怪人になった夢
普段の生活に大したストレスは感じていなかった。
満たされているわけでもなく、不満というわけでもない。ある意味それが幸福とも言えるのかもしれないが自分ではあまりいい状況ではないことはわかっていた。惰性とわかってて抜け出せない、そんな生活を送っていた。
仕事で疲れた体を風呂でリラックスして晩ご飯を食べたあとは、好きな菓子を頬張りながらわずかな時間のアニメ視聴と動画閲覧をする。私のライフワークであり、日々の少ない時間の楽しみ方である。
それが幸福かと問われれば「わからない。もっとすべきことはあるだろうが、私としてはこれはやりたいことだ」と答えるだろう。いい歳をした男のくせに怠惰な生き方だといわれても仕方ない。
最新アニメとお気に入りの動画をいくつか観てベッドに入った。なんら変哲のない、日常の終わり。
珍しく夢を見た。
暗闇の中にいて、体の実感がなかった。体育座りをしているようではあるが暗すぎて何も見えない。やたらに湿気だけは背中に感じていて、じめじめとした泥の地面が連想された。その瞬間私は悟っていた。
「ああ、これは夢だ。夢の中だ。」
怖いのと楽しみとを混ぜてワクワクしていた。私は夢を見るときは必ずその実感がある人間だ。そして多くの場合、将来の予知夢になる。
腕を動かそうと試みるも、すぐ壁に当たって身動きがとれない。しばらくもがいてから全身をぐっと動かしたところ、次の瞬間には立ち上がっていて自分の両手を見ていた。立ち上がるという動作がないのは、私の夢ではよくある時間がぶっ飛ぶ様子である。
視界がわずかに回復している。全身すべからく真っ黒くて艶があった。目に写る自分の体は甲殻類のそれだった。
つやつやとした太股、腕。胸回りもカブトムシの外皮のように黒光りして、いかにも堅牢さを漂わせていた。
指は、指といっていいのか、木の根っこのような形で黒光りしている。ニギニギすると案外指先まで素直に動く。
「カッコいいな」
おぞましい体であるにも関わらず、妙にそのことに安心していた。こうなりたかったというより、こうあるべきだと思っている自分がいる。
暗い土の洞窟を這って進んでいく。向こうに光が見えて泥の地面が反射していた。出口は近そうだ。
途中、小さい鉄格子の窓から他の大部屋を見下ろすことができる場所があった。オレンジ色の光が溢れている。窮屈な姿勢のまま覗いてみた。
中の様子はというと、怪人の集団が何やら騒いでいる。ボスのような大きな化け物が演説していて、それをぎゅうぎゅうに並んだ怪人たちが聞いて盛り上がってた。言葉はわからない。
トンボの口をしたような怪人が口をカチカチ鳴らし、人の顔が胸についた首のない怪人は拍手を繰り返す。ザリガニみたいなハサミをもった奴もガチガチと鳴らしている。触手そのものがウネウネと動いてもいた。
言葉はわからないはずなのに、彼らは皆コロセと言っているように感じた。
「(ああ、世界は彼らに征服されるのだな)」
そう思って、逃げ出すようにその場を離れて出口へ向かう。出口の光は近くにあるのに、一向にたどり着けない。かと思ったら次の瞬間、目の前がまっ白に、光の中に包まれた。また時間が飛んだのだろう。
丘の頂上に立っていた。視線の向こうには小高い山に囲まれた美しい湖がある。腰ほどある草花がその向こうまでずっと続き、爽やかな風に揺れている。太陽は斜め上から光をいっぱいに降らし、色とりどりの蝶々がチラついていた。
楽園だ。
私の気味の悪い手を前に出すと、蝶々が集まって乗ってきた。乗っかっている感触が確かに伝わっている。
「この楽園を守らなければ」
すうっと息を吸うと繊細な花の香りが鼻先をくすぐった。そしてその奥には、何かが焼けた臭いが混じっていた。
私の第三の目がその臭いの先を見つめている。千里眼によって、ここから何千キロも離れた土地が目に写る。
赤く染まった空に黒煙が上がっている。電柱やビルは崩れ、アスファルトは巨大な隕石でもぶつかったように割れて土の地面がむき出しになっている。地面に飲み込まれるように残骸が埋もれていき、その上を這うように草がワキワキと音を立てながら生え広がっていく。
人々はどこへとなく逃げ惑い、怪人に見つかってただひたすら作業的に殺されていく。恐怖の悲鳴は映画とは違って誰もあげていない。あげる余裕すらない。
大抵は頭か腹が半分にされていた。血の出方がリアルだった。首が勢いよく斬られるとポーンと空中に飛び、体が半分になったときは綺麗な色の臓物がにゅるんと出て、血が遅れてどろりと溢れ出てくる。血がやたらドバドバ出るなんてことはほとんどない。どれもこれもリアリティに溢れていた。
「自分も手伝わないと」
そういうと蝶々がキラキラと光りの筋を引いて手元を離れていった。
足早に駆けて岩場へひと蹴りすると空を翔べた。やったことはないが、グライダーで飛ぶとたぶんこんな感覚なんだろうというのがわかった。風がやや冷たい。
背中の羽を超高速で羽ばたかせて飛ぶ。下に広がる草原をいとおしく眺めていた。だんだん木が増えていき森になると、その木の隙間を縫って先程の怪人たちが一斉に走っていた。
私が飛ぶスピードと同じかそれ以上で地上を這うものもいる。中には私に続いて飛んできたものもいた。
「〆〃〇ゝ∥$£¢§△≒♭」
何を言ってるかわからない。ただニュアンスはわかる。空は気持ちいいなとか、そういった意味だろう。
向こうから戦闘機が何台か飛んできたのが見えた。向こうといっても千里眼で見える距離だ。
私に声をかけてきた奴は飛んできた超速度のミサイルをぶん殴って爆発させた。少し焦げたが、そのまま戦闘機を追っていってしまう。
地上からも黒い豆粒のような何かが連続して上がって残りの戦闘機を落としてしまった。
超巨大な蛇がその落ちてくる戦闘機を咥えると、口のなかで爆発していた。蛇はけろりとしたままさらに地上を這っていってしまう。
私は、それを眺めながらブゥーンとのんびり進んでいた。パラシュートで脱出してきた男を空中で掴み、頭をきゅっと絞める。
掴んだ瞬間の男の顔はヘルメットに隠れて口許しか見えなかったが、恐怖におののいているのはわかった。そのときの口まわりのシワがやたらにリアルだった。50代そこそこの白人男性?
手の平には穴があって、そこから男をパラシュートごと吸い込んでしまう。手の中にそれが入っていき、肘のあたりにいくまでは妙に生々しい肉の感触が確かにあった。
吸い込んでエネルギーを得ると一気に飛行スピードが上がった。体験したことがないスピードだった。視界の横の空間が湾曲している。
現地について着地を行うと足がめり込んでしまった。その勢いだけでまわりにあったものが吹き飛んだ。人間も混じっていたと思う。ドームの中?なにか巨大な施設の中に避難していたらしい人間たちがいた。
混乱しておかしくなった人間たちから次々に片付けていく。そのスピードたるや、スローモーションの世界で一人だけ普通に動いているようなものだった。一人の人間が瞬きをする間に、左手の指で二人の上半身がもぎとれる。3人目はかすれた程度で顔の1/4くらいしか削れなかったので、もう一度腕を振って消滅させる。
子供、老人、女、男。関係なかった。中には自ら身を投げ出すような者もいた。なぶり殺しだけはしなかった。というか、数が多すぎてそんな時間が無駄だ。効率よく合理的に左右の腕を振り回していく。
料理の下準備でもするように、つぎつぎに殺していった。殺すという実感がないまま。
地獄絵図になるかと思われたのだがやけにスッキリと片付いている。そのはずだ、殺した人間は手の穴から吸い取っていたから。
だが何故か数人だけ残していた。若年の男女数名。誰も彼も、顔つきも体つきもしっかりしていた。仕事を終えたあと、震えて動かない彼らをじっと見つめた。
綺麗な女性たちだ。媚びを売るような可愛さではなく、嫌味がなく気高さに満ちた美人と言おうか。恐怖で全員が漏らしてはいたがそれすら美しく写っている。恐怖におののく顔にすらフェロモンが溢れていた。
怖がる少女に劣情を懐いてしまう性犯罪者と同じ感情を味わっていると思った。もし私が人間のままだったら、彼女らをどうにかしたいと行動に移すだろう。
だが怪物になった私の本能はなんの反応もない。体も動かなかった。
男のほうも筋骨粒々で理想に描いたような者ばかりだった。男の私が見てもセクシーだと思うような男。日本人のようではあるがハーフ? イスラムとかギリシャあたりの顔が混じって見える。
彼らのような者なら反抗勢力にでもなってそうだが、最後の砦といったところか。それとも生き残ったあとの種か。下劣なことを考えていた。
彼らと彼女らが並んだ姿は理想の男女像そのものといっていい。全員が下半身を融かしている。顔を赤らめて、むしろこちらに惚けているような、そんな空気感が漂っていた。
ややもすると彼ら全員に対して私が惚けていたのかもしれないが。時間を忘れ、長いこと見つめあっていた気がする。
洞窟で演説をしていた長がきた。
「∀†#Ш」
生きろ、そう言っていたと思う。そのあと彼は人間と会話をしていた。人間は彼の言葉がわかるらしい。やたらに嬉しそうな顔だった。その中の何人かが私の体を触ったりもしてきた。いっせいに触るものだからくすぐったい。
別れを告げるような言葉を放つと、長は彼らを連れ去ってどこかへ行ってしまった。
半壊したドーム内に太陽が降り注ぎ、ほこりが舞っている。
私は、連れ去られた彼女らが惜しいと思う気持ちを拭い去るように、多数の人間を殺して手に入れた力でもって月へ向けてジャンプした。
残っていた残骸は全て吹き飛んでしまい、土に飲み込まれ、そこから巨大な樹が生えてきた。
ジャンプ中の風はもはや空気のそれではなく、粘土の中をかき分けて進むような重たいものだった。本当に長いこと月を睨み続け、そこへ向かおうと必死に羽を羽ばたかせた。
私に続き、あのとき戦闘機を追いかけていったやつがケツについた。片腕がなくなっている。スリップストリームに入っているためか、そんな状態でもついてこれるようだ。
他にも何百匹かが後ろについている。彼らのぶんまでエネルギーを使い宇宙空間へと抜けていく。
見た目よりズレるものだ。宇宙へ出ると月の位置はてんで違う方向にあった。
仲間の一匹が今度は私を引っ張ってくれるらしい。ふいごのような体のパーツから息を吐き出し、トンと優しく押してくれた。
片腕の彼は冷たくなっていたが満足げな顔を浮かべている。それを掴んで月へ向かった。
後ろから私の肩を叩いていったのは、これまた表現のしようがない怪人だが、一目見てそれが私の恋人になることを予感した。
見た目は木枝の集合体をベースに、獣の腹と足をして、手はスライムのようなベタついた触覚をのばしている。とても受け入れがたい見た目ではあるが、えんじ色の瞳の奥に精神の美を感じていた。
彼女?と宇宙空間を泳ぐように渡り、月の表面で活動している怪人たちと合流。片腕の彼の死体を地面に刺すと水が吹き出し、彼は空気の層の一部となって消えてしまう。
そうして、月をテラフォーミングさせていくという流れで夢は終わった。
時計は04:53を示している。薄いカーテンの向こうからは光が漏れ、背中に少し痛みを感じた。05:30ちょうどになるまで、ぼーっと夢のことを思い出して反復していた。
私としては、こんなに長い夢を見るのは人生でも初めてで、こんなに道筋のある夢を見るのも初めてだった。
その後とくに生活が変わったわけでも、人生に転機が訪れるということも無いが、この夢のことは忘れることはないだろう。
今思い出しても、ハッキリとそのときの様子が臭いや温度までイメージできる。
そして、もしもあの夢の当事者になるとしたら、私は同じことをするだろう。
これは、私が見た夢をそのまま文章に起こしたものです。
2017年冬頃だったと思います。いままで見てきた中でも一番明確に覚えている夢で、感触や温度まで体験しました。