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1.山上の夜と朝に

 月明かりに照らされた水面に、シルエットが浮かぶ。


 胴体の長さと比べると、頭はそれほど大きくない。背筋を伸ばすと、ずいぶん等身がありそうだ。


 禍々しい二本のツノは、色んな動物のそれの特徴を全部ごちゃまぜにしたみたいに曲がりくねっている。


 翼はひどく大きい。目一杯広げたなら、この小さな泉全体を覆い隠さんばかりだろう。


 各部に生えた猫のような毛の合間から、黒曜石のようにつややかで硬そうな鱗が見え隠れする。辺りにはコケぐらいしか生えていない山のてっぺんにいるのに寒さを感じないのは、これのおかげなのだろうか。


「わぁぁ」


 ため息とも感嘆ともつかない気の抜けた声が出た。


「なんだか前世でマズいことしちゃったのかな…」


 ともかく、わたしは竜の姿をしている。五分前からだ。視界の隅には、さっきまで籠っていた卵の殻がころがっている。


(何事も良い方向に考えよう。…少なくとも、季節が変わるたびに服を選ぶのに悩む必要はなし。人付き合いで悩まなきゃいけないこともなさそう。お金の心配も当面はいらないだろうし。爪が大きくて本とか読みにくそうなのはちょっと辛いかも)


 澄んだ山巓の空気をかき分けるようにのそのそ動きながら、あたりを見回す。雨風をしのげる場所が欲しかった。


 切り立った岩場がえぐれたように湾曲しているのを見つけた。横雨を防げないのに目をつぶれば悪くない場所に見えた。それに加えて、岩陰の添うようにしてふかふかのコケが地面を覆っている。完全に押しつぶしてしまわないようにそっと身体を横たえると、湿気を帯びた緑の匂いがした。


 満月の夜とはいえ、あたりは暗く、歩き回るのは気が引けた。お腹は鳴っていないし、朝まで待つことにしよう。


(そういえば)

(竜ってふつうは何を食べるんだろう)


 瞼が重くなるのを感じながらそんなことを考えているうちに、まどろみが意識全体を包んでいった。




 山の夜明けの空の色は、ぼんやりした桃色だった。朝霧が麓から先の平地を覆い隠している。遠くの山なみも、輪郭以外はもやがかってよく見えない。朝鳥が遠くで鳴いていた。


「わたしも飛べるのかな」


 とりあえず力いっぱい翼を振ったり伸び縮みさせてみたけれど、どうあがいても地に足が付いたままだったのでやめた。


「…どうでもいいや。運動は好きじゃないし」


 そんな捨て台詞をはきながら、顔を洗おうと泉に頭を突っ込む。


(相変わらずお腹は減ってないし、少し麓の方まで歩いてみようかな)


 朝霧の中、岩場と雪で覆われたゆるやかな斜面を、のしのしと下り始めてみる。真冬のような寒々しさは無いけれど、草木はまばらで、大きくても膝くらいの高さしかない。それでもしばらく歩いていると、周囲に緑が目立ち始めた。


「あ、木苺見っけ」


 鮮やかな果実に目を奪われて、思わず近づいた。岩と雪に覆われた山頂の景色を延々と眺めた後で見ると、瑞々しい紅色の実は宝石みたいに輝いて見えた。いくつか摘んで口に運ぶと、甘酸っぱさが舌にしみる。一息つくにはちょうどいい。


「これからどうしようかな…」


 はるか遠い山なみの稜線から、朝日が半分ほど顔を出している。そういえば時刻を知る手段が無いんだった。日時計代わりに棒切れでも立てておこうか。


 どこかで足音が聞こえた。


「…領主様はそれをお望みだ。やむをえまい」

「しかし本当に必要なのか」


 男二人の話し声。声のする方角にそっと近づいていくと、小さなけもの道をゆく二人と一匹の姿があった。男二人は毛皮のクロークを纏い、両者とも何やら難しい顔をしている。その後ろを、老いた馬が荷車を引いて続く。荷物でいっぱいだったけど、中身は分からなかった。


「奢侈を嫌うお方であることは知ってるだろう。改革には金が要るものだ。何を始めるにせよ、まず人を呼ばねばならん。魔術師、学者、技師に職人。ギルドに払う手数料も馬鹿になるまい」

「しかしよりによって人頭税とは…。村の貧しい者は耐えられぬかもしれぬ」

「やむをえまい。税逃れする輩が街をうろつくよりはな…」


(なんだか不景気な話をしてるなあ)


 男二人は、道の傍にころがっていた倒木に並んで座り、革の水筒やパンなんかを取り出して一息つき始めた。朝ごはんなのだろう。幸か不幸か、こちらに気づく気配はなかった。


(どうしよう、話しかけても大丈夫かなあ)


 縮こまって茂みの中に隠れながら、ふとそんなことを考えた。悪い考えではない気がする。少なくとも悪い人たちではなさそうだ。こんな山中で見知らぬ者に話しかけられても応えてくれそうな雰囲気がある。…それがドラゴンであってもなのかが問題だけど。


 ふと、別の視線を感じた。男たちの後を付いていた荷馬が、じっとこちらを見ている。


(気づかれてる?馬に?)


 ただ視線が固定されているという感じではなかった。目くばせでもするような気配さえあった。あまり動物らしからぬ眼だった。


(人よりも猛く、獣よりも高貴なるお方、どうか人の子に悟られぬようお気を付けください)

(こいつちょくせつのうないに…)


 荷馬は、口を開かず声なき声で語りかける。


(彼らは竜を忘れて久しきゆえ、どんな恐慌を起こすか知れません。襲うおつもりなら、どうかご容赦を)

(ええと、食べたりはしません…話しかけるのもやめときます…)

(寛大なお方。私のような年老いた車引きでよろしければ、何なりと申し付け下さい)

(じゃあそうします。あと、敬語はいいです。竜ってそんなにえらいんですか?)


 老いた馬は、眼を瞬かせた。


(貴女は、天と地が分かたれた頃より二つの世界を意のままに行き来する存在。地を這う獣や人とは比べ物になりません)

(分かりません…あの、わたしさっき生まれたばかりなので)

(本来は私のような一獣が口を利くのも許されぬはず。同じ屋根の下で暮らす同胞が聞けば、なんと羨むでしょう!)


 目を合わせたまま静かにいなないたのは、感激の表現なのだろう。


(そういえば、ここでは馬がこうやって話すのは普通なのですか?)

(滅相もない。とても稀なことです。少々長生きしすぎたか、人の子と交わり過ぎたのかもしれません。村の同胞はみな孫のようなものです)

(村?)

(ここからもう少し下ったところに。雪解け水が流れる川沿いの村です。規模はありませんが、水と土には恵まれていると思います。今日も朝採れた作物を市場まで持って行くところです。)

(のどかそうですね)

(ええ、今年はリンゴが豊作で採りきれないくらいなんです。人手不足もあって。私たちですらちょっと食傷気味なくらいには…そうだ)


 男二人が視線を逸らしている隙に、老いた馬は身震いした。ぐらついた荷車から、ひと際大きなリンゴがこぼれ落ちる。地面にぶつかる前に、後ろ脚で蹴飛ばされて再び宙を舞ったリンゴが、ちょうど目の前に落ちてきた。慌てつつも目立たないようにそっとキャッチする。


(お一つどうぞ。新鮮な碧リンゴです。赤い方が好きなら、二日ばかり置いておけば変わりますよ)

(…おみごと)


「…ようし、休憩は終わりだ。街の門もさすがに開いているだろう」

「ちょっと待ってくれ。もう少しで食べ終わる」


 一人が倒木から腰を上げながら片づけを始めた。もう一人も長くはかからないだろう。


(もう行く時間のようです。お会いできて良かった)

(わたしもです。もっといろいろ聞きたかったのだけれど…)

(もっと良い話し相手がきっといますよ)

(うーん…あの、最後に一つだけ。わたしってこれからどうしたらいいんでしょう?)


 馬は再び目をぱちくりさせた。


(まるで人の子のようなお言葉ですね。貴女は竜で、何に縛られることもない。為すべきことを自らに課すのは人の子だけです。私とて車引きの身ですが、この労役がやらなければいけないことだなんて考えてはいませんよ)

(えーと、それなら普通の竜は?同族の暮らしぐらいは知らないと不安なような…)

(何か知っていることがあればぜひお伝えするのですが。文字と書物を持つ人の子ですら、竜の暮らしを知る者は居ないでしょう。同胞と出会いたいなら、空を探してみては?貴女には翼がある。)


 まだ座っていたもう一人の男も立ち上がった。既に出発する準備のできていた男は歩き始めている。


(あの、話しかけてくれてありがとうございます。それとリンゴも)

(どういたしまして!それでは失敬します。貴方のゆく道が歩きやすくありますように)


 朝日の照らす山道を歩む二人と一匹を、峠の向こうに消えていくまで見送った。


「…やっぱりした方がいいのかなあ。飛ぶ練習」


 何気なく、もう一度翼をはためかせてみたけれど、相変わらず浮力の類は感じられず、周りの灌木が風に揺られてざわめくばかりだった。


人頭税:一人ひとりに同じ額を課す税。古代・中世で一般的だったという。収入に関係なく同額である点で公平性には欠けるものの、シンプルでわかりやすいため徴税にコストがかからず、脱税もされにくいなどの長所がある、とされる。

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