百六十一話 お寝坊さん
ベルタとカーマインには何故かひたすら謝られた。あくびをかみ殺していたのがいけなかったらしく、泣いていたと勘違いされたらしい。これがルファやアルマだったら疑ってしまったけれど、ベルタの事だからカーマインを揶揄っているとしか思えなかったと言うとベルタは非常に苦い顔をした。これもある意味、日ごろの行いのお陰だね。
次の日の朝には、ベルタといつも通りに接していた。身支度を整えつつ、朝ご飯を食べる。今日も一日中絵を描くつもりでいたのに、着替える時になってベルタが口を挟んできた。
「ノア様、今日からカーマイン様と運動をなさってください」
「でも朝は弱いって……」
「ノア様が起こしに行けば良いのです」
「私一人で?」
「私が付いて行きますし、向こうにはアルマもいます。スケッチブックも持って行ったらどうですか?寝顔、描きたくありませんか?」
ベルタの誘惑に思わずごくりと唾をのんだ。タイトルは「戦士の休息」かな。何部作になるか分からないけれど、蘇芳将軍に買い取ってもらった絵とカーマインシリーズとして連作にしても良いかもしれない。
……いや、ちょっと待って。立場が逆だったら私はどう思う?カーマインにこっそり忍び込まれて寝顔を見られたら、やっぱり嫌だよね。嫌われるかもしれないし。
なけなしの良心が転落への道を塞ぐ。
「でも、許可も取っていないのに」
「昨日、馬車妖精の集められた会議で決まったので許可を取ったも同然です」
「そうなの?それじゃあ、行くしかないよね」
私は動きやすい服装に着替えて画材を持ち、カーマインの部屋へ向かった。丁度、中へ入ろうとするアルマが朝食のワゴンを廊下で準備しつつ、何故か手にはトンファーのような物を持っている。
ベルタが声をかけて説明すると、酷く驚いた顔をした。あれ、話は通っていると思ったのに。
「危険です。止めた方が―――」
「ノア様が相手だと態度が変わるかもしれないでしょう?ささ、ノア様どうぞ」
「二人も入るんだよね?」
「ええ、ご安心ください」
私だけを部屋に入れて扉を閉めないように、二人が入るのを確認する。内装はかなりシンプルで、この部屋にも絨毯がなかった。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいて、採光は十分だ。
足音を立てないようにベッドへ近づくと、規則正しい寝息が聞こえてきた。
カーマインはベッドにうつぶせになり、顔を横にしている状態で眠っている。こちら側を向いているので、寝顔はばっちり見えた。
大人のようにも、子供のようにも見える。色っぽくもあるし、神々しくも見える。ただ見とれているだけの時間がもったいなくて、スケッチブックにさかさかと寝顔を描いていった。
まつ毛長い。肌がきれい。あ、髭が生えてきてる。首筋もやっぱりある程度の筋肉がついていて……あれ、肩がむき出しだけどもしかして裸?
しばらく描いていると、ベルタから遠慮がちに声が掛かった。
「ノア様、そろそろ」
「分かった。カーマイン、起きて―――」
スケッチブックをベッド横に置き、揺さぶって起こそうと肩のあたりに手を伸ばした瞬間―――
天井が見えていた。しかも目の前すれすれに。「ノア様っ!」と悲鳴交じりに名を呼ぶ声が聞こえた後にグイっと背中を引っ張られる。そのままベッドに叩きつけられてはずみで体が浮くと、目の焦点のあっていないカーマインが馬乗りになり、右腕が振り下ろされそうになる。
状況の把握が追い付かなくて、悲鳴を上げることもできない。気づいたら、横からアルマがトンファーでカーマインを止めていた。
カーマインは、目を瞬かせている。私は恐怖を押し殺しながら努めて明るい声を出した。
「えっと……おはよう、カーマイン。朝が弱いってこう言うことだったの?」
完全に覚醒したらしいカーマインが、私に馬乗りになったまま顔をぎぎぎと横に向けた。
「これは、幻覚ではないよね?」
「「現実です」」
アルマとベルタの声がそろう。カーマインは両手で顔を覆い、それっきり動かなくなってしまった。ベルタがむんずと掴んでカーマインを放り出すと、私を置き上がらせながら心配する。あ、ちなみに襟元の開いたTシャツのような寝間着を着てました。紛らわしい。
「もう大丈夫ですよ、ノア様。怖かったでしょう?怪我は御座いませんか?」
「あ、うん。それよりカーマインは……」
床の上で小さく丸まって、顔を隠しているカーマイン。流石に泣き声は聞こえないけれど、まるで叱られた子供みたい。
アルマがため息交じりに外のワゴンを運び入れた。
「おそらく自己嫌悪に陥っているだけです。有難うございます。こんなに短時間で覚醒なさることは滅多にありません。食事と着替えを済ませるので、ノア様はお部屋でお待ちください」
ベルタと共に部屋に戻ること十数分。何だか朝から疲れたようなカーマインが迎えに来た。見送られながら森へと向かう間、今朝の出来事の弁解を始める。
「自然に目が覚めるときは普通なんだ。ただし時間帯が昼ちょっと前になるだけで」
「私が子供の頃は普通に起きていたよね?」
初めて会った時、野宿で一泊したけれどそんな様子は微塵も見られなかった。馬車の中でうとうとした時も、頭突きをしてしまったけれどもすぐに起きていたはずだ。
「日々の積み重ねかな。仕えていた人がアレだったから、敵が多くて。多少寝ぼけていても身を守れるように体が適応していってしまったみたいだ」
「ああ、ええとアスワド王子?」
「そうそう。直接狙えばいいのに何故か俺の方に来るんだよな、暗殺者の皆さんは」
……それって、アスワド王子がカーマインに向けて放った刺客では?と言う疑問は心の底にしまっておいた。傷を抉るような真似はしないでおこう。
町の裏側の門を抜けて花畑を素通りする。早朝の森の中は空気が澄んでいて、少し肌寒い。
「毎朝アルマには迷惑かけている」
「アルマも妖精か何かなの?」
「シルキーだって言ってたかな。その割にはどうしてあんなに強いのか分からないけれど」
シルキーは家事を手伝ってくれる妖精だ。馬車妖精たちの中では一番それらしい種族かもしれない。イングランドの妖精で、相性の悪い住人は怖がらせて追い出すとも言われている。
シルクのドレスを着ていて、さらさらと音を立てるからシルキーなのにアルマは違った材質のメイド服を着ている。
カーマインをちらりと見た。もしかして毎朝のやり取りは追い出し作業の一つなのでは?続けている内に強くなってしまったかもしれない。でも、メイドの三人の中で一番しっかり仕事をしているアルマが怪我でもしたら、馬車の中は大変なことになるだろう。
「寝起きのカーマインと戦えるくらい、私も強くならないと」
取り敢えずは走る事からだけれど、そのうち護身術もある程度できるようになりたい。気合を入れるつもりで拳を握って呟くと、カーマインの口元が微妙ににやけている。
「……それは……つまり……」
「アルマにばかり負担を掛けられないよ。だからカーマインも寝ぼけなくなるように頑張ってね」
「―――はい。全く、分かってるんだか分かっていないんだか」
実は分かってますよ。毎朝カーマインの寝起きをアルマに見せたくないなんて嫉妬じみた感情、気づかないふりしていないと泥沼にはまってしまいそうだから―――
ノアは分かっていない。カーマインはもっと……




