6/ 犬と言われど
「|از ناخدا محافظت کن《隊長を守れ》!」
傭兵団の思わぬ反撃に怯んだ略奪者達は、動揺しながらも踵を返し、颯爽と後退していく。
「逃がすな! 漏れなく屠殺してやれ! 隊長は俺が捕らえる!」
無数に投げ付けられる礫の雨に対し略奪者達は特技の後方射撃で牽制し、瞬く間に距離を開けていく。歩兵達ではそれを追うことは困難だ。
当然それをむざむざ許すはずもなく、キュオンは矢を捌きながら疾駆する。
それを見越した相手は、少しでも阻もうと壁を作って隊長を覆う。
利があれば喰らい付き、ないと判断すれば迅速に引き返すのが遊牧民の生活の知恵である。それゆえ彼らは奇襲と同時に撤退の達人であり、その対応の柔軟さと判断の速さは農耕民には容易に真似できない特質だ。
されど、それは傭兵にもそのまま当てはまる性質と言えよう。
なればこそ、傭兵団はこの機を決して逃さない。
遊牧民は都市周辺の村を荒らしまわる厄介者であり、高い機動力によって都市の部隊が応援に来る頃には姿を消してしまう。だからこそ対処が難しく、村落に外部の傭兵を配備するしかない。そのためその有力者には賞金が掛けられており、傭兵のモチベーション向上に繋がっている。
──そんな甘美な餌を、猟犬たるキュオンが見逃すことは道理に合わない。
「邪魔だぁぁぁぁぁぁ!」
藪を切り開くように敵を叩き落としていくキュオンは、先頭を走る隊長のみ視野に入れ、獣そのものの気迫で接近する。
そうは言えど彼の駆る馬は駿馬とはいえ元は敵のもの。この場においては平均的な速度では等速で撤退する敵に追いつくことなどできず、一方的な射撃を受けることを余儀なくされている。
この追撃に来る敵に対し、背後に向けて馬上から射撃する戦法はパルティアンショットと呼ばれ、数や武装で劣る遊牧民が多数を相手取る為に用いる常套戦法だ。馬に慣れぬ農耕民では真似られないこの術理があるからこそ、奇襲戦における彼らの優位性が担保されていると言っても過言ではない。
奇しくも血気に逸るがあまり、キュオンは自ら死地を作り出してしまった。
「ちっ、流石に逃げ足は速いか……!」
「تو احمقی!」
歯噛みしながらも、彼は嘲笑を絶やさない。
百戦錬磨にして数え切れぬ修羅場を踏破してきた彼は、死中にこそ活を拾う男である。
その鍛え上げられた心眼は第六感のように機能し、わずかに残された逆転の機会を引き寄せる手札を持ち主に与える。
そして彼はそれを可能にする実力を持ち、加えて一人で戦っているのでもない。
この死地から栄光を掴み取るため、犬と言われど畜生と言われど彼──否、《《彼ら》》はあらゆる手段を躊躇なく用いるのだ。
「──団長! すいません遅れたッス!」
「……応援だ。手筈は整った」
「キュオン、ワタシも手伝う」
「おおエクオス! ムルミッロにナフィーサも一緒か! これはいい!」
ひたすら自陣に向かっている遊牧民の一団とこのまま泥仕合を続けていれば、やがて逃げ込まれてしまうだろう。そうすれば危機に瀕するのは彼自身となる。
それを察したのか、エクオスはキュオンが下馬した後、指揮官の捕縛と反撃に足る人材を連れて来ていたのだ。
エクオスの傍らに同乗している人物の名は半魚人。紅いクレストが着いた魚の頭めいたフルフェイスヘルムに、長方形の銅板と右腕だけの鎖帷子を身に着け、手には漁師が用いるような三又槍と網が握られている。
そしてナフィーサ。敵と同じく遊牧民の出身である彼女は、馬術と騎射を特技とする熟練の弓騎兵だ。
不足していた足と腕。これだけ揃えばもはや結果は明白だ。
犬も狼もその本領は個にあらず。力で虎や獅子に叶わずとも、時に鴉と組めど、その真価は群れにおいてのみ発揮されるのだから。
◇ ◇ ◇
「──なんてとろいヤツら」
略奪者達と同じく遊牧民らしい恰好した騎兵──ナフィーサは馬をジグザグに走らせながら、百発百中の精度で敵を次々射貫いていく。
加えて戦車に乗るムルミッロも搭載された槍を遠投し、首領を護衛する兵を着々と減らしていく。
もはや首領を護衛する者は五人しか残っていないが、彼ら略奪者の拠点が遠くに姿を覗かせるほど近づいている。
捕らえるというのなら、もう時間はあとわずかだ。
「……見えた、そこだな」
「今だ! 投げろ!」
キュオンが号令すると間髪置かず、兜に覆われた眼を光らせながらムルミッロが前方を走る首領目掛けて網を投擲する。
蜘蛛の巣さながらに展開した投網は、獲物を狩る隼のように降下して首領の身体を包み込む。それをムルミッロが全力で引くと同時に、彼は盛大に馬から引きずり降ろされ、これまた派手に地面を転げ回る。
「……かかったぞ 止めろ」
「うっス! 流石全戦全勝の剣闘士っスね!」
それを瞬時に確認したエクオスは戦車を止める。眼前で打ち上げられた魚さながらにもがく首領に対し、ムルミッロは網の端を三又槍で縫い留め、網の中に閉じ込める。その洗練された寸分の無駄もない、それでいて力強い一連の動作はまさに熟練の漁師のものであった。
それに周囲の護衛達は遅れて戻ってくる。しかし。
「ははは、遅すぎたな木っ端共!」
湾刀を振り抜き踊り掛かる五人の騎兵。それらをすれ違いざまにキュオンは槍で串刺しにしていく。連続で三本刺しを達成した彼はさらに止まることなく、四人目に三人が刺さった槍を投げ付けて転げ落とし、高速の抜刀で最後の一人を惨殺する。
「Geahhhh! 死ねぃ!」
落馬して骨折した四人目に対し、瘦せ犬じみた狂猛さでキュオンは襲い掛かる。喉笛から動脈までを鋸を引くように乱暴に切り裂き、噴水のような返り血を顔に浴びる。犬の牙を連ねた首飾りにもその飛沫は飛び散り、まるで人食い犬のような有様だ。
しかしまだ最後の仕上げが残っている。
「おい、大人しくしろ駄馬が! さすれば命だけは助かるかもしれんぞ!」
キュオンは網の中でもがく首領の胸倉を掴み、鍛え上げられた剛腕で鼻面を加減して殴りつける。
ここで下手に殺してしまっては元も子もない。そう判断してのことであった。実際狂犬そのものである彼だが、やはり腐っても猟犬なのか、その程度の理性は持ち合わせていたようだ。
喚く首領が声も上げられなくなる程度に痛めつけてから強引に縄で手足を縛り、戦車の空きに荷を積むように乱雑に放り込む。
「よおし! よくやったなお前ら! 今回も完璧な出来栄えだぞ!」
無垢な子供のように哄笑を上げるキュオン。
これで今回の仕事は完全な形で成功した。
首領から奪取した馬に跨り、それぞれの足で集落に戻ろうとする四人。
──しかし。
戦いはまだ終わってはいない。
彼らの仕事は都市周辺の村落の護衛。
であるのなら、それに迫る脅威であれば何であれ排除しなければならないのだ。
では、その脅威とは何だろうか?
──一際大きな、汽車の排気音を拡大したような轟音が鼓膜を揺らす。
四人はたまらず振り返る。
秋晴れの空が大きな影を作り出し、唐突に四人の姿が日光から遮られる。
──それはまるで、影絵がそのまま動き出したかのようで。
それの姿を認識した瞬間、四人は再び武器を構えた。
どうやら彼らの纏う死の臭いは、さらに厄介な事態を呼び寄せてしまったようだ。