は神との契約は神自身が行う。しかしウチの御主神様は一身上の都合により御籠りしているので俺が代行する。その為の力も知識も与えられている。その方面だけはキッチリ用意してくれたんだよ、餞別は何もくれないのに。
「う、う゛ああああ!」
「あっ!」
しかし、そんな怪しいことをずーっと都合よく盗賊さん達が見守ってくれるわけもなく。明らかに俺が自分達では理解できない言語で話しながらおかしなことをしているに気づいて焦ったのか、それとも獅羊族の影に怯えてか、恐怖の混じった声と共に俺の胸をぐっさりと槍が貫いた。目の前のスプラッタを前に意識を失いかけていた流石の獅羊族少女も御目目ぱっちり。スプラッタ劇場4DX特等席ですよ。
ちょうど血が出たので彼女の顔に付いた血を使って儀式を続ける。えっと、彼女の消えかかった手の平の紋章を俺の血で上書きして、これで良しと。
「お、あ?あ、あ………?」
後ろで盗賊が後ずさる音が聞こえる。何か信じられない物を見たような声だ。
はーい、じゃじゃーん、びっくり人間ショーだよ~。今宵は槍の貫通マジックでござーい。種も仕掛けも本当にありません。
俺は今度は別の理由で茫然自失な獅羊族少女を優しく横たえて元気よく立ち上がり振り返った。すると盗賊たちが悍ましい物を見たように青ざめて後ずさった。失礼な奴等だ、本当に。
「まず、我が主神の眷属に対する不当な暴行」
槍を引き抜こうと穂先を掴む。力加減を間違えて砕いた。もろすぎぃ。え、抜けなくなったかもコレ。どうしよう。まあいいや。
「次に、我が主神の眷属に対して不遜な対応」
時に、『主神を貶める』ってどこまでを指すんでしょうね。
俺だったらですよ、例えば尊敬している人が居て、その人の大事な物を勝手に壊したりしたら当然敬意が足りないと思いますよ。なにもその人だけを大事にすればいいってもんじゃない。極論、その人の気を悪くするようなことをした時点でOUTと見なすこともできる。
「次に、眷属の財産を許しも得ずに奪った」
そんで、その敬意が足りてないってボーダーを、敬われる側が決められるとしたらどうなるでしょう。はい、そういうことです。いちゃもんつけ放題ってことですね。
「信者候補を不当に痛めつけた」
因果関係が逆な気がするけど間違ってない。いやー、これは不敬ポイント高いですよ~。なんせ肝入りの信徒候補ですよ。
「マズイ飯を出した」
空腹は最高のスパイスなんて思ったけど普通に不味かった。特に水。あの水は一体なんだったんだ?塩っ辛さに微かにアルコールとアンモニア臭が混ざったみたいな感じだ。
「そんで眷属を傷つけ、儀式を邪魔した。眷属の気分を害するような事をし続けた。あ、あとそのせいで無用な恥をかいた」
最後のおまけね。俺の自爆だけどね。あとね信仰の為とは言え遊びで女の子をおもちゃにするクソには反吐が出るんだむかっ腹だよこの害虫共め。何が言いたいのかって?
この祝福って、つまりこういう事なんでしょう?
「故に、汝らを我が主神の名の元に不敬と断じ、これより裁きを代行する」
さーて、反撃のお時間デース。