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「父上、義兄上と姉上の夫婦関係は大丈夫なんですか?」
「ぶはっ!」
夜。領地から二月ぶりに王都の邸へ戻ってきたアリスト伯爵の書斎に息子、ハーノルドがやってきて、唐突にそんなことを言い出した。
夕食後に領民からもらったラム酒をあけていたアリスト伯爵は、息子の唐突な問いに思い切りむせて、げほげほと咳を繰り返す。
最近では領地経営もかなり立て直していて、領民たちの生活も潤っている。アリスト伯爵の領地は温暖な気候なこともあり、ノーティック公爵に相談して新しく手掛けた事業――製酒業も軌道に乗った。ラム酒は伯爵も好きな酒で、こうして領民がその年にできた酒を献上してくれるので、貧乏性が染みついた妻に酒類の購入を禁止されている伯爵にとってはまったくありがたい事業である。いいことをはじめた。それもこれも、イアンのおかげだ。
ひとしきりむせた後、胸元をこんこんと拳で叩きながら顔を上げた。
「入ってくるなり唐突にどうしだんだ。……まあ、座りなさい」
伯爵は飲みかけのグラスを持って書斎机からソファに移動すると、ハーノルドに対面に座るように勧める。机の上においてある飴を進めると、ハーノルドは何とも渋い顔をした。飴を一つ手に取って、「父上も姉上もいったい僕が何歳だと……」とぶつぶつ言いながら、包み紙をあけている。
アリスト伯爵は気を取り直してグラスを傾けつつ、ハーノルドに訊ねた。
「それで、ティーゼと公爵の夫婦関係がなんだって? 大丈夫なのか、とはどういうことだ?」
「姉上が離婚したいと言い出しました」
「げふうっ!」
伯爵は再び盛大にむせて、今度は体を二つに折って咳き込んだ。
涙目になりながら咳を繰り返す父に、ハーノルドは立ち上がると、水差しからコップに水を入れて差し出した。
伯爵は咳が落ち着いたところでコップの水を一気に飲み干して、カッと目を見開いた。
「離婚ってどういうことだ!?」
「ですから、姉上が離婚したいそうです。姉上の言い分では、結婚して五年もたつのに義兄上に一度も会ったことがないそうですよ。どういうことですか? 父上なら理由を知っているんじゃないですか?」
「うぐう……」
「うぐう、じゃありません。どうなっているんですか、いったい。結婚式は、まあ、うちに持参金なんて出せませんでしたし、ウエディングドレスがもったいないとか姉上が騒いでいたので、式をしなかったのはまあ仕方がないとして……、会ったことがないというのはさすがに異常ですよ。夫婦でしょう?」
「こ、これには事情があるんだ……」
「事情?」
「男の沽券にかかわる事情なんだ。私の口からは言えない」
「はあ?」
ハーノルドは眉を寄せた。
「沽券だか何だか知りませんけどね、離婚とまで言い出してるですからそれどころじゃないでしょう。義兄上には逆立ちしたって返せないだけの恩がうちにはあるんですよ。双方合意の上でならまだしも、姉上一人が突っ走って離婚だ何だと騒ぎ立てれば、公爵家に泥を塗ることになるんです。事情を知ってるなら、沽券だ何だという前に、何とかしてくださいよ。姉上は一度言い出したら聞かないんですから」
「だ、だがなあ……」
「だがもへったくれもないですよ。一度も会っていないのは重大な問題だと思いますけど、少なくとも義兄上は姉上のことを大切にしているんでしょう? まあ、少々、姉上を野放し状態にしすぎているきらいはありますけど、公爵夫人が務めるだけの教養のない姉上を妻にしてなおかつ『なんでも自由にしていい』なんて言ってくれる奇特な男性がどこにいますか。うちとしても姉上としても、義兄上以上の嫁ぎ先なんて絶対にありませんからね。……ですから、姉上が抑えられないなら、せめて義兄上に姉上に会うように言ってくださいよ。事情を知っている父上なら説得できるでしょう?」
「……でも、私も同じ状態だったらテレサに会うのが怖いし……」
「母上が何ですって?」
「い、いや、なんでもない。わ、わかったからそう睨むな! 公爵に話をすればいいんだろう?」
伯爵は弱り顔で大きく息を吐き出して、グラスにラム酒を継ぎたした。飲まなくてはやってられない。娘が離婚を計画しているようだなとど、どうして言えよう。
(……だってなあ……、あれは、会いにくいよなあ)
公爵のあの症状を知っていて結婚を認めたのは何を書くそう、アリスト伯爵自身なのだ。公爵は最初は婚約だけにしておいて、結婚するのは公爵の症状が落ち着いてからにしようと言っていた。それを、借金を肩代わりしてくれた挙句に持参金もいらない、領地経営の相談にまで乗ってくれる公爵の気が変わらないうちにーーなぜならうちの娘はいろいろ性格に問題があるからーー、結婚させてしまったのは自分なのである。責任の一端ーーいや、大半は自分にある。
(……はあ。本当に離婚になったらどうしよう……)
胃の当たりがキリキリしてきた。
伯爵は勢いよく酒をあおると、もう一度大きなため息を吐きだした。





