バトンタッチ
入学してから三週間が経った。少しずつ学校にも慣れてくる頃だ。
「やべっ遅刻だ」
霰は慌ただしく着替える。朝ごはんは今日の当番だった香織が、つくってくれていた。それをなるべく急いで食べて、玄関に行く。
どうやら香織と神崎は先に行ったようだった。
「あれ?霰お前遅刻すんぞ!」
「お前もだろ」
圭も寝坊していた。霰と同じく、鈴には置いていかれたようだ。
「オレはまだ大丈夫だって!足はええもん」
そういって靴を履いて走っていく。圭は中学生時代、バスケ部に所属していた。帰宅部の霰は、体力はあれど圭に並ぶほどではなかった。
後から追いつこうと走る。霰はもちろん、懸命に走った圭も遅刻だった。
走って登校するのは危険だ、余裕をもって登校しなさい。教師によるお説教は
同じ文をメールでコピーペーストして送るかのように、同じような内容を繰り返していた。
欠伸をしないよう噛みしめて、遅刻指導を終えた二人はそれぞれの教室の方へと散っていく。
ー
霰たちの教室には教壇に男の教師が立っていた。
「西方の国には昔、竜がいたと言われている」
「先生、そんなの俺らもう信じないですよ!」
どっと笑いが起きる。そんな笑い声で霰の目が覚める。
「何の話だ?」
隣の列の香織に尋ねる。
「ん、ああ……昔ね、竜がいたとかなんかで」
くああ、と欠伸をする霰の様子を見て、教壇に立っていた教師がこちらにやってくる。
「ようやくお目覚めか、初田。今は何の授業かわかるか?」
竜の話をしていたと香織は言っていた。雑談の内容だけでは教科なんてわかるはずがない。
「……国史?」
「惜しいな、世界史だ」
「またかよ!」「ははは、あいつおもしれー!」
入学当初から、霰のイメージは居眠り問題児だ。教師は呆れて教壇へと戻っていく。
「この太陽の国には竜はいない。今も昔もな。でもさっき話してた西のドラーゴにはいたと言われている」
竜はこの国にはいない、か。この国も、色んなものがいたけどな。そう思いながらも霰は清聴していた。
ー
「霰、すっかり馴染んでるね」
「ん?」
ふふっと笑い、霰の机に寄りかかる。
「私もはやく馴染みたいな、ほら……鈴と圭とクラス離れちゃったじゃない?だからちょっと緊張してるの」
「香織さん今日も初田と話してるで!」
「くっそーうらやましい!おれも松田さんと話してみたいわー!」
そんな声がちらほら聞こえてくるが、香織は気づいていないようだ。変なところが鈍感なんだと思う。
「ん」
霰は香織にキスする。もちろんほどなくして、教室の中は大騒ぎになる。
「教室でしなくても……」
まんざらでもない香織の表情を見て、神崎も少し笑い、やれやれと言いたげに眉を垂らす。
「お前が鈍感じゃなくなるまで、またするからな」
「……早く直すわね」
髪を少し指先でくるくるといじり、照れている。少しやりすぎてしまったかな、と今更ながらに感じた。
ふと窓越しに外を眺めると、赤黒い鳥が飛んでいるのが見えた。ここらでは見ない鳥だ。珍しいのと、やけに違和感が残ったのでしばらく見つめていた。
そんなときだった、耳鳴りがした。わんわんと響く音は居心地が悪いものだった。
「五つの花弁に永訣を______」
「誰だ?香織か?」
「私じゃない。それに、聞こえてるのは私だけじゃなくて……」
耳鳴りが止んだ途端、無機質な声が聞こえた。それは二人だけではなく、学校中に響いていた。中性的な声だ。
「何の話だ?」
刹那、大きく地面が揺れる。机や椅子もガタガタと揺れだす。
「地震?さっきの声と関係があるのかな?」
「とりあえず伏せろ!」
揺れはおさまらない。それにさっきの声も気になる。いきなり何だ?この地震は無関係なのか?
「霰危ない!」
瓦礫は霰めがけて落ちてくる。香織は瓦礫から霰を庇う。
「やめろ!香織危ない!」
霰はとっさに香織を庇う体制をとり、瓦礫に背中を向ける。
「ぐっ……」
「霰!」
ー
目が覚める。目の前には先ほどとは全く違う光景が目の前に広がっていた。
「霰。気がついた?」
香織が隣に座っていた。
「ここは……」
「校舎じゃないみたい」
それに地震の痕もなかった。所謂異世界に近いのではないか?そう霰は考える。
「霰!香織!」
「よかった!二人もいたんだね!」
圭と鈴も走ってくる。神崎も後ろから追いかけてくる。
「どうやらここは京都で間違いないわ」
そう、ここは京都なのだ。
千年前の京の風景が目の前に広がっているのだ。
「スマホもパソコンも、電波はやられてた」
「ここは千年前の京都なのか?」
神崎は首を振る。そしてわかりやすく例えようと、身振り手振りをする。
「映画のセットみたいに、世界そのものは今やねんけど、見た目は昔ってとこやな」
時間が戻ったのではなく、今の時間に昔の風景が差し替えられたと表すのが的確である。
「てんやわんやだな」
圭らの制服は目につく。先ほどまでクラスメイトだった人間が、着物に身を包み、商いに勤しむ。そんな状況は異様だった。
「交差点みてえだな」
時代と場所の交わりを揶揄する。
「他国も同じ感覚になってるのか?」
「なってないぜ」
黒ずくめの男が五人の前に現れる。評定が判別できない。いや、顔はあるのに、印象づけることが不可能なのだ。
「……ならこの状況は太陽の国だけか?」
「何か勘違いをしているみたいだ。ここは本来の君らの国さ。君らが過ごしていたのは俺の気まぐれの空間」
楽しそうで非現実でチートのような話を淡々と続ける。シダとは階級違いの神だ。圧倒的な人外。説明のつかない超常現象は今目の前で起こった。化物どころの話ではない。
存在自体がイカサマじゃないか。
「簡単に説明してあげるよ。君らのいる太陽の国、風の砂漠にあるヴェント、火山にあるドラーゴ、大海のフトゥーロ、荒れ地のサッビア。そして大峡谷のアルカディア。この五大国と島国である太陽の国がすべてだ」
六カ国しかないこと。俺たちが勉強していたはずの国の名前がないこと。納得がいくわけもない。が、この状況だ。信じざるを得ない。
「まさかシダを止めるとはね。滅亡するはずの国だったのに、参ったな」
歴史を知る人物のような話しぶりで、五人はほとんどついてこれていない。
「何が目的なんだ」
霰はそう問いかける。聞こえていないのか、聞こえていても答えるつもりがないのか、返答はない。
「五人とか五つのなんたらとか言ってたのはお前じゃねーのか?」
「……!?それは俺じゃない。は、そういうことか」
圭のその言葉に過敏に反応する。そして、不敵に笑う。
「こればっかりは気長に待ってられないぜ」
「お前は誰なんだ!」
そういって去っていこうとするそいつに霰は再び投げかける。
「……誰も覚えてないさ、敢えて言うなら忘れ去られた民……の一人、だぜ」
瞬きをした瞬間、そいつはいなくなっていた。理不尽。不可解。しかしそんな違和感も時期薄れていくのだ。
彼は忘れ去られた民なのだから。
それでも、黙ってはいそうですかで終わらせるわけにはいかない。
「希望は忘れねえぞ」
「らしくないね、私たちいつだって一緒に頑張ってきたじゃない?」
「天真たちも探そうぜ!」
「あと湯ノ神村にも、行こうね」
「為せば成るやな」
こうして彼らの物語は終わってしまう。けれど、きっと彼らのように強い意志をもった誰かがいずれ現れる。
ー
「なんか言ったか?サリー」
紫髪の少年は振り返る。
「何も言ってないわ、ねえ?サファイア」
青髪の少女は首を横に振り、顔のよく似た少年に話を振る。
「オレでもねえぞ」
「そうか、まあいいや」
「準備はできたか?三人とも」
茶髪の少女のもとへ、三人とも駆けていく。
「さあ!始めるぞ!sakura探し!」
霰たちの意志は、次の彼らに渡されました。
彼らの話は、また別の機会に。
一年弱の間、長い物語をご覧なさってくださった皆様に感謝をこめて。
ありがとうございました。