第三章 19話 「にぶちん」
19話です。
にぶちん。
鈍感な人の呼び方。
特に人の気持ちや場の空気の読めない人を指す言葉。
いつも読んでくれてありがとうございます。
m(_ _)m
『幸せ~。』
倫子はうっとりした顔でテーブルの上を眺めた。
今日の倫子はは朝から天国であった。
テーブルにはいつもの美味しそうな朝食の他に、大きなプリンが眩しく光り輝いている。
朝からプリンを食べるのは、倫子にとって人生初の出来事なのだから、テンションが上がらないほうがおかしい。
さらに今日のメニューが、倫子の好きなチキンとほうれん草のキッシュというのもポイントが高い。
乙女座の夕食は和食が多いが朝食はパンが多いので、パン好きの倫子にとってはそれはとても幸せな事だ。
しかも乙女座の朝食メニューは豊富で、スクランブルエッグやピザトーストの時もあれば、コーンフレークやオートミールの時もあるのでちっとも飽きがこない。
前にも書いたが倫子の実家は和食中心の食事である。
そんな倫子が一日の中で唯一、パンを食べられるのが昼食であった。
倫子は中高校生時代、毎日登校途中に馴染みのパン屋さんに行き、昼食代から牛乳代以外を最大限に注ぎ込んで、菓子パンやおかずパンを買っていたので、パンの詰まった紙袋を抱えながら登校する倫子を、後ろから幼なじみの亜美ちゃんが追いかけてくるのは毎日の恒例行事であった。
「昨日のプリンリンはすごかったね~。」
いただきますの後、サトミンはフォークを手にしながら言った。
「プリンリンはすごかったのだ。」
未祐もそう言ってフォークに手を伸ばす。
「まさにプリンの鬼、プリンリンね!」
真奈美が真剣な顔で言うのが面白い。
「リンちゃんはプリンが大好きなのね。」
真由もそう言って笑った。
「ナイスガッツ!プリンリンちゃん!」
桜子まで言い始めた。
『あかん…。あかんでぇ…。これはしばらくイジられるでぇ…。』
倫子はそう思うと隣に座る真美を見ると、真美は下を向いて肩を震わせながら笑いを堪えていた。
『むむむ。』
倫子は口をへの字に曲げたが
「はい。プリン大好きです!」
そう言って笑うとフォークを手にキッシュへと襲いかかったが、キッシュからすれば大変迷惑な話だろう。
キッシュからすれば、どうせ食べられるのならばもっと嬉しそうに食べて欲しいに決まっている。
キッシュは親の仇ではないのだ。
素敵な朝食を終え、大学に向かった倫子と真美がキャンパスを歩いていると反対側から健斗が歩いてきた。
健斗の周りには3人の女の子達がまとわりつき、キャッキャと楽しそうに話をしている。
「今度どこかに連れていってくださいよぉ~。」
一人の女の子が甘い声で健斗に言った。
「ずる~い!私も私も!美味しい物が食べたーい!」
すぐさま別の女の子が言う。
「私は映画がいいなぁ~。」
もう一人の女の子も続く。
「ははははは。そんなお金ない。」
健斗は感情のない声で言った。
「お金なんて自分で出しますよぉ。」
「ははははは。貧乏学生にそんな時間はない。」
「もう!いっつもそれなんだからぁ~。」
そんなやりとりをしながら健斗が歩いていると、前から真美と倫子が歩いてくるのが見えた。
健斗の顔色が一気に変わり、慌てて真美から視線をずらした。
『ん?』
倫子は不思議に思い、隣で歩く真美の顔を見ようとしたが、なぜか倫子の首は回らなかった。
『真美の顔を見てはいけませぬ。』
という天啓が突然倫子に降りたのだ。
まるで鶴の恩返しのようでもあるが、倫子は黙って天啓に従う事にした。
真美から何やら異様な圧を感じたからだ。
そのまま健斗達とすれ違った真美と倫子は、しばらく歩き続けていたが、前を行く真美が突然立ち止まった。
「見たでしょ?あれが健斗の本性よ!」
真美は言葉に怒りを湛えながら言った。
『本性?』
倫子には真美の言う事が理解出来なかった。
「周りに女の子達をはべらしてさ。まるでプレイボーイ気取りでしょ?リンもあんなのに引っかかっちゃダメよ!」
「そ、そうかな?」
倫子はしどろもどろだ。
「明らかにそうでしょ?」
「なんか健斗さんは迷惑そうだったような…。」
倫子は思いきって思った事を口にしてみた。
「あんなのポーズよポーズ。心の中ではデレデレしてるのよ。」
真美はイライラしているようだ。
「そうかなぁ。」
倫子は再び思いきって食い下がってみた。
「昔っからああなのよ。誰彼無しにいい顔しちゃってさ!あの子達もあんな男のどこがいいんだか!」
真美はかなりご立腹のようだ。
『そうなんかなぁ…。』
にぶちんの倫子には訳がわからなくなってきた。
昼休み。
食堂でお弁当を食べ終えた倫子と真美が話をしていると
「ちょっとお化粧直し。」
と言って真美が席を立った。
「いってらっしゃい。」
倫子が真美を見送った後にタブレットを操作していると、慌てて健斗がやって来て倫子の前の席に座った。
「健斗さん!」
倫子は驚いた。
「リンちゃんごめん。ちょっといいかな。」
健斗は焦っている。
「どうかしたんですか?」
「真美のやつは怒ってた?」
「ははははは…。」
倫子は気まずそうに笑った。
「なんで真美が怒ってるかわかんないかな?」
「え?」
「真美が高校生になってから、ずっとあの調子なんだよ…。」
健斗は思いつめた顔で言った。
「え!3年も怒ってるんですか!なにがあったんですか?」
「それがさぁ…。さっぱり理由がわかんねーんだよ…。」
「わからないんですか?」
「真美が高校に入学した途端こうなったんだよ…。だからさリンちゃん。理由がわかったら教えてくれないかな。」
健斗は沈痛な面持ちで言った。
「健斗さんはマミちゃんの事が好きなんですか?」
倫子はストライクゾーンど真ん中に、ストレートの豪速球を投げた。
球は速いが、打てば必ずホームランになるコースである。
「い、いや、そうじゃなくてその…り、理由が知りたいんだよ理由が。誰だって訳がわからないのに嫌われてるのは嫌だろう?」
健斗は絶好球を見逃した。
このヘタレめが!
「わかりました。理由がわかったら教えますね。」
倫子は笑顔で答えた。
「わかったらでいいから!面倒かけてごめんなリンちゃん。必ずこのお礼はするから。」
健斗はそう言うと倫子に手を合わせた。
健斗よ。倫子に頼むのはいいが、頼む相手は倫子でいいのか?
にぶちん二人になにが出来るか考えてみるがいい。
「なーんのお礼なのかしら?」
突然後ろから聞き慣れた声がして、健斗はおそるおそる振り返る。
そこには腕を組み、眉間に皺を寄せた真美が立っていた。
「ま、真美…さん?」
健斗の声は上ずっている。
「あんた。リンにまで手を出すつもり?」
真美の声は冷たい。
冷たいからこそ威圧感がすごい。
「違う!そんなんじゃない!誤解だ!」
健斗はあたふたとしながら弁解したが、真美に聞く耳があるかどうかは別の話だ。
「じゃあ、なんのお礼なのかしら?」
キッとした目つきで、健斗を睨みつけながら真美は言った。
「き、京都の事でちょっと知りたい事があって聞いてたんだよ。な、なぁ?リンちゃん?」
健斗は倫子を見ながら言った。
「そ、そうそう!そうなんどすえ。」
倫子は顔を引きつらせながら答えた。
「ふーん。そうなんだぁ。」
真美は健斗をじろりと睨みながら言った。
「そ、それじゃあリンちゃん。よろしく頼むよ。」
健斗はそう言うとそそくさと席を立ち、慌てて食堂から出て行った。
「で、リンは健斗に何を頼まれたの?」
真美に気圧され、焦った倫子はあらぬ事を口走ってしまった。
「お、美味しい鯖寿司のお店のリストが欲しいんだって…。」
「美味しい鯖寿司?」
そう言って真美は不思議そうに首を傾げた。
『健斗って鯖寿司が好きだったっけ?全然知らなかったわ…。』
ささいな勘違いから、状況は悪化します。




