親方! 宙から女の子が!(3)
「さて、改めて確認するが、お前は俺が顕現させた雷精でいいんだよな?」
「うむ、その通りじゃ。マスターの力になりたくての」
どうしたものかと思っていたら、丁度いいところに魔石が転がっておったのじゃ。
一応冷静になったアイリスと、相変わらずふわりと浮かぶライちゃんを連れて食堂に戻ってきた俺は、二人にロイヤルなミルクティーを淹れてやりながら改めて問いかけた。
すると、無邪気な笑顔でそう答えてくれる。健気というか、なんというか。
とりあえず凄く良い子だということはわかったので、薄群青の髪をわしゃりと撫でて感謝の意を表明してみる。子供特有の柔らかい髪の毛が、素晴らしく掌に心地良い。
――しかし、やっぱり魔石が原因か。
「もしかして、他の魔石も食べたらもっとおっきくなれるの?」
「多分そうだと思うのじゃ。我もよくわからぬ!」
擽ったそうにしつつも、楽しげに撫でられるがままのライちゃん。
ふむ。中魔石5個でこんなに大きくなったのだから、大魔石をあげれば一気に高位精霊並の大きさになりそうな気もするな。
今のライちゃんは恐らく、普通の精霊以上高位精霊未満の、言うなれば中位精霊といったところであろう。
TWPにはそんなものは存在しなかったのは確かだが、此処がゲームの世界ではないのはもう今更のこと。
もしかしなくともこの世界には、今の俺たちには未知の存在が山ほどいるということなのだろう。
見ればライちゃんは、どうやら猫舌なのかふぅふぅと息を吹きかけてミルクティーを冷ましている。それでも警戒しながらティーカップに口を付けと、その甘さに驚いたのか小さく目を見開いた。
「美味いか?」
「美味いのじゃ!」
「それはよかった。また飲ませてやるからな」
「うむ!」
しかし、まあ、なんというべきか。子供のちょっとした仕草というのは、こうも癒しを与えてくれるものだっただろうか。
…うん。これは、アイリスでなくてもやられる気がする。
満開の笑顔を咲かせるライちゃんに、思わず緩みそうになるのを堪えつつバシバシ飛んでくるジト目を流す。
もしかすると俺の天職は保父さんか何かだったのかも知れない――そんな益体もないことを考えている俺を見て、アイリスは諦めたように息を吐き出した。
「…で、そろそろ本題に戻らない?」
「それもそうだな」
さて、審判から警告も入ってしまったことだし、ここからは切り替えて真面目な話をしよう。
なんでのじゃロリなのかとか色々聞きたいところではあるのだが、夜ももう遅くなってきたからな。一番大事なところを確認しておかなくては。
「お前は俺の力になりたいって言ってたよな。もしかするとお前の思ってるのとは違う形になるかも知れないが、それでも力を貸してくれるか?」
「もちろんなのじゃ!」
ノータイムでの即答である。天使か。
「…そか。んじゃ、詳しい仕事内容は明日にするとして、今日はライちゃんについて色々教えてくれ」
「我についてか? それは構わんが…で、できればマスターや姉御についても知りたいのじゃ」
「ああ、勿論だ。アイリスもいいよな?」
「当然だね」
ぐっとサムズアップで応えるアイリス共々頷いて、会話に花を咲かせていく。
ライちゃんについて聞きながら、俺のことを話し、アイリスの語りに耳を傾ける。
そうして段々と夜は耽り…それが深夜まで及んだ結果。仲良く寝落ちた彼女らをベッドに運ぶ羽目になったのは言うまでもない。
*****
トントントン、とリズムを刻む。
カチャリカチャリと音を重ねる。
フツフツと沸く水泡が弾け、ジュウジュウと跳ねる油が響く。
好き勝手に自己主張するそれらはしかし、不思議と調和し一つの調べとなっていた。
「…よし。後はあいつらが起きてきてからでいいかな」
朝。
まだ完全には顔を出さない太陽が、キャンバスを曙に染める時間帯。いそいそとベッドから這い出した俺は、現在朝食の仕込みを行っていた。
レタスをちぎり、トマトは輪切りに。
少し厚めに切り分けたベーコンは表面をカリカリに仕上げて、卵は牛乳と少しの塩胡椒、チーズを加えて卵液を作っておく。
辺りには程好く色付いたパンの芳しい香りが漂い始め、小鍋にはコンソメに生姜を摩り下ろした朝仕様のスープが湯気を立てている。
「ぼちぼちか」
俺はオーブンをチラリと覗き見て、その中で目的のそれが充分に膨らんでいることを確認すると扉を開けて取り出した。
…うん。見た感じは成功してるみたいだな。
パンを焼くなんてリアルでは随分久しくやっていなかったのであるが、此処がゲームと似た仕様で助かった。流石にグラム単位での分量は覚えていない。
ケーキクーラーに丸パンを並べておき、後は二人が起きだしてきたらオムレツを仕上げればいいかな。
「――アイエエエ!? イナイ! ライチャンイナイナンデ!?」
…朝から随分と騒がしいな、おい。
唐突に二階から届くテンパった声色に、思わず辟易とした視線を天井へと向ける。折角の朝の一時が台無しだ。
次いでドタバタと階段を駆け下りてくるような音が響いて、食堂のドアが壊れそうな勢いで開かれた。
ドア壊す気かお前は――そう文句を言ってやる間もなく、大分焦りを浮かべた猛獣は寝癖と静電気でところどころ跳ね上がった髪を気にすることなく詰め寄ってくる。
「レイ! ライちゃんは!?」
「あ? いないのか?」
「いないんだ! どこにも!」
今にも絶望した! と叫びそうな様相である。
ライちゃんが消えた。それだけ聞くとかなり一大事なのだが、俺にはその原因に心当たりがあった。
最初に彼女を顕現させたときに覚えた、微量の魔力を吸われる感覚。
あれは、つまるところ〈召喚魔法〉における幻獣の召喚と同じで、継続して魔力を注ぐことで本来在るべき場所ではなくこの場に繋ぎ止めているということなのだろう。
その感覚が消えたのは、彼女が魔石を取り込んでから。つまりライちゃんは、自力でそれを行うことが出来るようになったという訳である。
それが、寝てしまったことで維持することが出来なくなった。
結果として、寝ている間に消えてしまった、と。
「だから、多分同じようにやればまた呼べると思うぞ」
「よかったぁ…もしかして寝てる間に潰しちゃったのかと…」
心底安心したようにホッと息を吐いたアイリスに、思わず苦笑した。お前、どんだけ寝相悪いんだよ。
…さて、早速呼び戻すとしようかね。
「――賢しき雷精、名をライちゃんと名乗りし者よ。我が求めに応えその身を眼前に現し給え」
魔力を乗せて、条件指定を狭めたライちゃんを呼び出すための呪文を詠唱していく。
昨日のそれは大分適当だったので、より多く魔力を籠めながら呪文を紡ぎ――果たして一瞬の光の後に、目の前には薄群青の童女が出現していた。
「マスター! 姉御! おはようなのじゃ!」
「おはようライちゃん!」
「おはよう。朝飯食うだろ?」
「よいのか!?」
もちろんだよ! とさっきまで寝ていたアイリスがライちゃんを抱きすくめる様を眺めつつ、そっと息を吐き出す。成功してよかった…
魔力切れの話も、再顕現のための詠唱も、実のところ完全に推測や探り探りでのものだったのだ。
呪文は〈召喚魔法〉で契約した相手を呼び出すためのそれを参考にしたのだが、上手くいって何よりである。
それに、昨日の一件で大分ライちゃんの力が増してるからな。街中で普通に呼び出せるかも不安の種だった。
だが、それも無事解決。
俺はいつでもどこでも持て余す魔力でライちゃんを呼び出せることとなり、毎度魔石を消耗することもないとわかった。
従業員候補と万一の予備戦力を同時に手に入れられたのは、正しく大収穫だと言えよう。
さて。無事に事が納まったわけだし、早速朝食にするとしようか。
俺は厨房に戻ると、オムレツを仕上げるべくフライパンを火にかけた。
「――そうだ。ついでだし、ライちゃんに軽く指導してやってくれないか」
「え? ボクが?」
「ああ。基本ホールの仕事は二人でやることになるんだし、俺は厨房からそう離れられないだろうから」
客の入り具合にもよるのだろうが、提供する料理を作るのは基本俺の担当である。
いくらゲームに近い世界だと言えど、ここは紛う事なき現実だ。流石に〈料理〉スキルがなければ調理できないなんてことはないはずであるが、金を取る手前下手なものを出すわけにもいかないからな。
アイリスも給仕の経験があるわけではないと思うが、基本は冒険者を相手にする予定なのでそう格式張る必要もないだろう。
それに、価格調査の関係でこの世界の給仕の程度も見ているし。俺の見てきた北西地域は参考にならないと思うので、指導は彼女に任せるのが一番なのだ。
完成したオムレツをサラダとベーコンと共に一枚の皿に乗せ、順次二人に渡していく。……うん。皿を両手で抱える姿は多少危なっかしいが、なんとかなるか。
その後もパンとスープを運んでもらい、最後は二人で見守りながらライちゃんにお茶を注いでもらった。
さて、多少時間は掛かったが食事を開始するとしようか。
両手にナイフとフォークを構えた二人――ライちゃんには少々大きいが――が待ち切れないとばかりに送ってくる熱視線に苦笑しながら、いただきますとゴングを鳴らす。
モーニングセット。材料も先日見た限りでは普通に手に入りそうなものばかりだったので、俺は特段問題がなければ宿の朝食としてこれを出そうと考えていた。
流石にパンは仕込みに時間を食うので買ってくるつもりだが、後はスープを日替わりで変えるぐらいで後は固定かな。
「…ふむ」
半熟に仕上げたオムレツの火が通り過ぎていないかが微妙に不安だったが、どうやら大丈夫だったみたいだ。
ナイフで切り分けた断面はふわりと柔らかく、半分火の通った中身がとろりと顔を覗かせる。
真っ赤なケチャップと鮮やかな黄色のコントラストは目にも美味しく、酸味とまろやかな味わいはお互いを引き立てあう絶妙のハーモニーを奏でていた。
卵単体でもベーコンから出た油とチーズの塩気が程好く合っていて、胡椒がそれをピリリと引き締めてくれている。
俺には大変美味であるのだが、二人にとってはどうだろう。
特に、ライちゃんにとっては飴玉以外では初めてと言っていいまともな料理だ。初っ端から半熟卵というのは、色々と早かったかもしれない。
「ライちゃん、味は問題ないか?」
「ふわふわでとろとろで、すごくおいしいのじゃ! パンもふかふかで…まるで魔法じゃな!」
「そいつはよかった」
魔法か。俺から言わせれば、ライちゃんの方が余程魔法なんだけどもな。
頬を紅潮させながら頬をぱんぱんに膨らませるライちゃんに、思わず頬が緩んでしまう。小動物の食事風景を見ているかのようで、なんとも微笑ましく癒される。
どうも懸念は無用だったようなのでそっと一息吐き出すが、アイリスはどうだろう。
視線を動かせば、彼女はなにやら思案顔でオムレツを口に運んでいた。
「なにか、気になることがあるなら遠慮しなくていいぞ」
「あ、うん。えっと、味は全然問題なしかな。いつもどおり美味しいよ」
「そうか。…やっぱ、気になるのは火加減か?」
「うん…もうちょっと火を入れたほうが喜ばれるんじゃないかなあって」
確かに、と一つ頷く。
ライちゃんは例外だとしても、この世界――というか、TWPのNPCたちは、基本的に野菜以外の生食はしていなかった。
それがプレイヤーたちに知れ渡ったのは、とある情報交換掲示板に投稿された書き込みによる。
曰く、朝食に卵かけご飯を食ったらパーティを追い出された。
曰く、刺身をNPCに薦めたらドン引きされた。
曰く、ステーキをレアで頼んだらコックに教会に行けと言われた。
最終的に生や半生で食べる文化が存在しないと断じられるのにそう時間は掛からなかったと思うが、この一連の流れはまとめでも紹介され、プレイヤーの常識の一つに加わることとなったのだ。
おそらく、アイリスが懸念しているのはこれのことなのだろう。
厳密に言えば半熟やレアというのは生食とは違うのであるが――彼らからすれば同じ様なものだと言われかねないからな。
「ん。なら、スパニッシュオムレツとかの方向に修正しようかね」
「それがいいと思うよ」
微笑みながら、アイリスはそう頷いた。
文字の練習がてら試作していたメニューをささっと修正し、食事の続きに取りかかる。
一体どこに消えているのか、パンを2個もおかわりしたライちゃんに戦慄しつつ、朝の時間はゆったりと流れていった。
そうして、昼近くまでは雑事とライちゃんの教習を兼ねた仕事の洗い出しをして。
午後――俺たちは、とある場所を訪れることにしたのであった。
*****
アイリス「hshs、ktkrライちゃんprprしたい」
ライちゃん「マスター…姉御は何を言っているのじゃ?」
レイ「シッ、見ちゃいけません!」




