第一章 3話「アオバシティの女神様」
3話です。
「岡田屋さん。お探しの娘さんは見つかりました?」
不意に若い女性の綺麗な声が、倫子の背後から聞こえた。
倫子が声のする方を見ると、そこには腰までありそうな長く美しい黒髪を後ろで束ねた、綺麗な瞳のお姉さんが立っていた。
幼稚園の制服を着て黄色い帽子を被った、可愛らしい女の子の手を引いている。
女の子はアゴにかかる帽子のゴムがかゆいのだろうか。
右手でしきりとゴムを触っているのだが、その仕草がまた可愛い。
「桜子さんおおきに。今見つかったとこなんですわ。」
将太おじちゃんは嬉しそうに答えた。
「それはよかったですね。お怪我のほうはありませんか?」
桜子は倫子にやさしく声をかけた。
「ありがとうございます…。大丈夫です…。」
倫子は弱々しく答えた。
「あなたが神楽坂倫子さんね。お話は岡田屋さんから伺っております。今回はとんだ災難でしたね。」
桜子の優しい言葉を受け、倫子は泣きたくなった。
みるみるうちに倫子の瞳に涙が溜まっていく。
一気に天国から地獄に落とされたのたがら無理も無い。
いきなり地面より長い紐で、バンジージャンプをさせられたような気分だ。
「こんな所でお話もなんですし、うちの店に来られませんか?」
桜子がそう言うと将太おじちゃんが
「そやそや。これからの話もあるさかい、お店にお邪魔させてもらおう。な?そうしよ。」
と言って、倫子をゆっくりと立ち上がらせた。
「はい…。」
将太おじちゃんに支えられ、倫子は力なく立ち上がる。
「まさみちゃんもお店に行きましょうか?そろそろおやつの時間ですものね。」
桜子が女の子に話かけると、女の子は笑顔で頷いた。
4人が向かった先は大きな商店街の一角にある、5階建ての大きなビルの1階店舗だった。
看板には「熱血ビル」と書かれている。
店の入口にかかった藍色の大きな暖簾には、まっ赤に燃える炎のような文字で「熱血屋」と書かれており、その左横に白文字の縦書きで小さく「コスプレ食堂」と書かれている。
『コスプレ食堂?』
倫子は首を傾げた。
4人が店に入ると「いらっしゃいませー!」と言う、若くて元気な女性の声が聞こえてきた。
アイドルみたいな格好をした女の子がローラーブレードで床を蹴りながらやって来くると、桜子の顔を見るなり笑顔で言った。
「桜子さんおかえりなさーい。」
「ただいまアイちゃん。個室はまだ使えないわね。奥の座敷は空いてるかしら?」
「はーい。ご案内しますね~。」
4人はアイちゃんと呼ばれた店員さんに案内され、店の奥に進んだ。
コスプレ食堂と言うだけあって、忙しなく動き回る店員達はみんな様々なコスプレをしている。
倫子が店内の様子を伺いながら歩いていると、二つの事に気が付いた。
まず一つは店の広さだ。
店は1階全てが店舗になっているようで、かなり大きなホールになっている。
店の奥に大きな厨房らしきスペースがあり、その前は長いカウンター席になっているようだ。
壁沿いにはボックス席と座敷が並び、あとはホールにテーブルがたくさん並んでいるのだが、これが少し変わっている。
普通のテーブル以外にも一枚板の大きなテーブルもあれば、中華料理のくるくる回る円卓もあり、焼き肉用のロースターのついたテーブルや、鉄板焼き用のテーブル、鍋用のテーブルもある。
統一感がまるでないのだが、不思議な事に違和感がない。
もう一つは客の顔ぶれである。
店内には実に様々な国の人が集まっているが、チャイナ服を着た人が中華の円卓を囲んでいると思えば、頭にターバンを巻いた人がカウンターに座り手づかみでカレーを食べている。
かと思えばこれでもかと髭を伸ばした男の人達が、倫子がよく知らないものを食べている。
共通していることは一つ。
全部美味しそうな匂いがしている事だ。
京都で生まれ育った倫子からすれば、外国人の集団を見かける事は珍しくもない。
お手伝いで店に出た時は、外国人のお客さんを相手に英語で話をすることも多かった。
それにしても倫子は、これほど様々な外国人を見たのは初めてだ。
ボックス席にいたもえぎ色の法被を着た、かなり個性的なファッションの5人組が何かを熱く語り合っているのも気になると言えば気になるが、倫子が一番気になったのは
『なんでお昼の3時に、こんなにぎょうさんご飯を食べてる人がいるんやろ?変わったな仕事でもしてはるんかな?』ということだった。
そんな事を思いながら店の奥へと進んでいく途中、倫子は一番奥の壁際のテーブル席に座る客を見て思わずギョッとした。
二人組の白人男性なのだが気力の気の字も感じない。
無気力な顔でテーブルの上を見つめながら、2人並んで座っているのだ。
それだけならまだいいのだが、二人とも上半身裸でズボンも履いていないどころか、靴すら履いていないようだ。
通路側に座る男は口髭を生やし、胸毛がモジャモジャとジャングルのように生い茂っている。
よーく見ればパンツは履いているようで安心した。
『なんやろう?追い剥ぎにでも遭わはったんやろか?なんやこの世の終わりみたいな顔してはるなぁ…。不幸なんは私だけとちゃうんやなぁ…。何があったんか知らんけど、外人さん達も頑張ってな。私も頑張るし。』
倫子は見知らぬ2人の外人に心からエールを送った。
しかし今の時代に追い剥ぎなどいるのだろうか?
アイちゃんに店の奥の座敷へと案内された4人は、靴を脱いでから座布団の上に座った。
倫子が奥に座り、右隣に将太おじさん。
倫子の前には桜子。
その隣にはまさみちゃんが座っている。
アイちゃんが仕事に戻ろうとした時
「あ、アイちゃん。いちごパフェ4つお願い出来るかしら?」
桜子がアイちゃんに言った。
「かしこまりましたー!」
アイちゃんは笑顔で返事をすると座敷を後にした。
「いちごパフェ~。」
まさみちゃんが嬉しそうに桜子さんに言った。
桜子はまさみちゃんに向かってにっこりと笑うと、将太おじちゃんに話を切り出した。
「岡田屋さん神楽坂さん。今回は災難でしたね。」
「店のほうは何とかなりますねんけど、それよりみたらし団子のタレが無くなったのが痛いですわ~。継ぎ足し継ぎ足しでやってましたさかい、また1から仕込み直しですわ。」
将太おじちゃんはそう言ってため息をついた。
「あらあら。岡田屋さんのみたらし団子が食べられなくなるのは困まるわねぇ。」
桜子は本当に困ったという顔をしている。
「それより倫子ちゃんの方が大変ですわ。もうすぐ大学の入学式やのに、住むとこもバイト先も無くなりましたさかい…。」
「荷物も…。(私の夢と希望が詰まった荷物…。)」
倫子はボソッと呟いた。
「僕が若い頃に倫子ちゃんのお母さんの所で修行させて貰ってましてね。曲がりなりにも僕が一人立ち出来たんは倫子ちゃんのお家のおかげですさかい力になりたいんですけど、まさかうちもこんなことになるとは…。」
将太おじちゃんはそう言うと、しかめっ面で腕を組んだ。
「神楽坂さんは接客業の経験はあるかしら?」
桜子がやさしく尋ねてきた。
「実家のお店で少し…。」
不安げな上目遣いで倫子が答える。
「コスプレに抵抗はある?」
「コ、コスプレですか?」
そう言って倫子は考え込んでしまった。
正直、ファッションには興味がありコスプレにも興味がない訳ではない。
それどころか実は大いに興味がある。
とはいえ、きわどい格好はさすがに…。
「コスプレと言ってもそんなにおかしなやつじゃないのよ?クマやパンダの着ぐるみでもいいの。」
桜子にそう言われて、倫子は即答した。
「怪しくないのなら大丈夫です。」
「それじゃあ倫子さん。うちでアルバイトしない?」
桜子が思いがけない提案を出した。
「え?いいんですか?」
倫子の顔がパッと明るくなった。
「もちろん。そうしてもらえると熱血屋としても助かるのよ。ただし熱血屋の仕事はちょっとキツいかもよ?」
桜子が悪戯っぽく笑う。
「なんでもします!働かせてください!」
鼻息も荒く倫子は答えた。
「それじゃあ決まりね。もちろんご両親と相談してからになるけど、うちで働く意思があると言う事でいいかしら?」
「でも私…住む所が…。」
倫子はそう言ってうなだれた。
さすがに将太おじちゃんの家に転がりこむわけにはいかないし、ヘタをすれば将太おじちゃんの家も無くなったのかもしれない。
「このビルの上に女子寮があるのよ。アルバイトをしてくれるのならそこに入れるの。ちなみに三食賄い付きよ。」
「アルバイトします!なんでもします!お願いします!」
倫子は前のめりになって返事をした。
一分の隙もない見事な即答だった。
将太おじちゃんは一瞬ぽかんと口を開けたが、すぐに気を取り直し桜子に言った。
「ええんですか桜子さん?僕としても熱血屋さんやったら安心してお願い出来るんですけど…。」
申し訳なさそうだが、どこか嬉しそうな声だ。
「うちとしては大助かりですよ。」
桜子は微笑みながら将太おじちゃんに言った。
「桜子さんはこのお店のオーナーさんなんですか?」
倫子が不思議そうに尋ねた。
「ただの社員よ。社長からアルバイト採用を任されているのよ。何しろとってもお忙しい方だから…。」
「そうなんですか…。」
「一通りの家具は揃っているからすぐに住めるわよ。後で案内するわね。」
「あ!あたしの荷物…。」
瓦礫と化した荷物を思い出し、倫子は頭を垂れてへこんだ。
「大丈夫よ。荷物のほうは青葉市が弁償してくれるし、青葉シティロード商店街からもお見舞い金が出るの。」
「本当ですか!」
桜子の言葉を聞き、倫子は慌てて頭を上げた。
「青葉島には『青葉島特別行政法』っていう法律があってね。多少時間はかかるけど、弁償してくれるから心配しないで。」
「特別行政法…ですか?」
聞き慣れない言葉に倫子は頭をひねった。
「一般にはあまり知られていないけど、青葉島は『特別産業推進地区』になっているの。それに伴って『青葉島特別行政法』という法律が施行されているのよ。」
桜子からの説明を聞き、倫子はなんとなーくわかる気もしたが細かい事はちんぷんかんぷんだ。
「細かい説明は時間的に無理だけれど、この街に住めば少しずつ理解していくと思うわ。寮に住んでいる先輩達が詳しいから、わからない事があったら私や彼女達に聞いてね。」
「はい。」
「桜子さんはみんなから『アオバシティの女神』と呼ばれてるくらいこの街に詳しいんやで?僕もここに住み始めた頃からずっとお世話になってるねん。そやから安心して。」
将太おじちゃんは自慢げに話をしたが、何が自慢なのかはわからない。
「最初のうちは戸惑うかも知れないけれど、だんだんと慣れてくるわ。住めば都って言うでしょう?」
桜子は微笑みながらそう言った。
『桜子さんは笑顔が素敵で、よう気が回らはる魅力的な女性やなぁ。アオバシティの女神…。桜子さんにぴったりのネーミングやわ…。』
桜子の眩しい笑顔を見て倫子はそう思った。
どこまで、この勢いが続くか心配。