ボロボロ古書店の手作り冊子
「今日は大収穫だったねえ」
ワルターの案内による市場の探索を終えた俺たちが宿に戻ったのは、日が暮れて辺りが薄暗くなってきた頃合だった。
既に風呂に入って汗を流したアイリスが、まるで蕩けたような声色でふへえと息を吐く。
アゼリアとの模擬戦に、異世界で初めての街歩き。どうやら流石に疲れたのか、気の抜けた表情でベッドに寝転がっていた。
なお、騎士二人は既に帰っている。どうやら宿舎で晩飯が出るらしく、外食する時は事前に言っておく必要があるそうな。
試食役として初陣を飾れないことに非常に残念そうな顔をしていたが、まあ、次の機会に存分に働いてもらうとしよう。
ところでアイリスさんや、そこは俺のベッドなんだがね。
「いーじゃんいーじゃん。こんな美少女の、それもお風呂上りのかほりに包まれながら眠れるんだよー?」
「せめて髪乾かせっつってんだよ」
「乾かしてー」
自分で自分を美少女という辺りにイラっとくるが、言っても仕方ないのでスルーする。
というか、本当に髪が濡れたままというのはやめてもらえないだろうか。
抗議の言葉を発すれば、当たり前のように起き上がってこちらに頭を向けた。コイツ、味を占めやがったな。
片手間に〈精霊魔法〉で温風を出し、再び作手元に目を落とす。さて、と。
「どんな感じ?」
「…ま、ぼちぼちってとこか」
手元に詰まれたコインと紙を見ながら、アイリスの質問に答えてやる。
実は、今日の帰りにワルターの付き添いで魔石を換金しに行ったのだ。
ここにあるのは、その成果。紙に書いてあるのは、ゲームの頃に冒険者ギルドを通して換金していた時のレートと、街で換金した際のレートを比較するために起こしたものである。
うろ覚えで大体でしか記せていない部分もあったが、換金率は今のほうが高い、はずだ。
「大きさはまちまちだったが、魔石94個で金貨2枚と銀貨35枚に銅貨5枚。間に合わせにしては良い金額じゃないか?」
「おおっ!」
内訳は中魔石22個と小魔石が72個。
魔石は属性によっても単価が変わるので、計算はややこしかったがなんとか検算もした。久々に電子機器のありがたみを痛感したな…。
因みにゲームの頃と貨幣価値が変わらないことを前提とするならば、円に直すと23万と5500円になる。臨時収入にしてはなかなかの額だろう。
とはいえ、中魔石を超えた辺りからレートが跳ね上がるので、倉庫に眠らせている大や特大サイズのものを放出すればそれ一個でもこれを超える額が手に入る可能性もあるのだが。
「それだけあれば、一先ずは問題ないね」
「ああ。あとは仕入先を見つけるのと、宿泊料の設定か」
以前にも相談したが、それが一番難しいのだ。
高すぎるのは論外として、安すぎるのも考え物。騎士二人にも意見を聞いてみたのだが、正鵠を射るような答えは返ってこなかった。
まあ、普通に考えれば騎士が宿屋の相場なんて知ってるはずがない。遠征に出たとしても野営が基本だろうしなぁ。
つまり、価格設定をするにあたっては街に出て調査をするしかない、のだが…
「まさか文字が読めないとはなぁ」
「完全に盲点だったよね」
「ああ。普通に話せてるから見落としてたが、そもそもここは異世界だ。文字どころか言語自体が違うってのは想定しておくべきだった」
異世界ファンタジーの七不思議の一つ、「言語の違い」。異世界に召還された勇者やら、転移に巻き込まれた一般人やらが何故言葉を理解できるのか。
よくある理由付けの代表例としては、転移の際に言語理解のスキルや知識を植えつけられるだのが挙げられるのだが…
ステータスも確認できなければ召還者に遭遇した記憶もなく、まして神様なんて存在に出会ってもいない。そんな現状では何故話し言葉が通じるかの理由に答えを出すことはできなかった。
昼にも少し考えてはいたのだが、その時は〈精霊魔法〉がメインだったのであっさり流してしまったのだ。
それを、街中に入ったことで改めて直視させられた。何しろ店や立て看板などの文字が読めなかったのである。
「アイリス、外国語で何か一つでも習得しているものは?」
「ね、ネット言語なら多少…ぬるぽ」
「ガッ」
となると、取れる手段は一つだけ。地道に勉強していくしかない。
一つでも外国語を習得していれば他の言語も習得しやすい。そんな俗説があったことを思い出して質問してみたのだが…どうやらダメな様である。
エラーを吐き出したアイリスに、思わず天を仰いだ。かく言う俺も、英語は中学で挫折した身だからなあ…
「とはいえ、学ばない訳にもいかないだろうよ」
「うっ…やっぱりそうだよね?」
今後どれだけこの世界にいることになるかわからない以上、他に道はなさそうだ。
そもそも情報を集めるにしたって、口頭で全て解決できるとは限らない。時には書物などからも読み取る必要は出てくるだろう。
加えて、俺やアイリスはそもそもの職業からして必然的に習得せざるを得ないのだ。宿屋が帳簿も書けず、神官が文字も読めないでは話にならない。
まあ、彼女の場合は自ら神官と名乗らない限りは大丈夫な気もするが…そこはそれ、学んでおいて無駄になるようなことでもないし。
「とりあえず明日は子供向けの絵本でも見に行こう」
「この歳になって絵本かぁ…」
「文句言わない。俺だって嫌だよ」
大の大人が2人も揃って絵本で勉強。嫌な絵面だ。
百歩譲ってアイリスは見た目が子供なので許されるかもしれないが、普通に大人な俺にはなかなか厳しいものがある。
俺は重苦しい息を吐き出すと、当座のやるべきことを書き出した紙に一文を追加した。
領主への謁見に、市場調査。宿泊料金の洗い出し、仕入れ先の確保、提供する料理の試作。そして、文字の習得である。
「一つずつやってくしかねえな…こりゃ、本格的に帰る方法探すのはかなり先になりそうだ」
「しょうがないよ。まずは足元を整えないとどうしようもないからね」
「だな。まずは古本屋でも探しながら市街地を見物しよう」
「うぇー」
わかったのかそうでないのか、微妙な返事をするアイリスに失笑しつつ立ち上がる。
さし当たって明日は、再びの職人通りだ。
*****
「職人通りよ、私は帰ってきた――!」
翌日のこと。
朝から職人通りへと足を向けた俺たちだったが、着くや否や早速とばかりにアイリスがネタをぶっこんだ。どうやら一晩経って子供よろしく元気を取り戻したらしく、相変わらず清々しいほどの笑顔を咲かせている。
とはいえ、こればかりは見過ごせない。明らかに誤用である。
少佐を舐めるなと鼻で笑ってやれば、憤懣やる方ないと口にしながらケツを殴られた。解せぬ。
「しかし、いい教材があるかねえ」
「流石に日本語との対応表なんてないだろうしね。絵本でもいいけど、できれば図鑑みたいのがあればいいなぁ」
時折聞き込みを行いながら、古本屋を探して歩く。
何故普通に本屋を探さないのかというと、新品の本というのは総じて馬鹿高いのだ。
製紙技術も活版印刷も存在するこの世界だが、流石に現代社会のように大量生産とはいかないらしく、ゲームの頃でさえ新品で買えば金貨が普通に飛ぶ値段をしていた。
今の懐事情でその出費は痛い。できれば安く済ませたい。そういう事情から古本屋探しと相成ったわけである。
「お、あそこか?」
どうやら、街に古本屋は一つしかないらしく、俺たちはその一軒を見つけると早速覗き込んでみた。
薄暗く、黴臭い。独特の臭いが鼻を突くそこは、どうやら随分と古い本ばかり集められているらしい。
管理状態も良くはなく、手近にあった本を開けば黄ばんだ紙面に小さな虫が這っている。アイリスが小さく悲鳴を上げて、店番らしき老婆に睨まれた。
「ううう…触りたくないよぅ」
聞こえないように声を落としつつ、そんな泣き言を漏らすアイリス。
正直言って俺もあまり長時間触れていたくはないのだが…そうも言ってられないからな。
これ以上睨まれるのも困るので、我慢してもらうしかない。
俺は無言で次の本を手に取ると、パラパラと中身を確認していった。
…ふむ。やはり何も読めないな。
これは、相当時間が掛かりそうである。それでも、目的のものを見つけられるまでは諦めるわけにもいかない。
そうして、棚から本を取り出しては戻す。そんな作業を黙々と続けていると。
「……あんたたち、いつまで居座る気だい。さっさと目当てのモンを探して出て行っておくれよ」
「うひゃっ!?」
唐突に、そんなしゃがれた声が近くから聞こえてきた。
思わず身を硬くする俺と、あからさまに肩を跳ね上げて小さな悲鳴を上げるアイリス。
恐る恐る振り向けば、すぐそこに先ほどの老婆の姿があった。
小さい。
と、ついそんな失礼なことを思ってしまう。
先ほどはカウンター越しに座っていたから気付かなかったが、こうして目の前にするとその背の低さが際立つ――もしかするとこの老婆、小人族かなにかだろうか?
「……失礼しました。絵の描かれている図鑑のようなものを探しているのですが…」
眉間に皺が寄っているのを見るに、どうやら随分と気難しい人物のようである。
気分を害したことに謝罪をし、ついでとばかりに探し物について聞いてみた。
「図鑑ぅ? そんな高尚なモンがこんなボロ臭い店にあるとでも思ってんのかい?」
「あ、そうなんだ。じゃあ別の店に――」
「待ちな。別に無いとは言っとらん」
が、返ってきたのは素気ない言葉。これ幸いとアイリスが踵を返そうとして――その襟首を、皺だらけの手が引っつかむ。
…どうやらこの老婆、なかなか厄介な性格をしているらしい。
古典的と言えばいいのか、それとも面倒臭いと言えばいいのか。ツンデレ染みたその行動に、思わずそっと息を吐き出す。
そうして一度店の奥に潜った老婆は、しばらくすると紐で綴られた一冊の本を抱えて戻ってきた。
「銀貨60枚。値引きには応じないからね」
見れば、その本――というよりも、手作りのノートに近いそれは、やはりかなりの年代物らしかった。
紙自体が分厚くて粗い上、当然のように黄ばみも目立つ。その上ところどころ虫食いまであるという、質も管理状態も悪い代物である。
これが銀貨60枚というのは、些かぼったくりが過ぎるのではなかろうか。
ペラリペラリと中身を見ていくアイリスの傍らでそんな猜疑的な事を考えていると、それを察したらしい老婆が鼻を鳴らした。
「買わないならさっさと出て行きな。アタシは別にそれが売れなくても構いやしないよ…精々マトモな本屋で金を浪費するんだね」
「…そうですか」
一貫して崩れる気配の無い不遜な態度に、思わず拍手すらしてしまいたくなった。
自然と低くなってしまった声を自覚しながら、けれど主になって本を確認してくれているアイリスに悪いのでぐっと堪える。
確かに、見ている限り中身は悪くない。絵も丁寧に描かれていて、その真下に記された少し大きな字はそれの名前であろうこともよくわかる。
だが、あからさまにボロボロのそれを大枚はたいて手に入れるべきなのかと聞かれれば、迷い無く俺は首を振るだろう。何しろこの老婆、客商売を舐めていやがる。
けれど、そんな俺の個人的感情とは裏腹に、アイリスは酷く神妙な顔で決断を下した。
「レイ――この本、買おう」
瞬間、ニヤリと口角の上がった老婆に殴りかからなかった俺の自制心を、誰か褒めてくれないだろうか。
*****
アイリス「え!! 同じ値段であの分厚いで有名な本(税抜)を5冊も!?」
レイ「買えらあ!!」




