どうでもいい
このひとの口のなかに泥でも詰めて追い払ってやろうか、ひっぱたいて顔を掻きむしってやろうか、と、真面目に考えた。ああ、こんな世界壊れてしまえばいいのに。もういや。どうしてこんな思いをしなくちゃならないんだろう。自分の感情がいやだ。なくなってしまえばいい。気持ちが全部、なくなってしまえばいい。嬉しいも楽しいも要らないから、淋しいや哀しいもなくなって。要らない。要らない。要らない。
燃え盛った怒りは――――そうだ、怒りだ――――、急速にさめた。なんだか冷たい感情にかわっている。これをなんと云ったらいいのか解らない。今まで感じたことがないものだ。
でも呼吸が楽だった。諦めがついたからだろう。それがなにに対する諦めかはよく解らないけれど、もうどうでもいい。このひとだって、わたしをどうでもいいと思っているだろうから。
マグを持つ両手をおろした。
「あんまり、面白くないですよ」
「おもしろい?」
「冗談としては最低だと思います」
かたくて冷たい声が出る。わたしは涙がこぼれないように、瞬きを怺えている。泣くつもりはないのだけれど、涙がじわじわとにじんでくるのだ。いやなのに。
ランベールさんは眉を寄せる。「冗談……」
「ランベールさんが、わたしと逃げる理由が、ないでしょう。なにひとつ。ご家族だって、いらっしゃるのだし」
ランベールさんの表情が尚更険しくなる。わたしは顔を背け、ささっと目許を拭った。みっともない。みっともないことだ。
「気持ちを解そうとしてくれたんでしょう? でも、そういった心遣いは、不要です」
「それは……」
「本当に要りませんから」
三十秒くらい、どちらも黙っていた。それから、ランベールさんが咳払いする。
「気に触ったでしょうか。申し訳ありません」
「いえ」
見る。ランベールさんは無表情だ。マグを持つ手が白くなっている。
彼は息を吐く。
「あなたに気を遣わせるつもりはありませんでした」
気を遣う?
ランベールさんはちょっと目を伏せる。
「本来なら、わたしが配慮すべきこと。あのような……口をきくなど、ゆるされることではありません。不躾で失礼だ」
「……いえ」
なんだか話が嚙み合っていない気がするが、どうでもよかった。わたしは機械的に、頭を振る。
ランベールさんはあおざめていた。今更、自分の冗談が、笑えない不愉快なものだと、骨身に染みたようだ。そうだ。面白くない。
「言葉にはもっと気を配るべきだと、よく理解しました。反省の為に、わたしは上へ参ります」
「え……」
ランベールさんは立ち上がる。わたしはそれを仰ぐ。
「こちらには信頼できる兵や、侍従が居ます。わたしのような無礼者は、退散したほうが」
「そのようなことは云っていません」
声が高くなった。わたしは息を停める。酸素が過剰な気がする。
「反省しているのならきちんと、わたしをまもってください」
「……しかし、そうなると、あなたの目にとまる。わたしがのうのうとしていれば、その……不快でしょう」
「そういう問題ではありません。とにかく、……大体、どんな理由をつけて地上へ? 皆さんに説明するんですか? 聖女にかけおちを持ち掛けたと? そのような冗談を云ったと」




