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史的な夜話

作者: 戸倉谷一活

私:あのぉ。

友:はいはい。

私:六月の話なんやけどね、雑誌を読んどったんですよ。

友:あぁ、はいはい。

私:そしたらさ、弥助、アニメ化!みたいな記事があったんですよ。

友:それだけやったら、なんのこっちゃかわからんやんか。

私:弥助って知ってる?

友:だから、どこの弥助さんやねん。

私:あの、あれや、織田信長の家臣の弥助さん。

友:あぁ、アフリカ出身の弥助さんやな。

私:その人その人。

友:あの弥助さんが、アニメになったんかいな。

私:記事に寄るとな、Netflix言う処で観れるらしいねん。

友:あんた、アニメ好きやから、観たんかいな。

私:観よかいな思てんけど、史実とはかけ離れてさ、呪術師が出てきたり、超能力者が出てきたりするらしいから、やめたんや。

友:そないな理由でやめたんかいな。

私:観るんやったら、大河ドラマみたいに、史実に沿って欲しいよ。

友:そないなもんかね。

私:そやけどさ、わし、弥助さんってアフリカ出身言うくらいしか知らんやったけど、雑誌の記事に寄るとやけど、東アフリカの出身らしいな。

友:へぇ~

私:一五五〇年代に生まれて、幼い頃に誘拐されて、売られたらしいな。

友:そうなんや。

私:そいで、いつの頃かわからんけど、武術の訓練を受けたらしいて、宣教師の護衛になって、一九七九年に日本へ来たらしい。

友:その、頼むから、雑誌の記事読みながら話すん、どうにかならんか?

私:いかんか?

友:別にかまへんけどな。

私:そいで、一五八一年に織田信長さんに会うて、気に入られて、家臣になったんやって。

友:一五八一年言うたら、天正九年、本能寺の変の前の年やな。確かその年の二月やったか三月やったか、信長は弥助に会うてさ、肌が黒いのは、上からなんか塗っとるんちゃうけ言うて、疑うて、肌を洗わせてんけど、黒いままやって、感心して宣教師に頼み込んで自分の家臣に加えたんやな。

私:そう言えば、弥助さんって、日本語でけたんかいな。

友:出来るから、信長の家臣になったんやろ。

私:そやけどさ、宣教師の護衛やん。言い方悪いやもしれへんけど、宣教師と意思の疎通がでけたらええんやろ。わざわざ日本語覚える必要あるけ?

友:そない言うけどさ、例えば在日米軍の兵隊さんたち居るやん。

私:いきなり在日米軍が出てくるんかいな。

友:在日米軍の兵隊さんたちは、基地の中に居ったら日本語覚える必要無いやん。

私:まぁ、そうとも言えるよね。

友:でも、日本語覚えて、飲み歩いたり、女の子口説いたり、日本人の友達作ったりするやん。

私:飲み歩いて、その中で日本語覚えて、女の子口説くって言うのが正しい順番やと思うけど・・・

友:まぁ、なんでもええけど、弥助も少しぐらいは日本語、学んだんちゃうけ。

私:夜中に教会抜け出して、飲み歩いたんやろか?

友:四百年も前やで。夜中に呑み屋とか開いてるけ?

私:ぃゃ、知らんよ。

友:それにな、それこそ体格も違う、肌の色も違う、そないな人がいきなり夜中に歩いとってみぃな。それこそ警察沙汰やで。

私:四百年前に警察はないと思うけど・・・

友:教会に日本人の信者が来て、弥助に日本語を教えると言うこともあったやろうな。

私:あぁ、それはあるやろうな。

友:でも、弥助さんと信長さんが身振り手振りで意思の疎通を図っとったら、それはそれで面白いやろうな。

私:それはあんまし考えとうないな。

友:そないか?

私:だってな、信長さんが焼き鳥食べたい言うて、身振り手振りで表現してやで、弥助さんが猿の丸焼きとか持って来たら困るやん。

友:そないな発想しとるあんたの方がよっぽど困るんやけど・・・

私:あかんか?

友:せめて猿や無うて、鹿とか猪とか持って来れへんかったか?

私:猿はあかんか?

友:孫悟空に怒られるで。

私:あぁ、そぉ・・・

友:冗談やけどな。

私:それはそうと、本能寺の変の後、弥助さんはどこへ行ったんやろうな。

友:確か、信忠が泊まっとった妙覚寺へ駆け付けて、そこで奮戦したけど、光秀に捕まって、宣教師の所へ返されたって言うところまでは記録が残っとるんやけど、その後はわからへんねんな。

私:どこでどないな余生を過ごしたんか、気になるよなぁ。

友:多分、宣教師の護衛に戻って、それで残りの人生、終わったんちゃうけ。

私:そないやろか?

友:ちゃうんけ?

私:そやかて、考えてみ。一年ちょいとは言え、信長の家臣になってやで、屋敷も与えられて、部下も持ったんやで。そないな人がやな、素直に宣教師の護衛に戻れるか?

友:ほな、どないすんねん。

私:教会飛び出してやな、元の部下なんかと一緒に面白おかしい暮らすとか、どないや?

友:無いとは言えへんけど、それこそ、漫画や小説の世界やで・・・

私:護衛で人生終わったら、なんか可哀想やで。

友:それをここで言われても・・・

私:でも、人生の最期にさ、ベッドの上で、看病してくれるアフリカ出身の若者にさ、自分はかつて、日本という国で、信長という王に仕えたんや。部下も持ったし、家も貰たんや。弥助言う名前も貰たんや。一年ぐらいの時間やったけど、ほんま楽しかったなぁ。残念やったんは、その信長言う王は、部下の明智言う奴に襲われて、殺されたんや。わしは運が良かったんか、教会に返されたんや。

友:そないな会話が有ったかもしれへんよな。

私:2時間ぐらいのドラマには丁度ええ話や思わんけ?

友:いきなりドラマの話かぃっ!

私:でも、護衛で武術を身に付けとった言うけど、具体的にどないな武術やってんやろか?

友:武術って漢字で書くと、中国の拳法とか思い浮かべるけど、この場合、どないに解釈したらええねやろうな。

私:あんたもわからへんか。

友:こればっかしは専門書でも読まんことにはわからんやろ。

私:話戻すけど、弥助さんはどこで人生を送ったんやろうな。

友:確かな証拠は無いけどさ、1605年頃に描かれたという、相撲を描いた屏風にさ、黒い肌の人が描かれとるんやな。

私:ほぉ・・・

友:それが弥助かどうかはわからんし、なによりも黒い肌言うてもアフリカ出身者を描いてるんかどうか、それもわからんし、な。もしかすると肌荒れとか、そういう理由で肌が黒っぽく描かれたかもしれへんし、この人物は何とも言えへんよ。

私:そうなんや。

友:弥助以外でも、もしかしたら日本人に雇われたアフリカ出身の人が居たやもしれへんしな。

私:有り得るけ?

友:考えてみ、アフリカ出身の奴隷は弥助以外にもいっぱい居たわけやし、宣教師や商人の労働力としてたくさん日本に来てるはずやで。弥助の場合、偶然、信長と会うて興味持たれて、信長が宣教師の頼んで譲ってもろたわけやん。

私:うんうん。

友:同じように、宣教師に頼んだり、商人に商品と交換でアフリカ出身の奴隷を貰ってる、日本の大名とか商人が居たかもしれへんで。

私:あくまでもあんたの仮説やろ。

友:まぁ、そうやけど、無いとは言いきれへんやろ。

私:そう言えば、日本人も奴隷として、海外に売られとったとか、聞いたことあるけど、ほんまかいな。

友:倭寇、居ましたやん。

私:うんうん。

友:あの、倭寇は朝鮮半島とか、中国の沿岸地域で人を襲って、日本で奴隷として売っとったとか、そないな話もあるし、それこそ弥助なんかの時代、日本人が奴隷として売られたと言うんも事実やしな。日本人1億2000万人の遺伝子を厳密に調べたら、400年前に朝鮮半島から奴隷として連れてこられた人の子孫とか言う人も居るやもしれへんで。

私:そないなこと言われたら、わしかて調べたら、400年前に奴隷やった人の子孫かもしれへんわけやな。

友:日本も朝鮮も中国も、皆、顔立ちは似たようなもんやし、さすがに400年もあったら、気にもならんやろ。

私:そもそも先祖が奴隷や言われても、なんも思い浮かばへんで。

友:気にせんでええってことよ。

私:他に、屏風に描かれたとか、無いん?

友:ごく普通にヨーロッパ人の従者として描かれとる、アフリカ出身の人は居るけど、それだけなんやな。

私:そうなんや。

友:あと、屏風では無いんやけど、本能寺の変から2年後、九州で沖田畷の戦い、言うんがあるんやな。

私:沖田畷の戦い?

友:龍造寺さんに対して、有馬さん島津さんの連合軍が戦うんやな。そこに大砲の担当者としてカフル人とマラバル人が居たという話が残っとるんやな。

私:ん?

友:カフル人とマラバル人がわからへんやろ。

私:うんうん。

友:カフル言うんは、今のエジプト北部、地中海に面したところやな。

私:そいで、マラバルは?

友:マラバルはインドの南部、インド洋に面した土地やで。

私:ほな、肌の色も黒や無うて、うちら日本人に近うなるんやろうか。

友:イスラム教圏の人の肌の色って、何色って言うんか知らんけど、独特な色してはるよな。

私:やっぱし、宣教師の護衛で日本に来たんやろうか。

友:そこまでは知らんけど、有馬さんが大砲を2門持っとってんけど、誰も使いこなせへんけってんけど、このカフル人、マラバル人の2人で2門を上手く使ったって、記録に残っとるんやで。

私:そうなんやぁ。

友:まぁ、Wikipediaが無かったら、わしも知らんかってんけどな。

私:Wikipediaかいな。

友:まぁ、そない言わんと。でも、史料に残っていないだけで、弥助さん以外にも海外の人が、日本で活躍したんやないか、そない思うで。

私:そいで、そのさっきの大砲撃った、ナンタラ人とカンタラ人は奴隷やったんか?

友:そやから、それはわからへんよ。そもそもこの時代のエジプトやらインドやらには興味あらへんから何とも言えへんけどな。純粋な船乗りとか、砲手やったかもしれへんし、なんとも言えんよ。

私:そう言えば、エジプトとかインド言うたら、単純にイスラム教のイメージあるけど、どないなんやろ。

友:そやから、そないにややこしいこと聞き無いや。

私:あぁ、ごめんごめん。

友:なんの話からこない話になったんやか、さっぱりわからへんやん。

私:弥助さんの話から、事ここに至ったんやな。

友:結局、弥助さんはどこへ行ったんやか。

私:どこかで静かな余生やったらええけど。

友:そないはいかんやろうなぁ。

私:なんか、中途半端やけど、そろそろ寝るベ。

友:はいはい。お休みなさい。

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