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サーヴァン男爵家に侍女のフィルマが慌ててやって来たのは、それから二日後のことだった。
「奥様、ハーノルド様が公爵家へいらしています」
「え? なんで?」
急いでいるからと応接間にも入らず、玄関先で用件を告げたフィルマに、ティーゼはきょとんとして首をひねる。
フィルマは額に手を当てて、大きく息を吐き出した。
「なんで? ではございません。奥様が妙な手紙を書いたのではないですか? ハーノルド様は『姉上から意味のわからない手紙が届いた!』とおっしゃっていましたよ。今すぐにあわせろとおっしゃるので、外出中と言って待っていただいています。急いで公爵家へお戻りくださいませ」
普段手紙など書かないくせに、いったい何を書いたんだとフィルマがじろりと睨んでくる。
(妙なって、妙なことなんて何も書かなかったけど……は! わたしだけノーゼン先生に飴をもらったから怒ってるのね!)
大変だ。三つもらった飴のうちの、一つはまだ残っているから、それを持って今すぐにハーノルドの機嫌をなだめなくては。
ティーゼは執事のポールにサーヴァン男爵が帰宅するまでには戻ると告げて、部屋に戻って飴を掴むと、フィルマに急き立てられるようにして公爵家の馬車に乗り込む。
「ハーノルド、ちゃんとあなたの飴もあるわよ!」
ノーティック公爵家へ戻るなりそう叫んでサロンに飛び込めば、一つ年下の弟は、怪訝そうに眉を寄せた。
「……何の話をしているですか、姉上」
久しぶりに会うハーノルドは、すっかり大人の顔になっていた。昔は女の子のように長かった淡い金髪も短くなっている。綺麗なラピスラズリ色の瞳は変わらないが、昔のように頼りなさそうな光はない。父について領地経営を学んでいるというから、伯爵家を継ぐ自覚が生まれたのだろう。
「え? わたし一人が飴を食べたから怒ってるんでしょ? はい。一つしかないけど、許してくれる?」
飴の包みを渡すと、ハーノルドはコロンと手のひらに乗った飴に視線を落として、大きなため息をつく。
「姉上、僕はもう、小さな子供ではないんですが」
「知ってるわよ。だってあなた、もう十九歳だもの」
「……年齢の話ではなく」
ハーノルドは「まあ、姉上がくださったので」と言いながら飴を口の中に入れて、懐から淡いピンク色の封筒を取り出した。
「今日はこの手紙についてお伺いしに来たんです」
「だから、飴でしょ?」
「飴はもう忘れてください」
埒が明かないと首を振って、ハーノルドはメイドがティーセットを用意して応接間から去ると、封筒から手紙を取り出した。
「僕が訊きたいのはここです。なんの冗談ですか。この『離婚することにしました』って。僕しか読んでいないからいいものの、母上が読んだら卒倒しますよ」
「え? 冗談じゃないわよ」
「……わかりました、姉上。まず。いったい何がどうなっているのか、詳細を教えて頂けないでしょうか?」
「詳細って言われても……、書いたままなんだけど」
「義兄上はお仕事ですか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「よく知らないの」
「…………姉上は、きちんと公爵夫人をやれているんですか?」
ハーノルドはものすごく不安そうな顔になった。
「どういうこと?」
「女主人として、公爵家を管理できているのですかと言っているんです。夫の行動もわからないなんて、どういうことですか。そもそも、なんですか、その野暮ったいドレスは。どこに行っていたのかは知りませんが、天下のノーティック公爵の妻がそんな恰好をしていては、ひいては義父兄が笑われることになるとわかっているんですか? 姉上は昔から考えが足らないところがありますが、その姿を見る限り、姉上が公爵家でうまくやれているとは思えません。離婚すると言い出した経緯について、事細かにすべてお話ください」
穏やかで優しかった弟が厳しい顔で言うから、ティーゼは少しひるんでしまった。じろりと睨みつけてくるハーノルドは、説明しないことには許してくれそうにない。
ティーゼはあきらめて、公爵家から今までの生活を振り返りながら、どうして離婚しようと思ったのかについて、ハーノルドに語ることにした。
「つまり、義兄上が一度も家に帰ってこなくて、姉上は公爵家の贅沢な暮らしが苦手で、これ以上結婚生活を続けるのは無理そうだから、義兄上が立て替えてくれた我が家の借金を返済して離婚しようと思った、ということでいいんですね?」
「うん、そう」
ティーゼが大きく頷くと、ハーノルドは頭痛をこらえるような顔をしてこめかみを押さえた。
「もう、何から突っ込んでいいやら……、ええっと、ひとまず。義兄上が帰ってこないというのはおいておきましょう。義兄上が何を考えているのかは僕にはわかりませんからね」
ハーノルドはそう前置きをして、気分を落ち着けるように紅茶を一口飲むと、幼子に言い聞かせるような口調で言った。
「いいですか、姉上。貧乏だった我が伯爵家で育った姉上が、公爵家の生活に戸惑う気持ちはわかります。姉上が贅沢が苦手なことも知っています。でもですよ? 姉上。あなたはここに嫁いで何年になりますか? 新婚の時ならいざ知らず、五年も公爵家ですごしておいて、まだそんなことを言っているんですか? 全部は無理でも、少しくらい公爵家の生活に慣れようとしましたか? 贅沢と言いますが、それぞれの家にはそれぞれの家のルールがあります。高貴な家柄であれば、世間に軽んじられないだけの世間体というものを保たなくてはなりません。少なくともノーティック公爵家は、姉上の貧乏持論を展開して好き勝手していい家柄ではないんですよ」
「……それは、わかってるけど」
「わかっていません。どうせ姉上のことだから口で言い負かして好きにしてきたのかもしれませんが、それをやって困るのは公爵です。家に帰ってこないと文句を言う前に。自分の行動を振り返ってみてはいかがですか。少なくとも、僕が知る義兄上は、話のわからない方ではありません。どうしても納得がいかないところがあるのならば……会えないのならば手紙でも書いて、自分の考えをお伝えしたらいかがですか。ちなみに、帰ってこないのが不満なら『帰ってこい』と手紙でも伝言でもすればよかったでしょうに。……だんだん、話していて情けなくなってきましたよ、僕は」
嫁いだばかりならいざ知らず、いい年をして何をしているんだとハーノルドが額を押さえる。
ティーゼは首をひねった。
「ハーノルド、あなた、旦那様と面識があるの?」
「何を当たり前のことを言っているんですか。アリスト伯爵家の借金を立て替えてくださったのち、領地経営の相談にも乗ってくださっている義兄上ですよ。父上とともに何度もお会いしたことがあります」
ティーゼはショックを受けた。ティーゼは顔すら知らないのに、弟はイアンに何度も会っているらしい。ちょっぴり裏切られたような気になるのはどうしてだろう。
「ともかく、どうしても離婚したいというのならば無理に止めやしませんけど、まずはいろいろなことに向き合ってみてから考えたらいかがですか。義兄上は悪い方ではありませんよ。本当にもう、二人ともいい年して……」
ハーノルドはぶつぶつ文句を言うけれど、ティーゼにはそれどころではなかった。
(ハーノルドが会ったことがあるのに、わたしだけ会ったことがないなんて……これって、不公平じゃない?)
ここまでくれば、どうしてイアンが頑なにティーゼに会おうとしないのか、その理由が知りたくなってくる。
(離婚はするけど……その前に、問い詰めてやりたくなってきたわ)
伯爵家の借金を肩代わりしてくれたことは感謝している。ハーノルドによると、領地経営の相談にまでのってくれているそうだ。だが、それとこれとは話が別なのである。一応妻の立場であるティーゼには、夫を問い詰める権利がある……はずだ。
(紙がもったいないとか言ってる場合じゃないわ! 今すぐ手紙を書かないと!)
ぶつぶつと小言を言うハーノルドの目の前で、ティーゼはぐっと拳を握り締めた。





