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3/ 油を注ぐ


「──そう、なんだ」


 エゼキエルの告白は、情動の希薄な彼女をも少なからず驚嘆させる、まさしく驚天動地というものであった。

 

「ええ、そうですね。聡明な貴女なら早々に理解していただけるでしょうが、それまでの経緯を説明した方がいいでしょう」


 滔々と語るエゼキエル。

 その面持ちは、先の焦燥よりも諦観の念の強い呆れ顔そのものだ。


「あれは二十二世紀の中頃からでしたか……。まず、二十一世紀の中頃から懸念されていた気候変動、人口爆発に伴う食糧問題は、何ら有効な手を打つことなく放置されていました。そして世界は人口を養えるだけの生産能力を失い、途上国での飢饉と共に悪疫が各国に拡散されたのです。そうして拡大した混乱は内戦を引き起こし、結果として人口崩壊を発生させました。ええそうです、中華王朝の末期さながらですね。そうして、世界は最悪な方向に突き進みました。お察しの通り、昔ながらのSFでお馴染みの全面核戦争です。世界は汚れ、破壊ばかりが残りました」


 なんとまあ、安っぽい展開ばかりが続くもので。

 どうやら予想は裏切らず、期待を裏切るのが人間の性だったようだ。

 SFというものはどれだけ荒唐無稽なことを描こうとも、最終的に提示される問題は現時点で懸念され得る想像力の範疇にあるものでしかない。何十年も昔から想定されていたというのに、結局惰性を引きずったまま漠然と現状を維持していられると思った結果がこれだ。

 逆風の中にいるのならば、走り続けなければその場にはいられないというのに。


「……私、ここにいてよかったのかもね」

「実に。まあ今度こそは教会も運がなかったようです。連中のソドムさながらの滅び振りと言えば、それはもう……それだけは、人類の唯一の英断といえる行いでしょう」


 エゼキエルは心底愉快とばかりに嗤う。

 二人はもう二千年近く付き合いがあるというのに、彼女の記憶にはこのような生き生きとした笑みを浮かべる彼はどこにもいなかった。

 それが可笑しいのか、彼女もまたクスクスと口元を吊り上げて笑った。


「おっとこれは失敬。話はここからですよ。これはただ表層で起きた些細な現象に過ぎません。本質はもっと深層にある、より致命的な崩壊です。『賢人会議』のことはよく覚えているでしょう」


 ──『賢人会議』。


 忘却の海から生まれて以来、幾度も刷り込まれてきたその単語を掘り起こす。

 その歴史は古く、かつて青銅器文明を終焉に追いやった『紀元前十二世紀のカタストロフ』の時期に遡る。

 当時のインド・ヨーロッパ諸国の魔術師を筆頭とする賢者達が設立した、現存する最古にして最大の魔術結社。戦乱で破壊された蔵書の保存、散逸した知識の収集と修復に努める、まさしく人類が誇る叡智の集合体だ。

 ──それもまた、表層に過ぎないのだが。


「今回ばかりは流石に私も見事出し抜かれました。彼らは世界文明が再び崩壊を迎えると読み、ある試みを実行に移しました。──貴女が眠りに就いていることを利用して。いや、もしかするとその為に貴女が捨て置かれていたのかも……」


 エゼキエルの語りはどうにも要点の掴みにくい、神秘主義者らしい婉曲な語り口だ。そのため多くの者は次第に置いてけぼりにされてしまう。

 これだけの情報量では彼女とていまいち論旨をつかめず、その視線は空間をあちこち彷徨っている。


 ──とはいえ、彼女とてそんな男と長すぎる交友を持っていたのだ。彼女自身の気性も相まって急かすようなことはせず、急いでいる割に長々と喋り続ける彼に辛抱強く付き合っている。


「つまり……世界は存在論的段階から解体されてしまったのですよ。世界を一つの情報体として構成する情報が外部から圧縮され、根こそぎ持ち去られてしまった。コンピューターから情報を綺麗さっぱり抜きとってハードディスクを空にしてしまうように。空間と空間の狭間にあるこの部屋は無事でしたが、外はご覧の有様です」


 エゼキエルが入口を開くと、なんとそこには底なしの無明が口を広げていた。

 ぽっかりと空いた深みの淵。ブラックホールにも似たそれは、際限のない虚無そのものを体現しているかのようだ。


「貴女にとっては世界など最早どうでもよいことでしょうが、私にとってはそうではないのです。──この通りです。どうか、貴女にこの未曾有の事態の解決を願い出たいのです」


 いつもにも増して深々と頭を下げるエゼキエル。

 平常の余裕を見せてはいるものの、その姿には万策尽きたと言わんばかりの疲れが滲み出ている。

 この二千年、殆ど見せたことのない友人の弱々しい姿に流石の彼女も思うところがあったのか、深く思案して黙り込んでいた。


「どうか、了承していただきたいのです。──情けない話ではありますが、私も何とか彼らへの助力を拒んできたので、どこにも帰る所がなく、そうする訳にもいかないのです。神の名に誓って、貴女を(たばか)るようなことは致しません。我々の長い友情の(よしみ)で、私の依頼を受けてください。これは天上天下──いや主を除いては貴女にしかできないことなのです」


 ……義理や友情を盾にした頼み事ほど胡散臭いことはないと当然彼女は識っている。ついでに外見も凄まじく胡散臭い。口調も表情も、その全てが怪しすぎる。……さらに前言撤回じみた発言も飛び出ている。


 が──しかし。


 時間にして二十世紀にも渡る生涯を思い返してみても、彼は流れるように小馬鹿にすることはあっても悪意を以って他者を欺いたことは決してなかった。

 彼自身の宗教者としての敬虔な信条がそうさせているのだろうが、信頼こそが社会において至上の価値を有すると知悉しているからだろう。貨幣も、()いては社会自体がそうして成立しているように。


 ──それに。


 来るもの拒まずというのが彼女の基本的な価値観だ。

 それも行き場のない旧友。ここで追い返そうとしたところで、肝心の追放先も消えてなくなってしまっている。

 当てつけのように放置して二度寝してやろうかと考えついたが、そうしたとしてもまた寝起きそうそうその胡散臭い髭面を拝むことになるのがオチというもの。


 まあ、あれこれ考えてはみたものの。

 結局のところ彼女はどこまでいっても願望器(どうぐ)としての在り方からは逃れられないのだ。

 排中律において否定という選択が用意されていないのならば、残りは肯定するか選択を行わないというだけ。

 故に。


「わかった。受けてみるよ。一応可能な範囲でね。まったく魔術師のクセにタダで依頼なんて。キミの面の皮はどのくらいの厚さなんだろうね。旧約聖書(タルムード)に友人をタダでこき使っていいなんて書いてたかなあ」


 痛いところを突かれたのか、彼は面目ないという風に項垂れている。

 まあ、そんな珍しい光景が見られただけよしとしようと彼女は一人納得する。

 

「まずは心よりの感謝を、最良の隣人よ。では早速取り掛かっていただきます。詳細な原理は追って説明しますので」

「あー、時間ないんだっけ。それじゃ始めよう。……で、何すればいいの?」

「とても簡単な手順です。もう一度眠っていただければ結構です。それさえ可能なら、後は貴女が自動的に接続してしまえるので」


 何やらとんでもなく厄介な仕事を追わせられた予感がしたが、引き受けてしまったことは仕方がない。

 彼女は再び毛布を被り、微睡みに入り込む。


「──それでは、よい悪夢(ゆめ)を。油を注がれし者(メシア)よ」


 とても不穏な言葉が、最後に聞こえた。

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