トープ視点
フォルカベッロにいるオベルジーヌ宛てに手紙を書く。もしかしたらどこか別の町に行っているかもしれないが、エルメレム商会の事だ、きっと転送してくれるだろう。
内容は大まかに言えばリラの身の上だ。カントからはあまりリラの意に沿うような言葉が聞けない。これはエルメレム商会の方針にそぐわないのではないかと、なんだか告げ口をするようで少しだけ嫌になる。
けれど、中途半端な状態で他の町へと旅立つなんてことは出来ない。
もしかしたら将来、同じような状況に陥るかもしれない。親がいないからリラよりも相手の男の立場になる方が確率は高いけれど、解決できたなら何かの参考になるかもしれない。
リラが女性ということでノアは親身になると思っていたが、カーマインが何も言わないのは少し驚いた。てっきり首を突っ込むなと言うと思ったのに。
ノアが係わる騒動に巻き込まれるのに諦めの境地に入ってしまったのだろうか。慣れって怖いよな。……自分もか。
ついでにマザーやアトリエへの手紙も書く。
旅を続けている身では頻繁には書けない。そこにしばらくいることを見越していないと、返事が来る可能性があるからだ。遠くなればなるほど往復の時間が必要なのできっと書けなくなる。俺がそうだったように、手紙はちびたちの勉強の意欲になるかもしれないからな。
ほとんどがノアを中心とした話で、描いた絵や巻き込まれた事件などを報告する。
おそらく、マザーあてに書いた物は内容が神殿に伝わっているだろう。だから、スクワルの一件は伏せた。湖の出来事もカーマインやノアはさらりと化け物を退治しただけだと言っていたが、多分とんでもない事なんだろうから、書かなかった。書けなかった、の方が正しいかもしれない。これ以上、マザーたちに心配は掛けられない。
告白云々ってのは流石に書かなくていいだろうと、適当なところで切り上げる。
締めの挨拶を描いたら封筒に入れる。
便せんや切手代など馬鹿にならないが、ノアからは月ごとに給料という形でもらっている。アトリエよりも少しだけ多めで、家賃が差し引かれる事も無い。ただ、その中から画材の原料を仕入れたりしなければならないが、出来上がった画材の買取もノアはしてくれる。多すぎないかと文句を言ったら先行投資だと言われた。
将来、工房を持つ時の為の資金なんだと。
解決したら次はどこの町へ行くのかくらいしか考えていない俺に対して、ノアは数年先を見ているような気がしてならない。普段は絵描き馬鹿なのにちょっと不思議なところがある。
次の日、カーマインやラセットと一緒に手紙を出しながら工房へ向かう。色覚異常がなくなったリラは精力的に動いていた。
花を潰してまとめて干し、紫の色餅にするところまで済んだ。今から本格的な染色に入る。
「取り敢えず、今から大まかな手順を見せるよ」
リラはそう言うと料理で使うボールほどの器に水をよそり、瓶に入った薬品を匙で入れた。数日乾燥させた色餅を目の粗い木綿の袋の中に入れて、その中に投入する。
砂時計を逆さにして、時間を計り始めた。待っている間は触らなくて良いそうだ。
「何て言う薬品なんですか?」
「うちの職人を目指すんだったら教えてあげる。細かい加減も工房によって違うからね」
どうやら教えてもらえないらしい。あくまで手伝いなので無理も言えず、そのまま無言でいるとリラは他の説明を始めた。
「花の色素によって手順は少しずつ変わってくる。複数の色素を持っているものは目的の色素だけを出すために、それ以外の色を抜く作業が増える」
「顔料と違いますね。顔料は混ぜる薬品によって色が変わります」
「そうなんだ。あそろそろ時間だ。揉みだして色をだす。トープ、やってみて」
手袋をつけた状態で木綿の袋を揉むと、水の中の紫が濃くなってきた。しばらくするとリラから止められ、また砂時計の時間だけ待つ。それを二度繰り返した後にギュッと袋を絞る。
その間に同じような器に水を入れ、薬品を入れる。
「その袋をこの中に入れて」
「え、今絞ったものをですか?」
「そう」
言われるがままに入れると、また時間を計り始めた。どうやら色餅の中の色素を全部搾り取るつもりらしい。揉みだす作業を次はカーマインが行い、まだまだ十分に色が出てくる色餅をまた別の器に入れる。
紫色の液体が入った器が三つ。ワインのように色の濃い液体だけど、青みが強い。
「それで、最後にそれらをこの中に入れる」
リラが示したのは大きな壺。別々の濃さで染めるつもりなのかと思っていた液体を全て混ぜ合わせた後、今度は別の薬品を入れて、濡らした布地を壺に入れた。
色ムラが出来ないようにかき回す。布を一度にたくさん入れすぎても綺麗に染まらないらしい。船をこぐ櫂に似た棒でゆっくりと回そうとするが、布に絡みついてやりにくい。リラの厳しい指導が入る。
まだ春なのに汗ばんできた。首回りや額から一筋、また一筋と流れていく。
「夏場はこれ、きついですね」
「うん、かなりの重労働だよ。染める布や色によっては熱を加えるときもあるし」
他の布も、同じ染液に数回に分けて入れてかき回した。最後に色を定着させるための液体に浸して、干す。工房の裏側に物干しざおがいくつもあって、そこに広げて掛けていった。
並べて干すとわかるが、最初に染めたものよりも後に染めたものの方が色合いが薄くなっている。
一枚の布の中でも、よく見ると色の濃淡が付いてしまっていた。
「やっぱりちょっとムラがありますね」
「最初にしては上出来だよ。私が子供の頃に初めて染めた布は、うまくかき回せなくてまだら模様になってしまった」
春の暖かくなった風が干した布を揺らす。たった数枚の布でもノア風に言えば『かなり絵になる』光景だ。
沢山の布が風にはためく様は、きっともっと圧巻なんだろうな。
「今回は摘んだ花の数が少ないからね。本来ならこれを一日中、数日間に掛けて行う」
「それはまた随分と気の遠くなるような話だな」
カーマインはうんざりした顔で言う。延々と繰り返す作業はどうも苦手らしい。
アトリエの工房では複数の画家が同じ系統の色を同時期に欲すれば、ずっと石臼で顔料を擦り続けるなんてことは良くあった。石臼の数も多くなく、一番下っ端の俺に仕事がよく回された。
やけになってすると粗くなりやり直しをしなければならない。一定の速度、一定の力加減で長時間延々とすり潰す作業は嫌いではなかった。その間は工房中を見渡せて、見て覚えることが出来たから。
「さ、次行くよ。ただでさえ遅れてるからね。今度はそれぞれ同時進行で行ってみようか」
「質が悪くなっても大丈夫なんですか?」
「買いたたかれるの覚悟で手伝ってもらってるんだ。大丈夫大丈夫」
リラは会ったばかりのころよりも態度が軟化している。目が治ったせいか生き生きいしていて、笑顔が増えた。ノアと同じように、売上よりも染色の作業自体が好きなんだろう。
どんな形で解決できるのか、分からない。けれど、出来れば続けてもらいたいと思ってる。
器に水を……
「よそる」派ですか?
「よそう」派ですか?
どちらも標準語らしいです。
ちなみに私はよそる派でよそうは方言だとばかり思ってました。




