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大陸間弾道魔法少女

作者: 片隅千尋

 僕はもうあのさそりのように

 ほんとうにみんなの幸のためならば

 僕の身体なんか百ぺん灼いてもかまわない 

          ――『銀河鉄道の夜』宮沢賢治


     ◇


 凛は馬鹿が嫌いだ。


「朝だ! 朝だ朝です朝ですよの三段活用! おっはよーござーいまーすっ!」


 凛は朝っぱらから無駄にうるさい馬鹿が嫌いだ。


「うおおー晴れた! ねえねえ晴れたよ凛ちゃん! すっごい久しぶりだねえっ!」


 凛は天気ごときで騒ぐ馬鹿が嫌いだ。返事もせずに小さな身体を丸めて布団を頭からかぶる。


「そうだ、お洗濯! お洗濯しないと! 晴れた日にはお洗濯! 何洗おっか? 全部? 全部いっちゃう? 服と、タオルと、シーツと、えーとあとは、枕カバーと、あとなんかある凛ちゃん?」


 知るか勝手にしろ、と凛は思う。今日は非番で、授業もない。ゆっくり寝たい。凛は二段ベッドの上段で毛布を身体に巻き付け、壁際にじりじりと退避する。


「ねえ凛ちゃん、ねえねえ凛ちゃん、ねえねえねえ凛ちゃん、何洗うー?」


 ギシギシと二段ベッドがきしみ、幸子がのぼってきた。

 無視無視、と凛は寝たフリを続行する。


「あれ? 凛ちゃんまだ寝てるもしかして? ごめんね騒いじゃって。じゃあ、そーっとそーっと……」


 ぎゅるるるるるん。

 凛の身体が空中で高速錐揉み回転した。


「おべらっふふあぁぁぁあっ!」


 凛は思わず奇声を発した。

 幸子が凛に巻き付いていた毛布を勢いよく引き抜き、コマのようにスピンさせたのだった。


「さ、幸子おまえ何しやがる!?」

「毛布を洗濯しようと思ってー、凛ちゃんを起こさないようにー、テーブルクロス引きみたいにしてみた!」

「おかげでバッチリ目が覚めたぜありがとな! ってやめんかさわんななぜ脱がす!?」

「ジャージも洗うからっ!」


 凛はじたばたあばれて抵抗するが、体格差はいかんともしがたい。

 凛は女子としてもかなり小柄であるのに対し、幸子は180を超すタッパの持ち主なのだ。ふたりが同じ14歳だと知って驚かない人はいないだろう。

 結局、寝巻き兼部屋着のジャージも剥ぎ取られてしまった。


     ◇


 凛と幸子は洗濯物を山ほど抱えて1階に降りた。コインランドリーを3台回す。洗濯機が回っている間に食堂で朝食を済ませ、出来上がった洗濯物をカゴに入れて、階段をのぼる。

 屋上へのドアを開けると、綺麗に晴れ上がった青空が頭上に広がった。


「きっもちいい! いやっほおぉ! きーーーん!」


 幸子は洗濯カゴを両手に一つずつ持ったまま、長い両腕を広げて走り回った。


「青い空を見るのは久しぶりだな」


 凛は足を止めて、まぶしそうに目を細める。

 たしか前回晴れたのは4月の終わりで、今は10月。実に半年ぶりの晴天だった。

 空ってのはこんなに青かったかな、なんだか怖いくらいだ、と凛は思う。

 凛と幸子の暮らす宿舎は三階建てだが、山の中腹にあるため、屋上からの眺望は良い。眼下の山の緑、ふもとの街、その先の海までを一望できる。街の中心部にそそり立つ、今どき珍しい高層ビル群の窓が、太陽の光を反射してきらめいていた。

 凛はひそかにこの風景が好きだった。


「いんやー、晴れるとテンション上がるねー、やっぱり!」

「おまえはいつでもテンションMAXだろが」


 凛が洗濯カゴから服やらを取り出してパンッと広げ、それを幸子がハンガーで物干し竿に次々と吊るしていく。身長差を生かした分業である。


「んでもさー、なんで最近こんなに晴れの日が少ないの? 昔はもっと晴れてたよねえ?」

「おまえ、前期の魔法少女工学概論の単位、ホントよく取れたよな……。『魔法少女の冬』をなんで知らないんだよ? 期末試験前日に泣きついてきたおまえに教えてやったし、実際論述問題に出ただろ」

「ちょっとちょっと凛ちゃん、前期の期末なんてもう二ヶ月以上前だよ? 覚えてるわけないじゃん?」

「おまえに『やれやれ』って顔をされるとすげーむかつくんだが」


 『魔法少女の冬』とは、魔法少女の大量使用で大気中に莫大な粉塵が放出され、その影響で気候が変動する現象である。空気中の塵が増えるせいで雲量が増え、さらに粉塵そのものでも太陽光が遮られるため、気温が低下する。


「要は曇りがちで寒くなるってこと。こういうタイプの知識ってフツー忘れるか? 今年の夏は全然暑くならなかったっつーか寒いぐらいだったろ?」

「そっかー、そういえばあんまり暑くなかったかも。あっ、もしかしてみんな海水浴しなかったのってそのせい?」

「そうだよ今さらかよ馬鹿なのかおまえ。この夏、海で泳いでたのは幸子と魚だけだったんだよ!」


 凛はツッコんでから洗濯カゴの底から幸子の馬鹿でかいTシャツを拾い上げ、勢い良く振って広げてから、幸子に押し付ける。


「これで最後だ」


 幸子はひょいひょいとハンガーにかけて干した。

 風が吹き抜けて、洗濯物を揺らす。陽の下の作業で少し汗ばんだ額に、そよ風が心地よい。

 幸子は、んんー、と長い身体で伸びをしてから、ごろりとその場でコンクリートに仰向けに寝そべった。

 汚れんぞ、と凛は言ったが、幸子は聞いていないようだった。

 幸子は寝転がったまま長い腕を空に向けて伸ばし、陽の光で掌を透かすようにして、言う。


「そっかそっかー。……あたしたちのせいなんだね』


 凛は何も言わずに幸子の隣に仰向けに寝そべり、両手を組んで枕にした。


「汚れるんじゃなかったの?」


 幸子の問いかけに、凛は答える。


「いんだよ別に洗えば。……今日は晴れてんだから」


     ◇


 魔法少女。

 正式には大陸間弾道魔法少女と呼称する。

 英語で InterContinental Ballistic MAHO-SHOJO。

 英語略称は ICBM。

 この国でのみ製造されている大量破壊兵器である。

 その製造方法は極秘であり、少女が自ら志願する必要があるらしいとしか知られていない。

 威力はTNT爆弾換算で十五キロトンから百メガトンのものまで存在し、小型のものでも一発で都市を丸ごと壊滅させることができる。

 起爆するには『臨界量』と呼ばれる一定以上の速度まで魔法少女を加速させれてやればよい。臨界量には個体差があるが、最低でもマッハ十五は要する。

 ゆえに兵器として使用する際には、専用の加速装置を魔法少女に装着させ、その加速によって臨界量を突破する。

 魔法少女という切り札を持ちながら、戦局は悪化の一途をたどっていた。

 その理由のひとつは、この国は資源が少なく、戦争を継続的に遂行できないことである。国家指導者たちは魔法少女の威力で短期に決着をつけるつもりだったのだが、目論見は外れた。

 そしてもうひとつの理由は――これこそが致命的なのだが――敵国の対空防衛能力の進歩により、魔法少女を発射しても途中で撃ち落とされるケースが増えたことである。

 今や、自らの命を代償に破壊を望んだ魔法少女のほとんどが、空中で無為に命を散らしていた。


     ◇


「ねえ凛ちゃん」

「ああ、なんだ?」

「赤いサソリって知ってる?」


 青空の下、幸子が唐突に訊いてきた。


「は? サソリ? サソリってしっぽに毒針がついてるあのサソリか?」

「そうそれ。『銀河鉄道の夜』に赤いサソリの話が出てくるでしょ?」

「そうだっけ? それがどうした?」


 幸子が珍しく静かに語り出した。


「赤いサソリはね、野原で小さな虫を殺して食べていたんだって。でもある日、イタチに食べられそうになって、一生懸命必死で逃げて、そしたら突然目の前にあった井戸に落ちちゃったの」

「なんで野原に井戸があるんだ?」

「さあ、どうしてだろうね? とにかく、井戸から出られなくなった赤いサソリはね、神様にこうお祈りしたの。自分はいくつもの命を奪って生きてきたのに、自分が食べられそうになったら必死で逃げて井戸に落ちてしまった。こんなことになるならイタチに自分の命をあげればよかった。そうすればイタチも何日か生き延びただろうに。『こんなにむなしく命をすてずにどうかこの次にはまことのみんなの(さいわい)のために私のからだをおつかい下さい』ってお祈りしたの。そしたら神様がサソリを真っ赤な美しい火にしてくれたの。赤い火になったサソリは、今でも真っ赤に輝く星として、夜空を照らしているんだって」

「まあ、普通にいい話だな。めでたしめでたし」

「でもね、あたしはこう思っちゃうの。このサソリ君は、井戸の底で祈って、たまたま祈りを聞いてもらえたからいいけどね、もし聞いてもらえなかったサソリがいたら、そのサソリはどうなるんだろうって」

「……そりゃ死ぬんじゃねえの、単に」

「恐ろしい虫だと忌み嫌われて、他の生命を奪って生きて、井戸に落ちちゃって、自分の命がむなしく井戸の底で朽ちていくことを悟ってしまって、でも祈っても聞いてもらえなくて……暗くて狭い井戸の底で、届かぬ空を見上げて、たったひとりで、ただ死んじゃうの。ねえ凛ちゃん」


 幸子は空に向けて問う。


「赤い火になれなかったサソリの命に、意味はあるのかな?」

「それは……」


 ねえんじゃねえの? と軽く笑って言おうとして、幸子のいつになく静かで真剣な様子に思いとどまった。

 少し考えてから、凛は答える。


「生き物の命が無駄になることは、ないと思う。生き物が死んで、他の動物に食われずに放置されても、その生き物の死体はいずれ腐るよな? で、腐るってことは何かというと、それは微生物が分解してるってことで、つまり微生物が食ってるってことだ。『人間だけは生き物を無駄に殺す』とか『無益な殺生』みたいな変な批判がよくあるけど、その批判はおかしいんじゃねえかな。人間が生き物を殺して食べずに放置して、その死体が何の栄養にもならず腐っていくように思えるのは、微生物の存在を知らないからじゃね? じゃなきゃ、微生物みたいな下等な動物は尊い『生き物』の範疇には入らないと決めつけているか。どっちにしろ、そんな批判をする人は、無自覚に生き物を殺して楽しんでいる人間と同レベルの傲慢な奴だと思うねあたしは」

「う……ん、そ、そうだね?」

「……要するに、イタチに食べられなくても、井戸の底の微生物がサソリを食べるから、サソリの命にも意味があるってこと」


 そう付け加えると、幸子の顔は少し晴れた。


「そっかー、ビセーブツさんが食べてくれるから、サソリの命に意味はあるのかあ。よかったあ」


 それきり黙って、二人で空を見ていた。


     ◇


「あなたたち、こんなところで何をしているのかしら?」


 そろそろ行くか、ハラ減ったし、と立ち上がった凛と幸子の目の前に、美紀が現れた。


「見りゃわかんだろ洗濯だよっつーかおまえにカンケーないし。じゃ」


 凛が早口で答えて脇をすり抜けようとすると、美紀が立ちはだかった。


「すこしお待ちなさい。お話があります」

「こっちはねーから、どけよ」


 凛は美紀の顔を見上げて睨みつける。悔しいが、美紀は凛よりも背が高いのだった。美紀はあごをツンと上げて冷たい目で凛を見下ろす。幸子は、まーまーおふたりさんおさえておさえて、となだめようとする。

 はっきり言って、美紀と凛は仲が悪い。

 いつもだったらお互いの眼球がカラカラになるまで目を逸らさず睨み合っているのだが、今日は美紀がすぐに目を伏せた。

 拍子抜けした凛に、美紀が箱を押し付けた。綺麗な包装紙でくるまれ、リボンでラッピングされた、両手に収まるほどの小さな箱だ。

 凛は戸惑った。


「あ、なんだコレ? ついにあたしに対する今までの無礼を詫びる気になったか?」

「そんなわけないでしょう! ……松倉さんに渡すものです」


 松倉とは、街のパン屋のイケメン店員だ。カッコイイだけでなく、穏やかで朗らかで優しくて、パン職人としての腕もよい。当然、女子には非常に人気がある。中でも美紀は松倉にメロメロに惚れている。そして、なぜだか美紀は凛を恋敵とみなしているのだった。

 凛も彼のパンの美味しさは認めるが、別に男としては興味はない。と何度も言っているのだが、美紀は納得しなかった。そのことがあって凛と美紀の仲はこじれているのだった。


「んで? 松倉へのプレゼントをどうしてあたしに押し付ける?」

「……松倉さんに渡していただきたいのです」

「はあ? あたしが? 自分でやれよ」

「私は、渡すことができません」


 慇懃無礼な言葉遣いはいつもどおりだが、普段の刺々しさが感じられない。


「渡せないって、もしかして恥ずかしいからか?」

「そ、それもありますが、そうではなくて……」


 言いよどんでから、美紀は口を開いた。


「私は、先ほど……出撃命令を受けました」


 声が少し震えている。


「……じゃあ、なおさら、自分で渡しに行けよ」


 最後じゃねえか、とまではさすがの凛も言えなかった。

 大陸間弾道魔法少女として出撃すれば、その任務はすなわち自爆、待っているのは100パーセントの死だ。


「あなたも魔法少女ならわかるでしょう? 魔法少女は洗脳されたお人形ではありません。偶然巻き込まれた被害者でもありません。私たちには、戦う理由がある。命をかける動機がある。自分を投げ打つ覚悟がある。そのために訓練と実験の日々に耐えてきたのです。でも――今、松倉さんに会ったら」


 私は揺らいでしまいます。

 そう言った美紀の瞳は、もう凛から逸らされることはなかった。


     ◇


 魔法少女はこの国にとって最重要の軍事機密だ。

 当然、魔法少女たちが基地から外に出ることも厳しく制限される――というのは建前で、実際には外出許可申請書という紙切れ1枚を書けば、たいてい外出できる。

 幸子の運転するバイクに二ケツして、麓の街まで降りた。


「美紀ちゃん、今日もう出撃だって言ってたけど、びっくりするよねえ」

「たしかにな。もちろん緊急の出撃なんかいくらでもあるけど、『次の出撃候補』に挙げられたらその時点で通告されんのが普通らしいし。当日にいきなり『はい出撃』ってのは聞いたことないな」


 昼を過ぎて少し雲が出てきた。帰りは雨かもしれない。さっさと用事を済ませて帰ろう、と凛は足を速める。


「それにしても美紀のやつ、わざわざあたしにプレゼント託すってどうなの? やっぱあいつ性格悪いし友達いないんじゃね?」

「なんかね、美紀ちゃん、他の人が見当たらないってぶつぶつ言ってたよ」

「そーいやー、せっかく晴れたってのに屋上にあたしら以外いなかったしな。みんなどっか遊びにでも行ったのか?」


 昼食時は終わっていたので、件のパン屋は空いていた。

 自分たちの昼食をトレーに載せ、清算してもらう。ちょうど松倉がレジをやっていたので、美紀のプレゼントを渡した。


「これ、やるよ」

「え? ……僕に?」

「はあたしからじゃねーんだ、他の女から頼まれた」

「そうなの? じゃあその人にありがとうと伝えてくれないかな?」

「それは、できない。そいつは……遠くに行くから」


 とても遠くに、みんなが辿り着く場所に。


「そいつはおまえのことが好きだったんだ」


 美紀には、余計なことはしゃべるな、と言われたけど、構うものか、と凛は松倉を見据えた。


「だけど言えなかった。そいつが、おまえに伝えてくれってあたしに託した言葉は一つだけだ。『ありがとう』だってさ。そいつには――その、やらなきゃいけない大切なことがあって、だから直接おまえに言葉を伝えることができなかった。大切なこととおまえとを比べて大切なことの方を選んだ、と言ってしまえばそれまでだけど、そう単純じゃねえということはわかってやって欲しい。そいつは性格が悪いし、あたしにすぐ突っかかってくるし、変な口調だし、馬鹿だし、あと性格が悪いけど、まあ極悪人ってほどじゃあない。顔だってあたしほどじゃないけど美人だ。だからさ、自分で何言ってんのかよくわかんなくなってきたけど、今日は、今日だけでいいから、そいつのことをちらっと思っててくれないかな」


 一気にまくし立ててから、凛は付け加えた。


「そいつはきっと喜ぶと思うんだ」


 突如ベラベラとしゃべりだした凛の言葉は、美紀が魔法少女であることを知らぬ人間には面食らうような内容であったに違いないのに、松倉はあきれたり失笑したりせずに真摯に聞いてくれた。


「わかった。今日はその人のことを思うよ」


 店を出ると、遠雷のような音が響いて、雲の合間に一筋の光が横切った。

 大陸間弾道魔法少女が発射されたのだ。

 はるか遠く、海を越えて敵国へと。


     ◇


「美紀ちゃん、行っちゃったねえ」

「……そうだな。……んなことより、なーんかおまえ、元気ねーなー。洗濯した時ぐらいから変だよな」

「そんなことないよう元気だよう。あっ、美味しい! やっぱあそこのパン屋さんはなんか違うよねえ? 何が違うのかなあ? パンかなあ、パンが違うのかなっ?」

「知らねえわ」


 幸子はまだカラ元気くさい。

 広場のパラソルの下、2人で買ってきたパンを食べている。


「そういえばね、この前聞いたんだけど、あたしと凛ちゃん、みんなから『ゾウとネズミ』って言われてるんだって。失礼しちゃうよねえ」

「ふん、言わせておけ」

「あと、『スイカとまな板』とも呼ばれてるんだって」

「ぶっ殺す!」


 食べ終わって席を立つと、空は分厚い雲で覆われていた。午前中の晴天が嘘のような暗い灰色の空だ。


「今にも雨が降りそうな雰囲気だねえ」

「ああそうだな。つーか急激に寒くね?」


 コートを着て来たのに、震えが止まらない。露出している手や顔などは凍りそうだ。


「ふっふっふ、この寒さは『魔法少女の冬』のエイキョーなのですよ、凛ちゃん」

「何その得意顔。あたしが教えてやったんだろうが。まいいや、降らねえ内に帰んぞ」


 凛がポケットに手を突っ込んで歩き出すと、視界に白いものが舞った。


「あっ! 雪だ! ゆーきーだぁあああ! いいいぃやっほぉぉ!」


 両手を上げてクルクル回り出す幸子。

 雪が降ってきた。それも紙吹雪のような大粒の雪だ。


「あーあ、降ってきちまった。こりゃバイクは諦めてバスだな」

「てぶくろ買お、てぶくろ!」

「手袋なんて帰ったらあるだろ」

「今ここで雪合戦したい!」

「ひとりでしてろ。あせらなくったって今年は死ぬほど雪で遊べると思うけどな」


 なにしろ十月の頭でこの本格的な降雪だ。真冬にはどれだけ積もることか。

 バス停まで近道をしようと、裏路地に入った。

 石畳にはすでに雪が積もり始めている。


「おい、転ぶぞ」


 スキップしながら前を歩く幸子に、凛は注意する。

 大丈夫だよお、と言いながら角を曲がった幸子だったが、パシュっと軽い音がして、後ろの凛の方へ倒れてきた。


「馬鹿野郎、だから言ったろうが。デカイ身体でのしかかってくんじゃねーよ、重いつぶれる、早くど……け?」


 変だ。幸子の身体からは完全に力が抜けてぐったりしていて、それに幸子を支える左手で感じる、この温く濡れている感触は、何だ?


「最後の魔法少女も確認しました。射殺しますか?」


 路地の先から男の声がした。幸子の脇から見えたのは、銃口をこちらに向ける男の姿。

 無線がノイズ混じりの反応を返し、男が狙いを微修正した瞬間、凛は全力で幸子の身体を引っ張り、もと来た路地に倒れ込んだ。

 さっきと同じ音がして、狭い路地で弾丸が跳ねる。

 敵? なんでここに? 魔法少女を狙ってる?

 考えている暇はない。逃げないと。

 幸子の身体をなんとか背負う。幸子の長い脚を引きずりながら、路地を引き返す。

 さっきの男が走ってくる音がする。幸子を背負ったまま身体をひねり、腰から銃を引きぬいて後ろに向かって適当に撃つ。とにかく敵の動きを止めて、身を隠さないと。応戦するだけの技量も余裕もないし、ぐずぐずすればすぐに囲まれてしまうだろう。


「くそっ、早く起きろ幸子! 馬鹿のくせに人並みに気絶してんじゃねーよ!」


 ふと浮かんだ「幸子を置いていけば」という思考を、声を出して振り払う。

 無線機を取り出し、基地に連絡を取る。


「こちら魔法少女の凛と幸子! 街の裏路地でいきなり襲われた! たぶん敵国の兵士だ! 救援頼む! ……おい、黙ってねえでなんとか言え!」


 怒鳴りつけると、外国なまりの声が無機質に応えた。


『……基地は連合軍が制圧した。無駄な抵抗はやめて投降せよ』

「……っ!」


 凛は驚きで声も出ない。交信先を次々と変えても、味方に通じることはなかった。

 全ての施設が敵の支配下にある。

 無線機を地面に叩きつけた。


「こんちくしょうが!」 


 腹の底から沸き上がってくる絶望を必死に抑える。やみくもに角を1つ曲がり、2つ曲がる。

 路地の幅は2メートルもないだろう。ドアもほとんどなく、あっても施錠されている。壁には窓も取っ掛かりもない。

 威嚇と時間稼ぎのためにさらに数発応射して、手持ちの弾が切れた。

 いくら進んでも、雪が積もっているせいで足跡が残ってしまう。

 追手の足音が複数になった。

 逃げ切れない。

 息が上がる。

 いくつ目の角を曲がった時か、脚を撃たれた。撃たれたと言うよりは、跳弾がたまたま当たったのだろう。視界が赤く染まるような激痛が身体を駆け上がる。

 それでも這いずるようにして狭い路地を進んで行き着いたのは、


「行き、止まり……」


 三方を高い建物に囲まれた、袋小路。窓もなく、扉もない。

 凛はバランスを崩し、幸子の身体が背中から転がり落ちた。

 そのままの勢いで凛は仰向けになった。もう無理だ。一歩も歩けない。

 終わりなのか、こんなにあっけなく……?

 幸子が咳き込む。


「ううう、お母さん、お父さん、ごめんなさい……」


 気が付いたのか、と思ったが、うわ言のようだ。

 幸子が親のことを口に出したのは初めてだった。

 魔法少女は過去をしゃべらない。それぞれに魔法少女になることを決意した理由があるはずだが、口にはしない。それが誰が決めたわけでもない不文律だった。

 10代の女の子が、自分の命と引き替えに、何万、何十万の人間を殺すことを望む理由なんて、どれも似たり寄ったりの、くだらないものであるに違いないのだ。理由を語らないのは、そのくだらなさを魔法少女たちが自覚しているからかもしれない。理由を語れば、言葉にすれば、その言葉を聞けば、自分の理由の陳腐さを認識してしまう。だから語らないのだ、と冷静に分析する凛もまた、自分の「理由」を人に話したことはなかった。

 『自分こそが世界で一番不幸だ』という顔の魔法少ばかりの中で、幸子は違った。幸子はいつだってニコニコ楽しそうだった。

 典型的な『あたしは一番不幸』だった凛は、そんな幸子を最初は疎ましく思い、そして気が付いたらいつも一緒にいた。

 幸子だけは違うと勝手に思っていた。幸子だけは、くだらない「理由」なんかに縛られていないと。

 ――そんなわけはなかったのに。


「この期に及んでママパパごめん、だと……」


 身体から最後の力が抜けていく。

 路地に靴音が反響する。敵は着実に近づいてくる。

 凛は寝転がったまま空を見た。

 周りの高い建物に囲まれ、狭く小さく区切られた、遠い空。

 井戸の底にいるみたいだ、と凛は思った。

 寒くて薄暗くて湿った井戸の底で、あたしは死ぬ。

 赤い火になることもできずに、死ぬ。

 重かったけど幸子を背負ってきてよかった。

 幸子の大きな手を握る。

 サソリと違って、あたしはひとりじゃない。


     ◇


「ここに平和が達成された」


 壇上で初老の男が堂々と宣言する。

 国連本部の大会議場が、万雷の拍手で満たされた。

 すり鉢状に配置された議席を埋め尽くす各国代表によるスタンディングオベーションが収まるのを待って、男は続ける。


「世界平和を長らく阻んできた悪魔の兵器『魔法少女』が、先日ひとつ残らず破壊された。世界の市民が『魔法少女』の恐怖に怯えることは、もうないのだ」


 再び拍手喝采。


「まずは、この正義の戦争にその身を捧げた兵士のために祈ろう。私は彼らに心から敬意を表する。彼らの勇敢なる犠牲なくしては、悪との戦いに勝利を収めることはできなかっただろう」


 一分間の黙祷。会議室は静まり返る。


「世界各国による説得も顧みず『魔法少女』の製造、所持及び使用を続けてきた狂気の悪逆非道国家である極東亜帝国は即日解体され、国連の管理下に入った。

 『包括的魔法少女実験禁止条約』、『非魔法少女三原則』などの国際条約違反、および、『魔法少女』によって世界の37もの都市を壊滅させ、1000万を超える人命を奪った『人道に対する罪』により、極東亜帝国の指導者は極刑をもって裁かれることになるだろう。

 諸君、何度でも言おう。戦争は終わった。

 世界平和が成就されたのだ」


     ◇


「赤い火になれなかったサソリの命に、意味はあるのかな?」


 意味はある、と凛は答えた。どんな命にも意味はあるんだよ、と。

 幸子があのとき屋上で求めていた答えも、「意味はある」だっただろう。

 だが、井戸の底で幸子の大きな手を握った凛は、悟る。

 その答えは間違いだ。

 だって握ったこいつのデカい手は、まだあったけえじゃん。

 まだこいつは死んじゃいねえじゃん。生きてんじゃん。

 微生物がどうのこうのみたいな小賢しい屁理屈を並べて、幸子を煙に巻いてはいけなかったのだ。『どんな命にも意味がある』なんて甘言でごまかしてはダメだったのだ。

 井戸の底で朽ちる命に意味はあるかって? 馬鹿じゃねえの? そんなのあるわけねえじゃん。

 そんな命に意味なんかないのだ。

 井戸の底で、サソリは何をすべきだったのか?

 命の意味が欲しかったサソリは、何をすべきだったのか?

 自分の命を犠牲にしなかったのを悔いること?

 自分の命の意味のなさを嘆くこと?

 神に祈って星にしてもらうこと?

 違えだろ。

 そんなことしてる場合じゃねえだろ。

 サソリがすべきことはただひとつ、『井戸を這い上がって外に出ること』だ。 

 サソリには立派なハサミがついてるじゃねえか。強力な尻尾も、恐ろしい毒針だってあるじゃねえか。

 岩の隙間に針を刺して、ハサミで壁を引っ掻いて、あがいてあがいて、這い上がるべきだったのだ。

 赤い火になれなかった魔法少女に意味なんかないのだ。このまま井戸の底で死んだら、なんの意味もない命になるのだ。

 それでいいのか?

 嫌だ。

 だったら、井戸の底から這い出して、自分で意味を見つけるしかない。

 幸子に告げねばならない。地面に肘をつき、掌をつき、細い腕に力を入れて、凛は身を起こす。

 幸子は気を失ったままだ。いつもニコニコな顔を、苦しそうに歪めている。

 らしくねえ。


「起きろ、幸子」


 凛の声がかすれる。

 右手を振り上げる。

 渾身の力で腕を振るって幸子の頬を張り、絶叫する。

 赤い火になれなかったサソリの命に、意味は――


「意味なんか、ねええええぇぇぇぇぇぇぇんんだ、よおおおおおお!」

 

     ◇

 

 3人の男が自動小銃を構えて路地を進む。平服姿だが、全員兵士だ。

 雪に足跡が残っている上、血痕も点々と続いているため、追跡は容易だった。

 ターゲットである魔法少女も銃を携行しているので安全を期して慎重に追ってきたが、人数も3人揃い、態勢は整った。

 この先の路地は、地図によれば行き止まりだ。微かに物音がしたので、ここにターゲットがいるのは間違いない。

 この角を曲がれば、行き止まりまでは一直線の狭い空間だ。遮蔽物がないので防御できないが、条件は相手も同じ。むしろ角に隠れられるだけこっちが有利。

 小さな鏡を使い、路地の先を確認する。

 行き止まりで倒れているのは……小さい方の魔法少女一人だけ?

 大きい方は、どこに?

 と鏡の角度を動かした瞬間、銃声が一発、二発。

 先頭で鏡を見ていた男と、最後尾で警戒していた男の頭が爆ぜる。

 真ん中の男が反応できないでいる内に、その頭部めがけて、幸子が降ってきた。

 幸子の全体重がかかった足裏が頭頂部にヒットし、ごきり、と兵士の首が嫌な音を立てて折れ曲がった。その男と折り重なるようにして、幸子も倒れる。


()ったあ! なんで3人目は銃使っちゃダメなの?」

「服を血まみれにしないためだ。ぼけっとすんな、装備を回収しろ、あとその男の服も脱がせ!」


 指示を出しながら、片足を引きずるようにして凛が駆け寄る。

 凛の発案で幸子が隠れていたのは、空中である。

 路地の幅は、2メートルほど。身長182センチの幸子ならば、両手でバンザイするような姿勢を取ると、路地の両側まで届く。全身で路地の両側に橋を架けるように突っ張って身体を支えることで、ほとんど取っ掛かりのない壁でも登って行くことができた。

 ある程度高さを稼げば、あとは見つからないように息を潜め、敵が真下に来るのを待てばよい。

 敵がふと上を見上げただけで崩壊してしまう脆い作戦ではあった。しかし、足跡と血痕というこっちの行動を知ることができる手がかりが両方とも下方にあるため、注意は下に向きがちだと踏んだのだ。


「なんでこの人の服を脱がすのお?」

「おまえが着るからだよ。あたしが着たらブカブカだからな。敵は魔法少女の2人組を追っているはずだ。ひとりが服装だけでも男に化けられたら効果があるだろう。おまえの身長はバレてるだろうから気休め程度だけどな」

「うひー」


 2人は自動小銃を拾って肩にかけた。

 凛の足は痛むし、幸子の意外と軽傷だった怪我の手当てもしなくてはならない。

 裏路地の出口から、外の様子をうかがう。

 地響きとともに大通りを進むのは、敵国の戦車だった。

 サソリが必死に這い出た井戸の外は、楽園ではない。

 恐ろしいイタチに見つかったら死に物狂いで逃げねばならず、自分より小さな虫を殺して食らわねばならない、そんな変わらぬ元の世界だ。


「それでも行くか?」

「行くよ、もちろん!」


 凛と幸子は駆け出した。

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