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バターン! と勢いよく談話室の扉を開けたティーゼは、そのまま目を丸くした。
「あら、お父様。何をしているの?」
「な、な、な、何をしているのじゃない! お前は二十歳にもなって落ち着きのない……! ああっ、うちの娘が重ね重ね申し訳ございません!」
ティーゼの父、アリスト伯爵が顔面蒼白になってぺこぺこと頭を下げるのは、これまた真っ青な顔をした、予想外の人物で、ティーゼはさらにきょとんとする。
「男爵様まで、どうしてここに?」
談話室には、アリスト伯爵とサーヴァン男爵、そして執事のマイアンの三名がいた。どこにもイアンらしき人物はいない。フィルマの嘘つき。
しかしアリスト伯爵は、ギョッとしたような顔をして、ティーゼに向かって怒鳴った。
「誰が男爵様だ! お前は、自分の夫に対して無礼がすぎる……!」
「はい?」
父こそ何を言っているのだろう。どこにティーゼの夫がいると言うのだ。ティーゼの夫が透明人間だったなんて話は聞いたことがない。
(は! もしかして透明人間だったから会えなかったの⁉ これが旦那様が言っていた理由⁉ それなら仕方ないわね、透明だったら見えないもの……なんて、そんなわけないわね)
では、ティーゼの夫とは誰だろう。
ティーゼはサーヴァン男爵とマイアンを見て、眉を寄せる。
「……え、まさか、実はマイアンが公爵様だったとか? でも公爵様って二十八歳でしょ? ……年齢詐称?」
「お前は何を言っているんだ⁉」
アリスト伯爵はとうとう頭を抱えて、その姿勢のまま何度もサーヴァン男爵に向かって頭を下げた。
「申し訳ございません、申し訳ございません! ひとえに、私どもの教育が……!」
けれども、サーヴァン男爵は真っ青な顔をしたまま凍りついたかのように微動だにしない。
どうしたのだろうかと首をひねっていると、マイアンが額に手を当てて、大きく息を吐きだした。
「……旦那様、もういい加減、潮時です」
潮時ってなんだろう。
首をひねるティーゼの前で、サーヴァン男爵が両手で顔を覆って、うなだれるように下を向いた。
「……すまない、ティーゼ」
男爵の突然の謝罪にティーゼが驚いたのも束の間。
「私が、イアン・ノーティックだ」
ティーゼの思考を数分は停止させるだけの爆弾が、サーヴァン男爵の口から落とされた。
「なんですって―――――⁉」
ティーゼの絶叫が談話室内に響きわたった。
これが叫ばずにいられようか。
「どういうことですか⁉ 男爵様が公爵様⁉ わたしをからかって遊んでいたんですか⁉」
説明しろと食って掛かるも、サーヴァン男爵――もとい、イアンはうなだれたまま顔をあげない。
マイアンがかわりに、ティーゼが働きに行きたいと言っていたから、公爵夫人を外へ働かせに行くわけにもいかないので正体を隠したイアンが雇うことにしたと言ったが、そんな理由で納得できるはずがない。なぜなら五年も会おうとしなかった夫である。一度も会おうとしないくせに、正体を隠して妻を雇うとはどういうつもりなのだろうか。納得のいく説明をしてほしい。
怒りのあまりふるふる震えるも、父は父で「全部お前のせいだろう」と言ってくる。
「そもそもお前が働きに行きたいなどと言ったからこうなったんだろう!」
「だからってこれは納得いかないわ!」
「公爵様には公爵様の事情があるんだ! 私はお前が結婚するときに、すべてのことを飲みこむようにと言ったはずだが?」
「だからって、飲みこめるものと飲みこめないものがあるでしょう⁉」
確かに嫁ぐときに父は言った。公爵家にはいろいろ事情があるが、妻として嫁ぐのだから不満があってもすべて飲みこめと。だが、ティーゼはそんな聞き分けのいい性格はしていないし、いくらなんでも限度がある。
「男爵様が公爵様……。お父様もハーノルドも旦那様に会ったことがあるのにわたしだけ一度も会えなくて、会えたと思ったらこんな風に揶揄われて……これの怒りをいったいどうやって飲みこめばいいの⁉」
ティーゼが叫べば、アリスト伯爵がうぐっとバツの悪そうな顔で押し黙る。
イアンがそろそろと顔をあげて、「揶揄っていたつもりはない」と言ったが、その言葉のどこを信じればいいというのだ。
「……もういいわ」
悲しいのか悔しいのか、はたまたその両方なのかもわからない。ただただ沸々とした怒りだけがこみあげてきて、平静を保っている自信がない。
ティーゼはくるりと踵を返した。
「ティーゼ?」
イアンがティーゼの名を呼んで腰を浮かすも、ティーゼはそれには答えずにそのまま談話室を飛び出す。
ばたばたと玄関まで走って行けば、フィルマに呼び止められて足を止めた。
「奥様、どうなさいました?」
ティーゼはちらりとフィルマを振り返り、だが、イアンたちが追いかけてくる前に再び駆け出す。
今は誰とも口を聞きたくない。
ティーゼは勢いよく公爵家を飛び出すと、怒りのあまり溢れてきた涙をぬぐいながら、あてもなく走り出した。





