御伽噺の住人
「あれが『塔』? どう見てもその辺の建物と変わらないんですが…」
領主様の命を受けて館を出た俺たちは、隊毎に役割を分担して事に当たっていた。
第一と第六、第二と第五、第三と第四の防衛隊は、それぞれ組んで各所の『塔』の調査。
第七と第八の警備隊は、街中に散って『旅人』の保護に当たる予定だ。
もちろん、『塔』の調査中に『旅人』と遭遇した場合は、接触した隊が保護することになっている。
そういう訳で、第六防衛隊の俺は現在『塔』の前まで来てるんですけど…
「……例え見た目が普通の家屋でも、地脈に出現した以上は『塔』なのは間違いない。油断するのはお前の悪い癖だぞ、ワルター」
はいはい。わかってますよ騎士団長殿。
何やらご機嫌斜めなアゼリアの忠告を受け取りながら、改めて目の前の『塔』を眺める。
と言っても、何度見たところでただの木造二階建ての一軒家が、それこそ御伽噺に出てくるような禍々しいそれに変わるはずもない。この場所が地脈でさえなければ、ただ少し大きな家だと言っても違和感はないだろう。
現在は栄誉ある勇者に抜擢された兵士が、中に『旅人』がいる可能性を考慮して呼びかけを行っている。
というか、こんな状態で緊張感を維持できるほうが凄いと思う。え? 緊張してないのは俺だけですって? いやいや。
…そうして、何度目かの呼び掛けとノックを終え、そろそろ中に入る手段を考え始めた頃合のことだった。
唐突に、『塔』の中から返答があったのは。
「――遅くなって申し訳ない。色々手間取っておりまして…何の御用で?」
それを感知した俺とアゼリアが駆け出したのは、ほぼほぼ同時のことだった。
すぐに呼び掛け役を下がらせて合図を送り、事前の取り決め通りに何人かを館に走らせる。
そして、アゼリアが臨戦態勢に入っているのを確認すると、俺は努めて明るい声色でその声の主との対話を試みることにした。
「あー…用と言えるかは微妙なんですが、少しばかりお話を聞かせてもらえないかと。今朝方までは此処、空き地だったんですが、突然こんな立派な家が建ってるもんだから周りの人が驚いちゃいまして。何か事情を知ってれば教えてもらえないかと思いましてね」
「…生憎と、私共も困惑しているのです。何せ、朝起きたら窓の外が見知らぬ土地で、外にどんな危険があるかもわからない。どうするべきかと話し合っていたところなのですよ」
「そうでしたか…では、あなた方も何が原因かは把握されていないと」
「ええ。それを調べるにも、安全が確保されないことにはどうにも動けませんから」
言って、声の主は小さく息を吐き出したようだった。
どうやら、この建物が此処に来てしまったのはあちらにとっても想定外の出来事らしい。
口ぶりからすると、『旅人』が複数いるのは間違いなさそうだ。…冷静に安全圏の構築から考えてることからすると、さっきの魔力反応は結界の類か?
この調子だとあちらから出てくるつもりもないみたいだし…まあ、下手に出てこられて混乱を招かれるよりは全然マシか。
とはいえ、このまま放置することはできないのも事実。最低でも、こちらに敵対の意志がないことを証明できればいいのだが。
そんなこちらの意志を察した――訳ではないのだろうが、このままでは場が膠着してしまうことはあちらも察したのだろう。
どうしたものでしょうかね、と頭を捻っていた俺には願ってもない提案を、あちらからしてきてくれる。
「…このまま、扉越しにというのも何ですね。よろしければ、中に入ってゆっくりと話をしませんか?」
「それは…こちらとしてはありがたいお話ですが。よろしいので?」
「ええ。流石に全員は困りますが――代表のお二人と、何人かまでなら歓迎しますよ」
――罠、でしょうか。
街中は俺たちの本領だが、『塔』の中ならばその立場はひっくり返る。
何よりも、相手は『旅人』だ。全てが全て飛び抜けた戦闘力を持っているとは思わないが、俺たち二人程度ならどうとでもなるということなのだろう。
一体どうやって扉越しに――或いはどこかから見ていたのだとしても――俺たち二人が隊長格だと判別したのか。
単に前面に出ているから? それとも、個々の力を正確に把握されているのか。
冷たいものが背を伝い――そこで一つ頭を振った。
…やっぱり俺はぐうたら騎士なのでしょう。危うく、折角いただいた領主様のお言葉を忘れるところでした。
極上の肉にありつきたくば、獣の王を狩れ。
何事も、リスクを負わなければ成果は得られないのだから。
「では、お言葉に甘えて…我々二人でお邪魔させていただきます」
「…そうですか。では、いつでもどうぞ」
フッと魔力の気配が消える。どうやら結界を解いたらしい。
「…良いのか? 下手したら死ぬことになるのだぞ?」
「だからと言って、アゼリアに交渉事をやらせる訳にはいかないでしょう? それに、まあ、なんとかなりますって」
どれだけ『旅人』が強くても、戦力がどれだけあるかもわからない相手に迂闊に喧嘩を売るような真似はしてこないはずだ。
それよりも、俺にはアゼリアが口を挟んでこなかったことの方が意外だったな。
いつもお小言ばっかりだから、さっきも何か言いやしないかと内心ドキドキしてたんですけど。
「…駆け引きの類が不得手なのは自覚している。私が余計な茶々を入れて、レイノス様の顔に泥を塗るわけにはいかない」
意識していつもの軽口を叩けば、アゼリアもまた、いつものようにむっつりとした顔になって睨みつけてくる。
うん。いつもの調子だ。
隊員たちに待機を命じつつ、何人かには報告させるために走らせる。
俺たちが戻らなかった場合や、戦闘になってしまった場合の方針も改めて周知して、と。
さて――
「ベヒモスの巣に乗り込むとしましょうか」
*****
扉を開けた先にいたのは――目つきの悪い赤髪の青年と、可愛らしい金髪の少女だった。
「ようこそ。私はこの宿を営んでいるレイナードと申します。こちらは従業員のアイリスフィール」
「よろしくおねがいしますっ」
レイナードと名乗った青年は、丁寧な物腰で軽く頭を下げる。
その穏やかな声は先程まで扉越しに聞いていたものと同じで、どうやら彼がこの『塔』の代表らしい。
声色からして若いとは思っていたが…相対すると余計に若く見えて驚いた。まず間違いなく俺より年嵩ということはないだろう。
だが、先程のやり取りからしても、ある程度交渉事に慣れているのは確か。迂闊な言葉を並べて敵対されるようなことにならないように気をつけないと。
しかし――目つき悪いですねえ、彼。
我らが領主様の悪魔顔を連想しつつ、内心で苦笑しながら隣の少女へと目を向ける。ペコリと御辞儀する、子供らしい仕草が非常に可愛らしかった。
無骨で誰よりも騎士らしい性格をしている癖に、可愛らしいものが大好きなアゼリアが暴発しないか早速不安になってくる。もしもそれが役割なのだとしたら、最早完遂と言っていいぐらいには。
「我々は、このグラードの街を守護する騎士団に所属しています。私はワルター。彼女は、」
「アゼリアという。よろしく頼む」
食い気味に名乗ったアゼリアは、真っ直ぐにアイリスフィールちゃんを見つめながらぎこちない笑みを浮かべる。早速何やってんですかアンタは!
痛み始めた胃を抑えながら小さく頭を下げる。初っ端からこれとか、心象が悪すぎると思うんですけど!
だが、俺の冷や汗とは裏腹に、レイナード青年は軽く苦笑して頷くに留めてくれた。ホントすみません、ウチの騎士団長様が粗相を。
戦々恐々とした心中に胃が荒れそうになりながら、案内されたテーブルに着く。そこには、既に人数分のティーセットが準備されていた。
「では、私は茶菓子の準備をして参りますので、少々お待ちください。――アイリス、粗相のないようにな」
そう言ってレイナード青年が席を離れると、アイリスフィールちゃんが恐る恐るポットから紅茶を注いでくれる。
その手つきは慣れているとは言い難く、もしかすると雇ったばかりだったのだろうか。僅かに揺れる手先が、容姿と相まって微笑ましさを倍増させていた。
これで毒でも入ってたら一網打尽ですね――礼を言って躊躇なくカップに口を付けるアゼリアを見ながら、ついそんなことを考える。
さて、彼が帰ってくるまで、まだ時間はあるだろうか。
今のうちに一つでも疑問を解消すべく、|誰とは言わないが多少は《アゼリアよりは》マシだろう笑みを浮かべて問いかけてみる。
「アイリスフィールちゃん、ですよね? さっき彼が言っていましたけど、此処は宿屋なんですか?」
「はい。レイのお料理がすっごく美味しいから、いつもいっぱいお客さんが来てくれるんです!」
大変と言いつつも、満面の笑みを浮かべたアイリスフィールちゃん。この子天使かよ。
「そっか、偉いですね。でも、一人だと大変じゃないですか?」
「運ぶのはちょっと大変ですけど…でも、楽しいから大丈夫です。それに毎日美味しいものが食べれるので!」
ふむ。この分だと他に従業員はいない、んですかね?
ウェイトレスが一人に、テーブルの数と建物の規模を考えるとそこまで部屋数は多くなさそうだ。
その後も他愛のない雑談で情報収集を続けたが、幾許もしないうちにレイナード青年が戻ってきてしまったので切り上げる。いや、良い癒しになりました。
会話に碌に混ざれなかったアゼリアから非難がましい目を向けられたが、何と言われようとも俺は悪くないので気にしない。
さて、じゃあ本題に入りましょうかね。
「我々としてはまず、あなた方と敵対する意志はありません。これはこの街を治める領主、レイノス様の意志でもあります」
「…それは、私共としては大変喜ばしいことです。しかし、何点か確認させていただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
「では、まず一つ。その理由を開示していただきたい」
ま、そりゃそうですよね。
初対面の相手から「絶対に危害は加えませんよー」なんて言われて即座に信用する人間は、余程の馬鹿か聖人ぐらいなものだろう。
とは言っても、こっちもこっちで微妙に説明しづらい理由なんですよねぇ…
「それを納得していただくためには、まずこの国の成り立ちから説明しなければなりません」
我らがグラードの街は、帝国――ライラック魔導帝国領内に存在する。
この世界でも有数の強国である帝国は、けれどその規模に反して歴史は意外と浅い。
その歴史の――建国の切欠として、何を隠そうあの「御伽噺」にも登場した『旅人』が関わってくるのだ。
初代陛下は、かつて何の力も持たない、それこそ貴族ですらないただの少年だった。
度重なる戦争で疲弊した大地。飢えて痩せ細った人々。そして、それでもなお肥え太る権力者たち。
少年は立ち上がり、剣を手にした。そして、同志を集めて旅をする最中――『旅人』と出会ったのだ。
御伽噺では「魔物」と言い換えられてはいたが、実際の敵は彼らを虐げてきた者たちだったのだろう。
多くの苦難を乗り越え、時には『旅人』に支えられながら、少年は遂に彼らを打ち倒す。
――そして初代皇帝として、民草の味方として、この帝国の礎を作り上げたのだ。
「初代陛下を語るには、『旅人』の存在を外すことはできません。けれど、この話が広く知られているのは、あくまで御伽噺として。私も、そう思っておりました」
「それなのに、どうして私共をその『旅人』であると?」
「それは、あなた方が『塔』と共に現れたからです」
『塔』がどんな形状なのかは伝わっていない。御伽噺の中でさえ、「不思議な塔」としか記されていないのだ。
だが、領主様には確信があった。俺も、実物を目の前にした今ならそれに頷ける。
昨日まで何もなかった空き地に、これだけ大きな建物が現れたのだ。
代々言い伝えられてきたとおりの場所に、何の兆候もなく出現したのだ。
これが――不思議でなくて何だと言うのでしょうか。
「故に、我々はあなた方を『旅人』であると判断しました。そして、あなた方が『旅人』であるからには、我々に敵対する理由はないのです」
「………」
「まあ、納得できないのも仕方ありません。私も、正直に言えばまだ少しだけそれでいいのかと思う部分がありますからね」
苦笑しながら、茶菓子として出された焼き菓子を一つ摘まんだ。…うまっ。
少し冷めてしまった紅茶で喉を潤し、今の話を聞いて眉根を寄せるレイナード青年に再び目を向ける。
最後の一言は、余計でしたかね?
「……あなた方が、私共を『旅人』だとする理由はわかりました。そして、私共にもあなた方と敵対するつもりはありません」
「そうですか。それはよかった」
「――ですが、もう一つ。聞くべきことがあります。いえ、どちらかと言えば、これは忠告になるのかもしれません」
安心したのも束の間のこと。彼は、再び鋭い眼差しで俺を見据える。
忠告、ですか。態々先に答えを口にしてから言う辺り、その本気度が伺える気がしますね。
それは、ある意味では当然のことだった。
そして、俺が抱いているのと同じ危惧でもあった。
「私共と同じ様に、この世界に来てしまった者が多くいるはずです。彼らもまた、『旅人』なのは同じでしょう。ですが――」
レイナード青年はそこで一つ区切ると、何か迷うような逡巡を置いてから続きを口にする。
「――俺たちは『旅人』である以前に、アンタたちと同じ人間だ。そのことを踏まえた上で、俺たちを扱うことができるか?」
その言葉には、ゾッとするほどの冷たさと、領主様を思わせる強い意思が籠められていた。
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