百六十八話 ノアvsエーリカ2
湖に行くまでの間はカーマインやバルドと話をしながらウォーキングだ。私からしてみれば、かなりの速度で歩いている。話をしているのは主に二人だけで私はついていくのに必死にならざるを得ない。
「……と言うわけで危険の無いようにノアがエーリカを落とすのに、同性のリャナンシーとしてバルドは何かいい案はないか?」
いつのまにかカーマインの認識の中で、バルドは危険人物扱いから外れている。新たな敵が出てきたので結託した形になっているのかもしれない。
カーマインの質問にバルドは即座に答えた。
「ならば、ノアがエーリカを描くのが一番効果的だと思う」
「確かにあれはヤバい。何か魅了の特殊能力でもあるんじゃないかってくらいだ」
カーマインが頷きながら賛同した。なに、それ、初耳だ。確かにバルドを書いたときに何やら悶えていたけれど、あれはバルドが変態だっただけだと思っていた。
まさかカーマインも変態だったなんて。塔の中では見張りの騎士もいたから取り繕っていただけだったのかもしれない。
……じゃなくて。
トープをアトリエで描いたときはどうだったかな。目が合った途端に逸らされていたような気がする。
妖精になってからのガガエを描いた時は、おすましした感じでポーズをとっていたから特に気にはならなかったけれど、もしかして―――
思いついた理由にあまりのショックを受けて、自然と足が止まる。二人も気が付いてこちらを見たので、息を整えてから恐る恐る聞いた。
「私、描く時そんな変な顔してる?魅了なんて言って、面白くて目が離せないってこと?」
カーマインがヤバいと表現する程だ。どうしよう、もう生き物相手に絵を描けなくなってしまう。
「いや、そうじゃなくて―――」
「はっきり言おう。普段とのギャップがあまりにも激しくて俺は心を射抜かれた。見られているだけなのに肌に触れられている感じがして、ぞくぞくと快感を覚えた。もっと詳しく言うなら視線で全身をくまなく撫―――」
カーマインは横で話しているバルドを裏拳だけで吹っ飛ばした。まるで漫才の突っ込みをしているみたいに軽く振れただけに見えたのに、バルドは姿が見えなくなってしまった。数分前まで仲が良かったと思ったのは私の幻覚だったようだ。
「よし……邪魔者は消えたところで、ノア」
「はい」
「俺の絵を描くノアの姿に惚れたんだ。自信を持って。かなり魅力的だから」
思考が固まる。言葉をゆっくりと脳内で何度も反芻する。顔がじわじわと熱を帯びてきて全身が沸騰しているようだった。
惚れたって、惚れたってっ、ほ―――
「ほ?」
「うん、惚れた。自分がリャナンシーでなくて良かったよ」
「み?」
「魅力的。見られているだけで魂ごと持って行かれる感じがした。でも嫌ではなくて、寧ろ描き終わるのがもったいないくらいだった」
「いや、それは描き終わったら死刑だからでしょう?」
熱がひゅっと引っ込んで思わず突っ込みを入れる。カーマインはあははと笑いながら再び歩き始めた。これは告白の答えと考えてもいいかも。不安が一気に吹っ飛んでしまい、心の奥底にほんわりとあたたかいものと、覚悟が生まれた。
自信、持ってもいいかも。
「一度試してみたらどうかな?ノアにとっても悪い案ではないよね」
「バルドよりは面白い素材だとは思う。そうだね、お願いしてみる」
エーリカは湖へとやってきた。……ううん、最初から湖に来ていてそわそわ、うろうろ、もじもじと挙動不審な動きをしていた。
私の姿を見つけると目を細めて嬉しそうに笑う。笑うとさらにカーマインに似ている気がした。
既視感に囚われて、思わず足を止める。カーマインとは既に横道に入って身を隠している。私はたまらなくなってそばにいるガガエを見た。
フォーンを陥れているエーリカは、ゴブリンの時のガガエとは違う。明らかに悪いことをしていて、このまま時が経てばどんな仕打ちを受けても仕方がないくらい。
でも、まだ手遅れではない。リラとフォーンの仲が今後どのようになるかは彼ら次第だ。リラの心は傷つけられてしまったけれど、フォーンは死んでいない。
私は意を決してエーリカに話しかける。ここから先は、私の戦いだ。イーゼルには描きかけの絵を載せずに念のために持っていたスケッチブックを載せる。
「せっかくなのであなたを描いてみてもいいですか?」
「僕を?構わないですけれど……」
「良かった。ではあの辺りで描きましょうか。岩があるから座れそうですし」
沈んだ町が見える位置から移動して、手ごろな岩がある場所に移動する。エーリカを座らせ、私は立ったままだ。
彼をリャナン・シーと強く認識しつつ描き始める。けれど、今日は線画だけ。スケッチブックに彼を描く為の絵の具は持ってきていないし、カンバスを使うほどの作品を描く気は今のところ、まだ、無い。
ピンクと紫の中間色の長い髪を下ろしているので、写実的に書かなければ女性として見えてしまう。艶やかで綺麗な髪は彼を印象付ける要素の一つだ。
顔は……話をしながら本来の彼の顔を暴いていくしかない。バルドだって自分の顔を持っているから、ずっと幻覚を見せるわけでもないだろう。
エーリカはついっと視線だけでよそ見をした。
「木陰に隠れている彼があなたの護衛ですか。もしかして恋人?嫉妬されないのかな」
ねっとりと嘲るような声が耳にまとわりついてくる。ゆさぶりを掛けられているみたいけれど、私は軽く笑いながら短く答えた。
「ええ。信頼されてますから」
先ほどのやり取りが無かったら、自信が無いまま落ち込んでいたかもしれない。エーリカの笑いは少しだけ引きつった。
「バルドもあなたの周りをうろついていると言うことは、僕がリャナン・シーだと当然知っているのでしょう?フォーンに対して僕がしていることも」
あらら、気づかれている。
絵を描いているので彼に目を合わせたまま、手元を動かしながら「ええ」と短く答えた。
「あなたみたいにか弱い女性に僕みたいな魔物を当てがって、酷い男ですね」
「いいえ、寧ろ私が喜ぶとカーマインは知ってますから。主に人ならざる者を描くのを生業としたいと思ってます」
たとえ人間だったとしてもカーマイン以外は無意味だ。エーリカの顔から笑みが消えた。
「変わった人だ」
「画家ですから。変わったところが少しも無かったら個性は出せませんよ」
彼から揺さぶりの声が途絶えた。敬語も抜けている。
少しずつ日が上がり、暖かくなってきていると同時に湖水の光の反射を受けて、逆光になって少しずつ顔が変わってきた気がした。
人当たりの良いやんわりとした顔から、少しばかり鋭いものを含んだ、私を警戒する顔に。
ページをめくり、新たに描き直す。
「次は私から質問です。フォーンさんがこのまま衰弱してしまったら、あなたは町中から敵として認識されてしまう。妖精と人間の対立が生まれる可能性もありますが、分かっていますか」
「構うものか。生きる上で必要が無くても衝動は止められない。バルドのように小説を書いて代理行為で渇きは抑えられるかもしれないが、そんなのは嫌だ」
「リラさんではなくフォーンさんである理由は?」
「好みじゃなかっただけ。やかましい女は嫌いだったから」
職人たちとやり取りをしているリラを言っているのなら、仕方がないかもしれない。クールだと思っていたリラがいきなり姉御に豹変した時は私も驚いた。京都美人だと思っていたらちゃきちゃきの江戸っ子だった感じ。
しばらく無言が続いた後、エーリカはぽそりと呟いた。
「ああ、なるほど。僕をフォーンから引き離すのが目的か。随分と回りくどいことを……」
こちらの思惑がばれてしまった。ここから先は警戒されてしまうだろう。エーリカは、また笑みを取り戻してこちらに問いかけた。
「あなたがフォーンの代わりに精気を提供してくれるのなら、話に乗りますよ?」




