サーペント
霧がどんどんなくなっていく。魔法をつかって消耗した分が、兵達の〈器〉へとりこまれているのだ。
血の臭いがした。怪我をした兵達が倒れている。戦っている兵がその体を蹴って、蛇から遠ざけようとしていた。しかし、蛇は邪魔っ気な兵を尾で弾き飛ばし、倒れた兵へ近付く。複数の頭がぐっと下がった。
蛇の頭はそれぞれに意思があるのか、きょろきょろと目を交わして、上下に揺れたり左右に揺れたりしている。相談しているみたいに見えた。食べるつもりなのか、とどめを刺すつもりなのか、どちらだろう。
時間がゆっくり流れているみたいだった。蛇は、一斉に口を開け、奇妙な声を出す。耳障りで不愉快な音を。
いきなり、魔法をつかえることを思い出した。わたしは、目の前に立っている兵を押し退ける。片手を伸ばした。「スプロ・パーズ・マァイ、サファア・セイヴ・メスト・ブェト、ミィト!」
炎よ行け、そしてその場へとどまれ、強く。
掌が一瞬、とても熱くなった。
炎。ゆらゆらする炎。オレンジと、赤と、黄色、かすかに緑。
綺麗な炎が、伸ばした左手にあらわれる。そして、すぐに――――飛んでいった。わたしの理想の通りに、蛇へ向かって、矢のように。
炎はどんどん大きくなって、蛇の頭ふたつにぶつかり、そしてとどまった。蛇がのたうちまわる。
考えているひまはないし、考えても仕方ない。わたしはまわりの兵達をおしやって、走る。怪我したひと達を助けなくてはいけない。身体強化の魔法をかけると体がとても軽くなって、走るのが楽だ。
「聖女さま!」
兵が追いかけてくる。「聖女さまをまもれ!」
いらない。
「スプリ・メスト・スプロ・パーズ・マァイ! ディエン!」
風と火よ行け、当たれ。
手を振ると、振った方向へ風が吹いた。オレンジ色の炎が風にのって運ばれ、蛇にぶつかり、蛇はきしむみたいな音を立ててこちらへ背を向ける。ずるずると逃げていった。
倒れた兵は、かすかに明けた目が虚ろだ。傍に屈み込む。追いついてきた兵達が武器をかまえ、逃げた蛇とは別の蛇がやってくるのを押しとどめる。わたしは倒れた兵に手をあてて、なんとかしようとした。「ティエレ・ビイ・タァム」
兵の体が、ふわっと白く光る。血がとまった……みたい。目蓋がかすかに動き、唇が震える。大丈夫?
もう一度魔法をかけた。大きな音に振り返ると、蛇が間近まで来ている。兵の数に対して蛇の首が多い。もう少しで嚙まれそう。生臭い息が鼻先にかかる。
手を伸ばしたら、蛇の首に触れた。
「ティエレ・ビイ・ルァング」
体を弾けさせろ。
その通りになった。わたしが触れた部分がぱんと弾け、蛇が奇妙な声をあげて後退る。散らばった肉片と体液が降りかかってきた。
口にはいったのをぺっと吐き出して、蛇をゆびさす。「スプロ・アン・ルゥク、ティエレ・パーズ・カム」
炎で焼け、体よ捩れろ。
蛇の体に火がついた。叫び声は、蛇のものだろうか。蝉が千匹くらいで一斉に鳴いているみたいな声だ。
蛇の胴体が捩れはじめた。抵抗しているのか、ゆっくりと。
わたしは、袖で顔を拭いながら、近くにいる兵達を見た。「怪我をしているひとは……?」
返答はない。頭から血を流している兵が居たので、蛇のなにかしらで汚れた手で触れ、治療した。
霧は完全に晴れ、視野は良好だ。
蛇は捩れて、倒れ、動かない。ぷすぷすとくすぶっていた。わたしはそれを睨んで、怪我人をさがす。蛇はまだ一匹居るが、頭はみっつしか残っていない。船のへりへじりじりと追いやられ、威嚇するみたいにむなしく口をぱかぱかしている。
魔法をつかうと疲れる、と云うのが実感できた。眠たいし、体がだるく、あしが重い。
それでも、歩きまわって、倒れている兵に手をあて、魔法をかける。大体がすぐに意識を恢復した。
蛇は毒を持っていたみたいで、数人、解毒の必要があった。けれど、一度自分で試しているから、解毒の方法は解っている。簡単じゃない、と、ちょっと笑った。怪我人は見ていられない。苦しんでいるひとは助けたい。
この力があったら、姉を救えたのに。治せたのに。
一瞬意識が飛んでいた。はっと我に返って、きょろきょろする。最後の一匹も居なくなっていた。蛇の体液で、髪も顔も腕もぺたぺた、ぱりぱりする。気持ち悪い。
倒れているひとはまだひとり居た。一度、治療したひとだ。もう一度治療しようと思って、そちらへ歩いて行くと、誰かに腕を掴まれた。
ランベールさんだ。「あめのさま」
どうしてだろう。困ったみたいな顔だ。わたしが勝手に、蛇を焼いたりしたから、かしら。
「あのひと」口が巧く動かない。ゆびさす。「ちりょうを」
「必要ありません」
「でも」
「息絶えています」
死んだ。
死んだのか。
猛烈に気持ちが悪くなってきた。吐きそう。死んだ? こんなに簡単に? 蛇にやられて。嘘でしょう。
ランベールさんの手を振り解く。倒れている兵へ駈け寄る。ランベールさんがわたしを捕まえ、兵達が倒れたひとを囲んだ。わたしは怒っている。蛇に、それと自分の不甲斐なさに。
誰も救えやしない。
おねえちゃんも。
「はなして……」
「魔力を恢復しなければ。サーペントをあんなふうに焼くなんて聴いたこともない。どれだけ消耗しているか解りません」
「どうでもいいからはなして。あのひとをちりょうさせて」
わたしは喚く。兵達が悲痛げに目を伏せた。ツェレスタンさんが倒れた兵の傍に屈み込む。「エーヴェ、聖女さまがお前を心配してくださっている、よかったな」
よくない。なにもよくない。
ランベールさんはわたしを抱え上げ、歩く。わたしはじたばたするが、ランベールさんは動じない。
「はなして」
「無駄だ」
「むだ?」
「あなたの魔力を割くだけになる。それよりも自分を治療しろ。すぐに〈雫〉をつくる」
ランベールさんは声を張り上げる。「マーリス、ナタナエール、四貨とコンバーターを持って来い! 聖女さまには休んで戴く!」
船内の廊下へ続く階段を、ランベールさんはおりておく。わたしは体をひねって、甲板のほうを見た。
倒れている兵と目が合った。なにも見ていない、綺麗な紫色の瞳を、わたしは目に焼き付けた。




