備えあれば、うれしいな
「おい、アイリス。大丈夫か?」
「――あ、うん。ちょっと思うところがあっただけだから大丈夫」
『開拓者』の名を聞いて、遠い目になっていたアイリスを揺り起こす。
顔色は…うん、普通だな。どうやら本当に少し考えてしまっていただけらしい。
苦笑しながら「まいったなあ、アイツらかー」と頬を掻く様からは常の雰囲気が伺えて、小さく息を吐き出した。
しかし『開拓者』か…本当にまいったもんだ。
俺たちがクランを作った切欠でもある彼らは、実力が均衡してきた現在において尚犬猿の仲なのである。
「悪いんだけど、ちょっと席を外してもいいか?」
「ん、構いませんよ」
二人の騎士に許可を取り、アイリスを伴って俺の部屋へと向かう。流石にちょっと打ち合わせの時間が欲しい。
無言で廊下を進みその部屋の扉を開けると、我先にと入っていったアイリスが豪快にベッドに飛び込んだ。…おい、人様のベッドにダイブしてんじゃねえよ。
「よりによってアイツのいるところだなんて…最悪もいいところだよ」
「ケツの穴以外も守る必要が出てきたしな」
「レイ、それ普通にセクハラだからね? そうじゃなくて――いやそれも重要なんだけど――そもそもアイツらが帰る手段を探す気があると思うかい?」
扉を閉めたのを確認したアイリスは、身体を起こしてベッドの端から足を投げ出すと呻くように言う。
帰る気があるか、か。
普通に考えればないはずがない、と答えるところだが、こと『開拓者』となるとそうもいかない。
何故なら奴らは、廃人なのだ。ゲームに極似したこの世界に来て、喜ばないはずがないだろう。
もちろん全員が全員そうだとは限らないのだが、その可能性は高い、と散々連中と対峙してきて培われた経験が激しい自己主張をする。
ハイッ、ハイッとミニマムアイリスが心の中でリンボーダンスをし始めたところで、俺はそれを掻き消すように息を吐き出した。
「連中に限って、ないだろうな」
「だよねー」
がっくりと項垂れながら肩を落とすアイリス。
しかし、そうなると不思議なのが、どうして奴らがプレイヤーを集めようとしているのかだ。
『開拓者』の名前を聞くまでは、もしかすると俺たちと同じように宿屋を開き、その従業員を確保するためなのかとも思っていたのだが、奴らがそんなまどろっこしいことをするとも思えない。
「他のプレイヤーを守るためとか? 実力があるのは確かな訳だし…ないか」
「そんな殊勝なこと考えられる奴らなら、とっくの昔に和解してるだろうしなぁ」
何しろ彼らが掲げているのは、「如何に効率が良いか」と「他人より上に立てるか」である。
お陰でクラン内の空気は最悪だった、と一時『開拓者』に属していたプレイヤーは言っていた。
そういった話や今までの印象からすると、寧ろ足手まといはいらないと切り捨てるほうが彼ららしい。
そうでないならば…労働力にでもするつもりだろうか?
ホームがあるならばある程度の物資があるのは間違いない。ならば、それらが尽きる前に補充しようと考えるのは自然なことだろう。
彼らは戦闘を主眼に置いたクランなので、生産職は在籍していなかった筈。それを他のプレイヤーに求めている可能性は高いと思えた。
そして、それならば生産職以外にも役割を作れる。
一から生産活動を行うには、それなりの初期投資が必要なのだ。ゲーム内の所持金が消えてしまった以上、外で戦いを望まない連中には街中で働かせればいい。
とはいえ、保護されている現状の話を聞く限りではそうすんなりと働いてくれるとも思えなかったが。
「それとも、他に理由があるのかね」
「どうだろう…アイツらのやりそうなことってなると、ボクにはどうにも悪い方面しか思い浮かばないんだよね」
「例えば?」
「高いステータスで無理矢理戦場に連れてって、囮にするか肉盾にするか。女の子の場合は――ある意味もっと酷いことになりそうかな、なんて」
ゲームではなくなってしまった以上、此処にはシステム的な制限なんて存在しない。故に、もしもそういうことをされそうになった時、自力での抵抗以外の守護もまた存在しないのである。
気まずそうに視線を落とすアイリスだったが、そう考えてしまうのも無理はない。
何しろ彼女がネカマだと広まって尚、諦めようとしなかった奴が頭にいるのだ。印象が悪いのは当然というか、寧ろそれで好意的に見れるほうがおかしいはずだ。
俺は黙ってその頭を、ガシガシと乱暴に撫で乱す。
「わ、ちょっ…もう。やめてよね」
アイリスはそう文句を垂れながら、けれど抵抗することはなかった。
長い髪は指通りがよく、サラサラと掌を擽ってきて。…少しの間無言でされるがままになっていたアイリスは、少しするともういいとばかりに手を押し退ける。
「むう。子ども扱いしないでよ」
「悪い悪い」
ぷいとそっぽを向いてしまったアイリスに、最近マセ始めてきた姪っ子の姿を思い出してくつくつと喉を鳴らした。
手櫛で乱れた髪を整える彼女の横顔は見てわかるほどに真っ赤で、どうやら余程恥ずかしかったようである。
そのまま落ち着くのを待って、ようやく本題に入ることにした。
「ワルターにはどう話したもんかね」
「んー…所属している人間がどうとかよりも、組織としてどういう方針で動く団体なのか、ってところを話せばいいんじゃないかな?」
なんとも意外なことに、そんな穏当な意見が返ってくる。
先ほどの言葉からして、プレイヤーを『開拓者』に引き渡さない方向で考えていると思ったのだが。
「…まあ、ボクの意見はバイアスが掛かりまくってるからね。それに、あまり対立を煽りたくもないから」
苦笑を浮かべたアイリスは、どうやら俺たちの意見で領主様の考えに影響が出るのを避けたいらしかった。
確かに、と一つ頷く。
俺たちと『開拓者』とのあれこれを素直に喋った場合、少なくともアゼリアの心象は急落どころかストップ安になるのは間違いない。ワルターも聞いたままを領主に報告するだろう。
そうなれば、彼らはきっと『旅人』を引き渡さない。
その結果待っているのは、双方の対立である。――否、対立で済めばまだ可愛いか。最悪は街とプレイヤーとの衝突だ。
では、逆に『開拓者』について一切を話さないとどうなるか。
領主はこれ幸いにと『旅人』を引き渡すことになるだろう。
そうなれば、プレイヤーたちの心の安寧は守られるが…『開拓者』が先ほどの懸念どおりのことを考えていたとしたら目も当てられない。
要するに、迂闊に口を挟めないのだ。
「そうなると、あくまで客観的な視点で――」
「なるべく偏らないように――」
方針は決まった。
俺とアイリスは、細部を詰めるべくあれこれと議論を重ね始めた。
*****
「悪いな、待たせちまって」
「いえ、そうでもないかな。思ったよりずっと早かったので」
紅茶も美味しかったですしね、とカップを軽く掲げるワルター。
どうやらポットを置いておいたのが良かったらしく、個人的に欲しくなりましたと笑っていた。
追加した茶菓子も随分と減ってしまっていたが、まあ、食べすぎも良くないだろうから追加はしないでおく。
「さて。では、話を聞かせていただけますか?」
「ああ」
席について一息入れると、ニコニコと微笑みながらそう切り込んできた。
「まず前提として、俺たちは『開拓者』の連中と仲が良くない」
「…そうなのか? 少し意外なのだが」
「まあ、俺たちも人間だからな。相性の悪い相手ってのは普通にいるさ」
驚いたように目を丸くするアゼリアに、思わず苦笑する。一体どんな風に見られていたんだか。
それに、相性が悪いと言ったが、連中と相性がいい奴というのもそういないのではなかろうか。
同じ廃人同士でも反りが合わない場合があるのだ。普通のプレイヤーは言わずもがなだろう。
「だから、極力客観的に話はするつもりだが、主観が入ってないとも限らない。そのことを念頭に置いといてくれ」
「ええ。わかりました」
「じゃあ、まずは『開拓者』がどういう集まりなのかから話そうか」
廃人クラン――という言葉をわかりやすく噛み砕けば、戦闘に重きを置いた冒険者の集まり、と言えばそれっぽいだろうか。
冒険者という職業は得てして戦闘と切り離せないものだが、ギルドで斡旋される依頼には様々な種類がある。討伐、捕獲、調査、護衛、採取…中には人探しや配達なんてものまで。
その中でも特に討伐ばかりを好むのが、彼らの特徴といえば特徴になる。
個として強い魔物を狩るものや、弱くとも群れを殲滅するもの。時には街道に現れた野盗――人間を相手にするもの。
それらを選ばず、只管に戦闘技能を高めることが、彼らの目的と言っても大きな違いはないだろう。
「そして、その為なら周りの目なんて気にしない。そういう連中が集まっているのが『開拓者』だ」
「ボクらは、そんな彼らのリーダーと少しばかり因縁があってね。どうしても色眼鏡を掛けて見ちゃうんだ」
何があったのかまでは語らず、アイリスはそう話を締めた。
先ほどの様子を見ていたアゼリアは何か言いたげだったが、恐らくこれ以上は私見が入ってしまうと察したのだろう。ワルターがそれを制する。
とはいえ、微妙な表情をしているあたり、面倒な相手だとは察してもらえたらしい。
これで、多少の警戒を抱かせることはできただろうか。アイリスの想定は恣意的に悪意を捉えたそれなので、むしろ無駄骨になればいいのだが。
「…うん。これで領主様には報告してみます。なかなか厄介そうですね?」
「まあ、な」
探るようにも、同情するかのようにも見える表情を浮かべたワルターに、少しの苦さを織り込んだ笑みで応える。
横目に見ればアイリスも眉尻を下げ、似たような顔をしていた。
そんな中――アゼリアだけが、何か思案するように眉根を寄せている。
何事だろう。もしかして、これだけで好感度がだだ下がってしまったのだろうか?
それとも何か事前に取り決めてあったのか…ワルターを見ても、その表情に変化は見えない。これは、どっちだ?
「……レイナード殿。一つ確認したい」
「なんだ?」
「因縁があるという相手だが――アイリス嬢と比べてどちらが強い?」
………。
「…先回りさせてもらって悪いが、アンタじゃどっちにも勝てないと思うぞ?」
「そうか。だが、勝負は時の運もある。絶対とは言い切れないはずだ」
「そりゃ、まあその通りだろうが…」
「勝ちの目がないのでなければ良い。無粋なことを聞いてすまなかったな」
スッと目を閉じて、小さく頭を下げる。…参ったな。
アイリスに視線をやれば、オロオロと目を彷徨わせていた。どうやらその意味は汲み取れずとも、不穏な空気は察したらしい。
あまり手の内は晒したくないのだが…こうして言葉を交わし、多少なりとも好感を得ている相手が死の気配を漂わせている。それをただ眺めているだけというのは、正直酷く居心地が悪かった。
別に、今すぐ突貫する気はないのだろう。
だが、もしもの時。いざという場面で「勝てない」と知るより、事前にそれを知っておいたほうが選択肢は増える。
正直そんなことになってしまったのならば素直に逃げて欲しいのだが…そのための問答は、既に終えてしまった。
ならば、せめて。
俺はギュウと拳を握ると、決意を秘めた騎士に手助けをすることにした。
「絶対に人目に付かない場所。他言無用。致命傷になるような攻撃は厳禁。それをアンタの剣に誓えるか?」
「……いいのか?」
「死なれるのも後味が悪い。それに、俺たちにも利のあることだからな」
揺らめく炎のような瞳に、薄く笑ってみせる。
アゼリアもまた口元に弧を描き、いつもの凛々しい表情で迷いなく言葉を立てた。
「誓おう。――ワルターもそれでいいな?」
*****
ワルター「なにそれ聞いてないんですけど(震え声)」




