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なにもない。なにも。誰も居ない。本もテレビもない。電話も。ケータイは鞄のなかだ。あの鞄はどこで落としたのだろう。それに、四人の外見の変化。阿竹くんのあの言葉。
どうしてわたしみたいな女子を選んだのか謎だが、阿竹くんはこの間わたしに、付き合ってほしいと云ってきた。好きだと。わたしは、阿竹くんのとりまきの女子達がこわくて、内証ならと、そんな偉そうな条件をつけて承諾して……でも阿竹くんが暴露した。日塚さんや、月宮さんや、如月さんに。それで、わたしはどうなるの? 無視される?
「……クイ・ビイ・メット」
氷・を・あらわせ。
上へ向けた掌へ、丁度ほしいくらいの氷が形成された。わたしはそれを口へ含み、がりがりと嚙み砕く。咽の渇きが癒えると、今度は浴室へ行った。気分がひたすらに悪かった。用足しをして、魔法で出した水で流し、気付くと吐いていた。いやなことばかり。
洗面台で顔を洗った。戸棚には清潔でふわふわのタオルが沢山。ありがたく、一枚つかった。
かさついた手のひび割れに、糸がひっかかる。皮膚のほうが弱くて、皮がめくれ、血がにじんだ。姉が入院してからこっち、わたしは家事を担っている。
かさついて、ひび割れて、血がにじんだ手。どんな洗剤やせっけんでも、洗濯や食器洗い、掃除の回数が多ければ結局は手が荒れる。ややこしいなやみでこれ以上両親を煩わせたくもないから、誰にもなにも云っていない。
みんな、姉のことだけで手一杯だ。病棟から出られず、介助する母やわたしに当たり散らす姉。病人がいらついたり当たり散らすのは仕方のないことだ。当人は病気と闘っていて、まわりに配慮する余裕なんてないし、なくていいとわたしは思っている。我慢してストレスを溜めて、病状を悪化させるくらいなら、コップくらい投げて気を紛らしてくれたほうがこちらも嬉しい。なんにせよ、プラスチックのコップは軽く投げた程度では壊れない。母もわたしも、家族に多少罵られてもなんともない。病気が治るのなら我慢できる。
でも……毎日病院へきがえを持っていって、汚れものをひきとって、それを洗って干して、雨の日にはコインランドリーへ持っていって乾燥機にかけて、次の日渡せるようにパッキングして、食事の用意と片付けをして疲れて眠って、その繰り返しは、堪えていた。手が荒れ、眠りが浅くなり、よなかに電話の幻聴で飛び起きる。姉の容態が悪くなっていないか、泣きながら病棟へ電話して、母に折り返し電話をかけてもらう……。
姉との約束を破ってしまったことに愕然とした。ほしがっていたものを持っていってあげたかった。
がっちゃんと音がして我に返る。扉が開いた。
ランベールさんが這入ってくる。甲冑を脱いでいた。といっても、かたくるしい、上等そうな外套を着ている。詰め襟で、白地に金の縁取り、ベルトは黒革に金の金具、比翼仕立てで、丈はすねくらい。それをきっちり着込み、マントを着けて、剣も佩いている。甲冑を脱いでいても威圧感はあったし、戦えそうな雰囲気だ。
わたしはベッドに腰掛けている。立ち上がって迎えるべきなのか否か、寸の間考えた。が、錠前へ鍵を差し込んでまわし、鍵を懐へ仕舞って、ランベールさんが頭を下げる。後ろで手を組んでいるのが、とても軍人らしい。「失礼なのは承知しておりますが、御身をまもるのが我ら王室護衛隊の任です。見張るような真似をすることをおゆるしください」
聖女というのは価値があるみたい。王室護衛隊、なんて仰々しいものが、よってたかってまもろうとし、丁寧に運搬しているから。
出て行けと怒鳴ることも、解りましたと頷くこともしないわたしを、ランベールさんはじっと見ている。聖女を見詰めたら不敬、というのはないみたい。
「……どうぞ」
「おゆるし戴けて助かります」
ランベールさんはもう一度頭を下げ、足を肩幅に開いてまっすぐに立った。こうやって丁寧に接するのは、聖女を敬ってだろうか。それとも、機嫌を損ねないように当たり障りのない言動を心掛けている?
わたしには、どうも後者に思えた。だからといってランベールさんが悪いひとだとは思わない。王さまが居る世のなかなら、逆らえば大変なことになるだろうから。
「あの」
「はい、あめのさま」
「なんでもしてくれるんですよね……?」