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本屋で赤面症に関する本を見つけられることができなかったティーゼは、五年ぶりに再会したトーマスとともに本屋近くのカフェにいた。
「五年も経てばがらりと印象を変えるやつもいるっているのに、お前はちっとも変わらないな」
「そういうトーマスは変わったわね。一瞬誰だかわかんなかったわよ。なんというか……老けたわね」
「まだ二十三だっつーの。お前は二十歳になったんだから、何でもかんでも思ったことを口にするその癖は直せよな」
「失礼ね」
「どっちが」
丸いテーブルを挟んでじろりと睨み合う。
五年前と比べて大人っぽくなったと思ったのに、トーマスの中身はちっとも変わらない。ティーゼも大概だが、トーマスも少しは成長すればいいのに。
可愛いエプロンドレス姿の店員がトーマスとティーゼの前に注文したものを置いていく。トーマスはダージリンのファーストフラッシュで、ティーゼがチョコレートドリンクだ。トーマスがおごってくれると言うから、遠慮なくマシュマロと生クリームまでトッピングしてもらった。見るからに甘そうなドリンクに顔をしかめるトーマスの目の前で、たっぷり乗っている生クリームをスプーンですくって口に運ぶ。
「んーっ、おいしい! 贅沢! ああ幸せ!」
「天下の公爵夫人のくせしてチョコレートドリンクが贅沢って、どんだけ貧乏が染みついてんだか」
「うるさいわね。贅沢は敵なのよ、知らないの?」
「履いて捨てるほどの金持ちと結婚した癖に、まだそんなこと言ってるのか」
「誰と結婚しようと、これは不変の真理よ」
「お前ほんっと、貴族らしくない女だよなあ」
トーマスがやれやれと肩をすくめる。
(失礼しちゃうわね!)
むっとしたティーゼは、失礼なことばかり言う幼馴染を無視して生クリームと一緒にマシュマロを口の中に運んだ。ふにゃりと顔を緩めると、トーマスが苦笑する。
「ほんと安い女。で? 離婚したんじゃないなら、そんな地味な格好で本屋で何をしてたんだ?」
「仕事に使う本を探してたのよ」
「は? 仕事?」
「うん」
チョコレートドリンクの上に乗った生クリームをあらかた食べ終えたティーゼが、ストローでちゅーっとドリンクを吸い上げる。濃厚で甘くて、少しだけ苦みを感じるチョコレートドリンクにたまらなく癒される。チョコレートは神の食べ物だ。ああ、止まらない。
「ちょっと待て。仕事ってどういうことだ? 公爵夫人のお前が、どうして仕事なんてしてる? あれか? チャリティーか? 菓子か刺繍でもして教会に寄付するのか? 菓子はいいけど刺繍はやめとけよ? ハンカチが血で染まるぞ」
「染まらないわよ! いくつの時の話をしてるのよ! それに、チャリティーなんかじゃなくて正真正銘、仕事をしているのよ」
それからティーゼは左右にそっと視線を這わせて、声を落とした。
「大きな声で言えないけど、わたし、借金を返済して離婚することにしたの」
「ぶーっ!」
トーマスに口に含んでいた紅茶を噴き出されて、ぽたぽたと前髪から雫を垂らしたティーゼは、憮然とした。
「なにするのよ」
「それはこっちのセリフだ!」
怒鳴り返しながらも悪いと思ったのか、トーマスがハンカチを差し出した。
ティーゼが頬を膨らませて顔にかかった紅茶をぬぐっていると、トーマスがぐしゃりと前髪をかき上げてため息を吐く。
「お前、なんつー爆弾を落とすんだ」
「爆弾?」
「離婚だよ離婚! どういうことだよ。お前、幸せなんじゃなかったのか? なんたって、ノーティック公爵家だぞ? こう言っちゃなんだが、王子に嫁ぐより贅沢ができる家だぞ? 何が不満なんだ。お前、金大好きだろう!」
「お金は好きだけどその言い方なんか嫌だからやめて」
ティーゼは顔をぬぐい終わったハンカチを畳んでテーブルの上に置く。
不満ならばある。いくら贅沢ができても、夫の顔も知らない夫婦なんてありえない。それに、ティーゼは確かにお金は好きだが、贅沢が好きなわけではないのだ。借金に首が回らなくなって、守りたいものが守れないのが嫌なだけ。かろうじて邸は手元に残ったけれど、父から贈られた思い出の宝石やドレスをすべて売り払った母が泣いていたことを知っている。祖父から受け継いだ家宝を手放すことになった父が、夜中に祖父の肖像画に向かって何度も謝っていたことを知っている。領民が明日食べるものもないと絶望しているのを見たことがある。幼い子供が売りに出されようとする瞬間を見たことがある。世の中お金がすべてではないとわかっているけれど、お金がないから味わう絶望があることを、ティーゼは痛いほどよくわかっている。だからその最低限の幸せが守れるだけのお金がありさえすればいい。人の上に胡坐をかくような贅沢は望んでいない。
(別に贅沢なんてしなくていいから、結婚して、子供を産んで。小さくても幸せな家庭を手に入れる方が断然いいわ……)
顔も知らない夫を恨んでいるわけではない。恨むだけの情報がないから、恨みを抱くほどの感情もない。ただ、今のティーゼの生活は身の丈にあっていないのだ。何もせず、ただぼんやりと生きているだけでちやほやされる今の生活は、ティーゼには苦痛でしかない。
「とにかく、いろいろ考えて見たのよ。そうしたら、離婚するのが一番いいんだって気がついたの」
「お前、こう言っちゃなんだけど馬鹿なんだから、誰かに相談してもう一度考えなおしたした方がいいと思うぞ」
ティーゼは賢い方ではないが、堂々と馬鹿呼ばわりしないでほしい。本当に本当に失礼な幼馴染である。ティーゼだってたくさん考えて至った結論だったのに。けれども離婚したい理由が「夫が帰ってこないから」とは、公爵家の名誉のためにもさすがに言えず、ティーゼはぶすっと頬を膨らませた。
「トーマスこそ、いい加減結婚したらどうなの。まだ独身なんでしょ? そのうち婚約者に愛想つかされても知らないから」
ふんっとそっぽを向いて言えば、トーマスが苦笑した。
「まあ、そのうちな」
何とも歯切れの悪い返事に、これはまだ結婚する予定はなさそうだと悟る。
トーマスはウェイトレスを捕まえて新しい紅茶を頼みながら、幼子に言い聞かせるように繰り返した。
「とにかく、考え直せよ? お前が考えてるほど、結婚も離婚も軽い問題じゃないんだからな」