百六十話 一人で絵を描く
リラの問題を放っておいて一人で絵を描くのは気が引ける。かといって染色の方を手伝っても一ルーチェにもならない。
トープが作る画材は私が使う物なので売り物には出来ないし、カーマインがモンスター退治の依頼を受けてお金を稼ぐと言ったことも毎日あることでもない。
ゴーレムの時は神殿の依頼扱いでグラナダさんから報酬をもらっていた。
今回、湖の化け物を退治したのはどうなるんだろう?まあ、それは追々聞いてみるとして……
「描きたい画題は三つあるんだよね……」
いつものように独り言を始めてしまう。ガガエが傍にいて聞いていてくれるので厳密には違うけれど、これはもう描く時の癖のようなものだ。
一つは写実的な湖の風景画。水面の下には沈んだ町を描きたいし、色合いを見たいので実際に描きに行った方が良いかもしれない。
二つ目は妖精たちを題材にしたもの。こちらはパステル調の色彩を使って絵本のように仕上げたい。イメージ的にはシャガールが近いかな。
三つめは神殿内部。と言ってもメインは建物ではなく、男女を中央に置いてちょっと大人な表現をしてみたい。テーマは愛。決して告白の一件は関係……あるかもしれない。
こんな機会でもなければ描かないと思うんだよね。カーマインには見せたくないので描き上げたら商会に直に売ってしまおうか。
取り敢えず、二つ目を描くことにした。作風が違うものを同時進行で描くと引きずられてしまうかもしれないから。鬱金の時は題材が同じだったのでそれでも構わなかったけれど、今回はまるきり違うものだ。
「ガガエはここにいてくれるのね?」
準備をしながら、テーブルの上にちょこんと座っているガガエに聞く。
「ん。僕ら妖精は染めた後の物は触れるけれど、それ以前の花や染料はどうも苦手みたいで」
「ふうん?」
「ほら、染料になる花は妖精除けに植えられているって言ってたでしょ?」
「ああ、そう言えば。工房の中にいると苦しいと感じたりするの?花畑には平気でいたよね」
「ん、そこまで苦手ってわけじゃないよ」
座ったまま私を見上げるガガエは、少し首をかしげながら怪訝な顔をする。花の妖精ではあるけれども、他の花にそれほど詳しいわけでもないらしい。
「ノアが気を失った後、僕も馬車妖精の皆もバルドも遠回りしないとカゼルトリに入れなかったんだ。花畑に近づくことすら出来なかった」
不思議なことに、花畑から森の方へ抜けられるのに逆は無理だったんだとガガエに教わった。
「森にいる妖精が入ってこれないようにするのは分かるけれど、逆は可能だなんて不思議よね?」
「ん。回り込めば戻れちゃうのも意味がないよね」
「そこはほら、ガガエみたいに人間と友達になった妖精の救済処置じゃないの?」
「んーそっか」
描いているピクシーは自然とガガエに似てくる。あまりに暇そうにしているので一つ提案してみた。
「ガガエも何か描いてみる?」
「いいの?」
筆は持てないので、水で落とせる水彩絵の具を手に付けて描くように勧める。パレットの上に何色か出して小さな器に水をよそる。
最初はおっかなびっくりだったガガエも、絵の具を手に付けてぽんぽんとリズミカルに白い画用紙に押していく。
小さな花が咲いていくようでとても可愛い。
ガガエの絵を横目に見ながら、自分の絵に取り掛かる。時間が差し迫っているわけでもないので、キャンバスではなく画用紙に一度下絵を書いてみた。ケットシーの王様と、クーシーとあとはピクシーかな。リャナンシーまで入れるとバランスがとりにくいし、一人だけ人間に近い姿なのでファンシーな他の面々から浮いてしまう。
構図を決めたら色を載せる。一度、本人たちそのものの色を選んでみたけれど、どうにもしっくりこない。
「もうちょっと色の冒険をしてみようかな」
可愛さと神秘性を兼ね備えた彼ら。見た儘を描いてしまったのでは、ただの王冠被った猫と、緑の毛並みをした犬と羽の生えた人間だ。
森の中で会ったので、背景は青を多分に含んだ緑を均一ではなくムラがあるように仕上げたいけれど、神秘性を出すのだったらこの季節だから淡い紫にしてもいいかもしれない。
画用紙に実験がてら何パターンか描いていくと、ガガエがある一枚を示した。
「ん。僕、これが好き」
淡い寒色でまとめているけれど、寧ろ暖かい雰囲気が思い起こされるもの。クーシーは明るい緑色、ケットシーは黒と白だと重たくなるので青を含んだ毛並み。王冠は赤みを持たせた黄色である。ピクシーは黄色に近い緑で青を影として使っている。ほとんどガガエになってしまった。
思ったよりも色彩が鮮やかだ。
「うん、そうだね。これを描いてみようか。これよりもう少し丁寧に、だけどね」
「ちょっと、楽しみ」
目途がついたので切り上げ、ガガエの絵を見てみると幼稚園の頃を何となく思い出してしまった。何を描いているのか本人に聞いてみなければ分からないものが、画用紙いっぱいにたくさん広がっている。色が鮮やかで、見ていて楽しい絵だ。ガガエを褒めながら、乾かして他の絵と一緒にしまい込む
妖精が描いた絵と言う価値が出るかもしれないけれど、これはちょっと売りたくないなぁ。
夕食はなぜだかとても豪華だった。いや、原因は分かっている。馬車妖精たちが告白のお祝いをしてくれるんだって言うのは分かっている。けれどね……
「うおっすげぇ、こんなにでかいステーキかよ」
「ウォルシー海老のでっかいのが動いてっ、い、生き造り?」
「ケーキ、ケーキ、ケーキがいっぱいだぁ!」
よだれをたらしそうなトープとラセットはともかく、最後のガガエは可愛いから良しとする。……じゃなかった。こんなに大げさに祝われるのは、ちょっと引く。結局のところ、うまくいったかどうかも微妙なところなのに、ベルタからマリク達には伝わっていないのだろうか。
「昨夜はノア様がお休みになられてしまいましたからね。最後は私たちに下げ渡しとなるのでご心配なく」
「肝心のカーマインがいないみたいだけれど。カーマインのお祝いでしょう?」
二十代後半に差し掛かっているであろうカーマインに対してするお祝いでもないと思うけど。どれだけ馬車妖精たちにカーマインが溺愛されているんだろう。
「何をおっしゃいますやら。大の男がたかだか告白されたくらいで私たちが喜ぶと思いますか?」
「ノア様、これはあなたをカーマイン様の元へ繋ぎとめるための策でございます」
「策?」
ベルタたちの話によると、王女と婚約する前にも、一方的ではなくきちんと両想いで恋仲になった女性は何人かいるらしい。モテるカーマインだ。そのくらいは驚きもしないし、気を悪くする要素も全くないのだけれども……
「身分が違いすぎたり価値観が違いすぎたり金づる扱いされたり寝取られたり陥れられたり侍らせる内の一人でしかなかったり……」
カーマイン付きのアルマが一息で言った内容は、どんどん悲しいものになっていく。……それにしてもちょっと多くないだろうか。
トープが呆れた声を出した。
「よく女性不信に陥らなかったな。俺だったらきっと立ち直れない」
「カーマインってもしかして女運、全くないのかな。ガガエ、どう?」
「ん、ノアに会えたんだからある方だと思う」
ちょっと嬉しいことを言ってくれるじゃない。そうだね、私がカーマインを幸せにしなくては。
……でも、やっぱり皆が全てを知っているのは嫌だ。
「浮かない顔ですね」
「恋愛関係をあんまりおおっぴらにされるのは、苦手で」
私が素直に言うと、馬車妖精たちは雷に打たれたような顔をしていた。
「失礼しました。今までの方々は公にされて優越感に浸る方ばかりでしたので」
「女運が悪いってよりも、見る目が無いだけじゃないか?」
「トープ、カーマイン自身も似たようなものだから」
湖での行いを思い返すと、一概に相手が悪いとは言えないかもしれない。人前でいちゃいちゃを平然としようとするのは、身分だとかは関係ない。カーマイン自身の性質によるものだと思う。
対して私は前世が日本人だったことも原因かもしれない。やっぱり何もかもオープンな恋愛には抵抗があるわけで。
「もうちょっと、こう、穏やかで密やかな感じの恋がしてみたいな」
思わずぼやくと、同情するような顔をしたトープが肩にポンと手を置いた。
「ノア、頑張れ」
……トープってば、絶対無理だと思ってるでしょう?




