7.ヒカリノツルギ
「あの黒い獣が、超速再生持ち!?」
煙が辺りを漂う中、木陰に隠れながらオレは説明する。
「そうだ。『キョゲイスイレン』も『カリュウクリカラ』も、言ってしまえば多段ヒットする攻撃魔術に類するもの。ヤツが高い魔力耐性に加えて、超速再生持ちだったからこそ、今まであらゆる攻撃に耐えられたんだ」
水流でねじ切られた腕はすぐに再生し、燃える翼は焼かれたそばから再生が始まる。黒い獣の身体に刀傷1つなかったことを見ると、おそらくザニィの高速斬撃も全て再生されたのだろう。
つまり、オレ達が黒い獣に勝利するには。
「多段ヒットじゃなくて、一撃必殺の魔術をお見舞いする必要がある。やれるか、マユー」
簡易注射器で首筋に魔力草を注入しているマユーは、顔をしかめながらコクリと頷く。
すでに3本ものマンドラゴラを消費している彼女は、魔力が全開になる代わりに、しばらくは魔力草や聖根水を使えない。植物由来の成分を過剰摂取し過ぎると、その魔力の影響を強く受けすぎて身体が植物化してしまうからだ。
オレに魔術が使えない以上、攻撃はマユーに任せるしかない。次の一撃で終わらせられなければ、現状敗北が確定している。
「一瞬で全てを出し切れば良いのよね。任せて、『カリュウクリカラ』よりワンランク下がっちゃうけど、とっておきの魔術がある。……ただね、それには時間が必要なの」
「どのくらいだ」
「……5分」
「…………」
途方もない時間だった。
アリシアとザニィの2人掛かりですら敵わなかった魔物相手に、≪光の剣≫の中で最弱のオレが5分という時間を稼ぐ。それは、1匹の兎が獅子から逃げ切ることに等しく、連なる針の穴にミスなく連続で糸を通すかのような所行だった。
目を閉じ、逡巡する。ザニィの最後の言葉が、脳内で反響する。
――……ああ、お前らか。悪いな、しくじっちまったよ。後は――
ドクン、身体に熱い血が流れる。
覚悟は既に決まっていた。オレは目を開き、『一角の両刃剣』を鞘から引き抜く。
「分かった、後は任せろ。アイツらの敵、オレ達で討つぞ!」
「ガディ兄ならそう言うと思った。オーケー、あたしもやってやるわ。魔術オタクの底力、見せてやるんだから!」
お互い精一杯の痩せ我慢をして、精一杯の強がりを見せた。
やることはただ1つ。≪光の剣≫の仲間のために、黒い獣を打ち倒すことだけ。
オレは木陰から飛び出し、黒い獣へ向かって走り出した。
黒い獣と目が合う。オレの全てを飲み込むかのような暗い瞳に、全身が総毛立つ。張り詰めた空気に耐えられず、肺が、心臓が破裂しそうになる。
「おぉおおおおぉおおぉおおぉぉぉぉぉッ!」
それでも、前へ。
どちらが獣か分からなくなるような叫びを上げながら、オレは恐怖を上がき、盾と剣を携えて黒い獣へと突進した。
オレ達の勝利条件は3つ。
5分間、黒い獣の意識をマユーに向けさせないこと。
5分間、オレが死なないこと。
5分間、黒い獣をこの場に釘付けにすること。
その1つ目の条件を満たすために、オレは自ら叫びを上げて黒い獣へと向かうのだ。
そして、2つ目と3つ目の条件を満たすために、付かず離れず攻撃をいなしながら、まだ比較的枯れ木が倒されていない場所で戦う。これが、オレが行える最大限の戦術だった。
その戦術を壊すかのように、黒い獣は近くに生えている枯れ木を引き抜き、全身の筋肉を総動員してオレに投げつける。戦士の槍投げを思わせるような、滑らかな投擲だ。オレは木々の間を縫うように走り、それをギリギリで躱した。
歪に、巨大に発達している、岩や木を投擲することに特化した右腕。『一角の両刃剣』の間合いに入るまでは、右腕に注意を向けるべきだろう。そして間合いに入ってからは、2メートルほどの長さはある、刀のように鋭く発達した左腕に注意を向ける必要がある。
慎重に観察しながら、再び投擲された枯れ木を『六つ目の双蛇盾』でいなす。当然のことながら、黒い獣に近づくにつれて障害物となる木々は少なくなっていく。常に変化する攻めと引きの境界線を見極める目は、アリシアの助言によって鍛えられたものだった。
境界線の前に出て、守りから攻めに転じる。振り下ろされた右腕を躱しながら前進すると、呼吸する間もなく刀のような左腕が迫ってきた。
……よし、読み通りの展開だ。
「『ダメージ・クッション』!」
2つの宝玉が輝きを放ち、受け止めた左腕の衝撃を肩代わりする。宝玉が1つ砕ける。そのまま懐に入り込み、『一角の両刃剣』を鱗のない腹へと振るった。
「『リョッコウザン・5連』!」
ザニィに教わった、タォキ流の高速斬撃。しかし結局のところ、威力も速度も連撃数も、ザニィの半分以下にしかならなかった劣化の模倣技である。
傷の治りが遅くなるよう細工をされている『一角の両刃剣』をもってしても、オレの連撃では終えたそばから再生が始まり、腹の傷口は煙を上げながら塞がり始めていた。
自分の攻撃で全くダメージを与えられていないことに軽く絶望しつつも、ここまでは計算通りだった。
守ってばかりでは、ヤツの意識をオレに集中させることは出来ない。ザニィと同じ流派の技を見せつけ、オレがザニィと同等のレベルの脅威であると誤認させることがこの攻撃の狙いだった。
そう、そこまでは良かった。問題はその直後に起きたこと。オレは黒い獣の回復速度にばかり注目して、痛みの鈍さについては全く考えていなかったのだ。
高い魔術耐性、高速の自然治癒能力、そして痛みへの鈍感さ。その3つを合わせ持っているからこそ、炎の嵐の中でもヤツは動けたのだ。
またしても呼吸する間はなかった。剣を振るい終えたオレに対して、黒い獣は即座に左腕を振るった。
「ぐッ……」
盾で受ける事には成功したが、そのまま吹き飛ばされ距離を離される。
木々がなぎ倒された、更地へと放り出された。自分のいる場所を理解し、背筋から冷たい汗が流れる。ここには障害物がない。急ぎ、木々の生えている場所に移動しようとして、しかし、すぐさま盾を正面に向けて衝撃を受け流す体勢をとった。
「だ、『ダメージ・クッション』……ッ!」
魔力を纏った巨岩。『セイスイノカザカゴ』を打ち破った巨大な弾丸が、黒い獣の右腕から放たれた。
受け止めた瞬間、最後の宝玉が砕け散り、赤い粒子が宙を舞う。受けきれなかった衝撃が全身に伝わって、歯を食いしばりながら後方へと岩の軌道を逸らした。地面に落ちた岩は、砂となって砕け散る。
痺れは酷いが、まだ左肩より下が動くことに安堵し、今度こそ木々の生える場所へと移動した。
「はっ、はっ、はっ……」
枯れ木に体重を預けて息を整える。ポーションを左腕に打ち、痺れが取れたことを確認してから注射器を地面に投げ捨てた。
今、どのくらい経っただろうか。
『六つ目の双蛇盾』の宝玉は全て割れ、ポーションを1本消費した。それと引き替えに理解したのは、ヤツの痛みへの鈍さと、混色の魔力色について。
空中で岩を投擲され、マユーに岩を投擲され、そしてついさっき自分に向けて岩を投擲されてやっと分かった。
あれは砂魔術で創造された特殊な岩だ。削り出しなどの必要がないからこそ、空中でも、原生林の中でも、炎の嵐の中でも自由に投擲できたのだ。
雷と砂の混色属性。それが、黒い獣の魔力色。
「ははっ、ここまで絶望的だと笑えてくるな……。なあ、お前達はどうやってヤツと戦ったんだ?」
決まってる。類い希なる戦闘センスと、豊富な魔術を駆使して2人は戦ったんだ。オレには持ち得ることが出来なかった才能を使って、何倍もの時間を。
なら、オレが持ち得るものは何だ?
宝玉が全て割れた『六つ目の双蛇盾』、ヤツに傷1つ付けられない『一角の両刃剣』、ポーション2本。そして……昨夜、ザニィの言っていた”必要なものを瞬時に見抜く力”。
――自分を下に見過ぎるのも、どうかと思いますよ。
昨夜のアリシアの言葉を思い出し、思わず苦笑する。オレがそうなったのは、お前達に劣等感を感じているからだというのに。
しかし今にして思い返してみれば、自分の短所ばかりに目を向け、長所が見えていなかったことも事実だ。だから、オレの代わりにお前がオレの持ち得るものを見つけ、横に並ぶ者として教えてくれたんだろう。お前も、立派な≪光の剣≫の一員なのだと。
だったら、オレはいつも通りでいい。≪光の剣≫の皆を信じるという、ただそれだけのことをしよう。
「……もし世辞で言ってたなら、あの世で1発殴るからな、ザニィ」
息は整った。木陰から飛び出し、再び黒い獣と対峙する。
考えろ、考えることを止めるな。必要なものを見抜くには、より多くのものを見る必要がある。
ヤツの動き、ヤツとの距離、境界線の位置、自分の体力、この場の地形、そこから導き出されるヤツの動きの予測と、その対応策。
境界線のギリギリを全速力で走った。黒い獣は左腕で木々を切り崩しながら、右腕で大地から砂を収束させて岩をつくり、投擲してくる。魔力を纏ったそれは障害物となるはずの木々を易々と粉砕し、オレへと迫る。
宝玉がないため、あの岩はもう盾で受けられない。全力で走り、全力で躱す。
その動きはヤツにも予測出来たのだろう。1発目はブラフだと言わんばかりに、2発目の岩を創造し、もう1度オレに向けて投擲した。
完全に動きを読まれたせいで、このままでは躱しきれなかった。舌打ちをしながら、盾を前に出す。真っ正面から受け止めるのではなく、少し斜めに構えて衝撃を流そうとするが、それでも『六つ目の双蛇盾』は衝撃に耐えきれず破壊され、左腕はあらぬ方向に曲がり、直撃だけは避ける形で岩は後方へと飛んでいった。
「ぐあぁああああ……!」
迷う暇はなかった。すぐさま残りの聖根水2本を取り出し、左腕に注入した。ゴキリ、ゴキリと骨が音を立てて再生し、なんとか外見は腕の形に戻る。それでも腫れは酷く、辛うじて剣を握れる程度にしか回復はしていない。
アドレナリンが出ていても誤魔化しきれない激痛で、頭がおかしくなりそうだった。身体の反射反応からか、心の弱さ故か、はたまた仲間を失ったことを今ようやく現実のものとして認識したからか、涙が溢れて視界が歪んだ。
最善を尽くしてこの有様だ。残り剣1本で何が出来ると言うのだろう。もしかしたらこの努力は全て無意味なのではないか、と自分の行動に否定的になってしまう。
不意に、走馬灯なのか、なんてことはないアリシアとの会話を思い出した。
かつて、神に仕える獣であった筈の火竜がなぜ魔物墜ちしてしまったのか、アリシアは羊皮紙を眺めながら熟考を重ねていた。「そんなことを考えても意味はないよ」とオレが軽い気持ちで言うと、彼女は首を横に振った。
『この世に無意味なことなんてありませんよ。ザイザル神がこの星を創り、我々を生みだしたように、全ての事柄には意味があるのです』
『運命論ってやつか?』
『ええ。まあ、この点に関してはサンザイザル教の中でも意見が別れるところなんですけどね。しかし、私は思うのですよ。今、私達の頭上であの雲が流れるていることに、未来を予見する≪神獣・火竜≫が魔物墜ちしたことに、貴方が無属性として生まれてきたことに、ちゃんと意味はあるのだと。未来を切り開くために、ザイザル神は運命のレールを万物に敷いている。そう考えた方が明日に希望を見出して眠ることが出来る、そうは思いませんか?』
あの時は、そうかもなとオレが軽く受け流してしまったせいで、アリシアは不機嫌になったんだっけ。
あの微笑ましい日々は、もう戻ってこない。アリシアも、ザニィも、もう死んでしまったから。
なあ、神様。アイツらの死に意味はあったのか? オレがここで頑張れば、アイツらの死は報われるのか?
そこまで考えて、地面に巨大な影が差し、ハッと我に返った。視線を上に向けると、いつの間にか黒い獣が上空にいて、巨大な体躯で今にもオレを押し潰そうとしていた。
寸前の所で横に跳躍する。黒い獣の着地の衝撃で大地が割れ、大気が揺れた。地表の砂も舞い上がり、視界が塞がる。
それがまずかった。丸太の如き太さの尻尾が近づいてきていることに気付かず、胴体にもろに直撃した。
「かはッ……」
肺の中の空気を全て吐き出され、目の前がチカチカと点滅した。凄まじい勢いで後方に吹き飛ばされ、全身を強く地面に打ち付けると、体内からせり上がってくる何かを感じ、咳と共にそれを吐き出した。
血だった。離してなるものかと強く握っていた『一角の両刃剣』が赤い斑点で汚れる。身体を起こそうとして、脇腹がズキリと痛んだ。また血を吐き出し、両刃剣を杖代わりにして身体を無理にでも起き上がらせた。
眼前には、オレに向けてゆっくりと歩を進める黒い獣。獲物の死を確信し、喜びの表情を浮かべるヤツにとって、オレとの戦闘は本当に、獅子が兎を狩ることと等しかったのだろう。
「やって、らんないよなぁ……。アダマンタイトになったって、凡人は凡人。端からオレに勝ち目はなかったんだ……」
もうポーションはない。あと一刀、剣を振えるかどうかという程度にしか、体力も残されてはいない。この状態のオレに勝ち目はない。
「だけど、オレ達なら話は違う。お前は地を跳ねる兎じゃなくて、オレ達の頭上を流れるあの雲に、変化する天候に目を向けるべきだったんだ。……ほら、降ってくるぞ」
ついさっき視線を上に向けたとき、それに気付いた。オレを仕留めようと跳躍する黒い獣の上空に、どんよりとした暗雲が浮かんでいることに。
『カリュウクリカラ』によって、ここら一帯の暗雲は晴れたはずだった。それが再び集まり、上空で赤い稲妻を走らせているということは、マユーが魔術を行使するために再び集めたということなのだろう。
5分――約束の時間だ。
「轟けぇぇぇ、『ホノイカズチィィィィィ』!!!」
マユーの叫び声が山中に響き、真っ赤に燃える雷光が黒い獣に降り注いだ。
雷魔術は赤系統に属する魔術。炎属性の魔力色を持つマユーにとって、雷魔術は軽い応用で扱える範疇のものだった。
5分というタメを必要とする代わりに、全ての魔力を赤雷として出力する絶対破壊の攻撃魔術。死は不可避なものとなって黒い獣を抱擁した。
地面が溶岩のようにドロドロと溶け、目の眩むような赤い光を発していた。周囲の木々は熱風によって燃え盛り、灼熱が広がっている。その中心に、死の抱擁から逃げだそうとする1つの生命が、その身を焦がしながらもがき抗っていた。
「×××、××××××、××××××××××××!!!」
今日初めて聞く、理解不能な渾身の叫び。最大火力の『ホノイカズチ』をもってしても、ヤツを絶命させることは出来なかった。
「いや、まだだ……!」
ダメージは顕著に表れている。いくら超速再生持ちと言えど、これだけの傷を再生させるのには相当時間が必要なはずだ。暫くは、その場から動けないだろう。
しかし、マユーも全ての魔力を使い果たし、暫くは魔術を行使できない。あとはオレが、殺るしかない。
「う、おぉおおおぉおぉぉぉ!」
叫ぶ。ヤツに負けじと身体に眠る全てのエネルギーを総動員して、足を引きずり、血を吐きながら、それでも前に進む。
強がりでも気合いでも、この際何でもいい。ここで決めなければ全てが水の泡になってしまう。オレも死に、マユーも死ぬ。ザニィとアリシアの死も、本当に無駄になる。それだけは絶対に許さない、絶対に!
1歩。1歩。また1歩。
激情を抱き、遂に黒い獣の元へと辿りつく。うずくまる者の巨大な首筋に剣を当てる様は、さながら自分が無慈悲な処刑人になったようだった。
もうタォキ流の連撃は放てない。この一刀に全てを込める。
両刃剣を振り上げ、息を吸い、持てる全ての力で振り下ろす、刹那――誰かに背中から抱擁されるような、暖かな温もりが身体を包んだ。
サンザイザル教曰く、思慮分別を知り、身を賭して善行を積む者にこそ、ザイザル神は祝光をもたらす。
アリシアが口酸っぱく言っていた言葉。しかし過酷な環境に身を置くことが多かったせいで、オレが最後まで信じることの出来なかった言葉。
アリシアは正しかった。神は確かに、暗雲の下で炎に包まれる憐れで惨めな青年を、天上の世界から見守っていたのだ。
両刃剣が極光に輝く。
魔術を行使するための神言が、自ずと口から紡がれる。
ザイザル神しか持ち得ないという、光属性の魔力色。それを纏う、神罰執行の神器。オレが背負うチームの名。それは――
「――『ヒカリノツルギ』」
今ここに、闇は光へと転じた。黒い獣は極光に飲み込まれ、命の輝きを乱反射する塵と化す。
叫びは、止んだ。
急に脱力感に襲われ、オレは地面に倒れる。視線を上げると、風に舞い上げられた黒い獣の残滓が、くるくると螺旋階段のように宙を舞っていた。