親方! 宙から女の子が!(1)
「――それはそれは、また随分と楽しそうなイベントをこなしてきたんだね。ボクがマズ飯食べてる間に。マズ飯食べている間にっ」
ある程度まとまったところで切り上げ、宿に戻ってアイリスの報告を聞いた後。俺の報告を聞いたアイリスは、ふくれっ面で拗ねるようにそう吐き捨てた。
話を聞けば、どうやらゲームの頃と同じ場所にあったらしい「黄金の杯」。TWPにおけるその宿は、豪奢な見た目と清潔な部屋、大浴場まであるという、現実でも通用するレベルの質の高い宿だった。
だが、それに力を入れすぎたのか、はたまた元から重要視していないのか。とにかく飯が不味いのである。
なぜ酒場でなく食堂として開放しているのかが不明な、一見にはお勧めできない宿として一部では有名だったのだが――どうやら彼女は知らなかったようだ。ざまあ。
「でも、酒は美味かっただろ?」
「ああともさ! 他のお客さんがどうしてナッツとサラミしか摘まんでないのか痛感したよ!」
そう嘆いたアイリスは、どうやら普通に料理を注文した所為で何か異様なものを見るような、はたまた気の毒そうな目で見られたらしい。
一部には顔を背けて肩を震わせていた者もいたようで、大変ご立腹な面持ちである。
それを肴に優雅にティーカップを傾ければ、とうとう唸りながらハンカチを噛みだした。はっはっは。計 画 通 り 。
しかしまた、古典的な悔しがり方というか…現実でやってるの初めて見たぞ。
「そりゃ、流石にリアルでやる人はいないでしょ。ボクも漫画でしか見たことないし」
「…少女漫画か?」
「いやいや、ギャグ漫画ならたまに使われてたりもするよ? それに最近は少女漫画の実写化も多いし、男がそれに触れてもなんらおかしくないさ」
「そう…なのか?」
「そうなの」
何か思うところがあるのか、つい口から零れた些細な疑問に神妙な表情で断言してみせるアイリス。
金色の杯の怒りは何処へやら。多少の疑問を覚えながらも妙な圧力に頷くと、満足げに笑ってお茶請けのクッキーに手を伸ばす。
藪を突きたくはないので、それに倣って話題を流そう。さくさくの食感とドライベリーの香りが実に美味である。
しばし無言のティータイムが続き、ふと思う。異世界にきてしまったというのに、彼女とのやり取りが前とほとんど変わってない気がするのはどうなのだろう。
もちろん宿関係の調査や情報収集は進めているが、取り留めのない馬鹿話をしながら無為に過ごす時間は減らない。どころか増えた。顔を突き合わせている時間が長いから当然なのかもしれないが。
まあ、それも宿をスタートさせれば多少は変わる…のか?
俺はそんな疑問を抱き、卓に頬を着けてだれているアイリスに問いかける。
「なあ、アイリス」
「なぁに、レイ」
「宿を開業したら、お前はウェイトレスとして働く…ってことでいいんだよな?」
「? そのつもりだったけど…急にどうしたの?」
ムクリと起き上がり、口元に人差し指を添えたアイリスは意図がわからないとばかりに首を傾げた。
実際、この異世界で宿をやるというのは彼女の提案だ。
それについては俺も納得の上でこうして準備を進めているのだが…今更ながらにそれに疑問を抱いてしまったのである。
彼女は俺と違って、職業はそのままだしステータスも落ちてはいない。スキルも戦闘向けで、戦うことに問題はない。
そして、俺もまた、先日のワルターとの模擬戦でそれなりに戦えることが証明されてしまった。
だからこそ。
安全に安全を重ねた宿屋という選択は、元の世界に帰るという目的を抱く俺たちにとって酷く迂遠な道筋なのではなかろうか。
「……とうとうレイも気付いちゃったか。まあ、ボクもそう思ったことがあるのは確かだよ」
「そう、だったのか。なら、今からでも――」
「でもね、レイ」
続けようとした言葉を遮られ、自然と黙る。
アイリスの顔は珍しく真剣で、久しく見ていなかった気のする強い瞳を前にした俺は、その先を言うことを憚った。
「でもね、レイ。ボクは…死にたくないし、キミが死ぬのも見たくないんだ」
情けないと思うかも知れないけどね、と。
そう眉尻を下げて言うアイリスは、頬を掻きながら苦笑する。
…ああ、そうだよな。そうだったよな。
俺たちは、死にたくない。生きて元の世界に戻りたいから、この道を選んだんだ。
そこに、戦えるとか戦えないとかは関係なくて。
どんなに迂遠で時間の掛かる道だとしても、それが一番確実だったからそう決めたんだ。
俺はくしゃりと頭を掻くと、木目の天を仰ぎながら口を開いた。
「……悪い。どうにも気が逸ったみたいだ」
「あは。レイにも可愛いトコあるじゃない」
悪戯げな顔で微笑むアイリスに、つい視線を逸らしてしまう。
彼女が情けないだなんて、一体誰が言えようか。情けないのは、俺である。
アイリスは既に考え、その上で結論を出していたというのに、俺は今になってそのことに思い至っただなんて。
なんというか、こう、生暖かい視線でなんとも気まずい。居た堪れないとは正にこのことか。
「…そうだ、宿のことなんだけどさ。ボクらだけで回せるのかな?」
と、落ち込んでしまった空気を晴らすかのように、アイリスがそんなことを言う。どうやら気を使われてしまったようだ。反省しなければ。
とはいえ、そのことについても詰めておかなければならないのは事実。とりあえずは一度、通しで仕事をこなしてみる必要があるだろう。
そうでなくとも、何かしがの理由で俺たちのどちらかが宿の業務に従事できなくなる可能性は否めないのだ。店員の増強は、急務ではなくとも保険的な意味合いで必須だと言えた。
「とは言っても、ツテもないしな。流石にその辺りまでワルターに頼るわけにもいかないし」
「確かに…あ、昼間の子供は?」
「馬鹿言え。いくら子供でもスリの常習犯だぞ? 普通に考えて雇えないだろ」
物語的にはありなのかも知れない、というかよくある展開なのは確かだが、現実的に考えて無理である。
客の金をちょろまかされでもしようものなら廃業一直線だし、相手によっては物理的に首が飛びかねない。
〈宿屋〉スキルにはNPCを雇うための《契約》アーツもあるが、ゲームの頃でさえAIの行動を縛れるものではなかったからな。現実であるこの世界では尚更だろう。
まあ、そもそもあの警戒心の強い少年のことである。どんな裏があるかも知れないのにほいほいと着いてくることもなかろうが。
「信頼できて裏切らない、か。どうにも、ボクにはアレしか思い浮かばないんだけど」
「…多分同じこと考えてるだろうが、一応聞くぞ。アレって?」
「奴隷」
「ですよねー」
案の定だったその答えに、思わず顔を見合わせて笑ってしまう。連想ゲームにしても単純すぎる。
昨今の異世界モノの定番となりつつあるその存在は、多分「裏切らない」という一点においてはこの上なく条件に合致するだろう。
抑止力としての戦闘力を持つ者や、経理を任せるに足る能力を備えた者。金に糸目をつけないならばそれに容姿を伴うことも可能なはずである。数々の転移者・転生者たちが彼らを求めるのも頷けるというものだ。
金さえ工面できれば、敵対の目がなく秘密を漏らす恐れもない絶対的な味方を手に入れられる。そんな存在は、元の世界ですらありえないのだから。
だが、それにも問題はある。特に、俺たちにとっては致命的なデメリットが。
「率直に言って、宿屋の主人が奴隷を使ってるのってどう思う?」
「怪しさ満点。何か言えないことをしてるんじゃないかと思う」
「だよなあ」
冒険者が宿に求めるのは、何よりも安全な寝床だ。食事や入浴なんて二の次三の次である。
それなのに従業員が奴隷では、アイリスの言うように何かあるのではと勘繰る者も出てくるだろう。
事実かはともかくとして、時代小説なんかでは身包みを剝がして監禁し、その肉を供するような物騒な宿もあったりするわけだしな。
それに、貴族関連のクエストで奴隷を見たことがあるため、それとわからないようにすれば良いとも言えない。
彼ら、或いは彼女らは、その身分が一目でわかるよう目立つ場所に魔法で紋を刻まれているのだ。
「それに、言っておいてなんだけど、奴隷を使うこと自体を否定してくる人もいるかも知れないね」
「プレイヤーか…確かに、ありえないとは言えないなあ」
「でしょ? できればご同輩とは情報共有していきたいし、ね」
気まずげに頬を掻きながら苦笑する。
確かに、その懸念は尤もだ。この世界の住人たちからすれば当たり前のことでも、日本という平和な国に住んでいた俺たちにとって、此処は慣れぬ文化が多すぎる。
奴隷などはその最たるもので、ゲームであった以前はともかく、現実としてそれを目の当たりにすれば忌避する者もいるだろう。
流石に解放運動までしでかすような奴はいないだろうが…いらぬ悪感情を招き入れる必要もあるまい。
「まあ、そもそも何処で買えるのかもわからないしな。金に余裕があるわけでもないし」
「だね。色々と解決できそうならその時にまた考えればいっか」
「となると、結局話はふりだしだな」
…もういっそ、女の子が空から降ってきたり、朝起きたらベランダに引っかかってたりすればいいのに。
「悪い魔物に犬に変えられちゃってたりするかもよ?」
「野良犬追っかけて鏡見せろって? 傍から見たら勇者じゃなくて変質者だからなそれ」
現実逃避の妄言を二人して吐き出しながら、固定観念に囚われてしまっている思考をリセットするべく息を抜く。
奴隷はNG。
ワルター…引いては街を頼ることはできれば避けたい。常に監視の目があるなんて、考えただけで息が詰まりそうだしな。
あと思い付くのは…そうだな、精霊魔法を応用することは可能だろうか?
街中で出していた精霊は元々、スリ対策として適当な詠唱で魔法を発動したら、何故か顕現して懐に隠れたのである。
つまり、もっと具体的に詠唱を行えば、汎用的な行動を取る精霊を常駐させることが可能になるかも知れない。
「精霊が給仕をする宿かあ…もの凄い話題になりそうだね!」
「まだ上手くいくとは限らないけどな。それに、街中だと精霊の格が低いから単純な仕事しか任せられないかも」
「それはやってみてから考えればいいさ!」
キラキラと碧色の瞳を輝かせるアイリスは、どうにも興味津々らしい。無い胸を期待に膨らませながら、「わくわく」なんて擬音を口に出してこちらを急かす。
確かにTWPでの精霊は、高位の〈精霊魔法〉を使った際に一瞬だけ姿が見えるか見えないか、というレベル。その上、そもそも使い手自体が少ないのでじっくり見る機会なんて皆無だ。
それを考えればこの様子もわからなくはないのだが…これ、失敗とか考えてない顔だぞ?
ちょっとだけ反応を見たい気もするが、わざと失敗なんてしようものなら折角見つけた糸口がまた行方知れずになりかねないので自重する。
さて、詠唱はどうすればいいだろう。
昼のは予想外の結果だったので置いておくとして、端からそれを求めるならばちゃんとした詠唱を考えないといけない。
〈精霊魔法〉は基本その場にいる精霊に力を貸してもらう形であるため、普段は特定の場所にいる高位の存在を呼び出すことはできない。
となると、今此処にいる精霊を、何らかの形で俺以外の人間とも意思疎通が可能な状態で顕現させる必要があるのだが――
「案ずるより産むが易し、か。取り敢えずやってみよう」
「待ってました!」
あれこれ考えたところで、まだ精霊を顕現させるキーワードも固まっていないのだ。ならば、失敗したとしても試行回数を増やせばいいだろう。
何しろ称号の効果もあって、俺のMPは前職の素のステータスと遜色ないレベルであるのだ。
失敗は成功の母。俺は囃し立てるような合いの手に笑みを浮かべつつ、基本の詠唱を改変しながら朗々と言葉を積上げた。
「――世界に数多在る精霊よ。我が求めに応え、我が手足となるべく賢しきその身を眼前に現し給え」
魔力を言葉に乗せながら、祈るように世界へ響かせる。
重要なのは、具体的な役割を持たせるイメージ。強く強くそれを思い浮かべながらの詠唱は、難しくはあるが言葉を詰まらせることはない。
最後の一節まで詠いきり――宙空に眩い光が溢れると。
次の瞬間にはそこに、昼間と同じ薄群青の精霊が浮んでいた。
……もしかしてお前、味を占めたんじゃなかろうな。
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レイ「この瞬間、俺は魔力を支払うことで精霊を特殊召喚する!」
アイリス「エンドフェイズに召喚だと!?」




