読める…読めるぞ…!
急に寒くなって風邪拗らせてました。更新が遅くなり、申し訳ありません。
皆さまどうか体調にはお気をつけて…
「むむむ…」
宿の一室。アイリスに宛がわれた部屋で、彼女はなんとも悩ましげに唸り、少しサイズの大きな椅子で足をぶらつかせていた。
卓上に設置された燭台の火が揺らめいて、ペラリと捲られる紙面を照らす。ぼんやりと光を発するそれは時折その身を小さく捩り、生み出された影を大きく動かした。
橙色のキャンバスを藍色が埋め始め、時計の長短が直線を描く時間帯。アイリスは、真剣な眼差しを一冊の本へと落としていた。
「調子はどうだ?」
職人通りで人に尋ねて回り、ようやく見つけた古本屋。
そこで手に入れてきた教材は、教本と言うには乱雑で、絵本と言うには情緒のない、子供向けの図鑑を写したようなボロボロの紙束だ。
もしもアイリスが買おうと言わなかったなら、俺は銀貨60枚というぼったくりのような価格設定のそれを購入する気にはならなかったはずである。
それでも、今の俺たちにはそこそこ大きな買い物をしたのは――単に彼女の覚えた直感を信じようと思ったからだ。
「――レイ。どうやらボクは、君にいい報告ができそうだよ」
そして、その賭けは見事に天秤を傾かせたらしい。
顔を上げてにんまりと笑んだアイリスに、思わず目を瞬かす。…いや、正直、ここまで早いとは思ってなかったんだけど?
俺たちが宿に戻ったのは、適当な宿の食堂で昼食を摂った後のことである。
それからおおよそ5時間程度。何やら考えのありそうなアイリスに本を託した俺は、畑の手入れや部屋の整理、茶の子の仕込みなどの些事を片付けることに勤しんだ。
気づけば辺りは薄暗くなっていて、流石にまだまだ進んでいないだろうなあ、なんて考えながら夕食のリクエストを聞くためにやってきたところなのである。
それが、どうだろう。
いざ進捗を確認してみれば、先ほど聞こえた気難しい声はなんだったのかと言いたくなるほどもったいぶった顔を見せるではないか。
俺はそれに一つ頷くと、とりあえずこちらの用件を済ませることにした。
「――まじか。それはそうと、晩飯なに食いたい?」
「んー…じゃあ、ハンバーグ定食で」
「承知した」
機先を制するような形になってしまったが、アイリスは特段不満を見せることなくあっさりとそれに答えてくれた。
なるほど、いつもの調子なのを見るに、本当に何らかの成果があったようである。
何がわかったんだ?
俺はそう突きたくなって――それを口に出すのをやめた。その代わり、悪戯っぽく口元を弧に描いてみせる。
「んじゃ、飯食ったら成果を聞かせてもらおうか。期待してるぜ?」
「りょーかい。その代わり、ボクも期待しておくからね?」
アイリスもまた、似たような笑みを浮かべてそう言った。
…どうやらこれは、一段と気合を入れて夕飯作りに臨まねばならないらしい。
そして、折角リクエストをもらったのだ。どうせなら思いっきり豪勢にしてやろうではないか。
俺はそっと拳を握り、そんな決意を胸に抱いて部屋を後にした。
*****
「えへへ、そろそろだと思ったよ」
大体、1時間程経った頃合だろうか? ぼちぼち降りてきてもらおうかと思った矢先に、どうやら匂いで察したらしいアイリスが食堂に姿を現した。
いやはや、流石の直感力である。
テーブルには既に飲み物などは準備してあって、あとはメインを運ぶだけだ。アイリスには座っておくようにと伝え、俺は魔石稼動のオーブンに手をかけた。
……うん、おーけーだ。
串を差して火の通りを確認してみれば、我先にと湧き出してくる澄んだ色をした脂。
俺は一つ頷くと、焼き立て熱々のそれを真っ白い皿へと運んで仕上げに取りかかる。
作ったのは、勿論要望通りハンバーグ。だが、それだけではつまらないので3種類用意させてもらった。
まずはデミグラスソースをたっぷりとかけ、そこに目玉焼きを乗せてやる。オーソドックスでスタンダードなハンバーグだ。
もう一つは目玉焼きを乗せず、ソースだけ。代わりに中にチーズを仕込んだ、子供から大人まで心躍らせるチーズINハンバーグ。
最後は、個人的に一番好きな、大根おろしと刻んだ大葉を散らした和風ハンバーグ。
付け合せには蒸かした芋とソテーした野菜を添え、後は白飯と味噌汁を運べば豪華ハンバーグ定食の完成である。
「うわぁ、美味しそう…!」
キラキラと目を輝かせるアイリスは、既に待ち切れなさそうな様子でナイフとフォークを握り締めていた。
子供か、と笑いつつ、自分の分も運んで向かいの席へ。そわそわと肩を揺らしながらも律儀にも待っていてくれたアイリスと声を揃えて――いただきます。
「んー!」
早速ハンバーグを口にしたアイリスが、頬に手を添えて至福の表情を浮かべた。
一応味見もしたから不安はなかったが、喜んでもらえた様で何よりだ。やはりハンバーグはソースをかけてなんぼであろう。
さっくりとナイフで切り分けて、洪水の如く熱々の肉汁が溢れ出てくるそれをソースと絡めて口に運べば、やってくるのは濃厚な味わいに肉のジューシーな旨味が加わった絶妙なコンビネーション。
目玉焼きも忘れてはいけない。半熟に仕上げたそれを割れば、鮮やかな黄身が黒に近い濃茶に映える。味は言うまでも無く、最高のマリアージュでFAだ。
チーズINは俺は食していないので評価できないが、アイリスの顔を見れば自明の理であろう。間違いなく、会心の出来だと胸を晴れるレベルに仕上がっているようである。
そして、無論のこと前者二つに遅れを取る和風ハンバーグではない。おろし大根とポン酢のさっぱりとした口当たり、そして爽やかさを演出する大葉の香りが、その分しっかりと肉の味を楽しませてくれた。
濃淡のバリエーションで白米が進む。味噌汁は口内に残る余計な脂を流し、それをますます後押ししてくれる。気づけば俺は二回も、アイリスは三回もおかわりを重ねてしまっていた。
「――ご馳走様。余は満足じゃー…」
「お粗末様。いやあ、食ったな」
「美味しかったよー…お腹がはち切れそうだ…」
アイリスが満足げに腹を擦って、表情とは裏腹な苦しげな声を漏らした。
至極おっさん臭い仕草なのだが、なんだか妙に微笑ましく見えてしまうのは「ただし美少女に限る」という魔法に違いない。
俺は例の聖句を唱えると、皿を運んでしまってさっさと洗うことにした。食休みを入れたいところではあるのだが、こういうのは後になればなるほど億劫になる。
〈精霊魔法〉を応用し、魔道具の蛇口を捻って洗った皿の水気を集めて乾燥させる。鉄板も綺麗に流し、最後にそれぞれ念を置いた浄化をかければ、布巾で拭くことも乾燥機にかける必要もなく、あっさりと後片付けは終了を迎えた。
なお、最初から浄化をかけなかったのは単純に<家事>のレベルが低いためである。洗い直すぐらいなら最初から洗ってしまったほうが気分的に楽だと思ったのだ。実際に楽だった。
沸かしておいた湯で紅茶を淹れて、未だに緩んだ顔でテーブルに溶けているアイリスの元へと戻る。
さて、ぼちぼち本題に入ろうか。
「ん、りょうかーい。ちょっと待っててね」
とたとたと急ぎ足で――けれど常とは幾分か緩い足取りで――本を取りに行く。
遠くで聞こえた「お腹が重い!」という悲鳴を聞きながら待てば、大して時間をかけずに戻ってきたアイリスがパラパラと紙を捲って簡単な絵の描かれたページを開いた。
「ミカンだな」
「ミカンだね」
そこに描かれていたのは、どう見ても「丸書いてちょん」の要領な手抜きでありつつ、どう見てもミカンにしか見えないそれである。
微妙な気分になりながらそれを眺めていると、白くて細い指が絵の下を指す。
記されているのは、昼間に俺が挫折した記号列。
相変わらず複雑怪奇なそれは、当然何の変化も無くそこに羅列されていた。
「この文字列なんだけど、読み方は恐らく「オランジェ」だと思う」
そう言ってニコリと微笑む。その表情にはどうしてか少々力なく、なんとなくやるせない雰囲気が漂っていた。
はて、先程はあれだけ自信に満ち満ちていたというのに、どうしたというのだろうか。
問題を解く前に答えの示されたそれを見ながら、解説を求めてみる。
「ほう。何でそう思ったんだ?」
「よーく見てみて。何か気づかない?」
…気づく、ということは、記号自体の形を見るべきか。
オランジェ、ミカン、おらんじぇ…――おらんじぇ?
「おい、まさかこれ」
思わず口元をヒクつかせながら、気付いてしまった事が正しいのか確認するためにアイリスを見る。
そこには相変わらず浮かべられた苦笑があって、それで全て察してしまった俺もまた、力なく肩を落とした。
「じゃあ、試しにここの文章を読んでみてくれる?」
「……「おらんじぇのきになるおらんじぇのみ。だいだいいろのかじつで、たべるとあまくてちょっとすっぱい。」…やっぱミカンだろコレ」
「うん、ミカンだよ」
あっけらかんと言うアイリスは、開き直ったかのように他の例も挙げていく。
アプル、メーク芋、キャベジ。
連ねられたそれらは、最早名が体を表すかの如くその正体を察することが可能であろう。それぞれリンゴ、じゃがいも、キャベツである。
「これは酷い」
いくらゲームに似た世界だとはいっても、これはないと言わざるを得ない。
安直というか、適当というか…まあ、全然別の名前よりは覚えやすいので助かるのは確かであるのだが。
文字についてもそうだ。
平仮名を角張らせてちょっと変形させたような見た目をしているそれは、慣れさえすれば読むだけはあっさりできるようになる気がする。
もし仮に、この世界を創造した神様がいるのだとすれば――ちょっと遊び心働かせすぎだと思う。
俺は盛大に息を吐き出すと、今度は自分で頁を捲っていった。
「…それにしても、見事に食材ばっかだな」
「そうなんだよね。多分、これは食べ物図鑑か何かなんだと思う」
「それはまた、随分と都合のいいもので」
生姜、大蒜、たまねぎ、長ネギ、トマト――
恐らく頻繁に仕入れることになるだろう食材の名前を頭に叩き込みながら、これはもしかして野菜と果物しか載っていないのではと思い始める。
そうして、暫し字の勉強も兼ねて読み進めていった図鑑には、結局肉も魚も登場することはなかったのであった。
「なんか、すっかり気疲れしちゃったよ」
「そりゃまあ、一からやるつもりだったからなあ…なんにせよ、お疲れさん。助かったぜ」
「――レイがデr」
「それ以上いけない」
跳ねるように顔を上げたアイリスの口を塞いで、暴走機関車の発進を寸でのところで止める。
この間もそうだったが、別にデレたつもりなんて微塵もない。それに、常日頃からツンケンしている訳でもないと思うのだが。
コイツの中の俺は一体どんなキャラクターになってしまっているのか…前々から思っていたが、一度確認してみたいものである。
さて。
ある程度文字の読み方に判別が付けられるようになったとは言って、それで習得できたかといえばそうではない。
今後は一目見て読めるよう、そして不自由なく書けるようにならないといけないのだが、それにはどうしても時間が掛かる。
故に、それと平行する形で、予定としては大分先に延ばしていた市場調査――宿屋の平均価格調査を、早速明日から実行に移そうかと思う。
「んー…領主様への謁見は?」
「今は『開拓者』絡みでゴタついてるだろうからなぁ…。それに、スケジュールが決まれば多分この間みたいにワルターから先触れがあるだろうし」
恐らく、『旅人』の受け入れ云々は早々に片付く問題でもないだろう。
彼らの庇護下に入ることを望む者もいれば、残ることを決める者もいるはずである。
加えて、俺たちが会わなければならないのは領主という立場のある相手。当然スケジュールも密に詰まっているはずなので、謁見には暫し時間が掛かるだろうと思われた。
「そかそか。それなら問題ないよ」
どうやら念のためというか、優先順位を間違えないように再確認したかっただけらしい。
柔和な微笑みと共に頷いてくれたので、早速明日の予定を詰めていく。
どういうルートで回るのか。どういったところを注視すべきか。
仔細を検討しつつ、ようやく話がまとまったのは…いつぞやと同じく夜も更けた時間帯なのだった。
*****
レイ「とりあえず奴らと鉢合わせした時のための装備を用意してみた」
アイリス「仮面に黒ローブ…すごく…怪しいです…」
レイ「顔バレさえしなければ大丈夫だ、問題ない」
アイリス「『開拓者』よりも先にオーラーに捕まりそうなんですけどそれは」




