9/ 身嗜みにはお気を付けを
黒獣が地に横たわると、カーラも軽業師めいた身軽さで着地する。
変わらず笑みが貼り付く端正な顔。好奇の微熱も醒めたのか、その瞳も平常の無色に戻っている。
その晴天の秋晴れが照らし出す仄暗い華やぎに、キュオンはしばし言葉を忘れて見とれていた。
「ああ、これでひとまず安心か。さて、味はいかがなものかな」
「いや待て。流石にそいつは喰えんだろう……」
「まだそんなこと考えてたんスかアンタ……」
感慨も何もかも台無しにするような微妙な空気が流れる。
横たわる黒獣は重量にして約五トンにも達し、その様はまるで石器時代のマンモスさながらだ。
しかし黒獣は腐肉を含む肉食動物であり、その肉は非常に硬く臭い。
大きさもあって解体するのは非常に困難を極め、余程困窮していなければまず食べようとは思わないだろう。
「いやー、ハイエナだって食べる地域はあったみたいだから……探求者の端くれとして新しい経験はしておかないと」
「はあ、まあお前の好きにすればよかろうよ。牙や皮、脂は使えるからそれぐらいは手伝ってやる」
「こんだけあれば結構な服が作れそうっスからね。……それはともかく、都市の連中も来たみたいっスね。まあ増援来る前に終わっちまったっスけど」
要請を聞きつけた都市の兵士達が後方で何やら騒いでいる。
流石にこの規模の獣が人家近くにまで現れるとは予想していなかったのだろう。むしろキュオン達が敵を追うあまり集落から離れすぎたのかもしれないが。
「そうと決まれば解体だね。ちょいと大変だから人手がないと」
「そうだな。後は報酬の交渉もやらねばならん。日が暮れる前に終わらせるぞ」
「あーやっぱおれもやる流れですよね……」
物珍しさに釣られた野次馬が続々と集まってくる。
この地域においてもこれほどの巨獣には馴染みがないのか、皆興味深そうに作業を眺めている。
キュオンが命じると、傭兵団が続々と道具を持って作業を始める。このような珍しい動物の皮や骨で作った品物は、高級品として珍重される傾向にある。金になる話には目がないのが商人の性だ。それが戦争屋であったとしても。
村の被害など知ったことではない傭兵達は和気藹々に喋りながら作業を続ける。その中で、一際見慣れない出で立ちをしたカーラがあれこれ尋ねられるのは当然と言えよう。
「この毛皮硬いけどいい生地になりそうだね。一着上着作りたいから私におくれよ」
「これだけの大戦果だ、その程度ならくれてやる。それよりもその恰好、お前はどこの部族なんだ?」
戦闘の熱狂で半ば忘れられていたが、彼女は今外套一枚と巻脚絆を除いては何も身に纏っていない。
キュオンも上半身は毛皮一枚だが、流石に女の身でそれだけというのは、辺境の古い部族の出身である彼の目線からも奇異に映った。熱帯の部族であれば彼女の生きた二十一世紀においても珍しくはないのだが、あいにくここは寒冷な地域である。
「あー、これはそこら辺から持ってきただけだよ。服の大きさが合わなくてね。文字通り裸一貫ってことさ。キミらも傭兵だろう、事情は訊かない方がいい」
「ええ……やっぱ正装じゃないんスねそれ……。取り敢えず何か着た方がいいんじゃないんスか? 団長、連れていきますけど大丈夫っスか?」
「構わん、後で改めて紹介してもらうとしよう。今後の扱いについても決めねばなるまい」
「うっス。じゃ、皆さん頑張ってくださいね。今回もお疲れ様っス」
キュオンはともかくエクオスは目のやり場に困るのか、足早にカーラを連れて拠点に去っていく。
しかし大の男が裸も同然の女を連れ歩くという構図は、襲撃騒ぎや黒獣どころではない目立ち振りだ。それも臆病者として有名な彼がである。加えて都市の兵士や野次馬の前で。
当然あれこれと妙な噂が立つこととなり、後に彼はこの行動を心の底から後悔することになったのであった。