4.黒い獣
翌朝、まだ日が昇る前からギルドの集会場に集まったオレ達は、天馬に繋がれた馬車に荷物を積み込んでいた。
これは、アダマンタイト級冒険者の特権の1つだ。シルバー級以下のように自前で目的地を目指す必要はなく、ダイアモンド級以下のように共用の荷馬車に乗る必要もない。アダマンタイト級にまでなると、ギルド側が専属の送迎人を付け、クエスト目的地まで最高待遇で送ってくれるのだ。
荷物を積み終わり、全員が荷馬車に搭乗したのを確認してから、オレはコックピットに座る操縦士に合図を送る。
「荷物、積み終わりました。すぐにでも出発できます、≪銀の操縦士・パシュエラ≫」
「了解だ、≪無色の戦士・ガディック≫」
パシュエラは荷馬車のハッチを閉めると、すぐに青系統に属する防空魔術を展開する。
「そして、オレの機へようこそ、アダマンタイトのヒヨッコ共。これから何度も乗ることになるだろうが、まぁ最初が肝心だ。目的地まで2時間弱の空の旅、存分に堪能してくれ。ハイヤァ!」
ムチをしならせる音と、天馬の甲高い鳴き声が同時に聞こえた。≪幻想獣・天馬≫が地を蹴り、大空を駆け始める。窓の外には、もう雲海が広がっていた。
パシュエラは2時間弱と言ったが、距離でいうと街を5つ、村を2つ越えた先にある金鉱山をオレ達は目指していた。
最初に被害に遭ったのは、そこの採掘場で金を掘っていた坑夫達。日が暮れても坑夫達が帰って来ないことを不審に思った村の人々は、屈強な男達を募り、様子を見に行かせたらしいのだが、その男達も帰ってくる事はなかったそうだ。その話が領主に伝わり、ギルドへ正式に依頼が舞い込んできたわけだが、その鉱山から帰って来た者はダイアモンド級冒険者≪砂の魔術師・ニクィルャン≫ただ1人。金鉱山はギルドによって封鎖されている状況が続いている。
「日差しは弱く、雨も降ってない。今日はツイてるな」
窓の外を眺めながら、ザニィは言った。
確かに、このクエストは依頼主の要望で早期解決が望まれているため、雨天延期が出来ないクエストだった。大方、金の採掘を早く再開させたいのだろう。まあ理由はどうであれ、雨天での山中探索は過酷だから、晴天であるにこしたことはない。
アリシアの表情も、昨夜に比べると明るくなったように見えた。
「日頃の行いが良いからでしょう。思慮分別を知り、身を賭して善行を積む者にこそ、ザイザル神は祝光をもたらすのですから」
「思慮分別ねぇ。それなら、そこで踞ってる魔術オタクに祝光がねぇのも納得だわ」
そう口走ると、オレが背中を擦っているマユーに向け、ザニィが視線を移した。マユーは乗り物酔いが酷いタイプで、こうして馬車で移動するときはいつもオレが背中を擦ってやるのだ。
「ば、バカ言ってるんじゃないわよ。このくらい何てこと……ウッ……」
「ふふ、むしろこれは、マユーさんにとって祝光なのではないでしょうか」
吐き気を堪えているマユーと、その姿を面白がって見ている2人を目の当たりにし、オレはため息を吐く。
「マユー、具合が悪いなら喋るな。あと、2人とも変なことを言うんじゃない」
「へいへい」
「あら、ごめんなさい」
ザニィとマユーは普段から軽口を叩き合う仲だが、空の上となるとマユーの威勢は弱くなる。ここぞとばかりに捲し立てるザニィをオレが制止させるのはいつものことだが、そこにアリシアまで加わると手が付けられなかった。
「おいおい、最先不安だな。これでも少ない揺れで進んでる方だぜ? なあ、頼むからオレの機体をゲロで飾ってはくれるなよ」
コックピットからパシュエラの声が飛んでくる。この時はまだ、それを笑って受け流し、再び軽口を叩き合うだけの余裕がオレ達にはあった。天候も、心持ちも、まさか好条件が一瞬で激変するとは、この中の誰1人として予想できていなかっただろう。
結論から言うと、オレ達の乗っていた荷馬車は墜落した。いや、墜落させられた、と言った方が正しい表現かもしれない。
真っ先に異変に気付いたのは、金鉱山近くの村の上空まで到達し、降下するために天馬にムチを打ったパシュエラだった。
「変だな、ここだけ異様に雲が――」
言葉を言い終える前に、ピカッと空が黄色く光ったかと思えば、瞬く間に荷馬車に雷が落ちた。
暴れる天馬、揺れる機体。防空魔術も雷によって破壊され、上空1000メートル地点でオレ達は丸裸にされた。
「ど、どうしたのですか!?」
アリシアが困惑しながら、パシュエラに問う。彼は激しい口調で、
「こいつは自然発生したものじゃぁないな。……ああ、畜生。そういうことか。神様、あの野郎が魔術をぶっ放しやがったってのかい」
馬車に乗っているオレ達には見えなかったが、前方に何かがいる事は、彼の険しい顔と言葉で分かった。
一体、何がいるのだろう。そんなことを考える間もなく、再び頭に響くような衝撃が機体を揺すった。目の前のコックピットが無残にも破壊される様が、スローモーションで目に焼き付く。天馬も2発目の雷に身を焦がされ、墜落を始める。そして、それはオレ達も同じだった。
通電はしていないが、荷馬車はもはや制御不能。後は地面に落下し、大破するのを待つだけだった。
「一体、何がどうなってやがる……ッ!」
最初に動いたのは、ザニィだった。軽口を言ったかと思えば、すぐさま愛刀に手を伸ばし、疾風の斬撃で馬車を解体した。今さっきまで馬車だったものが、木片や金属片となって飛散する。
高度1000メートルの強風に攫われて邪魔な瓦礫は吹き飛び、一瞬にしてクリアになる視界。
目の前にあったのは、立ち込める暗雲と、オレ達に視線を向ける巨大なソレ。
岩のように角張った鱗をもち、丸太のように太い腕と脚をもち、屋根のように広い翼をもち、幽鬼のように恐ろしい顔をもつ――黒い獣。
その姿は、アリシアが懸念していた通り、竜種のそれではなかった。左翼と右翼、左足と右足、左腕と右腕。それぞれの大きさが歪に異なる、アシンメトリーな形状をしていた。
不可解な様相に、ゾクリ、と全身が総毛立つ。おそらくそれは、ここに居る誰もが感じたであろう命の危険信号だった。
「ザニィ、アリシア!」
「……ッ! おう!」
「はいッ!」
オレの考えを瞬時に察知し、ザニィとアリシアは互いの手を掴む。
それは、疾風属性の魔力色を持つザニィと、聖水属性の魔力色を持つアリシアの混色魔術。人を包む空気の繭を、荒ぶる水流でコーティングする絶対防御の魔術。
「「『セイスイノカザカゴ』!!」」
発動と同時に、4人全員がその巨大な魔術に包まれる。
≪星獣・一角≫の一突きにも耐えた、最高硬度の混色魔術だ。これで馬車を打ち落とした雷魔術にも耐えつつ、安全に着地する――それがオレ達の最善手である筈だった。
水壁越しに、黒い影が歪む。黒い獣が腕を振り上げたのだと理解するのに数秒かかり、更にその手に岩が握られていると理解するころには、もう全てが遅かった。魔術を纏って投擲された岩が、正面から『セイスイノカザカゴ』を易々と破壊したのだ。
聖水の壁が霧散し、空気の繭がほどける。同時に、岩の投擲によって発生した乱気流が、オレ達を別々の方向へと吹き飛ばした。
ザニィとアリシアは手を繋いでいるから、また『セイスイノカザカゴ』で身を守れる。オレも着地する手段を持っているから、ここからでも立て直せる。しかし、マユーはどの魔術を使っても、高度1000メートルからの落下には耐えられない。
「マユーッ!!」
風を切る音で掻き消される中、オレは心の限り叫び、手を伸ばした。彼女も賢明に、オレに手を伸ばす。
1度、2度、3度と空を切り、4度目でようやく互いの手を掴む。2つに割れた流星のように、チーム≪光の剣≫は空で2つに別たれ、そのまま金鉱山へと落下を始めた。