精霊魔法は遅れてる…?
「まず最初に思ったのは、なんとなく避けやすいなってことでした」
アイリスに服を掴まれて座り直すと、ワルターは苦笑を湛えつつそう口火を切った。
避けやすい。
それは、やはり彼も気付いた魔法の展開速度によるものなのだろう。
TWPにおける魔法発動の手順は、認識、指定、詠唱、展開、発動の五つだ。この内展開までの四行程を終え、最後に魔法名を宣言することで魔法が発動される。
魔法の展開速度とは、この魔法名の宣言から実際に魔法が現象として現れるまでの時間を指す。
多くの魔法は宣言と発生に時間差はなく、即時発動が可能。模擬戦で俺が使った《フォレッジランス》と《トーテムコール》も、本来はこの部類の魔法だ。
故に一部例外を除けば、通常此処に遅延が発生することはない――のだが。
「魔法の改変が影響してたりはしないの?」
「いや…共通して遅く感じてたと思います。といっても、あくまで初動だけなんでキツかったのは確かなんですが」
あと、そもそも普通は改変なんてできませんからね?
アイリスが指摘した疑問に、頬を掻きながらワルターが答えた。
あれだけ鮮やかに避けといて、キツかったも何もないと思うんだが。
それはさておき、本来魔法の呪文というものは定型である。ゲームだった頃もそうだし、この世界でも同じなのはアイリスの〈神聖魔法〉で確認済だ。
例えるならば、表計算ソフトにおける数式が近いだろうか。
魔力を魔法という現象に変換するために必要なのが魔方陣。それを構成しているのが呪文というわけだ。
故に、定型を崩せば結果は吐き出されない。何故か〈精霊魔法〉では普通に変えることが出来てしまっているが、本来は魔法自体が発動しないのが当然である。
だから、もし改変が影響を及ぼしているのであれば、それ自体をしなければいいというだけの話なのだが…
「改変が原因じゃないんなら…そもそも〈精霊魔法〉自体の処理が遅いってことになるのか」
〈精霊魔法〉は精霊に意志を伝えるための手段だ。
そもそも自分で魔法を発動している訳ではないので、それならば展開が遅い理由にも納得がいく。
プロセス自体は変わらないのだから、そこに精霊という一行程が加わることによる弊害だろう。
――とまあ、尤もらしく仮説を打ち立ててみた訳だが、それを証明しようにも手段がない訳で。
何処かに〈精霊魔法〉の使い手が転がっていないものだろうか? そう思ってワルターをチラリと見てみると、そこには何故かポカンと口を開けた阿呆面が鎮座していた。
「〈精霊魔法〉…? ええと、それはつまり、俺との模擬戦で使っていたのは〈地属性魔法〉ではなかったと?」
「え? ああ、最初っから最後まで〈精霊魔法〉を使ってたが…」
素直にそう答えれば、何故か天を仰ぐワルター。一体どういうことなのか、解説をいただけやしないだろうか。
「いやその…完全に〈地属性魔法〉を習得されているのだとばかり思ってまして」
「そういえばレイ、地属性しか使ってなかったもんね」
苦笑げに笑うアイリスも、どうやら勘違いに気付いたらしい。
思い返せば、先の模擬戦で用いた攻撃魔法はどちらも地属性だった。それなら確かに、勘違いしてもおかしくはない。
厳密には自己強化で他の属性も使っていたのだが…それは開始前にかけてたからなあ。
言い訳をしておくと、他の属性は使わなかったのではなく使えなかったのだ。
〈精霊魔法〉は、精霊に請うことで代わりに魔法を使ってもらう、本質的には魔法とは言えない代物だ。
故に、その場に存在しない精霊――例えば此処のような森の中では、火気がないので火属性の魔法は使えない。
これが各属性魔法の場合だと、自分の魔力を直接魔法に変換するためいつでも何処でもどんな魔法でも使えるのだ。
精霊さえいればどんな属性の魔法も使える〈精霊魔法〉と、場所を選ばず一つの属性を使える属性魔法。ゲームの頃は不人気なスキルだったが、個人的にはどちらも一長一短だと考えている。
「では、あれは精霊言語で詠唱をしてたんですね。道理で聞き取れないわけだ…」
「そう、なのか」
「…もしかして、自覚ありませんでした?」
凹…。
唐突に聞き慣れない単語が飛び出してきて動揺していると、目敏くそれを看破されてしまった。
ゲームでは喉を意識して呪文を唱えれば魔力が乗るため、それで精霊に伝わるのだと思っていたのだが…どうやらこの世界では、それと同時に精霊言語なるものにすり替わってしまうようである。
…いや、それとも逆か?
アイリスには普通に聞き取れていた訳だから、こうしてワルターたちと普通に喋れている現状こそが変換されている可能性もある。
複雑怪奇に過ぎる言語の謎に疑問符を浮かべていると、アイリスが別の質問を投げ掛けた。
「〈精霊魔法〉って、使う人は少ないの?」
「んー…いない訳ではないですけど、人間の中ではかなり少ないと思います。そもそも精霊言語は難解で、習得できる人も少ないですから」
「それに加えて、声に魔力を乗せるというのは才能がものを言うのだ。帝都の宮廷魔術士ならば使える者もいると思うが…基本的には森人族の専売特許だな」
アゼリアはそう言ってから、俺たちがエルフを知らない可能性に気付いたのだろう。自分の耳を引っ張って「こう、耳が長い連中なのだがな」とやっている。
面白がったアイリスがそれを真似するが――別に、俺や彼女がエルフを知らないというわけではない。
TWPは剣と魔法のファンタジー。故に、御伽噺や物語に出てくるような人間以外の種族も当然のように出てきた。
非常に、真に残念なことにプレイヤーキャラクターとしては選べなかったが、NPCとしてはそれなりの数が普通に街や集落を作って暮らしていたのである。
メジャーどころで人間に友好的な種族としては、森人族や獣人族、小人族に妖精族などが挙げられる。
それ以外にも、時には人間と敵対することもある種族として魚人族や竜人族、小鬼族、樹人族などがいた。
そこに人間族を加えて、総じて人類と称するのがTWPの世界観だったのである。
「となると、原因が〈精霊魔法〉にあるか確かめるためには…」
「帝都に行くか、森人族に会うかだろうな」
「マジかぁ…」
思わず、頭を抱えてしまう。
帝都――ライラック魔導帝国の首都であるそこは、TWPの世界では最も魔法の研究が盛んだとされている一大魔法都市である。
魔法を専門に教える学院まで存在し、NPCの正統派な魔法使いは大概そこの出身だ。
故にこそ、そこまで行けば〈精霊魔法〉についての詳細がわかるのはほぼ確実だろう。
だが、問題は物理的な距離。そしてそれに費やされる時間である。
この街から帝都まで、乗合馬車を使っても片道一週間以上は余裕でかかる。TWPは変なところにリアリティを求めていたので、転移魔法なんて便利な代物も存在しなかった。
それに加えて、多忙であろう宮廷魔術師に会うための手続き諸処を考えれば、一月以上は見ておく必要があるだろう。
…現状、そこまでの時間を捻出できるはずもない。よって帝都案はボツ。
ではエルフならばどうかと言うと、こちらもこちらで非常に困難だ。
何しろ彼らは滅多に人里に顔を出さない。そして森人族という名が示している通り、彼らの集落は森の中に存在している。
森なら此処もそうだと思うかもしれないが、彼らが住処として選ぶ森は基本的に人が足を踏み入れ難い場所にあるのだ。
しばしば排他的に描かれがちなのがエルフという種族だが、ある意味TWPでの彼らも似たようなものである。
直接相対さえできれば割と人当たりはよかったりするのだが、そこに至るまでの道が物理的に険しい。…天然の即死トラップ満載な森に足を踏み入れるのは、今の俺には不可能だ。
「ま、まあ、もしかしたら旅のエルフが宿に来てくれる可能性もあるし…」
アイリスが励ますようにポンと背中を叩いてくるが、それは最早微粒子レベルの話なのではなかろうか。
というか、そう言うならこっちを見て話して欲しいものである。
肩を落としつつ苦笑を漏らし、その言葉にそういえば、と思い出すことが一つ。
「そういや、俺たちはあの宿に住んでていいのか?」
半ば反則に近い形でもぎ取った言質だが、結局は領主様がそれを否と言ってしまえばどうしようもない。
プレイヤーを保護しようと名乗り出てきた『開拓者』のお陰で少々――いやかなり脱線してしまったが、本来ならば今日はそのことや、今後の俺たちの扱いについての回答をもらうはずだったのだ。
その言葉に、二人の騎士も思い出したのだろう。あ、と呆けたように声を漏らすと、誤魔化すように咳払いをしてからその話題に触れた。
「えー、結論から言ってしまえば、お二人があそこで暮らすことには何の問題もありません。宿についても、法を守ってくれるのなら続けてもらって構わないと」
「本当!?」
「ええ、もちろんです。ただ、条件が二つ…いや、三つほどありまして」
今度はアイリスが飛びつかんばかりに身を乗り出した。おい止まれ。取りあえず一度落ち着け。
盛大に裂けた服を全く意識していない彼女の行動に、冷や冷やしながら腕を掴んでその場に留める。
条件。それに三つもか。
一体どんなことを言われるのかと身を硬くしながら続きを促せば、ワルターはアゼリアに目元を掴まれながら苦悶の声と共に話し始めた。
「ひ、一つ目は、領主様と会ってほしいィィィっと。一度、顔を見ないッことには始まらないとのことでェェェェ!?」
「まあ、道理だな。俺たちは現状どこの馬の骨とも知れないわけだし」
普通ならば宿を開業する程度でそんな話にはならないのだろうが、俺たちは『旅人』である。
不用意に許可して問題を起こされては堪らないし、人となりを確かめるには自分の目で見るのが一番ということなのだろう。
それに、これは俺たちにとっても悪い話ではない。
相手がこちらを見定めるということは、こちらも相手を見定められるということなのだから。
俺は一つ頷くと、ぼちぼちアゼリアに手を離してはどうだろうかと提案してみる。このままでは話が聞き取り辛くて仕方ない。
彼女はふんと一つ鼻を鳴らすと、アイリスの様子を確認してから手を放してくれた。
「助かった…ええと、では次は二つ目ですか。これは、さっきも言ったとおり法を守ること。今度資料を持ってきますんで、目を通しておいてください」
「わかった」
「で、最後なんですが」
ワルターはそこで一度言葉を区切り、息を吐いてから続きを口にする。
「――俺たちを味見役として使ってみません?」
「……は?」
「貴様は、何を、言っているのだっ!!」
「いだ、あだだだだだだ! い、いーじゃないですか別に少しくらい役得があったって! あの菓子とか凄ぇ美味かったですし! それに、彼らにもそう悪い話ではないはずでェェェェェェッ!?」
「民を守る騎士たる者が、役得などと考えるものではないッ!!」
顔を髪と同じぐらいに真っ赤にさせながら、激昂したアゼリアがワルターの首元を掴んで吊り上げた。
大の男一人をあんな細腕でとか、すげえ腕力…じゃあなくて。
どうやら彼女の様子を見るに、三つ目の条件は完全にワルターの独断専行というか、私欲まっしぐらな提案のようである。
はてさて。俺が騒音をBGMにアイリスに視線を向けると、彼女もまたこちらに向いてサムズアップをしてみせた。
「ボクとしては、文句なしかな」
「俺も異論はないぞ」
「条件云々は置いとくとして、普通に良い話だよね」
「ああ。実際こっちの人に味の感想を聞かせてもらえるのはありがたい」
「ボクらの好みがここの人たちの好みとイコールだとは限らないしね」
「そうだな。ついでに食材についても色々聞けるだろうし」
「じゃあ、決まりだね」
「おう」
………。
………。
「…ボクは嫌だよ。まだ死にたくないし」
「そう言うなって。お前なら気に入られてるんだからなんとかなるだろ」
「レイはボクを売るの…? いつからそんな非道な人間になっちゃったの…?」
「おい、上目使いはヤメロ」
うるうると、一時は盛大なブームメントを巻き起こした某CMの小型犬のような瞳でこちらを見てくるアイリスに、苦々しく口元が歪むのを自覚する。
本当に勘弁して欲しい。
ステータスはアイリスの方が上なのだから、そういう意味でも彼女のほうが適役なのは違いないというのに。
羅刹か何かの如く怒り狂っている赤鬼をチラリと視界に納め、再び視線を戻す。
…そこにはやっぱり庇護欲を駆り立てる小動物染みた姿があって、俺は盛大に息を吐き出しながら立ち上がった。
「アゼリア」
「大体貴様はいつもいつも任務をサボってふらふらふらふらと街の中を出歩きおってなんなのだその癖民からの人気は高いから他の騎士からの文句まで私にくるのだぞその苦労が貴様にわかるかわかるまいだというのにレイノス様からの信頼は厚いし今回の事だってそうだ確かに私は交渉事が苦手だがそれでも団長だぞ少しは敬うことはできんのか私だって少しは幼子から笑顔を向けられたい――」
「おい、アゼリア? そろそろワルターが泡噴き始めてるんだが」
だめだこりゃ。聞こえちゃいねえ。
俺は一つ息を吐き出すと、俺をこの修羅の前に立たせた薄情者に望みを託すことにした。
だってこうなったら奥の手を使うしかないしなー。他に妙案も浮ばないもんなー。
「アイリスが今日もらった蜂蜜で菓子を作るらしいが」
「ちょっ」
「俺は甘党じゃないからそんなには食えねーし…。はぁ、アイリスのお手製、誰かに感想聞かせてもらえたらありがたいんだけどなー」
「………」
棒読みのそんな台詞を吐けば、背後からは抗議の声が、正面からは急速冷却された反応が返ってくる。
無関心を装っても口が止まってますよ。耳がピクピク動いてますよ。
なんともわかりやすいことに、アゼリアはワルターを地に降ろすと一つ息を吐いてから口を開いた。
「……なんだか甘いものが食べたくなってきたな」
――我らが宿の試食係が誕生した瞬間だった。
*****
ワルター「(俺にもアイリスちゃんのお手製ください――)」
レイ「(――こいつ、直接脳内に…!?)」




