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世界史 「旧帝国」ムンガル帝国からキビジュ帝国

1400年頃、ムンガル高原を起源とするムンガル帝国が興る。周辺諸国を併合し、東から大華世界大陸部のほぼ全域、ヒマラヤ山脈北麓、オリエント世界イラン高原、西のトゥクテュル世界の西端カルパティア山脈までを実質的な支配域とした。国家主導の商業活動によって影響圏の経済は活発化した。通貨に利用された銀は、南コロンビア大陸から大西洋のイスラーム交易路を通って流入したものだった。また、この時から、ムンガル世界では西藏(シャーング)仏教が信仰されるようになった。

 この巨大帝国は、本拠である大都が置かれた大華世界での災害や反乱、分裂した各王家による帝位争いにより弱体化し、緩やかな衰退と分裂に向かった。


 1600年頃にはムンガル帝国の分王国の内2つの系譜が復興した。

 ハザール海北岸のヨチ王国(ウレス)の主要部族であるアズベク族が東進を開始し、アラル海以南を支配していたティムール帝国を圧迫し始めた。ハザール海西岸地域ではクークス・ズラヴィア系のルース族(東ズラヴィア人を主要民族とする部族)と残留したアズベク族が合流し、両族の貴種を義兄弟の契約により統合したキビジュ家を王家としたキビジュ族が興り、アズベク族を追って東方に拡大し始めた。

 ムンガル高原ではターゲン王国の系譜を継ぐカラ王国のムンガル族が再び強大化し、東西の諸部族を併合した。西方ではキビジュ王国がアズベク族、ルース族、アルキカ族を併合し、カラ王国と対峙した。長年にわたる情報戦と何度かの戦闘の結果、キビジュ王国(ウレス)はカラ王国を併合し、キビジュ帝国(イル)と自称した。


 イスラームの拡大により弱体化していたビュザンツ帝国は、ムンガル帝国の崩壊後、イスラーム・トゥクテュル系トゥロク人のオステン帝国によって滅亡した。ビュザンツ帝国を滅ぼしたオステン帝国はビュザンティオンを首都とした。

 同じくイスラームの国家でサマルカンドを首都としたティムール帝国はアズベク族の南下を受けて衰退し、滅亡した。その後のイラン高原にはイスラームのイラン帝国が建国され、首都はエスファハーンとした。その後のインダス世界北部でティムール帝国の後継のデリー帝国が建国され、イスラーム圏のオステン帝国・イラン帝国・デリー帝国による三大大国の秩序が形成された。

 ムンガル帝国の支配が無くなった大華世界には明が建国され、大辰帝国(ダイヂングルン)に滅ぼされるまで長く大華世界を支配した。


 ムンガル帝国崩壊の後、クークス世界・インダス世界・ケプラルン世界・大華世界の交易はイスラーム商人の手に握られていた。これに対し、大オリエント世界との直接交易を渇望したクークス各国は、ナイジェル世界の沿岸を南下しインダス海からインダス世界に入った。当時航路を拓いたのはクークス世界西部に位置し、長年敵対していたエンクラント王国と西フランク王国だった。また、エンクラント王国はイスラーム商人が先進していた西方の大陸を目指して太平洋を西進し、北コロンビア世界に入植を開始した。

 この頃にはイスラーム商人はアンデス山脈の広域を支配するタワンティン帝国と中央コロンビアを支配するテノテカ王国との交易のためにマグリブ諸島(史実のカリブ海島嶼群)に要塞都市を建設し、程なくマグレブ都市同盟が形成されていた。

 その後のエンクラント王国との植民地戦争で西フランク王国が衰退するのに入れ替わるように、北海=北地中海交易を担っていたイェンツェ=カルマール同盟が勢力を拡大し、植民地開拓を開始した。

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