切れない札は、ただの札
「――俺たちは『旅人』である以前に、アンタたちと同じ人間だ。そのことを踏まえた上で、俺たちを扱うことができるか?」
やばい。思っていたよりも低い声が出た。
大事なことだからと気を張りなおして口にしたのが悪かったのか、それとも急に素の口調に戻した影響か。
どうにも脅しかけるような声色になってしまったことに、頭を抱えたい衝動を必死に堪える。
沈黙の落ちてしまった場の様子を伺えば、言葉を交わしたことで少し緩んでいた二人の騎士の雰囲気は当初に戻り、アイリスはあからさまに天を仰いでいた。
良かれと思ってとばかりに勝手な仕事をしてくれた自らの喉を縊りたい気分になりながら、密やかにアイリスと視線を交わす。
「(この空気。どうするのさ、レイ)」
「(どうしよう。ホントどうしよう。こんなことなら最初から普通に喋ってれば良かった…!)」
「(前々から思ってたけど、レイってホント誤解されやすいよね。傍から見てて凄く愉しいよ)」
「(こんな時に愉悦部はやめろォ!)」
まるでどこぞの神父のように口を歪めるアイリスは、この状況にまるで動じていなかった。呆れこそ滲ませているものの、死体蹴りする余裕があるぐらいには冷静さを保っている。
彼らと――引いては領主と敵対すれば、先行き見えない未来が更なる闇に包まれるかもしれないというのに。
お先真っ暗。ジ・エンド。
そんな言葉が浮んで一人戦慄していると、遂に沈黙が破られた。
「――それは、どういう意味だ?」
口を開いたのは、意外なことにワルターではなくアゼリアだった。
彼女はここまで、最初の自己紹介を除いては一切口を挟んでいない。それは相方に対する信頼故か、それとも単に役割を分担しているからなのか、じっと俺たちの会話を聞いているだけだった。
それなのにこの場面で出てくるということは――もしかして、立場的には彼女の方が上なのか?
ちらりとワルターに目をやれば、難しい顔で横目に彼女を見守っている。なんとも言えない、苦々しさと不安をごちゃ混ぜにしたような表情だ。
「どうもこうも、言ったとおりだ。俺たちは人間で、それぞれに感情がある。『旅人』だからと一括りに扱えば、反発する奴もいるだろう」
「………」
「俺たちは御伽噺の住人じゃない。強い奴もいれば、弱い奴もいる。『旅人』だからと戦いを強要されたり、何も言わずにいいように使われるつもりはないってことだ」
髪色と同じ、炎のような瞳を見据えて真っ直ぐに言い切った。
別に、領主と対等に扱えとか、『旅人』を敬えとか言うつもりは毛の先ほどもない。むしろこの街にいる限り、住民として領主の言葉には従うつもりだ。
だが、それを逆手に取られて利用されたくもない。だからこそ、少々棘があるように聞こえるかもしれないが、はっきりと言っておく必要があるだろう。
俺の言葉を受けて、アゼリアがワルターに視線を送る。相変わらず表情に出ないな、この人。
それが合図だったのか、はたまた別の理由か、今度は彼が口を開いた。
「つまり、あなた方は――いや、もういいですね。君らは『旅人』だからと特別扱いされたくないし、何かするにしても納得のいく理由がなければ動かない、と」
「ああ、その通りだ」
「同じ人間というのはそういう意味ですか。確認ですが、これは今この宿にいる全員の総意ってことでいいですか?」
こちらが取り繕うことをやめたからなのだろう。ワルターも少し砕けた口調で確認を取ってくる。
深緑の髪をワシャリと掻き上げる様を見るに、多分これが素なのだろう。
話が早くて助かるな。この分だと、言葉にしなかった部分まで読み取っていそうだし。
――現状どれだけの数がこの世界に来てしまっているかは不明だが、全てが全て俺たちのように複数人ということはないはずだ。
ソロで狩りの最中だったプレイヤーは言わずもがな。街中に転移した場合でも、突然のことに混乱する連中は後を断たないはずである。
そして、そんな彼らが冷静にこの事態を受け止めきれるかと言われれば…どう考えてもすぐには無理だろう。俺自身、アイリスがいなければ酷くうろたえていたのは間違いないだろうしな。
中には此処がゲームではないと気付かないままの連中もいる可能性がある。アップデートのタイミングも悪かった。
つまり、何が言いたいかというと――混乱した『旅人』たちが、騒ぎを起こす可能性が高いということだ。
「同じ人間として」という言葉には、俺たちが御伽噺のように冷静で温厚な人物ばかりではないという意味も含まれている。
とはいえ、そこまで逐一言う必要はないだろう。騒ぎ立てる場で相対しても尚幻想を抱いたままというのであれば、それは受け取り手にも問題があるだろうからな。
さて、ワルターの問いかけについてだが、答えは当然YES一択だ。だってこの宿にいるのって、今ここにいる俺とアイリスだけなんだもの。
アイリスからも小さく頷かれたので、迷いなく肯定できる。
「ああ。それで、そちらの回答は?」
「そうですねー…君の意見はこっちとしても悪くない話だと思います。是非その通りにしたいところではあります、が」
「が?」
「言ってしまえば、代表として此処にいる俺たちもそこまでの権限は持ってないんです。なので、回答については領主様に報告してから、ってことでもいいですか?」
困ったように言うワルターだが、その表情にはどこか楽しげな笑みが浮んでいた。結論が出たわけではないが、肩の荷が下りた、といったところだろうか。
こちらとしても異論はないのでそれに頷き、紅茶のおかわりを注いでやる。
まだ熱々の湯気が立ち上ると、興味津々にその新緑の瞳が輝いた。
「これ、魔道具ですよね? 保温の魔法は俺たちもよく使いますが、ティーポットにそれを組み込んでるのは初めて見ました」
「こういう商売やってると、一々淹れるのも時間を取られるからな。これを使えば手間が省けるだろ?」
「確かに…。ところでレイナードくん。ズバリ聞きますが、今この宿には何人いるんです?」
本当にズバリだな。ふむ。
「4人だ」
さらりと答えを示す。アイリスの口元がピクリと動く。
まあ、言わんとしていることはよくわかる。嘘ではないが、正解でもないからな。
正直に言っても問題はなさそうな気もするが、保険を掛けておくに越したことはない。
ワルターも流石にそこまでは見抜けなかったのか、意外そうに目を丸くした。
「ありゃ、もっと多いと思ってました。結構部屋数もありそうなので」
「まあ、時期的なこともあってな。それと、全員戦闘はできるだろうが、一人は冒険者家業を引退した身だよ。…ああ、冒険者ってのは、酒場とかで依頼を請け負う何でも屋みたいのものな」
「ああ、こちらの冒険者と変わりませんね。それに、そこまで言っちゃいますか…なかなか、油断ならないですね?」
「だろ?」
したり顔でカップを傾ける。ええ、嘘じゃありませんとも。
俺が「宿屋」でアイリスは「神官戦士」。目の前の二人は「騎士」か――ともすると一つ上の「聖騎士」ってところか。
相手からすればアイリスが戦闘をこなせるとは思わないだろうから、ミスリードとは言え彼らからすると、今この宿には最大六人の『旅人』がいるという計算になる。
それだけいれば迂闊に攻め込むなんて選択肢は出辛いはずだ。尤も、あちらは敵対の意志がないことを公言しているので、牽制以外の意味は大してないのだが。
さて、今度はこっちが聞く番かな。
「俺たち以外の『旅人』はどれぐらいいるんだ?」
「うーん…俺も詳細は聞かされてないんですよねぇ。アゼリアはどうです?」
「私も同じだ。「多数」としか言われていない」
「まあ、戻った頃にはある程度出てきてるとは思いますが。申し訳ありません」
大して悪びれた様子もないワルターの謝罪を受け入れる。
俺と同じで伏せている可能性は否めないが、だとしてもお互い様である。仕方あるまい。
同時進行で俺たち以外にも接触しているのだろうし、それならそれで次来た時に聞けばいいしな。
そうして腹芸染みた情報の探り合いを続けていき…そろそろ茶請けの枚数が減ってきた頃。
ぼちぼち切り込むかと考え始めた矢先に、アイリスが動いた。
「――アゼリアさん、ボクたち、ここから出て行かなきゃいけないの…?」
「!? そ、そんなことはないぞっ!?」
目元を潤ませたアイリスに、まずはアゼリアが撃沈した。
不意を撃たれたこともあったのだろう。ワルターならば明言を避けるであろうそれに、あっさりと言質を許してしまう。
思わず天を仰いだ彼は悪くない。悪いのは全てこの金髪美少女(仮)である。
「あー…その、何と言いますか。俺たちからも領主様には伝えますが、もしかすると、もしかするかも知れないので…」
「ダメなの…?」
「うっ」
しどろもどろに取り繕うワルターだが、彼女の本領は寧ろ此処からだ。
何しろ元々が元々だからな。男の弱点など実体験を以て知っている。
ふぇぇ、と今にも泣き出しそうな少女を前にして、一体どれほどの男が抗えるというのだろうか? まして、目の前にいるのは彼から見て一回りは年下の美少女である。
四倍どころか数え役満だ。
俺は心底気の毒になりながら、今も儚い抵抗を見せる緑の騎士と、自分が口を滑らせたことに気付いて真っ白になる赤の騎士を眺めた。
――数分後、彼らが揃って肩を落としながら扉を潜ることになったのは言うまでもない。
*****
「…それでは、また近い内に来ることになるはずなので。その時はまあ、手加減してくれると助かります」
「善処する」
「つ、次は何か土産でも持ってこよう」
「本当!? ありがとう、アゼリアさん!」
ずらりと並ぶ兵士たちを従えながら去っていく二人の騎士に、思わず「ご愁傷様」と言いたくなりながら別れを告げる。
最早アゼリアは色々と開き直ったのか、アイリスにいらん約束までしてしまっていた。隣でワルターが遠い目をしているが、どんまいとしか言いようがない。
いやホント、ラストで全部持っていかれたわ。
苦笑を浮かべながらホームに戻り、盛大に溜息を吐く。と、本日のヒロインが朗らかに笑って言った。
「いやあ…なんというか、お疲れ様?」
「最後にドッと疲れたんだが…見てて可哀相になるレベルだったぞ」
「えへへ」
「褒めてねぇ」
半眼になって苦言を呈しつつ、どっかりと椅子に身を投げ出す。
疲労困憊だ。きっと今の俺にHPバーが表示されるなら、赤く点滅してアラートが鳴っていることだろう。
対してアイリスは、どうやら自身が矢面に立たなかったお陰でまだまだ体力が余っているらしい。
「つーか、何で最後の最後で口を挟んだんだ? 打ち合わせの時点では出ないって話になっただろうに」
「ん~…」
口元に指を添え、何事か考える仕草を見せる。
そう、大した時間を取れなかったとはいえ、打ち合わせでは彼女の出番はなかったのだ。
中身を知っている俺からすればどうにも釈然としない部分があったのは確かだが、流石に見た目が子供な彼女を前に出す訳にもいかないからな。
そう指摘してみると、アイリスはそれはそれは綺麗な顔でのたまった。
「レイが頑張ってたからね。ボクも何かしなくちゃーって思ってさ」
「――そうか。まあ、助かったのは確かだよ。ありがとな」
つい、と目を逸らしながら礼を言う。事実、アイリスがいなければ最後のアレやコレやの言質を取ることはできなかった訳で。
ワルターと俺との対話では、結局無難なところにしか落ち着かなかっただろう。それを、考えうる限り一番デメリットの小さい手段で天秤を傾けられたのだから価千金の働きだ。
お陰で良いところを全部掻っ攫われた気分だが、別段スタンドプレーを好んでも望んでもいるわけじゃないので良しとする。
しかし、その先に待っていたのは、きょとんとした表情と七面倒くさいノリだった。
「…デレた」
「あん?」
「デレた! レイがデレた! やったねアイちゃん、家族が増えるよ!」
おいやめろ。
喜色満面に花を咲かせて縁起でもないことを言うアイリスに、思わず真顔になってしまった。
つーか、なんだよデレたって。
そもそもツンデレ属性は持ち合わせていないというのに、何を言っているのか。べ、別にあんたのことなんて心配してないんだからね!
「よーし、じゃあおやつにしよう! 赤飯だ!」
「さっき散々食っただろうが…あと赤飯はおやつじゃねえ」
「細かいこと言わないの! ほら早く!」
「いやそろそろ晩飯の時間――」
アイリスに手を引かれ、厨房に連行される。
こうして、異世界最初の一日は騒がしさと共に過ぎ去ったのだった。
*****
緑の騎士「何? 緑ならば堅物がデフォではないのか!?」
赤の騎士「Rの剣というものがあってだな」