5.願いは流星のように淡く
「うおぉぉぉぉああああああああああああああ!!」
舌を咬む危険があると分かっていても、恐怖のあまり落下中はひたすら叫んでしまった。
オレが着地に失敗したら、2人ともペシャンコだ。挽肉だ。グロテスクな肉塊だ。そういった悪い想像ばかりが頭によぎり、不安が叫びとなって口から漏れ出した。
「ガディ兄、落ち着いて!」
「わ、分かってるよ!」
急ぎ右手に装備した盾を地面に向けて構える。この『六つ目の双蛇盾』は、≪幻獣・双蛇≫の鱗を用いて作られている。その頑丈さはさることながら、中央部に埋め込まれた6つの宝玉には神言が刻まれており、魔力のないオレでも魔術を扱うことが出来る魔具だった。
あとは着地と同時に、あれを唱えれば良いだけ。大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫――今だ!
「『ダメージ・クッション』!」
瞬間、盾に埋め込まれた6つの宝玉が輝きを放つ。予め設定された衝撃吸収の魔術が発動し、4つの宝玉が衝撃を肩代わりして粉々に砕け散った。
オレ達は一瞬だけ空中に静止し、高度2メートル弱からの落下を開始する。落下の開始地点が1000メートルと2メートルとでは、衝撃は天と地の差だ。ゆっくりと地面へ着地したオレ達は、大きく胸を上下させ、肺に空気をこれでもかと送り込んだ。
「はっ……はっ……死ぬかと、思った……」
「でも、何とかなったね……。ありがと、助けてくれて……」
オレ達は互いの生存に安堵し、微笑んだ。しかし、その後すぐに去来したのは、途方もない不安と恐怖だった。
「アリシアとザニィ、無事だよね……?」
「……ああ、きっとピンピンしてるさ。それよりも、今は自分達の心配をしよう。使える装備は?」
「……まるで駄目ね。聖根水や魔力草のストックは、空中であらかた持っていかれた。使えるのは、元々所持していた分だけだ」
「オレのと合わせて、聖根水3つ、魔力草3つ。それに、煙玉3つか……心許ないな」
加えて、盾の宝玉が4つも割れてしまった。残り2つの宝玉を使い切る前に黒い獣を倒さなければならない。そうを考えると、どうにも厳しいものがある。
「あたし達、目的地に着いたんだよね?」
「だと思う。ただここの山肌、聞いていた特徴と合致しないんだ」
手で土を掬い上げると、サラサラと砂になってこぼれ落ちる。
湿気が高く、粘性の高い土に緑豊かな原生林が自生していると聞いていた。しかし、辺りを見渡しても目に入ってくるのは、痩せた大地と枯れた木々。野生動物などは1匹たりとも見当たらない。
極め付けは、遠くに見える巨大な円盤だ。大地に傾いて屹立するそれは、人が建てたとは思えないほど精巧で繊細な造りをしていた。
「アレ、何だろうね」
「分からない。ただ、アレが元々あったとはとても思えないな。だとしたら黒い獣が建てたか、あるいはアレに乗ってここまで来たか……」
「魔術的な飛行物体ってこと? だったら、漂う魔力の残滓が少なすぎる。ガディ兄が付けてる『六つ目の双蛇盾』の方が、まだ魔力量は高いよ」
「可能性の1つを言っただけだよ。それに、疑問ならもう1つ」
「あんなに目立つものが、なんでギルドの報告書に記述されていなかったのか、でしょ?」
「……ああ」
ギルドがこの辺りを監視しているのなら、山に入らずともあの巨大な円盤は見えるはずだ。報告書に記述がないのは、明らかにおかしい。
それに、この山の上空にだけ暗雲が立ち込めているのも気になる。雨は降っていないが、風が強く、天候が良いとは言えない。
自分達が置かれている現状を、少しでも理解しようと頭を回す。しかし、それを充分に考える暇は、ザイザル神も、黒い獣も与えてはくれなかった。
山の中央付近で、巨大な水飛沫が上がった。アリシアの魔力色である聖水属性の魔術だ。巻き上がる水飛沫を見て、アリシアとザニィが黒い獣と戦っているのだとオレ達はすぐに察知する。
「アリシアの『キョゲイスイレン』……!」
持ち前の魔力量にものを言わせて放つ、アリシアの対火竜撃滅用攻撃魔術。マユーがアリシアのために編み出した青系統に属する魔術で、アダマンタイト級昇格クエスト≪火竜討伐≫の決定打にもなった魔術だ。雷魔術は赤系統に属する魔術、相性の良い青系統の魔術で責めるのは理に適っていた。
だが、それが黒い獣に効かなかったことは、次に続く大地を割るような轟音で分かった。
「うそ、『キョゲイスイレン』が効かなかったの!?」
「魔術耐性が高いとは予想していたが、まさかこれ程とは……。2人が危ない、行くぞマユー!」
「うん!」
2人と合流して、≪光の剣≫4人の力を合わせて黒い獣を倒す。その考えに迷いはなく、オレ達は水飛沫の上がった方向へと走り始めた。どうか2人とも無事でいてくれ。心臓の高鳴りを感じる度に、心の中でそう願いながら。
天へと向かう巨大な水柱、枯れ木をなぎ倒す疾風の斬撃、大地を削り、岩を粉砕するような轟音。そして、黒い獣の咆吼。
2人の元に向かう間、山中を揺らす地響きが続いた。激しい戦闘の余波は、同時に2人の生存証明でもある。もはや破格の成功報酬など頭から消え、2人の生存を確認できなくなることへの不安と焦燥が頭を支配していった。
落ち着け、大丈夫だ。『キョゲイスイレン』が効かなくたって、アリシアには明晰な頭脳と超人的な視野の広さ、身を護るだけの防御魔術がある。それに、ザニィだっているんだ。高速の13連撃はあらゆる攻撃を弾いて、あらゆる防御を切り崩す。そう簡単にやられはしない、それはオレが良く分かってる。だから、大丈夫だ。
それでも走る度、得体の知れない不安が頭をよぎった。それを否定するように、今まで乗り越えてきた数々の困難が脳裏に浮かんだ。
灼熱の砂漠に浮上した、古代文明の遺跡。≪霊獣・火巻き蜥蜴≫の炎風を、ザニィが高速の10連撃で切り裂いて活路を開いた。オレがサポートに徹し、アリシアとマユーの混成魔術でトドメを刺すという、後に≪火竜討伐≫の攻略ヒントにもなった、トキゾチーク級のクエストがあった。
死の瘴気が漂う、還らずの沼地。マユーの『チョウチョウカバク』で巣穴を破壊され、後がなくなった≪幻獣・双蛇≫は毒を撒き散らした。全員が毒に侵される中、アリシアの聖水魔術で辺りを浄化しながら、オレとザニィのコンビネーションで双頭を切り落とした、プラチナ級のクエストがあった。
秘境認定された、マンドラゴラの自生する草原。ザニィとアリシアで『セイスイノカザカゴ』を発動させ、マユーが付与魔術でオレの剣に炎を宿しながら、炎魔術で隙を作った。針の穴を通すような戦略の末に、オレが命辛々≪星獣・一角≫の弱点である腹に剣を突き立てて身体の内側から焼き殺した、ダイアモンド級のクエストがあった。
そのどれもが生ぬるいと感じる程の、圧倒的な恐怖。過去の輝かしい栄光すら、不安に浸食されていくようだった。
杞憂であって欲しかった。
どんな困難も力を合わせて乗り越える、古典英雄譚的な結末を望んだ。また皆でいつもの店に集まり、ばか騒ぎをして店主に怒られるような、そんな、そんなありきたりな未来を。
やっと、辿りつく。戦闘の余波で木々が倒れ、不自然に開けた場所へと。
そこで目にしたのは――岩に下半身を潰され虚ろな瞳で天を仰ぐアリシアと、片腕を千切られ地面に膝を着くザニィと、歪な笑みを漏らしながら巨腕を振り上げる黒い獣だった。
「あ、アリシア! ザニィ!!」
オレの叫びに反応して、ザニィが振り向く。血だらけの、乾いた笑顔を浮かべて。
「……ああ、お前らか。悪いな、しくじっちまったよ。後は――」
それが最後の言葉だった。
闇のように暗い巨腕が、意図も容易く親友へと振り下ろされた。