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ランベールさんはわたしの要求をのんだ。質問に答えてくれたのだ。
「ここは、どこですか」
「〈東大陸〉の分割川、西側の支流です」
音が頭のなかで漢字に変換される。さっき、国名らしきものを聴いた時もそうだった。
でも、これでは答えになっていない。わたしは質問をかえようとしたが、ランベールさんは気が利くひとだった。「もし、世界のことについてお訊ねでしたら、なんとも答えかねます。世界は我ら人間にとって、ただの世界でしかない。聖女さまのいらした世界は、魔法世界、もしくは単に〈遠く〉と呼ばれます」
魔法がある世界のひとが、魔法のない世界を、魔法世界、と呼ぶ?
多分、想定問答集のようなものがあるのかな。聖女はかならずこういう質問をする、と云う、まとめ。ランベールさんがわたしの気持ちが解ったみたいに云ったから。
「聖女さまはすべての魔法文字を理解し、使用できます。聖女さまでなくとも、聖女さまと同じ世界からいらしたかたは、普通よりも魔法をつかえる。ですから、魔法世界と」
「……そうですか。じゃあ。……わたしが聖女だという、証拠は?」
「ご冗談を」
ランベールさんが笑った。皮肉っぽく。でも、わたしは云う。
「表4の魔法文字は理解できません」
それは事実だったから、口は滑らかに動いた。聖女でないならそれでいい。もとの世界へ戻してほしい。
ランベールさんは表情を険しくした。けれど、一分くらいして、穏やかに云う。
「表4は絶対に必要なものではない。聖女さまか否かの判定は、その部分に重きを置きません」
「……では、どの部分に?」
「自覚がないとは信じがたい」ランベールさんは思わず云ってしまったようで、ちょっとばつが悪そうにした。「失礼……あめのさまは魔力に好かれている。それがなによりの証です。宮廷魔導士にさえあのような者はない。あめのさまの〈器〉が並外れている証左です」
うつわ?
ランベールさんは淀みなく、原稿を読み上げるみたいに、すらすら説明してくれた。
「魔法をつかえる者は世界にあふれる魔力をためこむ〈器〉を持っています。それはひとによって、どんぐりの帽子程度だったり、魚を塩漬けにするつぼ程だったりする。現実にある器なら、火事の時に役立つのは後者でしょう。水をたっぷり掬ってかけることができる。もっとも、火事は魔法で消すのがてっとりばやいのだが……それと同じように、〈器〉の大きな者のつかう魔法は威力が大きい。とにかく、魔法をつかえる者には〈器〉というものがあるのです。なければ魔法をつかえない。〈器〉のなかから魔力が減れば、自然と周囲の魔力をひきよせ、そこへためこむ。現実ならば、つぼよりもどんぐりの帽子を水でいっぱいにするほうが容易い。しかし〈器〉はそうではありません。世界に偏在する魔力は、より大きな〈器〉を埋めることを求めているらしい。〈器〉の大きさに天と地ほどの差があっても、いっぱいになるまでの時間はほとんどかわらない。呼吸でとりこむことを意識すれば多少は速度が上がりますが……〈器〉が大きい聖女は招聘直後、異界から渡ってきた為にからに近くなった〈器〉を、周囲の魔力をとりこむことで埋めます。目に見える程に凝った魔力が、あなたがその場に居たり、通ると跡形もなく消えた。それが、あなたが聖女である証です」
わたしは口を半開きにして聴いていた。じゃあ……あの霧は、魔力ってこと、かしら。慥かにあらわれてはすぐに消えていた。
ランベールさんは溜め息を吐く。「ディシッレの云う通りだ。聖女さまは魔法などないかのように振る舞う……」
それから、訊いたのは、もとの世界へ戻れるか。答えは否。
別の世界からこちらへ招聘されたひとは、神さまがこちらへなじむようにつくりかえる。こちらの世界用の体では、もとの世界へ戻れない、らしい。阿竹くんの髪や、日塚さんの目は、その所為なのかしら。
その後、日付を訊いて、後悔した。三月の七週目と返ってきたから。
曜日は五つで、星の日、森の日、金属の日、風の日、空白の日。それで一週間。ひと月は九週間。一年は十三ヶ月。つまり、585日。
ランベールさんの歳をおそるおそる訊いてみると、満19歳だそう。見た目と年齢にさほどの開きは感じない。ということは、……わたしはこの世界だと、まわりよりはやく歳をとるのか。
「どうかなさいましたか」
「あ……いえ……もとの世界では、一年は、少し短くて……わたし、はやくに歳をとっちゃうなって……」
下らないことを云って、また溜め息を吐かれるかな、と思ったが、ランベールさんは淡々としている。
「大きな〈器〉を持ち、すべての魔法文字をつかえる聖女さまに、かような心配は不要かと。三千年前の聖女さまは、体を若返らせて長く生き、世の為に尽力されたと聴いています」
体を若返らせる?
それって……ああ、そうか。タァム。増量、栄えろ、修復しろ、補え、みたいな意味の魔法文字だ。
かさついた両手が目にはいった。手・を・修復せよ。口のなかで、ティエレ・ビイ・タァム、と云う。ティエレは体という意味だが、体には手が含まれている。
効果はあらわれた。荒い写真を鮮明にするみたいに、肌が滑らかになっていく。するすると、まるで、魔法……いえ、本当に魔法なのだった。
三十秒くらいで、わたしは滑らかで柔らかい肌の、爪がつやつやした、少女らしい手をとり戻した。冗談か、変な夢か、どちらだろう。
「めずらしいことですが、救世の御子さまの時がある」
ランベールさんが、両手をしげしげと見詰めるわたしへ云った。わたしはランベールさんへ目を向ける。
「ある時の御子さまは、今のわたしの倍くらいの年齢だったそうです。魔法のつかいかたを聴いてまっさきに、ご自分の頭へ手を遣って、タァム、と」
思わずふふっと笑うと、ランベールさんの表情が少し、和らいだ。