12
お気に入り登録、評価ありがとうございます!
「男爵様、手をつなぎましょう」
夜。
ダイニングで夕食後のお茶を飲んでいた時にティーゼが唐突にそんなことを言ったものだから、サーヴァン男爵は勢いよく口の中の紅茶をテーブルの上に吹き出した。
「な、な、な……!」
真っ赤な顔がさらに真っ赤になっている。
手をつなぐと言っただけでどうしてそんなに狼狽えるのだろうと首をひねりながらも、ティーゼはサーヴァン男爵の隣に移動して、ぎゅっとその手を握り締めた。
赤面症をなおすには、とにかく「慣れる」しかないらしい。ティーゼが雇われたのは一か月だけ。こうなればなりふりなんて構っていられない。
「次のお休みの日はいつですか? よかったらどこかに出かけましょう。それから、今日から『おやすみなさい』と『おはようございます』のハグも追加です」
「…………」
サーヴァン男爵は真っ赤な顔のまま硬直した。つないだ手がものすごく汗ばんでいる。頭のてっぺんから湯気が出そうだ。ちょっとかわいそうになって来たが、ティーゼは心を鬼にして、じっと男爵の顔を見つめる。
「あとは……ええっと。そう! 『あーん』って食事を食べさせあいましょう。それがいいです」
医師は「夫婦」間でどうにかしろと言った。残念ながらティーゼとサーヴァン男爵は夫婦ではないが、夫婦でしそうなことを片っ端から試していけば近い状況にはなるだろう。
(あと、夫婦って何をするのかしら? 結婚したけど夫婦生活なんて一度も経験したことがないし……、あ! マッサージとか?)
名案を思い付いたとばかりにティーゼは立ち上がり、さっとサーヴァン男爵の背後に回る。男爵は騎士団の団長だ。剣を振り回せばきっと肩がこるだろう。
「肩をおもみしますね」
「…………」
話しかけるも反応がないので、ティーゼは構わずサーヴァン男爵の肩をもみ始める。もっと鉄板のような肩を想像したのだが、意外とそれほど固くはなかった。もちろん、柔らかくもないが、それほど肩は凝っていないようだ。そんなことよりも、まるで石像になったかのように微動だにしない男爵の様子の方が気になる。
「気持ちいいですか?」
「…………」
せっせと肩をもみながら訊ねるも、やはり反応がない。
だがやめろとも言われないので、駄目ではないはずだ。無反応のサーヴァン男爵の様子に首をひねりつつ肩をもみ続けていると、二人の様子を戸惑った顔で見ていた執事のポールが、見かねたように口を開いた。
「その……ノーティック夫人。大変申し上げにくいのですが……、旦那様はどうやら、気を失っているようです」
「え!?」
ポールの指摘に慌てて手を止めて顔を覗き込めば、サーヴァン男爵は真っ赤な顔のまま目を見開いて、意識を失っていた。
☆
もんだのは肩だし、ティーゼの力ではサーヴァン男爵を気絶させるほどの威力はないはずなのに、体調が悪かったのだろうか?
ポールがあとは自分が対応すると言うから、ティーゼは自室に上がって、暇つぶしに手紙を書くことにした。宛先は弟である。手紙など紙がもったいないので滅多に書かないが、部屋にレターセットが用意されていたので、せっかくだから使ってみることにしたのだ。
(明らかに女の人が使うレターセットよね。ピンクだし、花の透かしが入っていて可愛いし……もしかしたら本当に、サーヴァン男爵は以前結婚されていたのかしら?)
赤面症を発症することになったのがその結婚――という可能性も捨てきれない。結婚相手にひどい扱いをされたとかで女性不審に陥り、それがきっかけで……ということはないだろうか。
(ってあるわけないわね)
どうやら自分は探偵には向いていないようだ。次の仕事を考えるときは、探偵だけは候補からはずしておこう。
ティーゼはライティングデスクに座ると、羽ペンに少量のインクをつけた。
「ええっと、親愛なる弟、ハーノルドへ。お元気ですか、わたしは元気です。今日、久しぶりにノーゼン先生のところに行きました。懐かしい飴を三つももらったんですよ。飴を舐めていたら、あなたも先生からもらう飴が好きだったなと懐かしくなって、こうして手紙を書くことにしました……と」
そこまで書いて、ぴたりとペンが止まる。手紙などめったに書かないから、何を書いていいのかがわからない。
(ここはやっぱり近況報告が無難なのかしら?)
ティーゼは再びペンにインクをつける。
「お姉ちゃん、離婚することにしました。詳しくは言えませんが、旦那様への借金を返済するべく頑張っています。ちょっとくらい、お父様たちにも援助を頼むかもしれません。でも、できるだけお姉ちゃん、頑張るからね。無事に離婚したら、また一緒に暮らしましょう」
せっせとペンを走らせてどうにか一枚の便せんを埋めると、ティーゼはペンをおいた。とりとめもないことばかり書いたけれど、自分にしては上出来だろう。
インクが渇いたところで封筒に入れて封をすると、明日の朝にでもメイドに頼んで出してきてもらうことにする。
手紙を書き終えて満足したティーゼは、夜着に着替えると、ベッドにもぐりこんだ。
(今日の夜は男爵様が気絶しちゃってハグできなかったから、明日の朝はちゃんとハグしないとね)
スキンシップを増やして、早く赤面症を治してもらうのだ。
ここに侍女のフィルマがいたら、あきれ顔で「物事はそう単純ではないですよ」とでも言っただろうが、残念ながらここにはティーゼに苦言を呈する人間は一人もいない。ティーゼは顔も知らない旦那様に三下り半を突きつけるその瞬間を想像して、すっきりとした気持ちで眠りについた。





