黄昏時
異変
「おお、モモどうした?」
コバがいた。よかった、まだ何も起こってなくて。
「ユリは?どこにいるかわからない?」
「ここにいるよー、そんなに汗かいて…
一体どうしたの?」
ユリもいた。
シダが死んだこと。ユリがそう仕向けたこと。
これから起こるかもしれないこと。
すべて夢であればよかったのに。
そう思いたい。それでも一度起こったことは変わらない。
この世はいつだって諸行無常なのだから。
「ユリ、話があるわ」
「…うん?何?」
「あなたがシダを殺すように神崎に仕向けたのね」
その場の空気は凍りつく。
いつしか一緒にいることが当たり前になっていた仲間。
それが、壊されようとしているのだから。
コバは目を見開き、モモの方に目を向けた。
「おい、冗談はやめろって…
なあ、ユリ?」
ユリは下を向く。目がかち合わない。
「ユリ!お前がシダをやったのか!?」
ダァンッ、と箪笥にユリを押し、胸ぐらを掴む。
コバが激昴したのを見るのは今日で二回目だ。
「…よ」
小さくユリが呟いた。
「なんだよ」
「あなたが!モモのことを好きだったからよ!」
…失いたくなかった。
シダも、ユリとの友情も。
「…リコができてからも、あなたの目はいつもモモを追いかけていた!
私が入りこむ余地なんてなかった。
そしたら虚しくなって…モモとシダを恨むようになった…」
「だけどモモはいつまでたっても綺麗だった。身も心も。私はこんなに…汚いのに」
私が綺麗だったと、ユリが言う。
コバは静かに怒りながら、またその怒りを抑えながら、話を聞いていた。
「それで、もしシダが死んだら、モモも…歪むんじゃないかって。
そうしたらコバは私を見てくれるって…そう思った」
ユリは少し笑っていた。してやったり、とでも言いたげな顔だった。
モモはもはや何も言えないでいた。
神崎の話もあり、何を信じて生きるべきか、わからなくなったためである。
「ユリ…オレはたしかにモモが好きだった。
でもな。シダがモモのことを好きなら、俺は身を引こうと思ったんだ。
目で追っていたのは否定しないが…
オレはお前を愛していた」
コバは伏せ目がちになりながらユリにそう告げた。
「何よそれ…それなら私は何のためにシダを殺したのかわからないじゃない!」
ユリがこんな人間だったなんて、知らなかった。
コバが私のことを好きだったなんて、ついさっきまで知らなかった。
シダが、普通じゃないなんて、知らなかった。
知らないことが、全てか起源だったのかもしれない。
今となってはもうわからない。
「…話してくれてありがとう」
私はやっとのこと声に出し、コバの家を後にした。
あとはさっきの場所に行って、シダの体があるかどうか、見に行こう。
モモは息切れしながらも走り、やっと先の場所に着く。
「いない…」
まずい。神崎の言ったままになるとしたら。
今間違いなく危ないのは…ユリとコバ。
夫が、最愛の人が。シダが。
生きている。
それは素直に嬉しかった。
しかし神崎やユリが仕組んだこととはいえ、
この手で殺してしまったことが、モモは何よりも許せなかった。
だが喜んでもいられないのは何故だろうか。
村人が、コバが、ユリが…ユウやリコが。
死んでしまうから?
きっと、違う。
私が恐れているのは…
「よ、モモ」
聞き覚えのある声だった。大好きな声だ。
そう、あなたの声。
「シダ…」
記憶はあるの?どうして生きているの?
殺されたことを怒ってる?
聞きたいことは頭に浮かんでいるのに、言葉にできない。
言葉が浮かんでは、すり抜けていく。
「皆は?俺が起きたら誰もいなくてさー!
モモがいて安心したよ」
いつもどおりの、シダだ。
たはは、と笑う笑顔の下には絞められた痕が残っていた。
痛々しくて、目をそらした。
傷だけではなく、笑顔にすら痛みを感じたから。
「…何も…覚えて…いない…の?」
「何が?ああ、集会のとき?
気づいたら倒れてたな、なんか痕もついてるし」
そういって首あたりをさする。
自分が死んだことすら、忘れているという。
私たちは、人間で。
あのとき神の子にさえならなければ、君の隣で何も考えることなどなく、笑えたのだろうか。
シダが好きだ。永遠と寄り添っていられる。
このまっすぐな想いは、どこに向かっていくのだろう。
それとも、ここで捨てるべき感情なのだろうか。
答えは出なかった。否、既にはじめから出ていたようなものだった。
私は彼がどうなろうと、私だけは彼の敵にならない。
そのために、彼が今から為さんとすることを全力で止める。
「シダ、家に帰ろう?」
できることなら平穏な日々を。
今日のことなど忘れて、…。
「悪いな、モモ」
シダはにっと笑い、モモに近寄る。
「それでも俺がしなくちゃいけないんだ」
「ダメよシダ!」
「シダ…か」
「あなた、まさか…!」
「家に帰って、あいつとお留守番していてくれるか?」
確信した。
「…シダはユウのことをあいつとは言わない」
「あなた誰?」
「お前の夫だよ」
「ちがう!あなたが神崎の言っていた別人格?」
くはっ、と笑った。どうして気づかなかったんだろう。
私の前に現れたときからシダではない、なにかが私に話しかけていたことを。
モモは恐怖に駆られていた。
シダではないシダと対話することに対する恐怖。
「神崎か、久しい名だ。それこそあいつに聞けばわかるんじゃないか?」
「…どこに行くの?」
「ん、散歩。夜には返すよ」
夜には?どういうことだろうか。
それに散歩などと言っているが、おそらく彼はユリを殺すつもりだろう。
「ねえ、シダはどこにいるの?」
「寝てるよ。俺ん中で。
お前に絞め殺されたときから」
それなら。きっとシダは私に怒っているはずだ。
モモはそう思った。ただ、単純に思った。
「私は、あなたじゃなくて、シダに殺されるでしょうね」
「いや、死んだ記憶は無くなるから安心していいよ」
「なにそれ、それも神崎に聞けばわかるわけ?」
目の前の彼はつまんなそうな顔をする。
「んーん。教えてあげるよ、簡単にね」
「俺は黄昏時、シダが死んだタイミングで一定期間出てくんの。だからシダは俺のことを知らない」
腕を組みながらてくてくと畑と畑の間を歩いていく。
「蛇に咬まれたときも?」
目を見開き、にっと笑う。
「そう!あのときはシダに降りてすぐだったからその場で死なせてしまったけどね」
合点がいった。彼は眉を下げてこう言った。
「…残念だけど君のお友達は助けられない。これは掟だから」
「ええ、それは聞いていたわ…」
残念だけど、という言葉はモモにとって意外だった。というか話ができていることも意外だった。
「シダを、愛してる?」
「ええ」
「なら彼を守ってあげてよ」
随分とお節介で人想いなことだ。
「言われなくても。その為なら私は彼を止めるわ。刺し違えて、私が死ぬ羽目になろうとも」
これが私なりの、想いやりだから。
「だから、あなたがユリ以外にも手を出すなら私はあなたを殺す。シダごとね」
「守るって、そういうことね」
ふふっと笑った。黄昏時、日が山にさしかけていた。
夕焼けの赤は、いつもほど綺麗に感じることができなかった。