検証検証、アンド検証
「んー! なんというか、空気が美味しい!」
「外に出ただけなのにな。なんとなく清々しい気がする」
ホームの裏手、宿を建設するとデフォルトで付いてくる、庭と小さな畑のある場所に出てきた俺たちは、何とはなしに解放的な気分になっていた。
やはり現代社会とは違い、ビルや工場なんてものが存在しないからなのか。空気自体が澄んでいるような気さえする。
現状、仮定とは言え異世界に来てしまったのにそんな暢気なことを言っている場合ではない気もするが、そこはそれ、焦っても良いことなんてないからな。
そうして、数分間はぼーっとそれを堪能していただろうか。
ようやく再稼動した俺たちは、まず何から検証するか議論し始めた。
「武器系のスキルは検証し辛いよね。《流星鎚》をこんなところで使うわけにもいかないし」
「鎚は破壊効果の付いたアーツが多いからなあ…庭にクレーター作られても困る」
「だよねぇ。魔法の類も、攻撃的なのは論外として、支援は目に見えないし」
「となると、回復魔法だな」
「気が進まないなあ…」
くるくると髪を弄るアイリスに、苦笑しながらウエストポーチを探る。
部屋を出る前に確認したのだが、どうやらアイテムボックス――21世紀の青狸が持っているポケットに似た機能を持つ便利アイテムの総称――の類は持ち越せているらしく、中身も無事だったのだ。
個人の携帯用ボックスなど容量は限られてるし、ホームの倉庫に置かれているボックスも、設置したばかりで大したものは入ってなかったが、いくつかは使えそうな物もあったので確保しておいた。
その中の一つ、投擲用のダガーナイフを取り出すと、その刃先を指先に押し当てる。
「なにしてるのさ!? 《ヒール》っ!」
プツリ、と血球が生まれたかと思ったら、即座に治癒されて傷が塞がった。
ひらひらと手を振りながら影響がないか確認していると、刺すような視線が突き刺さってくる。痛い痛い。悪かったって。
「そういうのはボクの役目でしょ! 自分の魔法なんだから!」
「わかったわかった。次からはちゃんと言ってからやるよ」
「そういう問題じゃない! いきなりでテンパったのは確かだけど!」
他人に使えるかの検証も兼ねられるんだから一石二鳥だろ? なんて言葉が出掛かって、止める。
好き好んで怒らせたくはないし、必要なことだったとはいっても火に油を注ぐことになりかねない。
まあ、突然やったのは悪かったか。
微妙に涙目になっているアイリスに謝ってなんとか宥めると、俺たちは次の検証項目へと移るのだった。
*****
「じゃあ、気を取り直して、次はアイテムの確認をしていこうかな」
努めて明るい声色で、アイリスがポーチを撫でた。
アイテムが持ち越せたことはもうわかっているのだが、細かいところまでは確認できていないので、何があるかはしっかりと把握しておきたい。
ボックスは物理的に不可能だと言いたくなるものでも口に近づければ収納できるし出せる便利道具だが、欠点が無い訳ではないからな。
その最たるものとして、挙げられるのは、やはり容量限界だろう。
ボックスには形状ごとに入れられる種類と量の限界があり、俺やアイリスのようなポーチ型は持ち運びしやすい反面容量は少なめだ。この容量を超えて収納しようとした場合、中身が全部ぶちまけられるという困った仕様をしている。
武器や割れ物の類など、そのまま一気に放出するには危険そうなものを取り出してから、ポーチを逆さまにして空っぽにする。
「武器はいつものだから置いとくとして、ポーション類が平均10本ずつ、バフアイテムもそんなに多くない。あとは素材の類に魔石がそれなり。…もうちょっと整理しとけばよかったかなぁ」
「……まんまクエスト行った帰りって感じだな」
「お、復活した」
「お前、少しは加減しろよな…」
僅かに残る吐き気に恨めしげな声を漏らすと、悪びれない態度でたはは、と頭を掻く。
――あの後、残りのスキルを簡単に検証を行ってから軽い模擬戦を行ったのだ。
結局セットスキルはそのまま使えることが判明したので、スキルあり、アーツあり、怪我をするような攻撃はなしという条件で。
なお、セット外のスキルについては、あの苦労と時間を返せと叫びたくなるほど綺麗さっぱり使えなかった。森林型ダンジョンで契約した「ケット・シー」は召喚できず、アイリスがドヤ顔で引いた弓は危うく彼女の足に風穴を開けそうになる始末。他にも散々な目にあったが、結局時間の浪費としか言えない結果に終わっている。
話が逸れたが、模擬戦の結果は当然の如く惨敗した。事故を防ぐためかアイリスは鎚を使わなかったのに対し、俺は〈精霊魔法〉を使った身体強化も含めてこの有様である。
やはり戦闘職と生産職の差か、圧倒的な力と敏捷値を前に、見事に肝臓を持っていかれた。
おかげでしばらく動けなかったのが、ようやく落ち着いてきたところである。
まあ、酷い目に遭ったことは確かだが、結果としてステータスの確認はできたと言える。あの威力の拳は、決して目の前の線の細い少女が放っていいレベルじゃあない。
「とりあえず、ポーションの類は倉庫に大量に入ってたから、そっから補充しとけ」
「え、いいの?」
「いいに決まってんだろ。こんな状況なんだし、死んでも生き返る保証なんてないんだから」
ゲームではペナルティこそあったが、死んでも最後に立ち寄った街の教会で復活できた。
だが、ここは異世界である。
さっき傷をつけたことでわかったが、ゲームの時のようにダメージを受けても衝撃だけ、なんて甘い仕様はしていない。
死んでしまえばそれまでの可能性が非常に高い現状、ポーションでそれを回避できるならば惜しむ理由はどこにもなかった。
もちろん何かあったときのために予備は取っておくつもりだが、それを除いても大量の在庫があるわけだし。
ホームの完成の祝いだと言って、〈調合〉と〈錬金術〉スキル持ちのフレンドがボックスごと寄越してきたものがあるため、各種薬品類は無駄に豊富なのである。
さて、ようやく吐き気が収まったので、さっきは確認していなかったアーツを一つ試してみよう。
「《浄化》」
「…えっ?」
〈家事〉のアーツの一つであるこれは、汚れ物を綺麗にするという、ただそれだけの技である。
どれほど綺麗になるかはスキルの熟練度に依存するのだが、今の軽い土埃程度なら問題はなさそうだ。
一応ぱたぱたと尻の辺りを叩いていると、ジト目がこちらを射抜いていることに気が付いた。
「言っとくけど〈神聖魔法〉の《浄化》と〈家事〉の《浄化》は、名前が同じだけで効果は別物だからな?」
「本当に?」
「本当に」
「命賭ける?」
「賭ける賭ける」
なら許す、と無邪気な笑顔を浮かべるアイリス。
物騒な問答に聞こえるが、いつものことである。小学生がよく言うアレみたいなものだ。
なお、〈神聖魔法〉の場合は汚れではなく瘴気や呪いの類を払うためのアーツだ。
ダンジョンなどでは地味に出番の多い、あれば便利な類のものである。
アイリスへの弁明も済んだので、揃って宿の中へ移動する。厨房に置いてある食材用ボックスの確認ついでに、ぼちぼち昼時なので〈料理〉の検証もするつもりだ。
「先生、今日は何を作りましょうか!」
「そうですね、新鮮なトマトがあるので、カプレーゼにでもしましょうか」
「先生、今日は寿司でも取りましょう」
光の速さでアシスタント役をぶん投げたアイリスは放っておくとして、さて何を作ろうか。
ちなみに新鮮なトマトと言ったが、アイテムボックス内にある物質は劣化しないので新鮮も何もない。
食材も調味料も一通りあるので、作ろうと思えば何でも作れるのだが…ここは〈料理〉による効果が分かりやすそうなものにしてみよう。
寸胴鍋とフライパンを用意して、鍋にはたっぷりの水を入れて火にかける。
沸騰するまでの間に大蒜をスライスし、鷹の爪は適当に輪切りして、どちらもフライパンへ。オリーブオイルをたっぷりと注いでおく。
これだけでも何を作っているかわかるであろう。アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ。
少ない食材で美味しくいただける、独り暮らしにとっては救世主のような料理である。
さて、湯が沸けたら塩を入れ、次いでパスタ――プレイヤーメイドの、実在商品を無駄に忠実に再現した乾麺――を投入。
今度はフライパンに火を着けて、弱火でじっくりと香りと辛味を出していく。
ある程度パスタに火が通ったら、トングでそのままフライパンへ。茹で汁を少し足し、塩で味を整えつつ油と合えて完成である。
「お待ちどうさん。熱いから気をつけて食えよ」
「良い香り~」
空きっ腹の欠食児童を、そして俺を出迎えたのは、強烈なまでに食欲をそそる香りだった。
胃の腑を刺激し、思わず唾を飲み込むほど芳しいそれは、自分で調理したというのに抗い難い魅力を放っている。
やはり空きっ腹にこの匂いはクるものがあるなあ。
ぎゅるりと虫が鳴いたのをきっかけに、どちらともなくフォークを手に取った。
オイルにコーティングされてキラキラと輝いて見える麺。ところどころを彩る刺激の色が、視覚からさえも暴力を振るうのを厭わない。
促されるがままに麺を巻き取り、恐る恐るそれを受け入れる――
――とてもではないが、逆らうことなどできそうもない美味が口の中を支配した。
舌に触れるより先に行き渡った香りが染め上げる口内を、蹂躙するかのように油に染み出した旨みと塩気が上塗りしていく。
時折忘れるなとばかりに鷹の爪の刺すような主張がやってきたかと思えば、大蒜の甘みが癒すように優しく広がった。
特別な食材など何一つ使っていない。特殊な技巧も、独自の工夫も、隠し味など加える意味もない。
シンプルであるが故に、ただただ美味い。それだけの真実がそこにはあった。
「……これは、やばいね」
「……これは、やばいな」
〈料理〉スキルの熟練度MAX。それがこれほどまでに影響を及ぼすものとは想像だにしていなかった。
やっていることはいつもと変わりないはずなのに、何故か最適解に導かれている感覚、と言えばいいのだろうか。
塩加減一つとっても、どの程度にするべきかというのが、頭ではなく身体で理解させられる。
ステータス以上に強烈な補正が働いていることがよく分かり若干の自己嫌悪に陥るが、逆に明確な目標ができたと思えば悪いことばかりでもないのではなかろうか。
要はこれを普通にできるようになれればいいのである。果てしなく長い道であろうが、じっくりと覚えていくしかない。
しかし、問題は…
「レイ。これはもしかして、現実に戻った時にボクを苦しめるための手の込んだ嫌がらせかい?」
「んなわけあるか。俺だって予想外だっての」
「それにしたってこれは――って、ちょっと待ってレイ」
何かに気づいた様子のアイリスが、俺の胸元を凝視して口元をひくつかせた。
「そのエプロンって、まさか…」
「ん? 『魔王様の本気エプロン』だが」
デフォルメされた悪魔がコック帽を被ったアップリケの付いた、黒いエプロン。
さるイベントで手に入れた装備の一つだが、〈家事〉と〈料理〉に補正がかかる上、完全状態異常耐性まで付くという逸品である。
防御力的に見ても下手な皮鎧より堅いため、一時期はこれを装備して戦闘を行う生産職が後を絶たなかった。
俺の場合、〈家事〉は取得したばかりでレベルも低いため、こうして補正装備で底上げするために着用していた、のだが――
「……まさか、熟練度の上限を超えて補正が掛かってる、とか?」
「…因みに補正率は?」
「…熟練度50以下なら+25。それ以上は1.5倍」
「どう考えてもそれだっ!」
くわっ、と目を見開いて叫ぶアイリス。
つまり、なんだ? 今俺たちが口にしたのは、熟練度150の〈料理〉という訳か?
…確かTWP内の〈料理〉は、現実の外食産業を食わないために、ある程度質を抑えて再現されるように出来ていたはずである。故に、熟練度100と言えど一般的なレストランには僅かに及ばなかったはずで。
それが150ともなれば――それは最早、俺たちのような一般人が食するようなレベルの料理ではないのではなかろうか。
「一流料亭…いや、ジャンルを考えれば外国の王侯貴族が食べてるような…?」
プスプスと煙を昇らせそうなアイリスは見なかったことにして、俺はついと窓の外に視線を向ける。
そして心の中でだけそっと、現実逃避をすべく呟いた。
――王室御用達レベルの貧者のパスタってなんやねん、と。
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ペペロンチーノ=サン。いつもお世話になってます…!




