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兎角この世は生き辛い。  作者: 波打 犀
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出る杭は打たれるという

どこか普通じゃない主人公の、いたって普通の朝――。

 

 眠たい目をぼんやりと開いてみると、横向きになった景色が見えた。

 鼻の頭を覆う掛布団からは柔軟剤のいい香りがした。温もりのある爽やかな匂いには鎮静効果があるようである。

 このまま二度寝を決め込んでしまいたい気分であったが、そうはさせまいと、昨晩セットした目覚ましがけたたましく部屋中に鳴り響いていた。


 ――朝。

 いつも通り六時半にセットした目覚ましで起きる朝。

 今日で、俺が高校生になって丁度一月になる。


 時期的にも皆が少しずつ新しい環境に慣れ始めて、早い所ならクラスにもまとまりができはじめる頃合いか。

 結構なことではないか。向こう一年間、嫌でも一つの空間に居なければいけないのがクラスメイトというものだ。

 手早く纏まって少しでも早く居心地の良い空間になることを誰もが望んでいるだろう。

 斯くいう俺のクラスはその辺り優秀な人材が揃っているので、問題はないだろうが……、気が重くないと言えば、それは少し“嘘”なのだ。


 布団を出るのも苦痛ではなくなってきた今日この頃、まさか過去に起こした過ちが、忘れかけていた“あの出来事”が、今更牙を剥くとは思ってもみなかった。

 俺は布団に腰かけたまま小さく溜息を吐いて、こうしていても仕方がないとばかりに立ち上がる。カーテンを開き窓越しによく晴れた青空を見た。

 今のところ“あちら”からの接触はない。ならば、今日も平和に一日が終わることを願って学校に行くまでだ。


「いつも通り、波風立てず、穏やかに一日を終えよう」


 瞑想でもするように閉じていた瞼を開けると、俺は窓ガラスに映る自分にそう言い聞かせてから部屋を出た。

 俺の部屋は二階にある。一軒家に暮らす大抵の家庭がそうだろう。子供部屋は大抵二階だ。

 二階には俺の部屋だけでなく、同じように血を分けた妹と、弟の部屋もあってちょっと長めの廊下を歩かなくては階段に辿り着かないのである。

 欠伸を押さえつつ何の気なしに左右のドアを確認すると、弟の部屋は閉まっていて耳を澄ませば可愛らしい寝息が聞こえたが、妹の部屋はドアが半分開いていて主はどうやら不在であった。

 我が妹は中学生になってからというもの朝が早くなった。それ自体は別に悪い事ではないのだが……。


 気が重くなることは考えまい、と頭を振って気持ちを切り替えると、俺は階段を使って一階へと降りた。

 階段は一階廊下へと繋がり、廊下の突き当りに居間へと繋がるドアがある。ドアノブに手をかけるころには、鼻孔を朝食の香ばしい匂いがくすぐっていた。

 ドアを開けて居間に入るとキッチンでは我らが母が、鼻歌を歌いながら朝食の準備をしている所だった。


「おはよう。<天太あまた>。もうすぐご飯、できるからねぇ」


 母は俺の姿に気が付くと、穏やかな表情にパッと微笑みを咲かせてそう言った。

 その手元では色とりどりの食材が火にかけられ、食欲をそそる香りを放っている。


「おはよう、母さん。いい匂いだ」


 俺がそう言うと、母さんは「愛情込めて作るからね~」と、袖捲りした腕で小さくガッツポーズを作って気合十分だった。

 「楽しみにしている」とかなんとかそんなようなことを言って、来た道を戻り、俺は顔を洗うため洗面所へと向かった。

 俺がわざわざ遠回りをして先に居間に寄ったのは、母に朝の挨拶をするのと、あと一つ大きな理由があった。

 有体に言って、“時間稼ぎ”である。


 洗面所に辿り着く前からすでに、これから起こるであろう“ひと悶着”を想像して部屋に戻りたくなる。

 誰もが、できればダラダラと過ごしたいであろう平日のこの時間に、部屋に戻って布団に包まれば、それはもう最高の二度寝が味わえるであろうことは確実だ。

 だが、そう簡単に“巣”に引き帰っては、それは同じ家で生活する一人の人間として、いや、生物としての“生存競争”に白旗を上げることに他ならない。


 一歩、二歩と廊下を進み、洗面所に辿り着くと、そこには案の定というか、当然のように我が妹がいらっしゃった。

 小学生の頃は清純で可愛らしい妹であったが、中学校入学を機に黒髪を茶髪に染め、パーマをかけ、やたらキラキラ、モフモフした小物を愛用するようになった。

 姿は変われど我が妹であることに変わりはなく、可愛らしくなくなったわけではないが、最近の妹は何だか不発弾に似た恐ろしさがある。


 妹は今まさに入念な髪のセットをしている所であり、鏡の前に立つその姿は真剣そのもので声をかけるのも躊躇われたが、自分にも洗面所を使う権利くらいあるだろうと、一歩、勇気を振り絞って歩み出た。

 

「おい、妹よ。兄にも洗面を使わせてもらえないだろうか」


 堂々としていて中々に良い第一声である。

 高圧的に振る舞おうなどとは思わないが、最年長は最年長なりの威厳を欠いてはいけない。

 優しく、時に厳しく、そしていつでも頼りになる兄でいれば、いつまでも妹や弟に慕われる兄でいられることだろう。


「……は?」


 妹の返答は分かりやすく威圧的だった。

 汚物を見るような視線で兄を睨み、妹は溜息を吐く。気付けば俺は半歩後退していた。まるで特殊能力である。


「見て分かんないの。今、私が使ってるんだけど」


 噴出したマグマも一瞬で岩になる程に冷え切った対応に、もう五月だというのに俺は底冷えのする思いだった。

 そんな俺の脳裏に二択の選択肢が現れる。『A:ごめんなさいする』、『B:一言注意してやる』という二択だ。

 悩ましい所ではあるが、熟考するほどではなかった。俺はB案を選択した。ここは兄として、踏ん張りどころではあるまいか。

 俺は楽して平穏に生きていけるのならば努力などまっぴらごめんだが、そうでないなら『無駄な努力』と謗られようとも“とりあえず”の精神で戦うのだ。


「使っているのを承知で聞いたのだ。第一、ここはお前だけのものではあるまい。兄にだって使う権利があるだろう」


 そうだ。家族ならば、こんなつまらないことで張り合わず、譲り合いの精神を持つべきだ。

 いがみ合う必要などどこにもないではないか。人類皆兄妹……、かどうかは怪しい所だが……。少なくとも我らは兄妹だ。


「――うざ」

「ウッ……」


 なんて鋭利な言葉を使うのか。我が妹ながら恐ろしい。

 所詮俺の言葉などたった一文字か二文字のセリフで片づけられてしまうものだという事か。

 妹よ……。小さい頃はあんなに兄を慕ってくれていたというのに……、俺は何処で何を間違ってしまったのだろうか。

 ……思い当たることは意外に多かった。


 俺が悲嘆にくれていると、妹はツインテールのレフトテールをこさえながら小さく溜息を吐いた。

 髪ゴムを口に咥えていて喋れないためか、「ん」と唸るように俺を呼んだ。

 まさか俺の気持ちが伝わったのだろうかと、期待に満ちた気持ちで顔を上げて妹を見れば、妹は親指で浴室を指さして「ん」ともう一度唸った。


「……どうしても今顔を洗いたいならあっちを使え、と?」


 恐る恐るそう問えば、返ってきたのは最近滅多に見られない妹の満面の笑みだった。


 風呂場で俺が顔を洗う様子の一切は大して面白い話でも何でもないので省略しよう。

 ただ一つ、水で洗っているはずなのに時たま頬のあたりを熱いものが伝っていったとだけ言っておく。


 更衣室を出るころには洗面所にすでに妹の姿はなかった。

 俺が顔を洗っている間に済んでしまうくらいなら、何も縄張りが如く占拠しなくてもよかったのではないだろうか。

 そう思いもしたが、登校前にこれ以上精神をすり減らしたくはない。俺は平和主義なのだ。

 居間に戻れば妹がいるだろうが、顔を合わせても普段通りでいればいい。それが兄としての器……だと思いたい。


「天太、ご飯できたから。<哉太かなた>を起こしてきてもらえない?」


 居間に入った瞬間テーブルに朝食を並べる母にそう言われて、俺は文句も言わずに二階へと戻る。

 なんだか都合よくつかわれている気がしないでもないが、ダイニングテーブルにまるで王様のようにどっしりと腰を落ち着かせてスマホをいじっている妹に何かを頼む気にはなるまい。

 予定調和というものだ。


 家では常にピリピリしている我が妹も、外では俺より充実した生活をしているようだし、様々なところから頼られているようである。

 嬉しくもあり、寂しくもあり、その努力をもう少し兄にも向けてもらえないだろうかという期待もあり……。

 まぁ、なんにせよ“集団生活”の場で上手い事やっているのは頼もしいことだ。俺も見習わなければと常日頃思っている。


 “集団生活”といえば、人間社会の一員としての『協調性』を身に着けるうえで大変重要なプロセスだという事だ。

 小学校、中学校と教育を終えた身でありながら、俺などはその辺りのものが身についているか怪しい所ではあるが、高校までで皆が確実に学ぶのは『自分について』である。

 周囲と違う事、劣っている事、秀でている事、様々な出来事を通して自分と他者との差異を知っていく。

 その差が自らにとってプラスであれマイナスであれ、それらの経験はまず間違いなく自分の成長に繋がっていく。


 わかりやすい所で言えば、勉強ができる、運動ができる、顔がいい、等だろう。

 他者との違いは時にショッキングであるが、だからこそ面白いと感じることもある。

 だが、今の時代あまりにも大きな違いはそれだけでデメリットと感じることもあるだろう。俺もそうだった。

 いや、“俺たちも”と言い換えよう。我が家は素敵な家族だが、我らの父と母の“宇宙的確率”の出会いによってこの世に生まれ落ちたこの身には、それなりの苦労が付きまとうのである。

 その苦労というのが――。


「哉太、部屋入るぞー」


 気が付けば目の前にあった哉太の部屋のドアを数回ノックし、声をかけてからドアを開く。

 カーテンの閉まった部屋は薄暗くて見通しがあまりよくなかったが――、部屋の壁を這ういくつもの“触手”の輪郭はぼんやりと見て取ることができた。


 そう、これが我が家のちょっとした問題――。

 苦労の種。よその家庭との差異。いうなれば、やんごとなき“宇宙的ギャップ”なのであった。


「おい、哉太。ご飯ができているぞ。ほら起きろー」


 触手が絡まって繭のような状態で熟睡する哉太の小さな肩を、俺は少し強めに揺する。

 すると哉太は小さく呻いて寝ぼけ眼をうっすらと開いた。焦点の合わない黒目がうにゃうにゃと動いて俺を捉える。

 しばらくするとその瞳に生気が宿り、哉太はしっかりとした眼差しで俺を見据えて、言った。


「兄ちゃん、おはよ……」


 瞼を擦りながらも、しっかりと目を覚ましたらしい弟は、部屋中に巡らせた触手をシュルシュルと体に収納していく。

 「ああ、おはよう」と哉太に挨拶を返しながら、俺は哉太に絡まった触手を解くのを手伝ってやった。


「相変わらず酷い寝相の悪さだな、弟よ……」


 呆れ交じりにそう呟く俺に対して、哉太は「そうかな」とけろりとした様子だ。

 ようやくすべての触手が哉太の体内に戻ると、そこには我が弟ながら大変整った容姿の美少年が鎮座していた。

 これで俺と血のつながりがあるというのだから、世の中というものはとんでもなく不公平である。


 毎朝の恒例行事を終え、弟と連れ立って階段を降りる最中。


「さっきの話だけど、僕の寝相が悪いっていうかさ。兄ちゃんの寝相が良すぎるんだよ」

「それは、どうだろうな……」


 まぁ、赤ん坊だったころを除けば俺が寝ている最中にあんな大惨事になった記憶はないが……。

 それにしてもあの有様を“普通”だと評価するのはいささか抵抗がある。


「家に居る間は構わんが、中学に上がれば修学旅行だってあるんだ。それまでには寝相、治しておけよ」

「はぁい」


 弟は少し頬を膨らませつつも素直にそう返事をした。

 これも中学に上がれば妹のように反抗的になってしまうのかと思うととんでもなく切ないが、そうなったらそうなったで。

 今は男女にはその辺りにも差があると思いたい。


「兄ちゃんは委縮しすぎだと思うけどなぁ」

「そうか」

「うん。だって、兄ちゃんの素顔、チョーカッコいいじゃん」


 弟は何かにつけてこんなことを言う。

 説明するまでもなく、哉太の言う“素顔”というのは俺の“宇宙的側面”についてだ。

 褒められて悪い気はしないが――。


「人様には見せられん」


 これが現実。

 この話に関しては「だね」と哉太も残念そうに頷いた。




 『朝食は家族みんなで』というのは我が家の決まり事だ。

 家族の中でただ一人“純粋”な地球人類である母が決めた。この時間ばかりは地球から遠く離れた地にいる父も音声だけではあるが参加する取り決めになっている。

 食卓の中央に飾られた植木鉢。そこに生える奇妙な花のついた植物が宇宙に居る父と俺たち家族を繋ぐ媒体だった。

 <ウィルダニス>という異星出身の父はその星でとても重要な役職についているらしく、地球にもそう簡単には帰っては来られないらしい。

 というのも、父は仕事の話を家族にあまりしたがらないため、曖昧な事情さえ俺の知るところではないのだ。


『天太よ、学校はどうだ。新入生だからな、大変なこともあるだろうが楽しんでいるか?』

「入学して一か月だぞ、そうはっきりしたことは言えんが……。まぁ、ぼちぼちだ。父さん」


 味噌汁を啜りながら可もなく不可もなく、といった返事をすると、父は露骨につまらなさそうな溜息を吐いた。


『まぁーったく、お前はいつもつまらなさそうにしているではないか』

「……性分だ」


 「あー、つまらん」と父は地球外で嘆いた。奇妙な花も父の感情に合わせてわざとらしく萎れる。

 余計なお世話だと言いたいが、父の言い分も分からんでもない。だがしかし、“何事もない”という素晴らしさが理解できる者にしかわからぬ“喜び”もあるのだ。

 兎に角そっとしておいてほしい。


『<つづみ>はどうだ。変わりはないか?』

「うん。万事快調だよ、パパ。昨日なんか街で強引なナンパしてた野郎をケッチョンケチョンにしてやったんだから!」


 次いで妹――つづみへと話が移ると、つづみは殴る振り付きでそう言った。

 これくらいの年になると父娘の仲は険悪になるのが一般的とよく耳にするが、家ではそれは例外である。

 普段離れて暮らしているからかもしれないが、家族仲がいいのは良い事だ。

 それはそうとして、腕っぷしの強い妹は用心棒紛いの武勇伝をいくつも抱えている。どれもこれも中学生になってからで、兄としては心配な話である。


「ケチョンケチョンって、妹よ。まさかとは思うが能力は使ってないだろうな」

「は? 使う訳ないし。バカなの?」


 家族仲が良いのは良い事……。あれ? 俺家族だよね?


『ぬぅわにぃ!? 我が娘をナンパとは不届きなァ――!』

「ち、違うよ、パパ! 知らない女の人! 多分、大学生か、社会人くらいの。あんまりにもしつこくされてたから」


 つづみが慌てたように身を乗り出して父の誤解を訂正すると、父はあっさりと怒気を治めた。


『そうかそうか、つづみは正義感の強い良い子に育ったなぁ。父は嬉しいぞ!』

「えへへ……」


 こいつホントに同一人物か。


『哉太は元気でやっているか?』

「元気だよ。お父さんも元気?」

『おぉ、勿論元気だとも。毎日お前たちの事を考えて、元気にやっているともさ!』


 俺、妹とくれば次は当然弟――哉太の番だ。

 やっぱり父も一番幼い哉太の事が気になって仕方がないのか、その声はどことなく不安そうである。

 家族目にも微笑ましい二人のやり取りを見て、俺も自然と顔がほころんだ。


「そっかぁ……。僕はね、実を言うとちょっぴり寂しいんだ」

『そ、そうなのか……?』


 年齢の割に落ち着いていて、あまり弱音を吐かない哉太が珍しく声を沈ませた。自然、皆が不安になる。


「お父さん、次はいつ会えるかなぁ……」

『がなだぁぁぁー!』


 年少ゆえのストレートな言葉が間違いなく父のハートを貫いた。


『仕事が落ち着いたら哉太に会いにがえるよぉ~! お土産買ってがえるよぉ~!』

「お父さんが帰ってきてくれるなら、他には何もいらないよ……?」

『がなだぁぁぁー!』


 年少ゆえの(以下略)


『お土産一杯買って帰るがらねェ~!』

「もう、いらないって言ってるのに……。でも、お父さん、大好き」

『がなだぁぁぁー!』


 年少ゆえの?


 そんなこんなで子供たち全員とのお喋りが済んだ頃、つづみが一番に席を立った。

 綺麗に平らげた食器を台所に下げて、てきぱきと出かける準備を整えると、俺が食器を下げるころには「いってきます」と一足先に家を出た。

 時間的に家を出るには少し早い気もしたが、交友関係の広い妹の事だ色々と用事があるのだろう。


 俺と哉太が出かける準備をしている間、父と母は夫婦水入らずで話に花を咲かせているようであった。

 時折母の小さく笑う楽しそうな声を聴いていると、自分が幸せな家庭に生まれたのだという事を実感する。それは哉太も同じようであった。


 俺はのんびりと身支度を整えて、いつものように哉太と一緒に家を出た。

 哉太の通う小学校は、俺の通学路の途中にあり、哉太が友達と登校するのをそれとなく見守る役を母から仰せつかっているのである。

 故に、哉太の友達が合流する少し前には哉太から距離を置かなくてはならない。つかず離れずの距離を保ち、児童を追跡するのだ。

 俺の目の黒いうちは、世の変質者共は哉太に指一本触れることかなわぬだろう。


「それでね――」

「ん、哉太。もう離れるぞ」


 哉太の話を遮って俺が足を止めると、哉太は少し先の曲がり角を見て「あぁ~あ」と不満げに息を吐いた。


「別に、兄ちゃんも僕たちと並んで歩けばいいのに」


 哉太はそう小さく呟いて唇を尖らせた。

 弟に慕われるのは兄冥利に尽きるというものだが、俺がずっと傍に居たんじゃ哉太の交友関係に悪影響が出かねない。

 それに、正直なところ哉太の友達の“あの輪”の中に入るのは、なんというか自分にはそぐわない気がする。

 哉太には悪いが、兄はあまり人付き合いが得意ではないのだ、許せ。


「そうはいかんだろう。お前の友達に悪いし、あのたちも俺がいると残念がる」

「ちぇー。ま、仕方がないっか」


 「じゃ、護衛よろしくね」と哉太が俺に手を振って駆けていく。

 哉太の姿が曲がり角の先に消えた後、俺はゆっくりとその後を追って歩き始めた。

 高校生の俺と小学生の哉太とでは、歩幅が違いすぎて普段通りに歩いているとあっという間に追いついてしまうから、俺の歩みは不自然に遅い。

 哉太の護衛を繰り返すうち、この一か月で俺はその遅さが自然に見えるような動きを会得していたが、そのおかげで俺のスマホの写真フォルダには通学路の写真が大量に収められている。

 時に道路わきの花(雑草)だったり、塀の上に寝そべる猫だったり、蛇の抜け殻だったり……、特に興味もない風景がいろいろだ。


 曲がり角で一端様子を見てみると、少し先に哉太を囲む女の子たちの姿があった。

 哉太を除いてざっと五人の少女たちが、互いにけん制し合うように哉太に纏わりついている。

 哉太の気遣いはありがたいが、俺にはあの集団に紛れて歩く度胸も父性もない。年下の児童相手に蔑まれて邪魔者扱いされるのが目に見えていた。


 いつもの如く付かず離れずの距離を保って小学生の集団を追跡していると、哉太の所有権を巡る毎度おなじみの口論が始まった。

 哉太はそんな女の子たちを上手く御しながら何食わぬ顔で歩いている。

 よくもまぁあんなに騒がしい空間で平然としていられるものだ――、と感心しながら歩いていたが、ふと今朝の哉太と父のやり取りを思い出した。

 あれは演技が入っていたかもしれないが、哉太は自分から弱音を吐かない子だ。

 もしかすると本当はつらいと思っているのかもしれない。だからさっきは俺をあの輪に入れようとしたのではないだろうか。


「ふむ。今度直接聞いてみる必要があるな」


 とはいえ正直に答えない可能性もあるから、“くすぐりの刑”も視野に入れておかなければ。

 そんなことを考えていると、前を行く集団が「わっ」と騒がしくなった。口喧嘩がエスカレートしたかと身構えたが、その原因はどうやら哉太の歓声のようだった。


「こっ、これっ! もしかして“イバラナイト”ッ!?」

「うんっ! あの朝の特撮……タイトルは忘れたけど、哉太君前にこれが当たらないって言ってたわよね」


 “イバラナイト”――その名前の響きにどこか聞き覚えがあった。

 あれは確か、哉太が毎週欠かさず見ているヒーローもののキャラクターだったはずだ。

 イバラナイトは中でも哉太のお気に入りらしく、その理由を聞いた時には確か――。


『イバラナイトは敵役だけど、矜恃きょうじを持っててかっこいいんだ。この禍々しいけどスタイリッシュなデザインとか、もう最高! それに……、その、なんだか兄ちゃんに似てるし』


 とか言ってたような。

 俺に似ているというのは多分俺の本当の姿の方だろう。

 そうか、と俺は納得した。あれだけ好きなキャラクターと俺の姿が被るなら、そりゃあ哉太の目には俺の姿は格好良く映るだろう。

 イバラナイトのデザインを成年向けに調整すれば、なるほど俺の姿に似ていなくもない。

 あの番組、確かタイトルは『サモンライダー・サバト』だったか。


「そうなんだよ、何回ガチャ回してもこれだけ出なくて……」

「哉太君に、これあげるっ」

「えっ」


 どうやら、哉太を物で釣ろうという魂胆らしい。

 小学生ながらなかなか侮れないテクニックを持っているようだった。

 物が物だけに哉太にこの攻撃はかなり効いただろう。献身的な姿勢はそれだけで美しく見えるものだ。


 その証拠に、哉太は「悪いよ」と言いつつもイバラナイトのキーホルダーは大事そうに掴んだままだ。


「いいから、受け取って哉太君」

「う……、うん。わかった。嬉しいよ、ありがとう<沢木口さわきぐち>さん」


 そう言って哉太は心底嬉しそうに微笑んだ。

 哉太の笑顔を至近距離で浴びて、その女子は耳まで赤くして俯いてしまった。


「それにしても、沢木口さんがサバトのファンだなんてびっくりだなぁ」

「え?」

「え?」


 おっと、思わず俺まで疑問符を浮かべてしまった。

 慌ててスマホの画面を食い入るように見つめて、「マジかー」とか「この人がねぇー」などと呟いて誤魔化すと、少女たちはすぐに俺に対する興味を失ったようだった。

 因みに俺の画面に映っているのは地方のアイドルグループを取り上げたニュース記事である。よくは知らないが頑張ってほしい。


「サバ……、えっと私は哉太君のために――」

「僕の影響? わぁ、それはまた嬉しいなぁ。サバトってあんまり視聴率良くないみたいだけどセンスは悪くないと思うんだ。仲間が増えたみたいで嬉しいよ」


 哉太の事だ、分かっていてやっている可能性もあるのだが……。

 何にせよ、あの沢木口という娘には悪いことだ。俺の弟が本当に申し訳ない。

 沢木口さんが哉太の笑顔の前に、コックリと肩を落としたあたりで小学校の正門が見えてきた。

 続々と校門をくぐっていくちびっ子たちに紛れて、哉太が校門を通過するのを横目で見届けて、俺は高校へ向けて足を速めるのであった。




 いつもながら俺が自分の教室に到着するのは大体始業の十分前くらいである。

 早く到着したところで話す相手もいないのだから、だから何という事もないのだが、遅刻となるとそれはそれで目立つのでそれだけは何とか避けたいものだ。

 この日もいつもと同じように始業時間まで読書をして時間を潰し、ホームルームはボーっと担任の話を聞き流していた。

 さらに一時限目が始まる前の休憩時間にも本を読み、授業を受けては本を読む。その繰り返しだ。

 変に目立たず、地球人類に紛れる最上の策……ッ! 入試で盛大にやらかして教師陣の注目を集めてしまった分、ここで平凡を装うのに失敗すれば次はないだろう。

 俺は一部、教室の一部だ……。


 何やかんやで現在、四時限目半ばという頃だった。

 日本史担当教諭の眠たくなる声を聴きながらうつらうつらしていると、静けさを破る様な『ガシャ!』という音が教室に響いた。

 どうやら俺の隣の席の女子が筆箱を落としたようだった。一瞬こちら側に視線が集まるが、大したことではないようだと分かるとすぐに皆興味を失ったようだった。

 その女子は筆箱を落としたことに気が付いていないのか、俯いたまま微動だにしない。

 俺は不思議に思いながらも、机を並べている者として無視するのも不自然だと、椅子を引いて筆箱を拾い上げた。

 その時、筆箱に着いていたキーホルダーが目に留まった。というのも、それは女子高生が自分の持ち物に着けるものとしてはいささか風変りだったからである。

 別に女子が好きでも構わないのだが、それとは別の意味でもそのキーホルダーは俺の興味を引いたのだった。


 気になったものの今は授業中である。このタイミングで話しかけるのは絶対に目立つ。

 それにこの筆箱は俺のものではない、ずっと握りしめていては不審がられる……いや、万が一気持ち悪いと思われる可能性もある。

 そうなったら俺は入学一か月にして“変態”のレッテルを貼られ、この学校で生きていけなくなる可能性もないとは言い切れない。


 想像は俺が新聞の一面を飾るところまで飛躍した。記事のタイトルは『変態高校生・ネットの闇』である。

 小さく身震いをして、俺は隣の席に座る女子の肩を軽く叩いた。するとその瞬間、その女子は肩を大きく跳ねさせて、まるで今まで意識を失っていたかのような緩慢さでこちらを振り向いた。

 そのリアクションに少しばかり俺も度肝を抜かれたが、何とか声を押さえることに成功した。


 俺は、そう言えば入学以来誰かに話しかけるのはこれが初めてだな、などと思いつつ、その女子の目を……目を、いや、目は見えなかった。


「落としたぞ」


 黒く長い前髪が目のあたりまでを覆い隠していてその表情は伺えない。笑っているのか、睨んでいるのか、寝ているのか……。まぁどうでもいい。

 兎に角俺は拾った筆箱をその子に差し出して、様子を伺った。


 その目の隠れた女子(以降メカクレ女子と呼称しよう)は俺の手に握られた細い筆箱に視線を落とし、数秒かけて自分のものだと認識すると突然慌てた様子でそれを受け取った。

 メカクレ女子はその間一言も声を発さなかった。ただびくびくした様子で何度もしきりに頭を下げていたが、そちらの方が余計に目立つので勘弁してほしい。

 筆箱を落としても一切動じない胆力の持ち主だと勝手に思い込んでいたが、そうだとすると印象があべこべだ。


 結局、四限目が終わるまでメカクレ女子は心ここにあらずと言った様子で、ずっと呆けていたのだった。


 ――昼休み。

 あるものは学食へ向い、あるものは購買へ向い、そしてあるものは持参の昼食を机に広げる時間。

 俺は母手作りの弁当を机に広げている最中だった。

 どうやらメカクレ女子も昼食を持参しているらしく、隣でも弁当が広げられていた。

 俺は例にもれずこの時間も一人で過ごすのだが、メカクレ女子もどうやらどこのグループにも属していないようだった。

 机が並んでいる事や、一人でいること、それに何よりさっきの筆箱の件がどうしても気になったので、ちょっと話しかけてみることにした。


「おい」

「……」


 おっと、声が小さかっただろうか。

 声をかけたつもりだが、反応は一切ない。メカクレ女子はただ黙々と小さな弁当箱をつついている。


「おい」

「……」


 さっきよりも少しだけボリュームアップして再度声をかけてみるが、またしても反応は返ってこなかった。

 あれ? 俺ってもしかして認識されていないのでは? そう思って今度は肩を軽く叩きながら声をかけてみることにした。


「聞こえんのか」

「ッ!?」


 まただ。またあの反応。肩をびくっとさせるやつ。

 俺の心臓にも悪いからやめてほしいんだが、多分メカクレ女子は俺以上に驚いているんだろう。

 不意の接触に心底驚いた様子のメカクレ女子は、四限目と同じように感情の読めない視線を俺に向けた。


「悪いな、驚かせたようだ。悪気はない」

「……え。あ、は、はい……」


 俺が喋る度にメカクレ女子が縮んでいくように見えるのはどういう訳か。

 メカクレ女子は相当に気が弱いようだった。ならば、こちらも接し方を変えるべきかと考えた。


「無理に目を合わせようとしなくていい。辛ければ弁当を食べながら聞き流してくれ。聞きたいことがあるだけなんだ」

「わ、わかりました」


 俺がそう言うと、メカクレ女子は助かったとばかりに弁当を食べ始めた。

 俺も人付き合いが得意な方ではないから、じっと見つめられているよりかはこっちの方が気が楽だった。


「で、聞きたい事なんだが」

「……」


 俺も自分の弁当に視線を落としながら口を開く。

 思い出すのは四限目に拾った筆箱……に、ついていたキーホルダーの事だった。


「お前は、その。『サバト』が好きなのか?」

「……」


 メカクレ女子からの返事はない。

 俺は少し唐突過ぎたかと考え直して、再度口を開く。


「その、筆箱のキーホルダー。毎週朝早くにやっている『サモンライダー・サバト』の『サバト』だろう?」

「……」

「いや、弟がな、好きなんだ。で、それを女子が身に着けているというのがどうにも、興味を引かれたというだけなんだが……」

「……」


 沈黙が妙に長いのが気になってメカクレ女子の方を見ると、メカクレ女子は口元を手で覆って必死で顎を動かしていた。

 その様子はどこか餌を頬張るリスとよく似ている。メカクレ女子の頬袋もパンパンだった。必死で顎を動かしながら、何かを伝えようと俺の方を見ている。

 が、何を伝えようとしているのかは全く分からなかった。


「その、慌てなくていい。ゆっくり噛んで、落ち着いて飲み込め」

「……!」


 コクコクと頷くとメカクレ女子は相変わらず俺の方を向いたままで口元を押さえて顎を動かし続けた。

 しばらくしてようやく頬袋の中身を消化すると、メカクレ女子はそれを流し込むように水筒の中身を呷った。

 「ふぅ……」と一呼吸おいて、メカクレ女子が俺に視線を合わせる。と思ったらすぐに俯いてしまった。


「……みませ……。話を……中になって、……込むのを……れてしまって……」

「え、すまない。声が小さくて聞き取れん」


 あまりにも声が小さくて何を言っているのかさっぱりだった俺は、メカクレ女子の方に身体を傾けて耳を寄せた。


「もう一度頼む」

「あ、ぅ……、はい、えっと……」


 耳を近づけた甲斐もあって、今度ははっきりとメカクレ女子の声が聞こえた。

 妙な間が開いたが、メカクレ女子は震える声で話し始めた。


「その、話を聞くのに夢中になって……。飲み込むのを忘れていました、と言ったんです」


 それであの頬袋か……――、俺は思わずメカクレ女子をまじまじと見つめてしまう。

 俯くメカクレ女子は恥ずかしさからか耳まで真っ赤に染めている。こんなのどこかで見たなと思いながら、俺は咳ばらいを一つして口を開いた。


「なるほど、そういうこともあるんだな……」

「……多分」


 メカクレ女子の返事は曖昧だった。かなり恥ずかしがっているようだ。

 もともと神経の図太いタイプではないだろうからな――、然もありなんという感じだ。

 そろそろ話を戻そうか。

 メカクレ女子の珍しいであろう一面を見られたのは良しとして、話の本筋は『サバト』のキーホルダーについてだ。


「これは、その、妹から貰ったんです」

「妹がいるのか」


 メカクレ女子は「はい」と頷くと、キーホルダーを手に取ってそれを愛おしそうに(多分)見つめた。


「最近じゃ滅多に口もきいてもらえなくなってて……、嫌われたんじゃないかと思っていたんですけど……。それがついこの間『いらないからあげる』って、これをくれたんです」

「ほう……」


 聞きながら、「ん?」と思わないでもなかったが、この予想が完璧に当たってしまった場合メカクレ女子を傷つけてしまう恐れがある。

 その辺りの話題に触れるにしても、慎重に言葉を選ぶ必要があるだろう。


「何のキャラクターなのかは全然分からなかったんですけど。嬉しくて……」

「『サバト』は男の子向けの特撮番組だな」

「そうだったんですね。……あれ? でも、それじゃあなんで<あきら>はこれを……?」


 メカクレ女子が真剣に妹の奇行について考察を始める前に、俺は今までの会話の中でもう一つだけはっきりさせておきたかったことを尋ねてみることにした。


「その、間違っていたら申し訳ないんだが」

「はい」

「お前の名前は<沢木口さわきぐち>か?」


 何となく、あてずっぽうと言う訳でもなかったが、確信の持てない疑問をぶつけてみる。

 すると、今までで一番長い沈黙の後、メカクレ女子が急に大きく息を吸い始めた。


「すみませ……っ! 息、忘れて……!」

「……ああ」


 こいつ、そのうちとんでもない理由でぽっくり逝ってもおかしくないな……。

 この調子ではもしかすると筆箱を落としたあの時も、動じていなかったのではなく、ショックで気を失っていたのかもしれない。

 などと落ち着いて対応できるのは早くもこの、ビックリドッキリメカクレ女子に慣れてきたという事だろうか。


「お、覚えていて、くれたんですか……?」


 どうやら沢木口であっていたらしい。

 という事はつまり、哉太にイバラナイトのキーホルダーをプレゼントしていたあの少女の姉という事でほぼ間違いはないだろう。

 要するに、沢木口の妹は本当にこのキーホルダーがいらなかっただけなのだろう。それを知ったからと言ってわざわざ言ってやる必要もない。

 沢木口が喜んでいるのならそれでいいと思うし。水を差すのは性格が悪すぎる。


 覚えていたわけではない――と言いかけたが、沢木口の感動に震える様子を目の当たりにしていくら俺でもそんなことは口にできないのであった。


「ま、まぁ、そんなところだ……」

「……私の事を気に留めてくれる人が……」


 この子は今までどれだけ過酷な環境で生活してきたのであろうか……。


「隣の席だしな。それに、俺の弟が沢木口妹の世話になっているようだから」

「そうなんですか……」


 哉太が実のところどう思っているのかは知れないが、哉太を好いてくれる子がいるというのは俺にとっても有り難いし、今朝の哉太のあの笑顔は本物だった。

 人一倍我慢強い弟には尽くしてくれる友達が必要だろう。哉太の事を想えば、その言葉は自然と口をついて出た。


「これからもよろしく頼む」

「……ふぇ?」


 うちの哉太と末永く仲良くしてやってくれ――<あきら>ちゃん。

 そんなことを考えながら俺は弁当を食べ進める。


 そして――、兄として何かとてつもなく大きなことをやり遂げた満足感で、俺はこの日のやり取りが“あの因縁”に飛び火することも、明日以降の日常が大きく変化する事にもまったくもって気が付かないのであった。

一話を読んでくださりありがとうございます。

書き溜めてあるのでしばらく投稿が滞ることはないのですが、頻度はとりあえず週一とします。

この作品以外にも練っている作品がありますので、読者の方々の反応を伺いつつ色々書いてみたいと思っています。

感想・コメントなどは著者の参考・励みになりますのでお気軽に!

今後ともよろしくお願いいたします。

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