親方! 宙から女の子が!(2)
呼び掛けに応えて姿を現したのは、見目麗しい、羽と同じ薄群青の髪色の少女。
雷を操る精霊が、その小さな体躯をふわりと宙に浮かせてそこにいた。
「…昼と同じ奴、でいいのか?」
眉間に手をやりながらそう問えば、コクコクと、満面の笑みを浮かべながら頷く。
その目はチラチラと俺の腰元に向けられていて、どうやら本当に同じ個体のようだった。
――通常、精霊というやつは余程強い力を持つ高位精霊でもない限り、人語は解しても明確な自己意識は持たない。
それ故、ゲームでは高位精霊を介した上級魔法の威力や規模が信頼度によって上下することはあっても、下位精霊による初中級魔法には大きな差異はなかった。
だからこそ、同じ街中だとはいえ、特に属性の指定もしなかった今回も同じ精霊が出てくるだなんて万に一つもないと思っていた。
いた、のだが。
「えぇと…まずは応じてくれてありがとう。昼間も、お陰で面倒なことにならずに済んだ」
ウキウキ顔で雷精を見つめるアイリスに「待て」をさせながら、まずは礼を述べてみる。
すると彼女は「いえいえ」とでも言うように手を振って、やっぱりポーチへと目を向けた。
…バッチリ自我に目覚めてやがる。
お礼なら飴玉を寄越せってか? 随分と俗な精霊もいるものだと思いつつ、探り探り質問を続けた。
「まずは…そうだな、喋ることはできるか?」
小さな身体では料理を運ぶことはできずとも、言葉を話すことが可能なら注文を取って俺に伝えることはできるだろう。
僅かな期待を抱きつつそう問いかけた――が。
「駄目か。お前の仲間に、人間の言葉を話せる奴はいたりしないか?」
どちらも残念そうに首を振る。…やはり、せめて高位精霊クラスでないと言語を介しての会話は難しいのか。
申し訳なさそうにしょんぼりと俯く雷精に気にしないでいいと伝えつつ、さっきから我慢のし過ぎでそわそわと身体を揺らし始めたわんこのリードを解いてやる。
少しの間、雷精にはアイリスの相手をしておいてもらおう。気分転換にもなるだろうしな。
差し出された手の指先にちょこんと触れて、恐らくは握手をしている2人を眺めながらどうにか彼女の活用方法がないか考える。喋れないなら喋れないなりに、何らかの意思疎通手段があればいいのだが。
食券を運んでもらう…のは券をあらかじめ作らないといけないから手間だし、それを売るための人員が必要になるから意味がない。
何らかのジェスチャーを決めておく? 間違えたら確認する手段がないのに導入するのはリスクが大きいか。
「せめて身体が大きければなぁ…色々とやれることはありそうなんだが」
高位精霊並とは言わないが、せめて料理を運べる程度の大きさがあれば喋れないことはそこまでネックにならないだろう。
今の彼女は正しく掌サイズ。小皿でさえ持ち上げるのでやっとという大きさだ。
無属性魔法には対象を浮遊させるものもあったりするが、精霊は自分の属性以外の魔法は大して使えない。
それらを何とかできる手段はあるだろうか? 身体だけでも大きくすることは不可能なのか?
ティーカップを回収しつつ、徐々に検討材料を増やしていく中でふと思う。そもそも精霊と高位精霊の違いとはなんなのだろう?
TWPにおける高位精霊は、精霊たちの上位存在として一部のクエストで存在が確認されていた。
その姿は精霊を人間と同じかそれ以上の大きさにして、それぞれの特徴を更に強調したものだ。例えば火の高位精霊ならば、まるでボクサーを象ったかのような火炎の化身、というように。
有する力も比べ物にならないほど強く、火の高位精霊が操る炎は天をも焦がす大火とすら称される。
そして、精霊は自然現象と共に在る。
火が生じればそこには火精霊が存在し、火の気がなくなれば火精霊もいなくなる。それは高位精霊も変わらないはずだ。
であれば、根本的な部分で彼らに違いはないのではないか?
段々と興の乗り始めた仮説定義に、思わずニヤリと口角を吊り上げる。視界の端でこちらを観察していた二つの影が震えたような気がしたが、気にしない。
「あれが悪魔顔だよ」と囁く悪魔の声も聞こえたが、気にしない。
さて、ゲームの頃のことを再び思い出してみることにする。
〈精霊魔法〉は精霊のいないところでは使えない――というのは模擬戦の際にもおさらいしたところであるが、実を言うともう一つ欠点が存在していたりする。
それは、上級魔法の使用について。
属性魔法は直接己の魔力を変換するため制限はないのだが、こと〈精霊魔法〉には使用する魔法と精霊の格に密接な関わりがあるのだ。
端的に言えば、高位精霊の存在しない場所では上級魔法を使うことは出来ない。
それだけ聞くと〈精霊魔法〉が酷く扱いづらい印象を受けるかもしれないが、今はそれは重要でないので置いておく。
さて、先にも考察したとおり、高位精霊は強い力を持つ存在。対して通常の精霊は、本来自我も芽生えぬ薄弱な存在だ。
では、今この場に存在している雷精はどうだろう。
まず間違いなく、高位精霊ではないのは確か。だが、彼女は本来あり得ぬはずの自我に芽生えた精霊である。
故に、後は力さえ伴えば高位のそれと同等なのではないか――
「と、まあ、そんな風に考えたわけなんだが」
どうだろう?
と、それなりの体裁を整えた理論武装を二人に投げてみる。
果たしてそこに、アイリスと雷精の姿は影も形もありはせず。俺は今世紀最大のドヤ顔が不発した事を自覚して、羞恥心で激情を噴火させたのだった。
――あんにゃろう共、一体何処に行きやがった!?
*****
「アーーーーッ!!」
いつのまにやら雷精と共に姿を消していたアイリスたちを肩を怒らせつつ探していると、唐突にそんな叫びが宿の中に木霊した。
…一体全体何処で何やってんだ、あいつらは。
げんなりとした心持で無駄足となった階段を降りると、緩慢な足取りで声のした方へと向かう。
焦りが前面に出た声色だったが、ネタに走る余裕があるぐらいだから緊急性は薄いのだろう。
多分、俺を呼ぶ手間を省くためにインパクトを重視したと思うのだが、それにしたって現在進行形の女があれを使うのはどうなのか。
それとももっと単純に、ありのままを想定するべきか? 精霊に掘られる美少女神官。ないわー。
阿呆なことを考えながら歩を進めると、階段を降りて廊下の先、風呂場の向かいに位置する倉庫から光が漏れているのが目に留まった。
おいおい、一体何を――
「……これは、本当に一体どういう状況なんだ?」
「あ、レイ。いや、ライちゃんに宿を案内してたんだけどさ」
「ライちゃん?」
「雷精ちゃん。略してライちゃん。かみなりじゃないからそこのとこもよろしくね!」
「駄目人間製造機みたいな名前付けやがって…それはいいとして、そのライちゃんはどうなってんだこれ」
アイリスの安直過ぎるネーミングに息を吐きながら、視線を光の発生源へと向ける。
そこには、祈るような体勢で光を纏う雷せ――ライちゃんがいた。
「換金しに行くときさ、追加ですぐ持ってけるように、いくつか中魔石を出しっぱにしておいたでしょ?」
「…もしかしなくても、食ったのか?」
「取り込んだ、っていうのが正しい表現だろうけどもね」
倉庫の床に転がっている、いくつかの魔石。それらは数が多すぎたが故に、出所を探られるのを嫌がった俺が残しておいたものだった。
換金率が悪かった時のためにとボックスの上に放置して行ったんだったか…しまったな。こんな事になるなら帰ってきて真っ先に仕舞っておくべきだった。
パッと見残っているのは、四大属性と氷、光と闇――
「…雷と無属性の魔石が消えてるな」
「その二つを取り込んじゃったから…5個も」
「はっ? 5個も!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。そういえば、そのぐらいの数だったような気もする。
魔石自体は持て余してたのだから惜しくはないが…あのサイズの魔石だと、魔法と一緒に使えば単体でも初心者が中級魔法に匹敵する威力を出せる魔力を秘めている。
そんな代物をそれだけの数一度に取り込めば…下手すると、アイリスはともかく俺では苦戦するレベルの存在になりかねない。
背筋に冷たいものが伝うのを感じつつ、ゴクリと唾を飲み込む。
アイリスも神妙な顔つきで明滅し始めたライちゃんを見つめて――
「……進化キャンセルとか、できないかな」
「…非常に残念だが、Bボタンは画面の向こうに置きっぱだ」
某ポケットに入っちゃうモンスターなネタを持ち出した。
こんな時でも余裕だな、おい。
楽観的なのか、それとも暴れられたとしても抑えきる自信があるのか。判断が難しいところだが、お陰でこっちにも少し余裕ができる。
どうせなら絶対捕獲能力でも備えたボールが欲しいところだが…まあ、元々は俺が顕現させた存在だ。アイリスの協力もあれば、多分力量的には不足ない、筈である。
それにしても石に反応して進化とか、この世界は本当に遊びすぎではなかろうか。
ついでにさっき考えていた「力」の強化。その一つの方法が目の前で示されていることに、なるほどとしたり顔を浮かべた。
魔法がブーストできるのだ。精霊自体を強化できるのも道理ということなのだろう。
…さて、そろそろ直視するのが辛くなってきた。覚悟決めるか。
頷き合って、いつでも詠唱を始められるように備える。アイリスも一歩前に出て武器を取り出し、迎撃態勢は万全だ。
しかして、準備が整うのを待っていたかのように光が部屋を塗り潰し――
「――マスター! …姉御!? ちょ、待って待って武器を下ろして欲しいのじゃ!」
…なんとも毒気の抜かれるセリフと共に、薄群青色の童女が慌てたように飛び出してきた。
「……ライちゃん?」
瞼をぱちくりと瞬かせながら、アイリスが己の得物を下ろした。それでも武器を仕舞わないのは、冒険者としての警戒心があるからだろう。
目の前の童女は確かに雷精だった頃の面影を残している。パッと見魔力も安定しているし、暴走の可能性も低そうだ。
けれど、そこで油断をしてはならないというのが鉄の掟という奴である。
確認するように呼びかければ、ライちゃん(仮)は胸を張って頷いた。
「うむ! 我が名はライちゃん! 姉御に貰った誇り高き名じゃ!」
むふー、と鼻息を鳴らしながらドヤ顔を披露する。
…なんだろうか、この、親戚の子供が捕まえてきた虫を見せびらかしてきた時みたいな感覚は。
どう表現していいか微妙な気分になりながらチラリと横目に見てみれば、最早アイリスの警戒心はバターのように溶け落ちていた。ちょろすぎか。
即落ちしてくれやがったアイリスが蜜に誘われる蝶のようにふらふらと引き寄せられていくのを眺めつつ、パッと見てわかるライちゃんの変化を観察していく。
驚くべきことに、彼女はあの掌サイズから一足飛びに幼稚園児ぐらいまで成長していた。正に童女と言う表現が正しい見た目をしていて、民族衣装のようなゆったりとした服は七五三を髣髴とさせてくる。
髪と瞳の色は以前と変わらず薄群青で、精霊だから当然なのかもしれないが、幼げながらも凛々しさを覚えるほど整った見目がドヤっているのは確かに愛らしい。
妖精族と比べると、ちょっと大きいぐらいだろうか。
そもそもが似たような種族なので、パッと見では判別が難しそうである。
「ライちゃんライちゃん。ちょっとお兄ちゃんって言ってみてくれる?」
「お兄ちゃん…? 姉御は姉御ではなかったのか?」
「ぐはっ…これはヤバい。破壊力が強すぎる。――レイ! ボク今日この子と一緒に寝るけどいいよね!?」
「いくねえよ。色々自重しやがれ変態が」
九分九厘そういう方面ではないのだろうが、子供の両肩に手を置いてはあはあ言ってるおっさんとか危険が危なさすぎるレベルでどうしようもない。
見た目が美少女だからまだ見れはするものの、多分日本だったら一発でお縄な事案発生である。
俺は困惑しているライちゃんを解放させると、色々と状況を整理するべく食堂へと戻ることにしたのであった。
*****
ライちゃん「――問おう、そなたが我のマスターか?」
レイ「ああ、そうだ。早速だが令呪を以て命ずる」
ライちゃん「なんじゃと? 一体何を…」
アイリス「―――――――――――!!!!」
レイ「――あのバーサーカーから逃げろ」
ライちゃん「」




